世界は残酷だ
最終回です
『はぁ…はぁ…ユイ、大丈夫か?』
肩をポンポンと叩くユイ。これが大丈夫の証らしい。あの施設から出て10分ほど経った。歩くスピードが遅いこともありそこまで進んではいないだろう。
ユイが俺の頭を優しく撫でてくる。ユイの「大丈夫?」の代わりらしい。
『ありがとなユイ…俺も、大丈夫だ』
少しジャンプをしてユイを背負い直す。その際に腹の傷が痛んだが気にせず歩く。
『おにいちゃん…聞こえる…』
『はぁ…はぁ、聞こえるって…何が』
『車のおと…』
俺は耳を澄ます。雨の音がほとんどで車の音は聞こえない。ユイは耳がいいのだろう。
『何も…聞こえないけ……?』
いや聞こえる。下から上がってくるエンジン音がする。
もしかしたらあの黒のリムジンだろうか、それとも奴隷売買人の車か。悪い予感がよぎる。ただの宅配みたいの車ならいいのだが…。
『ユイ、一回隠れるぞ…』
俺達は山道の横の茂みに体を寄せるようにして隠れた。中に入った方が良かったのだが生憎そんな体力は持ち合わせていない。茂みに体を寄せることが精一杯だ。
エンジン音が近づいてくる。心臓が高鳴り、変な汗が出てくる。実際は雨で汗など分からないのだが。
ライトが見えた。その光はだんだんと大きくなり明るくなってくる。
『しっ!……』
俺はユイの口に手を当て少しでも音を立てないようにする。ユイにはもう声を出すような力は残ってはいないようだが。
不幸にも悪い予想が的中した。通り過ぎて行ったのは黒のリムジン。
このままやり過ごせるかと思ったがリムジンは何かを発見したかのように10メートル先で止まってしまった。
『ユイ…頭低く…』
まずい、大男が一人リムジンから降りてきた。何か落し物を探すようにこちらに迫ってくる。雨ですぐには発見されないだろう。
俺はゆっくりと茂みの中に進んだ。あいつらに見つからないようできるだけ奥に進む。そしてなんとか見つからずに茂みに入ることができた。
『おかしいな…気のせいだったか…』
大男はやはり俺達を見つけていたようだ。このまま逃げ切れば俺たちの勝ちだ。
『おにいちゃん…』
ユイが何かを言いたそうにしている。俺は小さな声で聞いた。
『どうしたユイ…』
『足のハンカチ…落ちちゃった…』
はっと息を飲んだ。すぐにユイの足を確認する。ユイの言う通り出血の為に使っていたハンカチはそこにはなかった。どこに落とした。俺はその場周辺を見渡す。しかしいくら見渡しても見つからない。
『どこに…落としたんだ…』
『ごめんなさい…あっち…』
ユイが指をさした方は大男がいる方向。それは俺とユイが入った茂みの入り口だった。まずいと思うもつかの間、大男が声を発した。
『兄貴、奴らやっぱりいました!血の付いたハンカチが!』
くそ、やっぱり見つかってしまった。ユイが悪いわけではない。俺の縛り方が甘かったのだ。少し前の俺を恨んでいる時間もない。今はできるだけ遠くに逃げるしかない。
茂みの中、道無き道をできるだけ早く進む。道は登りが多く、途中草で腕を切ったりもした。
後ろから草を掻き分ける音がする。大男は追ってきているようだ。捕まってたまるか。こういうところは大人よりも体の小さい子供が有利だ。
そう思って次の一歩を踏み出した時、足が宙を蹴った。あれ?地面がない。俺は目の前が崖だということに気付かずにそのまま進んでいたらしい。体はそのまま傾き、手が宙をかく。俺は咄嗟にユイをかばいながら衝撃に備え落ちていった。
重い重い瞼を開く。目の前に広がるのは真っ黒な雨雲と叩きつける雨。そして俺の腹で静かに目を閉じているユイ。何が起こったのか一瞬思い出せなかった。しかし、真横に連なる崖とそこから覗いている大男の顔を見て思い出す。男は身に付けている無線機で何かを話しかけている。落ちてからそう時間は経っていないようだ。
俺はユイを起こそうと立ち上がろうと左腕をついた。しかし肩に激痛が走り、崩れ落ちる。衝撃で肩の骨がおれたのかもしれない。崖の高さは5メートルより高いかもしれない。よく生きていたものだ。
『ユイ…ユイ、起きろ』
俺は逆の右腕を使い立ち上がる。呼吸はあるようだ。激痛をこらえながらユイを背中に背負う。落ちた場所は道路だった。このままだとあのリムジンが追ってくる。せめてユイだけでも下の町に逃がしたい。俺は身体中の激痛に耐えながら走った。
バケツをひっくり返した様な雨の降る山道を走る。道は舗装はされておらず、泥でぬかるんでいて、気を抜くと左の崖に真っ逆さまだ。何度も転びそうになるが、なんとか立て直し走り続ける。背中からは小さな吐息が聞こえてくる。
(くそ、そろそろ限界か…。)
後ろからは微かにだがエンジン音が聞こえてくる。そう遠くはない、急がなければ。
しかし、俺の体力はとっくに限界を超えていた。何せ、背中にユイを背負いながら20分も走り続けている。
諦めるな!と自分に喝を入れ足を動かす。口の中に違和感を感じ、溜まったものを吐き出すと、それは真っ赤に染まった自分の体液。腹に開いた風穴に手を当て、手が血に染まったのを確認する。走っているせいで血液の循環が早まっているのだろう。本当ならばいち早く止血をしなければいけないのだがそんな時間はなかった。
(腹の傷もそろそろタイムリミットが近づいてるな…)
ついに俺は足を絡ませ転ぶ。背中からは「うっ…」と小さな声がした。泥が身体中に付き、俺も小さな悲鳴をあげる。
(もうだめだ、立てる気がしない。せめてこいつだけでも…)
『…ィ…に…げ…ろ…』
俺の背中に向かってありったけの声量で発した。すでに喉はヒリヒリと悲鳴をあげているので声はあまり出なかった。その際にかなりの血液を口から吐き出したが、そんな事はもうどうでもいい。ユイは起きているだろうか、伝えることはできただろうか。
『イヤだよ…せっかく……。また一緒に……お兄ちゃんと遊べる…って思ったのに…』
よかった目を覚ましたようだ。
しかし、その声もかなり弱っている。体にはいくつもの傷や痣があり立てるような身体ではない。さっきの崖から落ちた時にどこか怪我をしたかもしれないが、それでも…
(ワガママ言ってんじゃねーよ。そんなことお兄ちゃん許さねえから)
しかし身体は全く動かない。次第に遠くなっていく意識に虚しさを覚える。ユイ…逃げてくれ。俺はもう立てない。お前だけは助けたいんだ。
『ユイ…(愛してる)』
最期の声は聞こえただろうか。聞こえたとしても少し恥ずかしいか。でも聞いてほし気持ちもあったかな。
エンジン音が近くで止まり、車のドアが開く音がして、俺は静かに目を閉じ、終わりを待った。
大男達がこちらに近づいてくる。
ごめんユイ助けられなくて。これでも精一杯やったつもりだよ。
(俺頑張ったかな)
「おにいちゃんありがとう」
ああ、ユイの声が聞こえる。これが死ぬ直前の幻聴ってやつかな。
(俺不幸なのかな)
「ユイはね、おにいちゃんと一緒に居れてすっごく幸せだったよ」
(俺カッコ悪いな)
「おにいちゃんはユイのヒーローだよ!」
(愛がいくらあったって…)
「おにいちゃん、大好きだよ」
大男がユイに手を伸ばし細い腕を掴んだ。
本当にこのままでいいのか…。ユイは連れて行かれて幸せなのか…。そんなわけはない…。もうユイにはあの辛い思いをして欲しくない。俺の思い込みが激しいだけかもしれない…けどユイが奴隷になるくらいなら。
『やめろ!!!!!!!!!!』
俺は雄叫びをあげユイを掴んだ大男の手を振り払った。
『なんで!なんで俺達がこんな目に合わなきゃいけないんだ!なんで…こんなに不幸なんだ!どうしてユイが!まだこんな世界にユイが拘束されるなら!………ユイ…ごめん…』
俺はユイを体全体で感じるように強く抱きしめた。ユイは俺の腕に手を添えてくれた。この温もりをいつまでも感じられたら…。感じていたかった…。
ユイ、俺の最期の愛を受け取ってほしい。
『うぉおお!!!』
俺はユイの首を腕で締め上げた。次第に反応が薄くなっていくユイ。俺は何度もごめんごめんとユイに謝る。こうしたくはなかった。でもこうするしかなかった。奴隷になるユイは許せなかった。
ユイは抵抗しなかった。締め上げられている最中にもユイは優しく俺の腕を撫で、俺のしている事を受け止め、認めているようだった。
腕の中で冷たくなっていくユイ。
離したくなかった。せっかく救えると思ったのに。また一緒に暮らしたかった。
愛していたよユイ。
俺は舌を深く嚙み切り、遠のいていく地獄という名の世界へ別れを告げた。
〜終わり〜
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