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第1章 主人と従者 5

 リーザの朝食が終わると、ルディはすぐさま食器を片付けさせられた。

「おんしの腹がこれ以上減るといかんからの。目の前に食欲を湧き上がらせるものがなければ、腹は空かんはずじゃ」

 などという、屁理屈極まりない理由で。

 しかしルディは反論することなく、空腹に耐えながら、その食器を洗い終えた。

 そうすることが、彼女に逆らわないことこそが生き延びる術だと、少年は知っていたからである。

 だが、非情な仕打ちはさらに続いた。

「ほれ、次は掃除じゃ。さっさとせんか」

「は、はい!」

 リーザに命じられるまま、ルディは倉庫へと向かい、ハタキとホウキを手に取る。

「全然掃除してないんだよな……多分……」

 試しに近くのところをパタパタとはたいてみると、案の定、大量の埃が宙を舞った。

「これをボクに掃除しろっていうのか……全部……ハハハ……」

 ルディは力なく笑った。

 一体どれくらいの時間と労力を要すれば、この洋館の掃除が終わるのだろうか。

 少なくとも、一週間程度で終わるというレベルではない。

「はぁ……」

 ルディは肩を落としてため息をついた。

 なぜ自分がこんな目に合わなければならないのか。

 それもこれも、全部あの吸血鬼のせいである。

(クソッ……あの忌々しい吸血鬼めっ!)

 ルディは心の中で舌打ちをしたが、そこで思考を一時停止した。

(吸血鬼……?)

 ルディはハッとして、顔を上げた。

(そうだ!吸血鬼!吸血鬼は、自分の身近に大切なものや弱点となるものを隠したり、置いたりするっていうじゃないか!)

 ルディは、自分の家に先祖代々伝わる言い伝えを思い出した。

 だんだんと、彼の表情に希望の色が帯びていく。

(ひょっとしたら、逃げ出すきっかけがつかめるかもしれない!)

 俄然やる気が出てきたルディは、埃が入らないように、布を口元に巻いた。

「待ってろよヴァンパイア!」

 そのまま、速足にリーザの部屋へと向かう。

 そして、自分の部屋へと入ろうとしていたリーザを呼び止めた。

「リーザ様!」

「なんじゃ?騒々しい」

 リーザは怪訝な表情でルディを見る。

 しかしルディは、それに臆することなく口を開いた。

「はい。この館の掃除を始めるに辺り、まずはリーザ様の寝室を掃除したいと思います。私はリーザ様の僕ですから、やはり主人の部屋は一番最初に綺麗にするべきかと」

「……おんし、本気か?」

 リーザは冷たい眼差しでルディを見つめる。

(ダメだ!バレてる……!)

 ルディは青ざめた。全身に悪寒が走り、額に汗が滲んでくる。

 しかし、リーザはフッと笑った。

「なかなかよい心がけじゃ。わらわは、書斎で書物でも読みふけるとしよう。しっかり掃除するのじゃぞ」

 そしてそのまま方向転換し、書斎へと入っていった。

(……バレてなかった?)

 一人残されたルディは、大きくため息をついた。

 なんでも見透かしたような冷たい瞳で見つめられるだけで、寿命が縮む思いであった。

 しかし、何はともあれ、第一関門を突破したルディは、気を引き締めなおした。

(覚悟しろよヴァンパイア!朝は不覚を取ったけど、今度こそ……!)

 息をのみ、リーザの部屋のドアをゆっくりと開ける。

 はたしてそこには、ルディが想像しているものとは違った光景が広がっていた。

 暗幕で仕切られ暗闇に包まれた部屋ではなく、カーテンが開けられ、陽の光が部屋いっぱいに広がる明るい部屋で、開け放たれた窓からは、優しい陽の光とともに心地よい春風が吹き込んでくる。

 棺の代わりにベッドが置かれ、部屋の隅に配置された四角いテーブルの上にはランプと1冊の本が置かれていた。

「これは……」

 ルディは愕然としながらも、部屋の中へと入った。

 想像していたものよりは華やかであるが、簡素で、どこか寂しさを感じさせる。

(なんだよこれ……)

 ルディはキョロキョロと辺りを見回したが、これといって目ぼしいものはない。

 念のためにベッドの下も調べたが、何も見つからなかった。

 そしてルディはすがるように、机の上の本を見た。

 『拷問大全』

 しかし、その本のタイトルを見て、すぐに目を背ける。

 それは、ルディの要望を満たすにはほど遠いものであった。

「……真面目に掃除しよ……」

 大きくため息をつき、パタパタとハタキで壁をたたく。

 だが、地下室と違い、埃ひとつ舞うことはなかった。

「……なんだよそれ……」

 ルディは虚無感に襲われ、掃除道具を床に投げ捨てると、そのままベッドに身を投げ出した。

 ルディの寝ているベッドとはまるで違い、ほどよくクッションの効いたそのベッドは、とても寝心地が良い。

 それは、リーザが自分の部屋だけは綺麗に掃除している、よくメンテナンスをしていることを物語っていた。

「ボクもこんなベッドで寝たいなぁ……」

 思考がだんだんとネガティブになっていく。

 何故自分はこんな館に迷い込んでしまったのだろう。

 何故自分だけがこんな目に合わなければいけないのだろう。

 考えれば考えるほど、理不尽に思えてくる。

「早く逃げ出したい……」

 そしてゆっくりと目を閉じた。

「……おい」

 しかし、突然の声に慌てて目を開ける。

 そこには、リーザの大きな顔があった。

「おんし、いい度胸じゃのう。掃除をさぼるだけでも万死に値するのに、下僕の分際で、わらわのベッドに寝そべるとは」

 ルディをのぞき込むように見ていたリーザは、そのまま彼に覆いかぶさる。

「そんなに折檻してほしいのか。よかろう。それなら思う存分、血を吸ってくれようぞ」

 そして少年の首筋に吐息をかけながら、容赦ない言葉をつぶやく。

 ルディは恐怖で言葉が出なかった。同時に、先祖代々伝わる言い伝えを思い出す。

 それは、ヴァンパイアが吸血行為に及ぶ時は、自らの力を極限以上に高める時か、あるいは単に空腹を満たす時か、若しくは自分に絶対服従する従者を作る時のいずれかである、というものであった。

(どう考えても二番目……ボクこのまま死ぬのかな……)

 ルディはまるで小動物のように震えながら、目を閉じる。

 しかし、リーザはその様子がさもおかしいと言わんばかりに、笑い出した。

「よいぞよいぞルディ!その表情じゃ!わらわは、その絶望にさいなまれた苦渋の表情が見たかったのじゃ!」

 リーザは起き上がり、ベッドから降りる。

「血を吸うのはやめじゃ。おんしを生かしておいた方が、もっと面白そうじゃからの」

 そして、笑いながら部屋を出ていく。

 一人残されたルディは、呆然としながら定まらない視線で宙を見上げていた。

(助……かった……)

 ほどなくして、彼の瞳からは大粒の涙が、まるで泉のようにあふれ出てくるのであった。

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