赤い少女と森の主
“このネタ、温めますか?”という短編集においていた作品です。
ジャンル変更にともない、短編として投稿することにしました。
雨柚の他の作品の元ネタ……として書いたものですが、作者的には失敗作です。話自体は気に入っているんですが、こんな話になるはずじゃなかったので。元ネタとしては、別の短編作品“優しい狼”の方が初期の構想に近いものになっています。
ちなみに、この作品を“優しい狼”より先に書きました。
村の外れにある小屋のような小さな家。
旅人も見過ごしてしまいそうなほど粗末で、嵐の日など壊れてしまうのではないかと怖くなる。それでも、ルージュは優しい祖母のいるその家が大好きだった。
―――そこだけが、ルージュの居場所だから。
◇◇◇
ルージュが住む村の近くには不思議な森がある。
村人達から“神秘の森”と呼ばれているその森に立ち入ることは、ずっと昔から禁止されていた。しかし、なぜ森に入ってはいけないのかを知る者はいない。“森に行ってはいけない”と子どもに言い聞かせる大人達や村の生き字引と言われる長老さえも、その理由を知らなかった。
ただ分かっていることは、その森はとても恵み豊かで、色とりどりの花が咲き乱れ、冬でも植物が枯れることはないということと――“神秘の森”にしか生えていない、どんな病気でも治してしまう薬草がある……ということだけ。
人がいないはずの森の中を、15歳くらいだろうか、一人の少女が深刻そうな顔をして歩いている。陽の光が眩い明るい森と相反するように、彼女の表情は暗く落ち込んでいた。
彼女が歩く度揺れる、女性にしては短く切りそろえられた髪は血のように赤い。その髪色のせいで、彼女が両親を嫌う以上に、両親は彼女を嫌っていた。だから、彼女は自分の髪が大嫌いだ。
赤い髪は珍しく、フードを被っていなければ村でも好奇の視線にさらされる。彼女の髪を撫でてくれるのは祖母くらいのものだった。
――ルージュ、あの森に入ってはいけないよ。神様のお怒りを買ってしまうからね。
(……ごめんなさい、お祖母ちゃん)
ふと、幼い頃に祖母が言っていたことを思い出したルージュは心の中で謝った。
尊敬する祖母の言いつけを破ってしまったことへの罪悪感から歩みが止まってしまう。しかしすぐに、ルージュは俯けていた顔を上げ毅然とした表情でもう一度歩き始めた。
祖母のことを思い出して気が急いたのか、その歩みは先程よりも速い。
(どこ……なんだろう)
森の中ほどだと思われる辺りで、ルージュはキョロキョロと周りを見回した。
しかし、探しているものの見た目すら分からない彼女には、それがあるのかないのかすら分からない。
(やっぱり……どんな病気でも治る薬草なんてないのかしら)
実際、入ってはいけないと言われている森に入っても何もなかった。薬草の話もお伽話じみたものなのかもしれない。
そうは思いながらも、ルージュは地面に目を走らせるのを止めなかった。
「あっ……!」
すると、何の奇跡か、ほんのり光を発する不思議な草がルージュの目に入る。何の根拠もなかったが、彼女は探していたものはこれだと確信した。
早くしないと消えてしまうとばかりに、その薬草が生えている崖の端まで駆けて行く。
しかし、奇跡は神の悪戯だったらしい。
「…………なっ!?」
せめてもと伸ばした手はあの薬草まで届かない。
―――ルージュは崩れた崖と共に落ちていった。
◇◇◇
目を覚ますと、ルージュは暗い洞窟にいた。
どこからか入ってくる光でここが洞窟だと分かるが、暗すぎて近くに何があるのかは分からない。
「……ここ、どこ?」
ルージュの疑問は、静寂に包まれた洞窟内に彼女が思っていたよりもずっと大きく響いた。思わず、反響した自身の声にビクリとする。
ルージュは暗闇をやたらに怖がる性格ではないが、辺りの様子が分からないのは辛い。
それに、身体に痛みも感じていた。特に右足は痛みで焼けるように熱い。怪我も見えないし、どれくらいの傷か全く分からないが、早めに処置しないと危ないかもしれない。
(あのとき落ちたから……?)
崖から落ちたのだから、怪我をしたのは分かる。だが……崖から落ちたのに、なぜルージュは洞窟にいるのだろうか。
(誰かが運んでくれたの?)
頭が回るようになってくると、自分が干し草のような物の上に寝かされていたことに気付く。もしやと思い、すりむいたような痛みを訴える腕をそっと顔に近付けて嗅ぐと、薬のような匂いがした。
「…………誰か、いるんですか?」
先の見えない暗闇に向かって、小さな声で尋ねるが、返事はない。
勇気を振り絞り、さっきよりも大きな声で叫んだ。
「誰かっ、誰かいませんか!?」
しんと静まり返った洞窟の中、目覚めてからどれくらい時間が経ったのかも分からない。闇に飲まれていく……ルージュがそんな錯覚をし始めた頃、一人の男の声が聞こえた。
「なんだ、目覚めていたのか」
決して大きくはないのに、地を響かせるような低い声。
「放っておいて悪かったな、娘」
ルージュから少し離れた場所に立っているらしい男は、そう言って詫びた。男の口調は穏やかなものだったが、どこか力強い。
命の恩人かもしれない相手に謝られ、ルージュは慌てて首を振る。
「いえっ! …………あの、あなたが私を助けてくれたんですか?」
「助けたつもりはないが……お前をここに運んだのが私であるのかと問うているのなら、答えは是だ。あのままでは森を穢しそうだったからな」
回りくどい言い方をする男だ。
(森を汚すって……何よそれ)
確かに、ルージュは猟師や木こりのように森のことを熟知している訳ではないが、こんなに綺麗な森を汚したりはしない。
男の言葉の後半を聞き咎めたルージュはカチンときて、やや不機嫌そうに言い返した。
「私、森を汚したりしないわ」
「うん? ……ああ、そういう意味ではない。お前の死が、この森の清浄さを損なうと言ったのだ」
事もなげに“死”という単語を使った男に、ルージュはたじろぐ。
「……っ、死って」
男がルージュのことを放っていたら、彼女は死んでいたということだろうか。
そう思った途端、右足の傷がジクジクとした痛みを訴える。その痛みに、本当に危ない状態だったのかもしれないと、今更ながらにゾッとした。
「崖から落ちたのだろう? ヒトは脆い。あのままでは程なくして死んでいたであろうな」
ルージュの思考を肯定するように男が告げる。
「…………助けてくれてありがとう」
男の言い様に若干の違和感を覚えたものの、変わった人なのだと自分の中で結論付け、ルージュは素直に礼を言った。
上体を起こした体勢で頭を下げると、男の方から困惑したような気配が伝わってくる。
「助けたつもりはないと言うに」
実際、男は先程“助けたつもりはない”と言っていた。……だが。
「あなたに助けたつもりがなくても、結果的に私が助かったのは事実だもの」
ルージュがそうキッパリと言い切ると、男は黙り込んでしまう。
しばらく沈黙が続いた後、相変わらず暗闇のせいで何も見えないが、なぜか男が笑った気がした。
「……ふむ。やはり、ヒトとはおかしなモノだな」
男の言葉に、ルージュはまた違和感を感じる。
(何だろう?何か引っかかる…………あっ )
少し考えて、違和感の正体に気付いた。……男の話し方は、まるで、自分が人間ではないかのようなのだ。
そう思うと奇妙に胸が騒ぎ、ルージュは思わず問い掛けてしまう。
「さっきから気になってたんだけど、あなた変な言い方するわよね。あなただって人でしょう?」
つい、確認するような口調になった。
しかし、どうせ相手は“そうだ”と答えるだろうと思っていたルージュの考えは、どこか呆れたような男の声によって破られる。
「私はヒトではない。見れば分かるだろう」
(……人じゃ、ない?)
では、一体なんだと言うのか。
暗い洞窟の中、ルージュの前に立っているであろう男が、得体の知れぬ魔物のように思えてくる。
「……と、この暗闇では私の姿を見ることもかなわぬか。ヒトとは本当に難儀な生き物よ」
独り言のようにそう呟き、男が動く気配がした。
ルージュの身体が警戒するように強張る。
「……やれ、仕方がない」
面倒臭そうに男がそう言うと、辺りがパッと明るくなった。
突然の光に、闇に慣れてしまっていたらしいルージュの目が眩む。いきなり明るくなった視界に少々混乱しつつも、本能的にギュッと目を瞑った。
(なにこれ? 火でもつけたの?)
しかし、火をつけたにしては明るすぎる。
「眩しいのか? ……闇も光もすぎれば毒、か。少し抑えてやろう」
男の言葉と同時に強烈だった光が弱まった。
閉じた瞼から感じる光の強さから、もう目を開けても良いと分かったルージュはおそるおそる瞼を上げる。
「…………っ!?」
「どうかしたか、娘」
漏れそうになる悲鳴を封じるため口に手を当てたルージュを見て、ソレは訝しげに尋ねた。その声には気遣わしげな色さえ窺える。
「……な、何で狼が!?」
「狼ではない、獣の姿を模してはいるがな。……私は精霊だ」
―――ルージュの目の前には、白銀に輝く美しい毛並みの大きな狼がいた。
◇◇◇
「ふむ、そうか。病の祖母のためにとは……お前、いや、ルージュも苦労しておるのだな」
自棄になったルージュの話――この森に入るまでの経緯を聞いて、白銀の狼はしみじみと頷く。
落ち着いてから気付いたが、彼の仕草はやけに人間臭い。
(私、何してるんだろう……)
ルージュは自分を精霊だと称する狼・アルジャンを前に、一人黄昏ていた。
自分を助けてくれた相手が狼の姿をした自称精霊だと知り、初めはかなり動揺していたルージュだが、アルジャンと名乗った彼の話を聞き、まだ多少疑う気持ちはあるものの、彼の言葉を信じることにした。
アルジャンの見た目はただのしゃべる狼だが、洞窟内を照らしたときような不思議な力を目の前で見せられれば納得もする。
「アルジャンは森の主なんだよね?」
そう確認するように問い掛けると、アルジャンは唐突に話題を変えたルージュに目を瞬かせた。
今にも人を襲いそうな大きな狼の姿をしているというのに、キョトンとした顔には威厳も何もなく、ただ可愛らしい。
「いきなりなんだ? ……まあ、確かに、ヒトからそう呼ばれていたこともあったが……」
「じゃあ、どんな病でも治す薬草のこと知ってる?」
(お願い、知ってるって言って!!)
祈るような気持ちで尋ねるルージュの声は少しだけ震えていた。
そんな彼女にアルジャンは目を眇める。しばらく黙した後、静かに問い掛けた。
「それを聞くのは、先程言っていた祖母のためか?」
今までの態度とは打って変わり、それは厳かな声だったが、ルージュは臆することなく首を横に振る。
「いいえ、違うわ」
「……何?」
ルージュが頷くと思っていたのか、アルジャンは怪訝そうな顔をした。
声はやや戸惑いを含んだものであるものの、先程から彼の目は鋭く細められたままだ。彼自身は“精霊だから肉は食わん”と言っていたが、もし他の誰かが見たならば、今にもルージュの喉笛を嚙み千切りそうな様子だったと言うことだろう。
「薬草のことを聞くのは私のためよ。だって、お祖母ちゃんは“もう寿命なんだから薬草なんて採って来なくて良い”って言ってたもの」
アルジャンを気に留めることなく、ルージュはいたって正直に答えた。
「………………」
「お祖母ちゃんの病気を治したい、お祖母ちゃんにもっと生きていて欲しいって思うのは、私の…………私の我儘よ」
「…………ルージュ」
「いえ、これも違うのかも。私はただ単に一人になるのが怖いだけかもね。お祖母ちゃんがいなくなったら、私のことを考えてくれる人なんて誰もいなくなるから」
そう言って、ルージュは皮肉気に唇を歪める。笑みのような形を成すそれは、どこか自分を嘲笑している風でもあった。
ルージュが口を閉じると、アルジャンも黙り込んでしまう。
「………………」
「………………」
時計の秒針が数回巡るほどの沈黙。
ルージュの言葉に卑屈すぎると呆れているのか、アルジャンは黙ったままだ。
(……しゃべりすぎちゃった)
ルージュは心の中で落ち込む。自分の事情をある程度話していたとはいえ、会ったばかりの相手に言うことではなかったかもしれない。
なぜか、アルジャンを見ていると自分の心をさらけ出してしまいたくなる。これも彼が精霊だからなのだろうか。
気まずい沈黙をどうしようかと悩んでいると、アルジャンがポツリと問い掛けてくる。
「両親がいるのではないのか?」
ある意味もっともな疑問に、ルージュは苦笑した。
「あの人達は私のこと嫌ってるもの。自分が生んだくせに、この血の色みたいな赤い髪が不気味なんだって」
「愚かだな」
「え?」
“笑っちゃうよね”と言葉を続けようとしたルージュは、予想だにしない返しをされ戸惑う。
“愚かだ”と言っているわりに、アルジャンの口調には馬鹿にした響きは感じられない。ただ淡々と事実を述べているような、そんな雰囲気があった。
「血の赤は生命の色。生きとし生けるもの全てが持つ、命の輝きを表している。それを厭うとは……ヒトとは本当に愚かな生き物だ」
「…………っ」
“そんなの精霊の価値観でしょ”とか、“私も人なんだけど”とか、言いたいことはたくさんあったが、どれも言葉にできない。……ルージュが今、一番強く思っていることはそれではないから。
(赤は命の色……じゃあ、私の髪は汚いものじゃないの?)
血は不浄だ。少なくとも、ルージュの村ではそう言われている。
でも、もし、アルジャンの言う通り血が輝ける生命を表すのなら。
「何より、お前の髪は美しい。これほどに美しいものを愛でぬなど、私には考えられんな」
しれっとした顔で言うアルジャンに、ルージュの瞳から涙が一つ零れ落ちる。
途端、焦ったようにオロオロし出した彼に思い切り抱き付いた。柔らかな白銀の毛に顔を埋め、嗚咽を堪える。アルジャンからは心底困ったというような気配を感じたが、結局、彼はそのままルージュの好きにさせてくれた。
「アルジャン」
「なんだ」
「……ありがとう」
―――ルージュは少しだけ、自分のことを好きになれそうだ。
◇◇◇
ルージュの怪我はかなり重症だったらしく、完治するのにそれなりの時間を要した。といっても、5日ほどだが、精霊の力がなければもっとかかっていただろう。もしかしたら、怪我の全ては治らなかったかもしれない。
「そろそろ帰れ」
ルージュが、すっかり慣れてしまった洞窟で近くの樹からもいできた果実を食べていると、何の前触れもなく、アルジャンがそう告げた。
「……え?」
もう随分打ち解けたと思ったのだが、なぜ追い出そうとしてくるのか。
(まさか嫌われた……?)
打ち解けたと思い込んでいたのはルージュだけで、アルジャンは彼女のことを迷惑に感じていたのかもしれない。
そう考えて、ルージュは自分でも気付かぬまま髪に触れていた。
この数日で、それが彼女が不安になっているときのくせだと気付いたアルジャンは急いで言葉を付け足す。
「別に、お前を嫌って言っている訳ではない」
そう言われ、ルージュは少しだけホッとした。……が、次の言葉に凍りついたように固まる。
「だが、もうお前は森から出た方が良い。……迎えも来ているしな」
最後の言葉はルージュの耳に届かず、洞窟の奥へと溶けていった。
軽々とルージュの前を行く白銀の背を追いかける。
「……っ、待ってよ、アルジャン!!」
泣き出しそうな心を宥めて、大声で彼の名を呼んだ。
……しかし、彼は振り返らない。
「アルジャンっ!!」
ルージュがいくら呼んでも振り向くことのない彼を追って、藪の中を通り抜けた。小枝がルージュの肌に細かな傷を作ったが、彼女は一顧だにしない。裸足の足に石が食い込むのも、葉で切った傷から血が流れるのも気にせず、彼の背中を追い続ける。
(なんで…………っ)
「待ってよ!」
(お願いだから……私を置いて行かないで)
「ねえ、アルジャンっ!!」
どれだけ声を張り上げ叫んでも、ルージュの声は彼に届かない。
ルージュは崩れ落ちそうな身体を気力だけで動かしていた。
ここが森のどこかなのも、もう分からない。
「……っ、…………っ」
アルジャンの名を呼ぼうとしても、ルージュの口からは掠れた音が出るだけだ。
「ルージュ!!!」
そんなルージュの耳に、彼女を呼ぶ声が聞こえた。
(……っ!?)
アルジャンより高い、少年らしい声には聞き覚えがある。
声がした方へ顔を向けると、さっき通りすぎた場所にルージュの幼馴染・グレイが立っていた。猟師である父親から借りたのか、勝手に持ち出したのかは知らないが猟銃を手に持っている。
「グレイ!? 何でここに……!?」
「何でじゃねえよ! いきなりいなくなりやがって!! すっげえ心配したんだからな!」
ルージュが驚いた顔で見つめると、グレイは顔を真っ赤に染めて怒鳴った。
グレイの声に驚いた近くの木々に留まっていた鳥達が一斉にはばたく。
(…………あっ)
「アルジャン!!」
ルージュは急いで周りを見渡したが、もうとっくにアルジャンはこの場から去ってしまっていた。ルージュの視界のどこにも、あの白銀は映らない。
「……っ、誰だよそれ?」
突然、自分の知らぬ者の名を叫んだルージュにグレイが少し怒り気味に尋ねた。
「私の恩人よ!! グレイのせいで見失ったんだから、グレイも探して!」
「はあ!? ……ったく、訳分かんねえこと言ってねえで、さっさと帰るぞ。こんなとこ、他に人がいる訳ねえだろ」
「アルジャンは人じゃないの!」
「はああぁあ!? もっと訳分かんねえよ!!!」
二人が言い争っていると、茂みがガサリと揺れる。
そこから現れた白銀の影にルージュが駆け寄る前に、一発の銃声が轟いた。
「……っ、狼か! でけえな…………チッ」
素早く撃ったは良いが、狙いを外してしまったグレイは舌打ちして、もう一度猟銃を構える。
「ちょっと、何するのよ!?」
グレイがアルジャンを狙って撃ったのだと、混乱した頭でやっと理解したルージュは悲鳴に近い声を上げた。口で止めるだけでは効果がないだろうと、慌ててグレイの持つ猟銃の銃身を押さえる。
「な、こらっ、猟銃に触るなよ!! 危ねえだろうがっ!」
さっき撃ったばかりの猟銃の銃身は焼けるように熱く、すぐにグレイが猟銃から手を放させたものの、ルージュの指先は赤くなっていた。
しかし、ルージュは火傷になんて構っていられない。
「アルジャンっ!!」
(無事……よね? お願いだから返事をして……っ!!)
“手ぇ見せてみろ!”と迫るグレイを振り切り、先程揺れた茂みまで駆け寄ったが、ルージュがどれだけ探しても茂みの背の低い木々は葉を散らすだけだった。
白銀の影を求めて、必死で辺りを見回す。
「アルジャンっ、アルジャーンっ!!!」
ルージュは声が枯れグレイから止められるまで、ずっと森の主の名を呼び続けていた。
「……これ、落ちてた」
「………………これって」
「お前が探してた薬草じゃねえの? 良かったな、婆さんの病気治るかもよ」
「………………」
「おい、ルージュ?」
「……何で、何で私はいつももらってばっかりなんだろう」
―――私は、あなたに何一つ返せていない。
◇◇◇
遠く離れた場所で彼女が泣いているのを感じる。
けれど、その悲しみに寄り添うのは彼ではない。ヒトである彼女の傍には、彼女と同じヒトの子が立つべきなのだ。
「これで、良い」
“神秘の森”の主たる精霊はそう独りごちた。その声には深い悲哀が滲んでいる。
近くの木々が、花々が、そんな彼を慰めるように静かに揺れた。
「すまないな、お前達。…………あと百年もしたら元の私に戻ってみせるから、今はそっとしておいてくれ」
彼がそう告げると、悲しそうに木の葉が舞い、花弁が落ちる。
申し訳ない気持ちになりながらも、彼はもう森を抜けてしまったらしい彼女に想いを馳せた。
瞼に浮かぶのは泣き顔だ。せめて、最後には笑顔を見せて欲しかったと自分勝手なことを思う。
「これで良いんだ、ルージュ。ヒトにはヒトの居場所がある。どうか……お前の居場所で、幸せになってくれ」
―――たとえ種族が違っても、私はお前の幸せだけを祈っているから。
《おまけ》
森を総べる精霊であるアルジャンは、現在己が置かれた状況に戸惑っていた。
良かったねと祝福するように葉を揺らす木々に、邪魔はしないとばかりに自分から離れていく動物達に……そして何より、森に入って来た懐かしい気配に、まさかとは思ったのだ。
しかし。
「なぜここにいる」
アルジャンは目の前に座る人物を見つめ、唸るように問い掛けた。
「あら、来ちゃいけなかった?」
「…………そういう訳ではないが……」
にっこりと笑いながらそう返され、アルジャンはグッと言葉に詰まる。
方や渋面、方や笑顔のまましばらくの間沈黙が続いたが、根負けしたアルジャンがほとほと困り果てたというようにもう一度尋ねた。
「本当に、なぜここに来たんだ――ルージュ」
「もちろん、あなたに会うためよ」
アルジャンが泣く泣く、ルージュをヒトのもとへ帰してから三年。
彼女は美しく、そして強かに成長したようだ。
《簡易人物紹介》
赤頭巾:ルージュ (フランス語で“赤”)
ヒロイン。15歳。血のように赤い髪。性格は意地っ張り。
親と似ても似つかぬ髪の色から両親とは折り合いが悪いが、唯一自分を可愛がってくれる祖母のことは慕っている。祖母の家は村のはずれにある。
病に臥した祖母を治すため、森にしか生えていないと言われている特殊な薬草を採りに森に入る。しかし、迷ってしまった挙句、足に怪我を負う。そこをアルジャンに助けられる。
狼:アルジャン (フランス語で“銀”)
ヒーロー? 外部の者を拒む神聖な森の主。白銀の狼の姿をしているが精霊の一種。
年齢は不詳、おそらく何百年単位。
森で迷っていたルージュを保護するが、後に惚れる。きっと真正のロリコン。
狩人:グレイ (英語で“灰”)
ヒロインの幼馴染の少年。16歳。お年頃。アッシュグレイの髪。
幼い頃からルージュに片想いし続けているが、報われる可能性は限りなく低い。
猟師の息子。帰って来ないルージュを探しに、猟銃片手に森に入る。意外と男気溢れる少年。