渡辺 優奈
渡辺さんは渡辺優奈と言います
渡辺は今、長野駅にいる。1人の少年を待っているのだが、途中で事故があったらしい。
少年に持たせたセキュリティカードにはGPS発信機が取り付けられている。常に手元の端末で位置情報を確認できるのだが事故が起きたという情報が入ってから数分経ったのに動いている感じはしない。
一つ心配なのは海外の取引先から派遣された中国人がもしかしたら同じリニアモーターカーに乗っている可能性があるのだ。少し心配だ。
渡辺は施設から拝借してきた水素自動車に寄りかかりながら昔のことを考えていた。
その日は優奈の10歳の誕生日、今からいうと12年前だ。
家族は2人姉弟の4人家族だ。どこにでもいるような普通の家庭。母は優しく、父は仕事熱心。休日は必ず子供達と遊んでくれるような父。弟は3つ下でまだ母に甘えることが多かったがとても元気な男の子だった。
夜8時。空も暗くなり満点とは言い難いが星がちらつく都会の空の下、家族でケーキを囲み、10本のロウソクを消しおめでとうムードになり、これからケーキを食べようとしたその時、家のチャイムが鳴った。玄関には母が向かった。
ケーキは弟が大好きなチョコレートケーキだった。優奈の好きなケーキはチーズケーキなのだがまだ幼い弟はチーズケーキが好きではないらしい。なので優奈の誕生日ケーキはほとんどがチョコレートケーキだった。
父と弟と優奈は先にケーキを食べて待っていた。母は話が長引いているのだろうか、帰りが遅い。
『少しママ見てくるからケーキ食べてろ』
父が母の様子を見に行った。
残された優奈とは久しぶりのケーキに夢中でそれどころではなかった。口の中に広がる甘い味がたまらない。チーズケーキもいいがチョコレートケーキもとても美味しい。幸せでいっぱいだった。これからもらえる誕生日プレゼントにも心を躍らせる。ケーキをもつ一口食べようと口に入れようとしたその時。
『優奈っ!逃げろ!』
父の声が響いた。驚きでフォークに刺さってたケーキが床に落ちる。
玄関の方では何やらドタバタと激しい音がする。棚に置いてあった壺だろうか、硬いものが割れる音がした。母の「やめて!」という声もした。
何が起きているのだろうか。優奈は先ほどの父の言葉をすっかり忘れ玄関に様子を見に行った。
『パパ?どうし…っ!』
そこで見えたのは大男2人をどうにか抑えようとしている父と母の姿だった。2人とも必死になって大男にしがみついている。
『優奈っ!今すぐ窓から遠くへ逃げなさい!できるだけ遠くに!』
優奈は母が何を言っているのかさっぱりわからなかった。
(この男の人達は誰?)
(なんで靴で入ってきてるの?)
(なんで喧嘩してるの?)
(なんで…………パパから血が出てるの?)
『なんで、なんで!パパ、血出てるし救急車呼ばなきゃ…』
しかし父の声が優奈の声を遮った。
『いうことを聞け!とっとと逃げろつってんだろ!』
こんな父を見るのは初めてだった。優奈は足が動かなくなってしまいあまりの恐怖で腰が抜け座り込む。
(いつものかっこいいパパは…)
(いつもの優しいママは…)
(どこに行っちゃったの…?)
(いなくなっちゃったの…?)
『パパ…ママ、いなくなっちゃうの?……』
その時、男達が母の首を締め上げた。力が弱い母は抵抗も虚しく数秒後、腕をダランと垂れ下げて動かなくなった。
『優奈っ!言うことを聞け…うっ…』
今度は父の胸にナイフが刺された。父は最後の力を振り絞って男達を少しでも抑えようとしたが今度は首を深く切られ、ついに動かなくなった。
『いやぁあああああ!!いやだ!なんで!なんでよ!パパ!ママ!!』
優奈は悲鳴をあげた。目の前は真っ赤な海。それはどんどん広がっていき座り込んだ優奈の足をも染めていく。優奈は父から溢れ出る血の海に手をつけ、温かさを感じ取る。今目の前で起こっていることが理解できないというように真っ赤に染まった自分の手を眺める。一瞬の出来事のようだった。
男は徐に優奈に向かって1発の銃弾を発射した。乾いた銃声。私も死ぬのだと覚悟を決めて目を閉じたのだが、いくらたっても衝撃や痛みがない。感じたのは後ろで何が倒れる音のみ。目を開け後ろを見た。そこには頭から血を出し倒れている優奈の唯一の弟。ピクリとも動くことはなく静かに横たわっている。弟から溢れ出る血も優奈の足を赤に染める。
『もう…いやだよ…』
男達は無言で近づいてきた。そして慣れた手つきで優奈の体を拘束する。
『なんで…』
いつまでたっても男達は無言だ。顔色一つ変えず黙々と作業をする。そして口をガムテープで塞がれた。
『……』
もう優奈には口を開けるほどの力は残っていなかった。突然親と弟を殺され、自分も殺されると思ったが何故か拘束され連れて行かれている。もうわけがわからなかった。もしかしたら夢ではないかと思ったが縛られている腕が痛い。夢ならもっと強くなれたのに、とも思った。
(この男の人は誰なの…)
(なんでパパとママと弟を殺したの…)
(なんで私を殺さなかったの…)
(どこに連れて行くの…)
(もう…殺してよ…)
優奈は車に乗せられ長野県保護管理施設に連れて行かれた。
『残念ながら君の家族は【裏法律】に違反したんだよ。…えっと…渡辺優奈ちゃん?』
優奈はここに連れてこられてからずっと薄暗い部屋に監禁されていた。おそらく地下室だろう。目隠しされていたが、エレベーターが下に下がったのがわかった。
そして今優奈に話しかけている男。藤本というらしい。30代後半くらいの顔に滲み出る腹黒さが染み付いている。父より体つきがひょろりとしていて肩幅が狭い。あまり運動していないのだろうか。
『おいおい、反応してくれよ優奈ちゃん?』
藤本が優奈の顎をクイっと持ち上げる。そして「はぁ」とため息をつき1発のビンタを頬に食らわせた。痛かったがそれほど心には響かなかった。
拘束している器具が憎い。
壁に繋がってる足の拘束器具だって憎い。
目の前にいる男が憎い。
そう思うとどんどん反抗心が湧いてくる。
『それでも反応しないのか、頑固な女の子は嫌いなんだがね…まぁいいだろう。じっくりと調教してやるよ』
この後、何度も何度も殴られたり蹴られたりした。爪を剥がされたりもした。他にも想像を絶するような苦痛を味わった。何度も舌を噛み、自殺を図ろうとした。しかしどんなに辛いことがあっても優奈は藤本に口を利こうとしなかった。その度に殴られるが決して屈したりはしない。
連れてこられてから7日後、監禁されている部屋の扉の向こうから小さな女の子の悲鳴が聞こえてきた。恐らくその子も捕まったのだろう。
そしてそのまた一週間後、その女の子の声が聞こえてきた。
『いやだ!どれいなんていやだ!』
(どれい…。パパが昔に教えてくれたような気がする…。なんだったっけ…)
その後女の子の声が聞こえてくることはなかった。
(私もどれいになるのかな…)
何年経ったのだろうか。
日にちを数えるのも3桁に突入したところで数えるのをやめた。それはかなり昔の記憶だと思う。そしてある日。
『はーい、おはようございまーす』
藤本が入ってきた。いつもと違ってかなり陽気であった。
藤本は年々笑顔が増えてきたような気がする。昔は顔に出ていた腹黒さが表に出なくなったというのだろうか。会うたびにおじいちゃんのような笑顔を振りまいてくる。毎日筋トレもしていたそうだ。昔と比べて体が太くなった。その都度拷問の痛みも比例していくのだが…。
『お疲れ様だったね。優奈ちゃん。いや、これからは渡辺って呼ぼうかな?』
ついに私も奴隷になるのだろうかと思ったがそれは違った。藤本は優奈の拘束を解いている。どういうつもりだろうか。
『はっ…ッ…』
声が出なかった。なぜ?と言いたかったのだが。
なんせここに来てから声を出したことは寝言以外ないだろう。もしかしたら寝言でも言ってないかもしれない。
『おお?もしかして声が出ないのか?』
静かに頷く優奈。藤本に反応するのは初めてだった。
『まぁ時間が経てば出るようになるだろう。それよりだ…お前は運良く10年間奴隷にならずにここまで来た。でもな、もうお前に使う食費も、もったいないと思ってたところなんだ』
10年間も経っていたとは驚きだった。
優奈は20歳なのだ。ハタチなのだ。
そして続けて言う。
『俺もお前が少し可哀想に思えてきた。そこで提案なんだが…お前がもしこの施設で働くというならばここから出してやらんこともないのだが…どうだね』
返答には少し悩んだ。
しかし藤本への反抗よりもこの苦しみ、痛みから解放されたい気持ちが上回ってしまった。
そして静かに頷いた。
藤本は少しニヤッとしてこう言った。
『ではよろしく頼むよ副所長の渡辺くん』
今回は渡辺の過去でした。次回は本編です
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