第五話 ~罪深き薬師~
気がつくと、何も無い空間にいた。
どこまで続いているのか、自分がたっている場所がどこなのかわからないが、何故か不安にはならなかった。
「だって、貴方はここを知っているもの」
その声とともに、何も無い空間から突如、少女が出現した。
美しい黒髪を揺らして、白衣を着込んだ少女は俺に向かって微笑んだ。
「久しぶりね、貴方。私のことが、わかるかしら?」
「……ああ、久しぶり、だな。幻聴さん」
「あら?幻聴とは酷いわ。私にはちゃんと名前があるのよ?」
柔和な笑みを浮かべて、少女は俺に近づいてくる。
「“アスクレピオス”。それが私の名前」
己の名前を名乗りつつ、俺の目の前までやってきたアスクレピオスは、その小さな両手で俺の頬を包み込む。
ガラス細工のような、美しい紫紺の瞳と目が合う。
「ここに来てもらったのは、貴方のため。そして、私のため」
コツン、と。
俺の額と自分の額をぶつけて、熱を測る時のような姿勢になるアスクレピオス。
何をしたいのかはわからないが、それが意味ある行為に見えてしまう。
「……話すべき時が来たの。私の事を、あなたに」
そう呟いて、少女は額を離して、ゆっくりと俺の目を再び見つめ直す。
「聞いてくれるかしら?少し、長くなるかもしれないけれど」
そう言って、また微笑んだ少女。
しかし、その微笑みは先ほどとは違って、どこか辛そうに見える。
「あなたを助けた理由。そして、私の昔話」
顔を俯かせ、少しだけ悩むような素振りを見せ。
少女、アスクレピオスは再び俺と目を合わせて、ゆっくりと口を開いた。
「私の、罪のお話を」
「ひとまず、自己紹介をするわね。私はアスクレピオス。蛇使い座の大精霊よ」
「……大精霊?」
聞きなれない単語に首を傾げる。
俺の疑問に、少し意外そうな顔をしながら少女は答える。
「あら、あの子達から聞いてないのね。なら、説明が必要ね」
「あの子達……?」
「黒嬢と白嬢のこと。まったく、二人とも変な所で抜けてるんだから……」
すこし呆れたような声音でいうアスクレピオスに、思わず苦笑する。
「精霊という存在については知ってるわよね?」
「物語なんかに出てくる、あの?」
「ええ。貴方のいた世界と違って、この世界には魔法がある。それは何故かわかるかしら?」
「俺のいた世界の人々は、何らかの理由で精霊たちと縁を切ったから、じゃないか?」
「ご名答」
俺の回答に満足げにうなずきつつ、アスクレピオスは説明を続ける。
「貴方のいた世界にも、大気中に魔力は溢れていた。なのに魔法を使えなかったのは、貴方達の先祖が精霊と完全に縁を切ったから」
それに関してはこの一週間できちんと調べていた。
妙にこの世界と俺のいた世界はよく似ている。
なのに、なにか根本的な違いがあるように思えて、調べるべきだと感じた。
結局、すべて理解しきることはできなかったため、先程の回答は予想だったのだが、どうやら当たっていたようだ。
「その理由について、知りたいかしら?」
「……そうだな。教えてくれるか?」
俺の返答に頷き、アスクレピオスはまた説明を始める。
「科学は精霊たちにとって、禁忌だった。なぜならそれは、彼らが精霊になった原因だったから」
「……は?」
「こう言えばわかるかしら。彼らはもともと、“人間だった”」
語られた答えに理解が追いつかない俺を尻目に、少女は続ける。
「精霊は、あくまで幽霊なの。発展しすぎた科学は、人を壊し、世界を終わらせた。そうして、魂だけがさまよい歩くようになった。」
「ま、待ってくれ!なら、どうして今の人類がいる!」
「作り直したのよ、神様が。世界そのものを」
「……ということは、この世界は、いや、俺のいた世界も、二周目だということか?」
「……いいえ。何周目かなんて、検討もつかないわ。きっと、何度もやり直し続けているのじゃないかしら」
「…………回数は、神のみぞ知る、と?」
「ええ。そういうことね」
じゃあ。つまるところ、俺は、俺達は。
“何度もやり直し続けているのか?”
気が遠くなるほどやり直している俺は、何人目だ?
「それは考えちゃいけないわ。貴方」
少女の声で、迷走しようとしていた思考が現実に戻される。
「貴方は貴方。今ここにあり続ける、不死の少年よ」
そう言って、今度は俺の手を取る。
暖かい手が、俺の手を包んでくれる。
「落ち着いたかしら?」
「ああ……、取り乱して悪かった。続けてくれ」
「ええ。」
頷いて、再び少女は説明を始めた。
「科学によって身を滅ぼし、彷徨う霊魂となった精霊達は、新しい世界で自我もなく、浮かび続けているの」
「自我が……ない?」
「弱い魂はね、世界の改変に耐えられず、自我を完全に失ってしまうの。残るのは本能だけ。明かりに群がる虫達のような、そんな本能だけ」
「弱い魂は、ってことは、生き残れる魂もいるのか?」
「ええ。一応、私もその一人」
アスクレピオスは頷いて、また少し俯いた後、語りだす。
「蛇使い座の伝説は、知っているかしら?」
「曖昧だけれど、知っている」
「へぇ。嬉しいわ。私はあまり有名じゃないから、知らない人も多いのよね」
蛇使い座のお話。昔、本で読んだことがある。
アスクレピオスという優秀な薬師が、人を蘇らせる薬を作り、神の怒りを買ったという話だ。
アスクレピオスは蛇を好んで薬の合成に使っていたため、死してその功績を認められた時に、蛇使い座として星座にあげられたんだとか。
「……人を蘇らせる、薬?」
……いや、待て。おかしい。
この世界なら、ゲームなんかでおなじみの蘇生魔法や、エリクサーなどによる復活などもたやすく出来るはずだ。
それに、その程度のことで神罰に触れるはずがない。
……だとしたら、何を作ったのか。
一つ、心当たりがある。
この推論なら、辻褄があってしまう。
彼女が俺を救った理由。
神罰を受けた理由。
二つが繋がるのは、この解ではないだろうか?
「……作ったのは、蘇生薬などではなく」
「お察しの通り」
俺の言葉をつなげるように、少女は呟く。
「貴方の飲んだ、不死の薬よ」
やはり、辛そうに顔を歪ませながら。
「……人の命を、私はいたずらに弄びすぎたの」
不死。誰もが一度は憧れ、その夢に幾多の人間が魅了され、そして絶望したもの。
「神罰の時に、持っていた薬を全部処分されてしまったのだけれど、研究室に残っていた最後の一本だけが、私にも、神にも、認識されることなく、放置されていた」
「……どういう、ことだ?」
「不死になった数多の人間が、私とともに処分されたわ。
でもね、研究者で処分されたのは、私だけ」
「……不死の薬は、一人で作ったんだよな?」
「ええ。もちろん。……けれど、不死の薬を持っていたのは、私だけじゃなかった」
少女は、辛そうな顔をさらに歪めて、語り続ける。
「兄が、一本だけ、私の知らないところで、勝手に取っていたのよ」
「……だが、飲んではいなかったということか?」
「ええ。不死の薬を飲んでいなかったの。……いえ、“あえて飲まなかった”」
「“知っていたから”?」
「おそらくだけれどね。私の研究の成果を妬んだ兄は、私の薬を研究して、改良しようとしていたのでしょうね」
「そこで、神罰が起きて、お兄さんは研究をやめた、と」
「察しがよくて助かるわ。……そして、薬は巡り巡って、彼の手に渡ってしまった」
思い浮かぶのは、あの歪みきった笑顔。
「……ジェイソン」
あの筋肉マッチョのオネエは今、どうしているのだろうか。
「功績を認められた私は、大精霊になる権利を得たわ。黄道十二宮のメンバーのように、神霊になる権利は得られなかったけれどね」
「神霊って、どうやったらなれるんだよ……」
不死で大精霊とか、なかなか無茶苦茶だぞ……
「それで、私は残してしまった薬のことをずっと見守っていた。……そうして」
「俺が、それを投与された、と」
アスクレピオスは無言で頷く。
……だから、贖罪の意を込めて、俺を助けたのか。
「……それがせめてもの、大精霊となった私のできる償いだから……」
俺の考えを読んだのか、アスクレピオスは申し訳なさそうに話す。
「…………少し、聞きたいことがある。薬はどうやって、世界の改変を耐え抜いたんだ?」
「それは、分からないの」
「……分からない?」
「ええ。本来なら耐えられるはずもない薬が、“何故か”こちらの世界に渡ってしまった。その理由は、私も分からない」
「……そうか」
顎に手を当て、考える。
世界を渡れるのは、強い“魂”だけ。
世界をリセットした時に、それは消えるはずだ。
だとすれば、可能性はかなり低いが……
「……神様が意図的にやったとしか、考えられない、かしら?」
思考を読んだのか、アスクレピオスが考えていたことを口にする。
「まあ、そんなことを気にしても、仕方ないか」
「……そうね。貴方には関係の無い話だもの」
「ああ。……んで、聞きたいこと、まだあるんだけど」
「何かしら?」
「アスクレピオス、お前は“この世界で再び産まれる”のか?」
「……ええ、もちろんよ」
「なら、お前の望みは……」
……自分を殺すことか?
声に出さずに、そう問う。
「……わからない、わ」
「……そうか」
「…………でも、それは貴方には関係の無いことでしょう?」
「関係無いか?お前と俺の契約は、そういうものだっただろう?」
「あっ……」
そこでアスクレピオスはようやく思い出した。
自分が彼と交わした契約を。
「そう、お前が望むなら、俺は力を貸さなくちゃならないからな。……まー、まだわからないならじっくり考えてくれ。時間は沢山あるんだろ?」
「……ええ、そうね。そうさせてもらうわ」
「よし、なら、話を再開してもらうぞ。聞きたいことはまだあるんでな」
「……分かったわ。でも、一つだけ確認させて?」
「ん?なんだ?」
少女は、不安そうな目でこちらを見て、口を開く。
「貴方は、私の事を、恨んでる?」
その問に、頭を横に振り、少女にほほ笑みかける。
「恨んでなんかいないさ。感謝こそすれ、恨むのは間違ってる」
「……そう」
アスクレピオスは、俺の答えに安堵したのか、表情をやわらげた。
「それで、精霊と魔法に何の関係があるんだ?」
「そうね……わかりやすく言うなら、受付嬢かしら?」
「……受付嬢?」
「ええ。精霊は大気中の魔力と、人を繋ぐ見えない仲介人といった感じかしら。さながらクエストを紹介し、受理の処理をする受付嬢のような」
「……例えが微妙なせいで分かりにくくなった気がするが、まあなんとなくわかった。……だが、本能しか残っていない精霊にそんな器用な真似が、できるのか?」
「やってることはそんな複雑じゃないわ。人の周りには、自然と精霊が寄ってくる。その精霊達に自分の使いたい魔法を伝えることで、魔法を発動させる。精霊達は、術者の魔力を貰う代わりに、大気に働きかけて式を発動させるように“プログラミングされている”」
「……なるほどな。最初からそういう風に弄られてるってことか」
「そうね。それが精霊。なんとか生き残ったが自我を失った魂達の、成れの果て」
「じゃあ、お前は?大精霊って、何なんだ?」
アスクレピオスにそう問いかけると、彼女は変わらず柔らかく微笑んだまま質問に答えてくれる。
「功績を認められた人間は、大精霊となって改変された世界を見守る。私たちの目的はただ一つだけ」
柔和な笑みを浮かべたまま、目を細めて俺をまっすぐ見据えるアスクレピオス。
「……世界の終焉を阻止する。それだけが、私たちの目標なの」
「そんなの、できるのか?」
「……さあ?あくまで目標だし、神様達からすれば「あ、今回もダメだったのか。じゃあ次、行こっか。」くらいなのよ」
「軽いな、おい……」
思わず呆れてため息を吐いてしまう。
価値観があまりに違いすぎるのだろう。仕方あるまい。
「大精霊は精霊と違って、意思がある。神様から世界への干渉を許され、世界救済の補助を目的として動くのが役目……なの」
「補助?」
「メインはあくまで神霊の皆さんだから。私が今からここであなたと一生油を売っていても、彼らの世界救済には支障をきたすことは無い。」
「つまるところ、大精霊って……」
「世を渡り渡って、遊びまわるきみの悪い亡霊、かしらね」
「……そうか」
「聞きたいことはそれだけかしら?そろそろ起きる時間だから、私はお暇しようと思うのだけれど……」
「最後に一つ、聞かせてくれるか?」
「ええ。どうぞ。」
俺の言葉を待つ少女と目を合わせて、俺は口を開く。
「お前の望みは、あるか?」
その問に少しだけ悩む素振りを見せて、少女は俺に微笑みながら返答した。
「貴方の行く末を、見守ることかしらね」
その答えに、俺は満足して頷き、少女に向かって手を差し出す。
「なら、これからよろしくな、アスク」
「……ふふっ。よろしくね、貴方」
少女が手を取って、世界は崩れ始めた。
「今回はここまで。私はいつでもあなたを見守っているから、困った時はいつでも言いなさい?力になるわ」
「そっちこそ、やりたい事が見つかったらいつでも言ってくれよな。絶対力になってやるから」
「そのためには、強くならなくてはね♪」
「ああ、そうだな。強くなるさ。今度こそ、俺自身のために生きるために」
「頼りにしてるわよ、貴方」
「そっちこそ、頼りにしてるぜ、アスク」
そう言い合って、笑いあって、世界は閉じた。
俺の頭の片隅には、少女が最後に見せてくれた笑顔がいつでも残っている気がした。