私が帰るところ
変わってしまった元弟と幼馴染。物騒な隣国の王子の従者に近衛隊の大隊長。私に与えられていた部屋にいる面々に悪夢が一様に集められた感があります。
ついでに空気も険悪です。
「母も久しぶりに顔が見たいと言っていたから、私と一緒に来ればいい」
黒さが微塵もない笑顔で私の幼馴染は言いました。
小父様が亡くなり、チェスター様が出仕されるようになってから、私と母は小母様を元気付ける為に以前よりも訪問するようになりました。城に出仕していると会う時間が減りますが、外遊となると数週間は家を留守にします。チェスター様が不在の間、小母様が寂しくないようにと母とよく行っていました。
家を追い出されて私がここにいる間も、母は小母様のところを訪問していたと思います。
私も久しぶりに小母様に会いたいです。
母とは親子の縁を切られた今、前のようには会えないでしょう。お茶会に呼ばれるようになるまで、待たなければいけませんから。チェスター様の一族に加えられても、チェスター様はお忙しいでしょうから夜会などに出席させて頂けないでしょうし、偶然会うこともありません。
小母様とお話をするのは私の生活の一部でした。チェスター様がおっしゃられて、ようやく私の生活も元に戻るのだと実感しました。
「チェスター、何を言ってるんだ。姉上は俺と一緒に城に来たらいいんだ」
アイザックは既に公爵家を出て、城で暮らしているようです。
「縁も所縁もない平民の娘が理由もなく城に滞在できませんよ、殿下。分家の籍に入れてある私の家に来るのが常識です」
道理を説きながらも、チェスター様もアイザックのことを王子として扱っています。
私がいない間に、アイザックは公爵家の次男から王子の身分になってしまったのですね・・・。
寂しい気持ちになりました。もう公爵家に戻っても、アイザックの居場所はないのです。私の居場所もチェスター様の家になってしまいました。
「チェスターの分家に籍があるなら平民じゃないよな?」
「一族の長として、理由もなく城に滞在するのは許可できません」
チェスター様の分家ということになってはいますが、その家の家長がいない今はチェスター様が私に関する庇護の義務が生じます。
「俺が望んでいるのに?」
「はい。一族の者を守る者の立場として、一族の未婚の娘の評判も守らなければいけません」
笑顔でチェスター様はアイザックの要求を拒否されました。
「俺と姉上は結婚するんだぞ」
了承したおぼえも、求婚されたおぼえもないことをアイザックは言いました。
「婚約しようが、結婚するまでは許可できません。その前に殿下はまだ婚約もなさっていないでしょう?」
「ぐっ・・・」
「私の許可を取って、ライラが求婚を受け入れてから、この話の続きはしましょう」
家族内では父親。それがいなければ男兄弟に結婚の許可をもらった上で、求婚するのが普通です。
ですが、私の籍の入った分家ではなく、チェスター様の許可となるといささか不安が残ります。おっとりされてうっかり許可を出されては困ります。
「そうです。シルベン王子のように時間があるわけではありません。このようなところで潰している時間はないのですよ、アイザック様。あなたの予備がいないとは限りませんし」
「姉上・・・。わかったよ」
アイザックがこれで納得している間に私は次の婚約者を――結婚しておかなければいけません。
「ハーグリーヴス伯」
言葉に詰まったアイザックの代わりにチェスター様に声をかけたのはホアン様でした。
「何でしょうか?」
「ライラさんの相手は王子でなければいけないのでしょうか?」
「王子でなければいけないというわけではありません。私が認めれば誰でもかまいませんよ」
「では、私でもよろしいのでしょうか?」
「あなたは確か、ミハエル王子の従者でしたね」
「ミハエルの従兄弟でホアンと申します。ミハエルがこのようなことになって一人で帰ることになりましたが、またすぐにお目にかかると思います」
身分の高い方だとは思っていましたが、ホアン様はミハエル王子の従兄弟でした。隣国の王妃は大公国の公女ですので、ミハエル王子の従者をしていたホアン様は降嫁された王女か王弟の息子となります。
それにしても、チェスター様は外遊から急いで戻ったばかりだというのに、隣国に行く用でもあるのでしょうか?
でも、今はホアン様が従者をしていたミハエル王子のことが気になります。ホアン様が一人で帰国されるということは――
「ミハエル王子はどうなさったのですか?」
私の問いかけにホアン様は顔を曇らせる。
「それが・・・、ミハエルはタチの悪い流行り病に罹って、病魔に勝てないくてね」
亡くなった?!
ミハエル王子が亡くなった?!
驚いているのは私だけで、アイザックもチェスターも動じていないから、本当のことでしょう。私が娼館で身を隠している間に、アイザックが王子になったり、流行り病が起きたり、ミハエル王子が亡くなったり、世の中は目まぐるしく動いていたようです。
「ホアン様、辛いことを思い出させて申し訳ありませんでした」
「いいや、かまわない。薄情かもしれないが、ホッとしているんだ。ミハエルは母国で微妙な立場でね。これで良かったんだよ」
隣国の王子たちが後継者争いをしていたとは聞いたことはありませんが、何某かの事情があったのでしょう。
「お許しいただき、ありがとうございます」
ホアン様にお許しをいただいた後、私の前にアルフレッド様が足元に跪きました。
「親戚の家に世話になるのは気が重いでしょう、レディ・ライラ。どうか、結婚して騎士団長となった私を支えてください」
アルフレッド卿が騎士団長?!
跪かれたことだけでなく、その言葉の内容にも驚きました。
騎士団長だったジェレマイア様のお父様はどうなさったのでしょう?!
「ジェレマイア様のお父様はどうなさったのですか?」
「団長は小僧を育て間違えて迷惑をかけたからと職を退かれて、小僧の性根を叩き直すそうだ。あの方には何の非もないというのに。本当に騎士の鑑のような方だ」
ジェレマイア様のお父様はアルフレッド卿以外の方々からも同じように惜しまれていることでしょう。何故、そのような方のご子息がジェレマイア様なのか不思議です。
王位を約束されていたシルベン王子は異母弟のアイザックという競争相手ができ、ミハエル様はご病気で亡くなられ、ジェレマイア様のお父様は騎士団長をやめられ、シルベン王子の愛人の取り巻きをしていた方々に大きな変化が起きていました。兄にも何か影響が起こっていないでしょうか?
兄のことは心配ですが、親しくないホアン様たちがいるこの場でアイザックやチェスター様にお聞きすることはできません。
「ライラは不慣れな生活で疲れているに違いません。求婚はまた後日にしてくださいますか」
チェスター様はそう言って、私がアルフレッド卿に返事を出さなくてもいいようにしました。求婚されたその場でお断りすることは、その方の気持ちを無碍にする行為です。一晩くらいは考える時間を持つのが断る相手への礼儀です。チェスター様の言い方なら、早くても三日はお返事をしなくてもいいでしょう。
「そうですね。では、レディ・ライラがお元気になられたら、改めて申し込みましょう」
「お待ちしておりますわ、アルフレッド卿」
「ライラ」
チェスター様が手を差し出してくれました。
「では、皆様、ご機嫌よう」
私はアイザックたちに別れの挨拶をして、チェスター様のエスコートでハーグリーヴス伯爵家の馬車に乗ります。
こんなところにハーグリーヴス家の紋章を掲げた馬車で来るなんて、チェスター様もどうかされています。ハーグリーヴス家の評判が落ちてもいいのでしょうか?
兄のことは気になりますが、チェスター様の家の評判に関わることも気になります。
「何故、紋章の付いている馬車で来られたのですか?これではチェスター様の名に傷が付きませんか?」
「大丈夫だよ、ライラ。シルベン王子のわがままで放逐された令嬢を娼館から助け出しただけだから」
「それは本当のことではないわ。私は自分からここに――」
チェスター様は人差し指を立てて、自分の口に当てます。これ以上、言うなということです。
どういうことでしょうか?
首を傾げると、チェスター様は申されました。
「経過がどうであれ、家を放逐された公爵家の令嬢が無事に生き延びることなど、奇跡でも起きなければ無理なんだよ。良くてどこかの商人の愛人。悪ければ場末の娼館に売り払われているか、スラム街で死体になっているかのどちらかだ」
「・・・!」
家の使用人がここに連れて来てくれていなければ、私はこの娼館にいた女性と同じことをしなければいけなかったことに頭を殴られたような気分になりました。
彼女たちが悪いわけではありません。むしろ、私は彼女たちに守られていました。
借金がなくならないうちはやめられない。
借金がなくても、まとまったお金がないとやめても生きていけない。
お金のあるパトロンができないとやめられない。
私はアイザックで持って来てくれたお金で、娼館に暮らさせてもらっていました。私もお金がなければ、彼女たちと同じことをしなければいけなかったのです。
「刺激のきついことを言って、すまない。だが、これがシルベン王子のしたことだ」
「・・・シルベン王子はどうなったのですか?」
アイザックが王子として迎えられた今、王位を継ぐとは限らなくなったシルベン王子のことが気になります。
「シルベン王子は伯爵になって、愛人と一緒に領地に送られたよ。おかげで私は宰相閣下の手伝いもしなければいけなくなった。しばらくは外遊に出られない」
宰相様のお手伝いを?
チェスター様が宰相様のもとで仕事をおぼえていた時もお手伝いをなさっていましたが、外遊を任せられるようになった今になってまた何故、宰相様のお手伝いをすることになったのでしょうか?
宰相様の配下には優秀な人材も揃っていますし、外交の一端を担うようになったチェスター様が宰相様のもとでおぼえる仕事はない筈です。
疑問だけでなく、心配もあります。チェスター様が宰相様のお手伝いをするということは、宰相様のご子息にまた嫌がらせを受けるということです。
「宰相様の手伝いをしていたご子息は大丈夫なのですか?」
「ギデオン様はシルベン王子――愛人に付き添って、領地に行った」
宰相様のご子息がいなくなってよかったです。これでチェスター様も安心してお仕事ができることでしょう。
ホッとして、そろそろ兄のことを聞こうと思った時、チェスター様はポツリと言った。
「数日たったら、アラヴィラン公爵夫人が母のお茶会に来る」
「お母様が?」
「会いたかっただろう?」
「ええ。でも、どうしてそれを?」
「アラヴィラン公爵夫人もそうだと、母が言っていた」
ああ、元の生活に戻るのだと安堵しました。
その気の緩みか、その日は兄のことを聞き忘れてしまいました。