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第3章 子羊の千客万来

「その様子じゃ、今日も呼び出し?」


 察しのいいシモンは、ヨシュアの顔色だけで悟ってくれる。

ヨシュアとしては、深いため息しか出てこない。


「レスター様はオアシスだから、今日は山守の方だね」


「もー、勘弁してほしい」


 神様と対面させられてから二ヶ月。

山間のウェイデルンセンでも草花がそこかしこで芽吹き始め、暖かい陽気が続いている。

そんな心地良い日和に関係なく、相変わらずヨシュアはあちこちに振り回されていた。


 あまり自国にはいないと言っていたレスターがこまめに城に戻ってきてはヨシュアを呼び出し、こじつけなきっかけを作ってはティアラとくっつけようと画策してくる。

レスターが仕事で離れてほっとしていると、狙い澄ましたタイミングで、今度はカミから呼び出されるのだ。

レスターはともかく、カミは人前に姿を見せられないだろうと無視を決め込んでいたら、その日の夜に部屋が異様な気配に包まれて懲りてしまった。

ティアラが追い払ってくれなかったら、どうにかなっていたかもしれない。

おかげで、城にいながら獣の気配にも敏感になるという、いらない経験値を会得した。



 * * *



「はあ」


 ひとしきり、カミにおちょくられてきた帰り道。

逃げていく幸せなどないヨシュアが盛大にため息をついていると、廊下の向こうから歩いてくるファウストを見かけた。


「こんにちは、お一人ですか」


「ああ、エヴァンとリオンに癒されてきたところだ」


 王の顔をしているファウストが兄のミカルに似ていると気付いてから苦手意識が高まったヨシュアだが、レスターにコテンパンにされるところを見てからは何も思わなくなったどころか、同情する気持ちすら湧いてしまっている。

実年齢が思ってたより近いと知った影響もあるのだろう。


「そういうヨシュアは、またカミに呼び出されたのか」


「ええ、残念ながら」


「お前は本当に変な度胸があるな。俺は気楽に会おうだなんて思わないぞ」


「王も会っているのですよね」


「ああ。戴冠してすぐに、叔母上に連れていかれた。他は、例年の行事くらいしか会わん。あれに懐くティアラが信じられんな」


 だよな、と同意する。

それが普通の感覚だ。


「お前も平気なようだな」


「すごく恐いですよ。ただ、行かないと、もっと恐い目に遭うから応じているだけです」


「それはまた、やけに気に入られたものだな」


 気に入られたというよりは、レスターに関わっているやっかみ半分、ティアラの婚約者に対する牽制半分といったところだ。


「カミを知ったからには、ティアラを守ってくれよ。万が一にも、あれを義弟と呼ぶ事がないようにしてくれ」


 頼んだからなと振り返り、念を押しながらファウストは去っていった。

もしかしたら、その辺りも考慮して婚約者役を探していたのかもしれない。

しかし、これ以上押し付けられるのはごめんだった。


「ああ、ヨシュア様。お会いできて良かった。お部屋を訪ねようか迷っていたところでした」


 ファウストと入れ替わるように呼び止めたのは女性の使用人だった。

ヨシュアは瞬時に、爽やかな外面を装着する。


「どうかしましたか」


 微笑んで応対するヨシュアに、うっすらと頬を染める使用人。

こうしてヨシュアは、大嫌いな女性達の間で着実に評判を高めていく。


「どうぞお受け取りください。直接ヨシュア様にお渡しするよう頼まれましたお品です」


 そう言って、女性は両手に収まるくらいの小包みを差し出した。



 * * *



「……妙ですね」


「だろ」


 部屋に戻ったヨシュアは、待機していたシモンに渡された包みを見せていた。

その感想で、妙だと言ったのだ。


 送り主はスメラギ・ミカル、ヨシュアの兄だ。

伝票には、中身が菓子だと記されている。


「おかしいな。こういうのは、全部俺に回ってくる事になってるんだけど」


「おかしいも何も、女が持ってきた時点で怪しさ満点だったよ」


「女性だからって疑ってかかるのは、ちょっと乱暴すぎない?」


「じゃなくて。見たことある人だったし、あの人は何も知らないと思う。ただ、あの発作を見て以来、ファウスト王も気を使ってくれて、部屋付きの担当は男だけの決まった顔ぶれにしてくれてるだろ」


「確かに。離れだから、通りすがりに寄る人もいないしね」


「そういう事情を知らない奴が仕組んだって話だよ」


「なるほど。なんにしても、その使用人に事情を聞かないとだな。こんな不審物を、報告なしで簡単に渡しちゃうようじゃ問題だ」


「その辺は任せる。でさ、誰だと思う?」


「一応聞くけど、本当にお兄さんからって事はない?」


「ない。もし送ってくるなら手紙だけか、嫌がらせのように大きな荷物にするよ。こんなサイズで、しかも菓子とか絶対にありえない


「じゃあ、俺が預かっていいね」


「よろしく」


 そのまま退出しようとしているシモンをヨシュアは引き止めた。


「なあ……犯人はサイラスって、あると思う?」


「サイラスって、オーヴェの神官の? それはないんじゃない。油ギッシュならしつこそうだけど、こういう小細工をするより、自ら乗り込んでくるタイプでしょ。手口だけならありかもだけど、いくら寄進してくれるからって、いつまでもあんなのに付き合ってないと思うよ」


 シモンの言う事はもっともだ。

サイラスは皇帝神にだけに仕える神官だ。

嘘か真か、その皇帝神様はキャンパス山脈なんて途方もない物を欲しがっているらしい。

だったら、異国から来たしがない自分は全くの無関係で、狙われる理由はもうないか……と考えて、すっと血の気が引いた。


「シモン、俺、カミの所に行ってくる」


「今から? さっき行ってきたばかりじゃないの?」


「そうなんだけど、確認したい事が出来た。あ、その小包み、王様に報告しといてよ」


 一方的にしゃべると、ヨシュアは慌ただしく部屋を飛び出した。


 城の中で、ヨシュアの部屋と対立する場所にあるのが山の神に祈りを捧げる広間だ。

その隅にある王族専用の個室の本棚を動かすと、暗闇の一本道が現れる。

備えられているカンテラを掲げて進めば、風通しのよい空間に繋がっている。

その中央、舞台のような岩棚の上に、供物として捧げられた酒を嗜むカミが横たわっていた。


「なんだ、ちんちくりん。そんなに俺に喰われたいのか」


 冗談でも、鋭い牙を持つ狼に言われたのではぞっとする。

いつも割って入ってくれるティアラがいないので尚更だ。


「違う。確認したい事があってきた」


「ほう、言ってみろ」


 ぺろりと長い舌が踊る。

ぞくりとするが、何も聞かないままでは帰れない。


「ちょっと気になったんだけど、カミのなわばりって、この辺一帯だけだよな」


「ああ、そうだ」


 肯定されてほっとしたのも束の間で、すぐに神と人間の違いを認識させられる。


「この山脈一帯くらいで、平地の事情は把握していない」


 その回答にめまいがした。

普通、山脈一帯の規模をこの辺とは表現しない。


「カミ一人、いや、一匹で仕切っていられる範囲じゃないだろ!」


「いくつかの集団に分かれてるが、一番上にいるのは俺だ。異変が起きれば、どの山だろうと俺に話が回ってくる」


 どうやら、獣の世界にもそれなりの秩序があるらしい。


「たまに襲ってくる輩もいるが、返り討ちにしているから、今のところは俺が頭だ」


「え、それって、もしカミがやられたりしたら神様はどうにかなるのか?」


「どうなるも何も、代替わりするだけだ」


「代替わり?」


「ああ、俺を倒すくらいの奴なら素質はあるだろうし、俺だってそうやって山守の神になったんだからな」


「そんなもの?」


「そんなものだ。俺の場合は、先代の寿命があやしくなってきたってんで、次代神様選抜戦で勝ち取った地位だ」


 神様が代替わりしているとは、なんとも奇妙な話だ。


「俺達は長生きだが、寿命はあるからな。しかし、そんな確認をしてどうする」


 問われて初めて、ヨシュアはサイラスが言っていた事を話した。


「それは、完全に俺の存在を知っているな。面白くなりそうじゃないか」


「何をのんきな。カミの存在は秘密なんじゃないのか」


「今はな。始まりは、むしろ存在を広めていたらしいぞ。だから、他国が知っていてもおかしくない」


「始まり?」


「初代神の話だ。そもそも、人間とこういう関係になったのは、そいつがきっかけだ」


 そんな切り出しで、カミはウェイデルンセン王国の成り立ちを語り始めた。


「ここがまだ、村とも言えない規模の時代だ。ある時、一人の若い娘が山で怪我をして動けなくなった。たまたま通りかかった初代が気まぐれに助けた。要するに、ひとめぼれだな」


 昔の話なので、ヨシュアは種族の問題を気にしないでおく。


「二人は心を通わせ、時折、山で会瀬を重ねるようになった。その頃、平地では争いが耐えない状況だったらしい」


「オアシスがあるだろ」


「出来る前の時代だ。争いは激化し、資源を求めて山のあちこちが荒らされるようになった。それを憂いた初代と娘は協力して追い払う事にした」


「それって、オーヴェとチェルソの大戦時代? 無謀すぎないか」


「俺も聞いた話だからな。作戦は簡単だ。山の神が怒っていると噂をばらまき、山の民が荒らしている人間の情報を探り、狼達で脅かして回ったそうだ」


 シンプルだけど、意外と効果がありそうな地道な作戦だ。


「長期化した争いで疲弊しきりのところに、神の天罰で資源も手に入らない。そこに、娘が神の代理人として巫女の名で休戦協定に持ち込んだと聞いてる。頭のいい女だったらしいな」


 他国の歴史に興味のなかったヨシュアには、聞いた事がない話だった。


「だから、オーヴェの連中がキャンパス山脈を仕切っている神の存在を知っていても不思議じゃない。神の代理人を名乗った巫女の末裔がティアラだから、その婚約者になってるお前に狙いをつけてもおかしくはないだろ」


「っく、そんなの知りたくなかった」


 状況を確認したくてヨシュアから訪ねて来たのに、教えられたのは否定したくなる真実だった。


「お前も大変だな。仮の婚約者の立場で命を狙われるんだから」


 ずいぶん気楽に言ってくれるものだと思う。

相手が恐ろしい狼だろうと腹は立つ。


「そういう事しか言えないから、レスターさんを怒らせるんだよ」


 ぼそりとつぶやいたのに、神の耳にはばっちり届いていた。


「なんだと」


 途端に、低い唸り声が飛んでくる。


「なんでもないです。聞きたい事は知れたので帰ります!」


 一方的に話を終わらせたヨシュアは、逃げるようにその場を後にした。


「はあ、聞くんじゃなかった」


 暗い通路を抜けて、一息つく。

これでは、仮にティアラと結婚したとしても、狙われる危険がなくならない可能性が高い。

どこまで災難に付きまとわれなくてはいけないのか神様に聞いてみたかったが、この国の神はあの毛むくじゃらなので、やはりヨシュアを助けてくれる神様はいないのだと思う。


「そういや、この事、王も知ってるのかな」


 余計なお世話かもしれないが、自分の安全確保の為でもあるので、その足でファウストを訪ねる事にした。


「ああ、それか。そんなとこだろうと思っていた」


 報告してみれば、あっさりした返答だった。


「他に考えられないからな。だが、生き神が治める大国が、昔話の神の存在を信じてるとは、本気で考えていなかったのも事実だ」


「もしかしたら、皇帝神は詳しい事情は知らないのかもしれません。でなければ、神が守護する山なんて欲しがらないはずです」


「逆かもしれないぞ。自分以外の神が治める領域だからこそ欲しい、とな。たかが人間の皇帝も、神と崇めたてられていれば、そのくらい思い上がりもするのだろう」


「……王は、山守のカミを信頼しているのですね」


「何を言ってる、当たり前だ。そうでなくては、祀っている意味がない。それに、あの叔母上がティアラを任せているくらいだからな」


 そこは、ちょっと違うような気がした。


「一応、こちらでもオーヴェの動向には気をつけておこう。真っ先に狙われているのが、お前のようだからな」


「シモンから聞きましたか」


「ああ。開けてみたが、中身はチョコレートだった。詳しくは検査してみないと判断できないが、とりあえずネズミは死んだ」


 予想通り、毒入りだったのだ。


「荷物は全てシモンに確認させるが、お前の方でも用心しておくように」


「心配してくれるのですか?」


「もちろんだ。お前に何かあれば、スメラギ家に莫大な慰謝料を請求される契約になっている。うちにそんな余裕はないからな」


「ああ、そうですか……」


 一瞬でも、じんとした自分が悔しかった。



 * * *



 怪しい小包み事件からしばらく、ヨシュアは自分目当ての来客予定を知らされた。


「は? なんでまた」


 ファウストから聞かされたヨシュアは、素直に歓迎できなかった。


「お前の実家に、先日の毒入り菓子の件で報告を入れておいた。送り主にミカル殿の名前が使われていたからな。頃合いとして、状況を報告する必要があったからついでだ。その返信が来て、様子を見に家の者を行かせたいと書いてあった」


「余計なお世話をしてくれましたね」


「余計なお世話とはなんだ。取引相手とは契約した後の繋がりが重要なんだぞ」


 ヨシュアに言い返す気力はなかった。

気鬱で仕方ない。


「誰が来るのですか」


「詳細はまだだ。向こうでは二人を予定しているらしい」


 父や兄が自ら乗り込んで来るとは思わないが、唯一会いたいレナルト伯父の可能性も低い。

家の者と言っても、商会を身内に入れれば対象は幅広くなる。


「誰が訪ねて来ようと、上手くやっていると見せておけよ。山守が処理した刺客の件は伏せてあるんだ。特にカミの話は絶対にするな。もし、少しでも不審に思われるようなら、おまえの担当使用人を全員女に変えてやるからな」


 王が直々に来たのは、ヨシュアによくよく忠告する為だと悟る。

元々、実家に呼び戻されるような言動をするつもりはなかったのに、どうにも脅し文句がせこかった。


 その夜、数日ぶりにティアラが部屋を訪ねてきた。

この密会を誰にも知られたくないらしいティアラは、レスターの有無によってお邪魔するかを決めるようになっていた。


「どうして教えてくれなかったの」


 今日はやってくるなり、ふくれっ面をしている。


「何がだよ」


「不審物が届いた事」


「ああ、言ってなかったっけ」


「聞いてない。シモンに、シンドリーからヨシュアを訪ねてお客様が来るって教えられて、初めて知ったの」


 さすがはシモン。

お馴染みにもサービス精神は旺盛だ。


「どうして教えてくれなかったの」


「どうしても何も、必要なところには報告してある。ティアラには関係ないだろ」


「酷い! 仮にも婚約者なのに」


 ティアラは、ふくれっ面を更に膨らませてぷんすかした。


「仮の婚約者なんだからいいだろ。何もなかったんだし、気にするなよ」


「する! 私だって、心配くらいするんだから」


「だから、必要ないって。どうせするなら、カミの飲みすぎでも心配してやれ」


「……あっそう。わかった。それじゃあ、私も勝手にする」


「はあ?」


「私をのけ者にした事、後悔させてあげるんだから!」


 ぷい、っと顔を背けると、時間でもないのにいなくなった。


「なんだあ?」


 以降、レスターが不在でもティアラが訪ねてこなくなった。

それに伴い、カミからの呼び出し伝言もなくなったヨシュアは平穏な日々を送っていた。



 * * *



 街に繰り出してお昼にしていたヨシュアは、匙を空に留めて覗き込んでくるシモンに気付いた。


「ヨシュア、ティアラとケンカでもした?」


 人前ではお互いに外面で接しているので、伝わるはずのない状況を指摘されて驚く。


「どうして、そう思ったわけ」


「だって、ヨシュアの話をしようとしたら耳を塞ぐんだよ。いつもだったら、せがんでくるくらいなのに」


 改めて、シモンがティアラの幼馴染みだと思い出したヨシュアだ。


「別に、ケンカって程じゃないよ。契約上の関係だから、これくらいの距離が理想だし」


「えー、それじゃあつまんないよ」


「つまらなくて結構です」


「だとしても、今は仲直りするべきなんじゃない?」


「なんで」


「明日、レスター様がスメラギ家からのお客様をお連れするって報告があったから」


「あ、それがあったか。……別にいいんじゃない」


「どうしてさ。ファウストからも頼まれてるんじゃないの」


「そうだけど、事情を説明されてるはずだから、仲良くお出迎えする必要もないだろ」


「んー……。ティアラも大概だけど、ヨシュアもだいぶ甘やかされて育ったんだろうな」


「えー、何それ。俺くらい厳しい環境で育った奴はいないって」


「いいや、絶対に甘やかされてるね。反論したいなら、少しはティアラに優しくしてあげなよ」


「それとこれとは関係ないだろ」


「ある。本気で女嫌いを克服したいなら、身近な人から大事にするべきだ」


「う……まあ、そうかもだけど」


「かもじゃなくて、そうなの」


 と、シモンにお説教をされた翌日、昼過ぎにレスターがお客を伴い戻ってきた。


「お前の身内が着いたぞ」


 一人で待機していたヨシュアを迎えに来たのはファウストだった。


「王が使いっ走りですか?」


「そんなわけあるか。挨拶をするから来てやっただけだ。内々の面会だから、大げさにしたくない。済んだら仕事に戻る」


 色々とスメラギ家に気を使ってくれているらしい。

ヨシュアはゆったりとした王の後を歩きながら、緊張している自分を自覚していた。


「よ、久しぶり」


「何やってんだよ。挨拶が先だろう」


 応接間に入るなり、客人によってこんなやりとりが展開された。


「いや、気にしないで良い。ヨシュア、お前から紹介してくれ」


 余裕ある笑みをたたえるファウストに、久々に王様らしい姿を見たなと思う。


「最初に発言をしたのがベルナルト・アベル、隣がオズウェル・エルマ。二人とも学生で、私の幼馴染みです」


「ウェイデルンセン王のファウストだ。私はすぐに退出するから、ゆっくりと再会を楽しむといい」


「お気遣い、ありがとうございます。こちら、ミカル様からお預かりしてきました手紙です」


 温和な印象のエルマが、携えてきた封筒を渡した。


「ミカル殿は弟がいなくて淋しがっておられるのだろうな」


「わかりにくいですが、おそらく」


「そうか。手紙は確かに受け取った。帰りに返事を頼もう」


 エルマは了承の意を込めて、綺麗な礼をとった。


「ファウスト王、手土産をいただきましたよ」


 離れた椅子に座っていたレスターが話しかけると妙な緊張が走る。

だが、さすがに人前ではつつがない王と叔母の関係で会話が成り立つ。


「それはありがたいな。後で確認させてもらおう」


「城の者が珍しがっていたので、皆に分けてはいかかですか」


「それなら、叔母上に采配をお任せしよう」


「では、そのように。私も彼らについて滞在するつもりですからご心配なく」


 ややこしい事にならないかと一瞬固まったファウストは、すぐに王の威厳を立て直して退出していった。


「レスターさん、二人に同行してくれてありがとうございます」


 ヨシュアはひとまず、レスターに礼を言う事にした。


「いいえ。彼らに紹介状を渡した縁があったし、通り道のオアシスで待ち合わせただけだ。それに、ヨシュアを殴ると宣言していたから、見学させてもらおうかと思ってな」


「え……」


手紙の文字はアベルのものだった。

ちらりと目を向ければ、アベルはエルマに視線を送っている。

一連の流れを受けて、エルマはヨシュアの前にやって来た。

ヨシュアよりも少し背が高く、さっきまでと違って睨むような鋭い眼差しだ。

覚悟を決めて目を瞑ると、間を空けてデコピンが飛んできた。

地味に痛い。

だが、それだけだった。

そろりと目を開けると、エルマは笑っていた。


「元気だったなら、それでいい」


 エルマがこぶしを作ってヨシュアに向けたので、同じように出し返し、何度かぶつけ合ってお決まりの挨拶にする。


「悪い、なんの連絡もしなくて」


「いいって、事情は聞いているから」


 緊張していたわだかまりは、あっさりと消えてなくなった。


「なんだ、つまらない。どうせだから、思いっきり殴ってやればいいのに」


「レスターさん……」


「友情に感謝するんだな。私も退出するから、大いに再会を満喫しなさい」


 愉快に笑っていなくなり、部屋にはシンドリーの幼馴染み三人だけが残された。


「はは、久しぶり。どうだ、驚いたか」


 三人きりになるなり、アベルがヨシュアの肩を抱いて頭をぐしゃぐしゃに撫で回した。


「驚いたけど、来るのが二人だって聞いて、そんな気がしてた」


「なんだ、相変わらず勘がいいな」


「ヨシュアの場合は推察力だろ」


「どっちでもいーよ。こっちは、とんでもなく驚かされたんだからな」


 アベルはヨシュアに絡んだまま、どかっとソファーに座る。


「痛いって」


「これくらいで済んでありがたいと思え。俺達がどれだけ驚愕したと思ってんだ。なあ、エルマ」


「まあな。あのヨシュアが婚約したってミカル兄から聞いた時、僕は耳を疑った」


「うんうん。まさかの外国で、まさかのお姫様が相手だなんてな。俺はてっきり、ヨシュアは生涯独り身で淋しく過ごすもんだと思ってたんだが、これがどうして、一気に大逆転だもんな」


「何が大逆転だ。事情を聞いてきたんだろ。あくまで、偽装婚約なんだよ」


「偽装って言うけど、目的のオーヴェのお貴族様は追い払ったんだろ。これから、どうするつもりだ」


「どうって……実は、レスターさんの下で働けないかと思ってるんだ」


 ヨシュアは正直に打ち明けた。


「え、マジで? 変わってないかと思ったけど、ちゃっかり女嫌いを克服したのか」


「そんな簡単に克服出来るか。だったら、今頃は普通の青春を謳歌してるよ。あの人は特定の相手(狼神)がいるから平気なだけ」


「なんだ、残念」


「おい、アベル。狙ってたとか言うなよ」


「言うに決まってるだろ。俺の守備範囲は、揺りかごから墓場までだぞ」


「それは、どこの商会のキャッチコピーだよ」


「俺の女性論だ。でも、やっぱ変わったな。どれだけ清廉な相手だろうと、前なら女性ってだけで絶対に避けてただろ」


 ヨシュア自身に変わった自覚は全くない。

知らずに巻き込まれた成り行きだったり、選択肢の少なさ故の流れだとしか考えてなかった。


「じゃあ、シンドリーに帰ってくるつもりはないんだな」


「うん。悪いけど、あの家を出て何が出来るか試してみたいんだ」


「レスターさんって、オアシスの調整役なんだろ」


「みたいだな。最初は単に外交だって聞いてたんだけど、正確にはそうらしい」


「へえ、スメラギ商会の経験が役に立つかもな」


 アベルは反対もせずに、ヨシュアの意見に乗っかってくる。


「それじゃあ、城を空ける事も多いんじゃないのか」


 エルマは心配をしているようだ。


「そうなんだ。レスターさんも半分以上はここにいない。俺としては、ウェイデルンセンにこだわりもないから、オアシスの方が暮らしやすい気がしてるんだ」


「ヨシュア、違うだろ。僕は、婚約者のお姫様はどうするんだって聞いてるんだ」


「え? ああ、役目は果たしたし、白紙にしようって考えてるけど」


 きょとんとしているヨシュアに、エルマは目を細めて非難した。


「結局、ヨシュアは少しも変わってないんだな。いくら勝手にされた契約だとしても、相手を蔑ろにしすぎだ」


「相変わらず、しょうがない奴だな。レスターさんのとこで働くにしても、婚約を白紙にする必要はないだろ」


「なんだよ、アベルまで。いいだろ、そこはどうでも」


「よくねーよ。俺もエルマも、結婚を祝福するつもりがあるんだ。お姫様に、よおく頼みますって言いに来たんだよ。なのに、王様が顔出しといて、肝心の婚約者が出てこないってどういう事だよ。仲良くしてないのか」


「するわけないだろ」


 おまけに、只今(向こうが一方的に)ケンカ中だ。


「お姫様が相手でも駄目か。エルマ、こいつは絶望的だぞ」


「僕は全然納得してない。帰るまでに、絶対ヨシュアから紹介してもらうからな」


「紹介くらい、王様かレスターさんがしてくれるよ」


「きちんと人の話を聞け。僕は、ヨシュアから紹介してもらうって言ったんだからな」


 ぎろりとエルマに睨まれて、思わずヨシュアは小さくなった。

アベルはチャラくてうるさいが、軽い分あっさりとしている。

一方、優しくて落ち着いているエルマは、反面頑固で融通が利かないところがある。


「あー……機会があれば」


 なんて、ごまかしてしまうヨシュアだ。


「まあまあ、久々の再会でいがみ合うのはやめようぜ。それより、明日は暇か?」


「一日、二人に付き合うつもりだけど」


「じゃあ、石の採掘場と酒造見学に付き合えよ」


「商会の仕事?」


「そ。ヨシュアの様子を見に来たのは本当だけど、半分は商会の頼まれ仕事。ミカル兄が、ただで送り出してくれるわけないだろ」


 とっても納得してしまう弟だ。


「どんなついでだろうと、来てくれて嬉しいのは変わらないよ。話したい事がありすぎるくらいなんだ」


 言葉にしてから、懐かしい顔ぶれとの再会を心底喜んでいる自分を知った。


 その夜、幼馴染みの三人は、王様一家とレスターの同席で夕食をとった。

シンドリー組の二人が期待していたティアラは、具合が悪いと姿を見せなかった。

アベルとエルマの物言いたげな視線を受けて、ヨシュアは消化に宜しくない気分を味わっていた。

ティアラは確かに、しっかりと報復活動を実行していた。



 * * *



 アベルとエルマの来訪の翌日、二人の案内にレスターが付き添ってスメラギ商会の取引先を見学して回る予定になっていた。

ヨシュアも誘われてついてきたものの、完全におまけの存在になっている。


「おや、退屈そうだね」


 石の採掘場で現場の担当者に説明を任せたレスターは、突っ立っているヨシュアの隣に並んだ。


「やけに、ぼんやりしてるじゃないか」


「置いていかれた気がして」


「ん?」


「いつも一緒に兄の手伝いをしていたんです。なのに、知らない内に商会の仕事を任せられるようになってるんだなと思って。俺なんて、家を出るだけで精一杯だったのに」


「ヨシュアは、私の仕事を手伝ってくれるのだろう」


「そのつもりです。けど、不安もあります」


 ぽろりと本音がこぼれてしまう。

ヨシュアは何か言われる前に話題転換をした。


「レスターさんの仕事ってオアシスの調整役なんですよね」


「大雑把に言えばな」


「だったら、ウェイデルンセンは安泰ですね」


「関係ない。管理しているのはこの国だが、オアシスの収益は一切入らないからな」


「そうなんですか?」


「オアシスの利益は莫大だ。そんな事をしたら、他国が黙ってないよ。収益はオアシスの維持とイベントの開催、他に同盟国の災害援助や学生の奨学金に当てている」


「なら、レスターさんがいくら苦労しても、ウェイデルンセンになんの益もないじゃないですか」


「目に見える物だけが益ではないだろう」


 レスターは、にいっと口角を上げた。


「情報と人脈、これに勝る物はないよ」


 この瞬間、レスターが父親のロルフと重なった。

どうりで、女性らしい外観のわりに嫌悪感を抱かないでいられるはずである。

女性である前に、頭のキレる恐い人が先にくるから平気なのだ。


「ヨシュアにその気があるなら、私にはありがたい申し出だが、ティアラはどうするつもりなんだ」


「正直、婚約は解消しようと思ってます」


「それじゃあ、ヨシュアに覚悟がなかったって事だね」


 レスターの厳しい視線を避けて、ついうつ向いてしまう。


「覚悟はありました。王の意向に沿って仮面夫婦になる覚悟が。ただ、ティアラの存在を含んでいなかったのは事実なので、そういう意味では覚悟が足りなかったのだと思ってます」


「今は、ティアラの事も考えてくれているんだね」


「はい。俺には、ままごとに付き合ってやれる余裕はないんです。それなら、まだカミが相手の方がましなはずです。だから、早めに王に相談しようと考えています」


 ここまで本音をさらせば、姪を大切に思う叔母なら同意するしかないだろう。


「私がいない間にティアラを怒らせたらしいね。それはどう解決するんだ」


 質問の意図が、ヨシュアには読めなかった。


「それが、なんの関係があるんですか」


 ヨシュアの素朴な悪気のなさに、レスターは眉間を揉んだ。


「訂正する。お前はちっとも考えていない! それじゃあ、カミと同じじゃないか。私をがっかりさせるな。しっかり考えるまで、私の仕事には関わらせないよ」


 レスターは怒りに呆れを混ぜて行ってしまった。

こうなった理屈がさっぱり理解できないヨシュアでも、ティアラの機嫌をどうにかしなければいけない事には思い至っていた。

だが、大の女嫌いに良案など浮かぶはずもなく、両手を上げて幼馴染みに相談した。


「なあ、女の子の機嫌を良くするには、どうしたらいいと思う」


「お、やっと前向きになったのか」


 アベルは気楽に乗ってくれるが、エルマは眉をひそめた。


「どうせ、レスターさんに言われて仕方なくなんだろう」


「どうしてわかるんだ?」


「何年の付き合いだと思ってるんだよ。それに、本当に機嫌をとりたいなら、喜ばせるって表現を使うものだ」


「じゃあ、どうしたら喜ぶんですか」


 ここは素直に言い直しておく。


「ぶっちゃけ、褒めるかプレゼントだろ」


 アベルがズバッと身も蓋もない正解を出した。


「女って現金な生き物って事だよな」


 苦虫を潰したようなヨシュアに、男だって似たり寄ったりだとエルマがたしなめる。


「その気があるなら、帰るまでにプレゼントを見繕ってやれよ」


 他に案も浮かばず、アベルの提案をレスターに伝えたら、何も言わずに人気の雑貨店に案内してくれた。

到着するなりアベルは盛んに装飾品を勧めるが、ヨシュアはそんな関係じゃないと却下する。

第一、お姫様が雑貨店の装飾品くらいでご機嫌になる気がしない。

そこでエルマに意見を聞いてみれば、それくらい自分で考えろと突っぱねられてしまった。


 うんうん唸ってうろうろした挙げ句、ヨシュアはぬいぐるみを購入する事にした。

なんとなくカミに似ているのが決め手だ。

ついでに、現実のカミもこれくらい可愛ければいいのにと余計な感想を持ってしまう。


「年下だからって、ぬいぐるみとかなくない? もっと色気のある物にしろよ」


 と、包んでもらっている間もアベルはうるさく不満を訴えてきたが、隣のエルマはいいんじゃないと後押ししてくれたので、ヨシュアは良しとする。


 その後、予定していた酒造を見学し、味見のアルコールも手伝って、一行はほろ酔いで楽しく城に戻ってきた。

ところが、城内に一歩踏み入れてから、ヨシュアは重大な懸念があったと気付いて具合が悪くなる。

プレゼントを選ぶよりも、それをどう渡すかの方が遥かに難題だったのだ。


 シモンに頼めば簡単に済む話でも、それではレスターもティアラも納得してくれないだろう事はうっすらと理解している。

かと言って、自分から会いたいと言い出すのは違和感がありすぎて出来る気がしなかった。


「んー」


 思わず声にだして呻いていたら、あっさりと困る必要がなくなった。


「おい、ヨシュア。あれって、もしかしてお前の婚約者のお姫様か」


 勝手にふてくされて引き込もっていたはずのティアラが、なぜだか出迎えるように立っていた。


「ラッキーな奴だな。すっげえ可愛いじゃん」


 アベルが肩を揺すって冷やかしてくる。

ヨシュアにとっては呼び出す手間が省けて都合がいいはずなのに、切り出しに迷って緊張してしまう。

ティアラの方は、ちらりとヨシュアに視線を向けただけで、一緒に並ぶアベルとエルマにばかり注目していた。

客人がそんなに珍しいのかと思ってみれば、最終的にはエルマだけをじっと見つめている。


「ほら、紹介してくれよ」


 決してヨシュアの意思ではないが、アベルに催促されてエルマの要望を叶える機会が訪れた。


「こちら、シンドリーのスメラギ商会から来たベルナルト・アベルとオズウェル・エルマです。そして、あちらがファウスト王の妹姫のティアラ様です」


 ヨシュアのぼかした紹介を受けて、先に動いたのはティアラだった。


「はじめまして、ティアラと申します。昨夜は夕食を欠席して申し訳ありませんでした。どうぞ、ごゆるりとおくつろぎくださいませ」


 丁寧にお姫様らしく挨拶をするものの、その間もずっとエルマをガン見している。


「あの、何か気に障るところでもありますでしょうか」


 いたたまれなくなったエルマが、自ら切り出した。


「ええ、とても気になります」


 お姫様の特権なのか、ティアラは悪気なく肯定する。


「あなたは、本当にヨシュア様の親友なのですか」


 これには、ヨシュアが気分を害した。


「本当だ! どうして、くだらない疑われ方をされなきゃならないんだ」


 怒られて、ようやくティアラはヨシュアを見据えた。


「だって、女の子なのでしょう」


「な……どうして知ってるんだ」


 オズウェル・エルマはここにいる誰よりも髪が短く、背が高くて凹凸の少ない体型だ。

初めて会ったはずのティアラに指摘されて、ヨシュアは大いに動揺する。

けれど、当のエルマは微笑んで頷いた。


「隠しているわけではありませんが、不愉快にさせてしまったのなら申し訳ありません」


 許しを請うように跪いたエルマに、ティアラは怒るどころか顔を赤らめ、そうではないと言い訳した。

それで、ヨシュアはふいに懐かしいシンドリーの学校生活を思い出した。


 共学だったので女子に必要以上に冷たく当たるヨシュアは、常に何かしらの揉め事を起こしていた。

そんな時、いつもとりなしてくれていたのが幼馴染みのアベルとエルマだ。

温和なエルマは苦情を訴える女の子を優しく慰めては、本人の意思とは無関係に片っ端から虜にしていた。

アベルの場合はひたすら過剰に褒めまくり、ヨシュアの冷淡な態度の後では、これまた次々と夢中にさせていたが、こちらは本人が意図しての結果だった。


「ティアラ様、宜しければ二人でお話しませんか」


 昔のいざこざに浸っていたヨシュアは、いつの間にかこんな展開になっていて驚いた。


「エルマ、何を言っているんだ」


 慌てて止めに入るが、時すでに遅しだった。


「ええ、ぜひともそうしましょう」


 ティアラは見た事もない喜びっぷりだ。


「と、いうわけだから、そっちはそっちで楽しんでて」


 なんて言い置いて、エルマ達はるんるんと仲良く腕を絡めていなくなってしまった。

残されたヨシュアは信じられない気持ちでいっぱいなのに、のんきなアベルは指で窓を作って「絵になるなあ」と気にもかけていない。


「やっぱり、女は気まぐれすぎる」


 ヨシュアは、ため息と共につぶやいて憂鬱になっていた。



 * * *



「えっと、いいのかな」


 客間にお茶の用意を調えた後、下がるつもりだったシモンが引き止められて戸惑っていた。


「むしろ、居てください。でないと、本当の様子がわからないじゃないですか」


 アベルが是非にと席を勧める隣で、ヨシュアはむっすりとしている。


「いいよ、居てくれて。シモンには紹介しようと思ってたから。まあ、一人足りないんだけどさ」


 エルマの進言通り、こちらも楽しく過ごす事にしたヨシュア達だ。

それでも、二人だけでは味気ないのでシモンを誘ったのだ。


「じゃあ、お言葉に甘えて」


 というわけで、男三人のお茶会が始まった。


「シモンさん、ヨシュアは問題を起こさないでやれてますか」


「いきなりなんだよ。俺が問題児みたいじゃないか」


「実際に問題児だったろ。俺達がどれだけとりなしてやったと思ってるんだ。ちょっと離れた間に忘れたのか」


「昔の話だろ」


「家を出る数日前にもレイネと揉めてたよな」


「ぐっ……」


 完全にやり込めたところで、改めてアベルはシモンに質問をし直した。


「大丈夫、ヨシュアは良くやってるよ。一人で頑張りすぎなのが心配なくらいかな」


 何を言われるかとそわそわしていたのに、優しい言葉だったのでヨシュアは照れてしまった。


「へえ」


 おまけに、アベルがじろじろ見てくるものだから、増して顔が熱くなってくる。


「でも、こいつの女嫌いなのは相変わらずなんでしょう?」


「んー、たぶん」


 これには、シモンも歯切れが悪かった。


「やっぱりな。とりあえず問題を起こしてないって事は、外面全開で過ごしてるんだろ」


 簡単に言い当ててしまったので、幼馴染みは伊達ではないのだと思うシモンだ。


「悪いとは言わないけど、お姫様にもそれじゃあ夫婦なんてやってけないぞ」


「だから、もう俺にその気はないんだって。ティアラが男嫌いなら違っただろうけど、そうじゃないなら無理だってはっきりしたんだから」


「え? ヨシュア、もしかして婚約解消するつもりなの!?」


 初耳だったシモンは、腰を浮かせて驚いた。

こういう反応が予想ついていたので、ヨシュアはあえて今まで黙っていたのだ。


「そうなんですよ。こいつ、レスターさんにくっついて、オアシスに移ろうかとまで考えているんですよ」


 アベルが余計な事を告げ口してくれる。


「ちょっと、それは駄目だよ。え、ティアラも知ってる話なの?」


「……言ってない」


 答えて初めて、自分の何がいけないのかを理解した。

勝手に決められた婚約話でも、そのまま進めるかはヨシュアに権利があるように、ティアラにだって考える余地や言い分があるはずなのだ。


「そっか。うん、少し悪かったかも」


「ようやく反省するって事を覚えたか」


「なんだよ、アベル。その言い方はないだろ」


「いいや、あるね。ヨシュアは、相手が女だってだけで冷たすぎなんだよ。端から見てたら、時々俺でも引くくらいの言動してんだからな」


 さすがに幼馴染みは辛らつだ。


「俺だってなんとかしたいんだ」


「へえ。そう言ってるのは何度も聞いてるけど、いつだってどうにかした事なんてないよな」


 目を細めて見下されても、反論できる材料がなかった。


「よし。本当に反省してるなら、今すぐお姫様の所に行って、プレゼントを渡してこい!」


「今!?」


「そうだ。しかも、一人で」


「な、そんな!」


「そんなあ? んな事言ってるから、いつまでも克服できないんだよ。いいから、突撃してこい!!」


 好き勝手に命令するアベルは、可愛らしく包装されたぬいぐるみをヨシュアに持たせると、勢いよく部屋から追い出してしまった。

しかも、内側からしっかり鍵をかけている。

幼馴染みのやり取りにしても、遠慮がなさすぎてシモンは目が点になった。


「いいんですよ、あれくらいで。じゃないと、動けない奴なんだから」


 苦笑するアベルは、肩を竦めて椅子に座る。

その動きがやけに様になっていて、シモンは見とれてしまった。


「ヨシュアも綺麗な動作をするけど、集まる所には集まるものだね」


 妙な感心をされたアベルは瞬いた。


「ごめん、変な事を言ったね」


「いえ」


 簡単に流したものの、アベルは少し考えて口を開いた。


「俺とエルマがヨシュアと友人になったのは単純に気が合ったからだけど、長く付き合えているのは見た目もあるんだと思います」


 察しのいいシモンも、これには首を捻る。


「ヨシュアは王族ほどじゃないけどいいとこの坊っちゃんで、たいていの人が羨むものを最初から持ってたんです。ちやほやされる分、妬まれる機会も多かったみたいで。そんな中、夜這い事件が起こりました。聞いていますよね」


「うん。本人からじゃないけど、王から情報をもらってるよ」


「その後の方は?」


「ある程度は」


「そうですか。実際、かなり酷かったですよ」


 アベルは天井を見上げて、あれこれあったいざこざを思い出す。


「さっきはヨシュアにああ言ったけど、親に言われて近付く女の子も多かったから、必要以上の警戒も仕方なかったのは俺達が一番わかってるんです。何度か誘拐されかけたところに居合わせた事もあります」


アベルは、黙ってお茶を飲んでいるシモンと目を合わせた。


「俺達はあいつを守る為に学び、体を鍛えました」


 瞬間の真剣な眼差しは、すぐに笑顔にとって変わる。


「おかげで、成績はヨシュアより上位なんです」


「だから、安心して頼れるんだろうね」


 シモンが理解を示すと、アベルは頷いた。


「卑屈な要素を濃く持っている人間を、ヨシュアは信頼しません。そういう人は、ヨシュアに対して下心を持って接してくるものだと経験しているからです」


 シモンは一つの疑問に納得がいった。

十三歳で王になったファウスト並みに隙のない顔を持っているヨシュアが不思議だった。

彼もまた、それを必要とする環境にあったのだ。


「このままじゃ、ヨシュアは駄目になるってわかってました。だから、突然いなくなったのは腹が立ったけど、他国に行ったと聞いて考えたんです。何か変わるきっかけになるんじゃないかって。それに、婚約者がお姫様だって知って期待もしました」


「そうか。ヨシュアより身分が高いから、下心の心配がいらないんだね」


「はい。それに、とっても可愛い。これ以上ないお相手です」


 シモンは軽く目を伏せた。


「上手くいって欲しいな」


 ティアラの幼馴染みとしてだけでなく、ヨシュアの世話係としてもそう思う。

顔を上げてアベルと目が会えば、どちらからともなく微笑み合った。

そんなほっこりした空気を、ドアを叩く音に破られてしまった。


 誰だろうとシモンが立ち上がると、一言だけ聞こえてきた。


「入れて」


 弱々しい声音にシモンとアベルは顔を見合わせたが、ヨシュアには違いないので鍵を開けてやる。

迎え入れてもらったヨシュアは陰鬱な様子で、渡すはずの包みを未だに手にして佇んでいた。


「なんだ、一人じゃ行けなかったのか。根性ないな。しゃーない、付き合ってやるから行くぞ」


 なんだかんだと、甘くしてしまうアベルだ。

ところが、ヨシュアは上目使いで睨み返した。


「行った」


「ん?」


「会いに行った。行ったけど、エルマに追い出された」


「へ、エルマに? お前、何してきたんだよ」


「知るもんか! どうして、久しぶりに会った幼馴染みに追い返されなきゃいけないんだよ。こっちこそ教えてほしいね!!」


 ヨシュアは怒りに任せて乱暴に椅子に座り、冷めきったお茶を一気に飲み干してしまう。

それから、ぐてっとテーブルに突っ伏した。

アベルが思わず笑えば、恨みがましい視線を送りつけてくる始末だ。


「悪い」


 謝罪の意味を込めてお菓子を口に運んでやると、突っ伏したまま素直に食べた。


「アベルって凄かったんだな」


 もごもごしながらヨシュアはつぶやき、飲み込んでから理由を続ける。


「女の子にいくら拒否られても、口説きに行ってただろ。バカみたいだって今でも思うけど、めげない強さは凄いって思った」


 それで、ヨシュアが怒っているのではなく、凹んでいるのだと察する。


「俺には無理、絶対無理。意味わかんないし……」


シモンとアベルはこっそりと視線だけで生温かい微苦笑を分かち合っておいた。



 * * *



 アベルとエルマの滞在三日目。

二人は、ウェイデルンセンの伝統と歴史に深い場所を見学しに出かけた。

レスターが案内をしてくれるので、ほとんど気楽な観光気分だ。

当然、ヨシュアも誘われて参加しているが、むっすりした態度を貫いている。

見学先に入れば他者がいるので笑顔も浮かべるのに、移動となれば面白くない顔でだんまりなので、尚更不機嫌さが強調されていた。


「ヨシュア、いい加減にしたらどうだ」


 アベルが見かねて注意をしても、益々眉間にしわが寄るだけだ。


「この状況で、どうしてへらへら笑ってられるんだよ」


 ヨシュアが睨みつけた先には、ぴたりと寄り添うラブラブなエルマとティアラがいる。


「どっちも楽しそうだな。気が合ったんだろ」


「だからって、俺を無視するとかなくない!?」


「なら、直接エルマに言えよ」


「そう……だけど」


 アベルはため息をついた。

昔から、ヨシュアはエルマに怒られると弱気になる。

そして、いつも最後はエルマの方から歩みよって和解するのを繰り返してきた。

滞在期間が短いのに仲違いするのは、アベルにも理解できないが――。


「どうしたものかな」


 アベルが再びため息をついた頃、一行は城下町を見下ろせる公園に辿り着いていた。

レスターはアベルとエルマを手招きして、眼下に広がる町並みを眺めながら特徴的な地形と風土の解説を始めた。

ヨシュアはと言えば、離れたベンチから情けなく眺めているしかなかった。


「俺が何したって言うんだよ」


 思わずつぶやくと、視線の先のエルマにべったりなティアラが不意に振り返った。

ドキっとしたものの、すぐに苛立ちに変わる。

ティアラは、いーっと、おもいっきりしかめ面を投げて寄こしたからだ。

それが妙に気に障って、ヨシュアは我慢の限界に達した。


 すくっといきなり立ち上がると、一直線にティアラに向かって歩きだし、腕の届かないぎりぎりの距離でぴたりと止まる。

向かってくるなんて考えてなかったティアラは、目を丸くした。

何を言われるかのと身構えていたら、ヨシュアは微妙に向きを変えて、ティアラがずっと組んでいる腕を手刀で叩き割る。

そして、ようやく空いたエルマの腕を掴んで歩き出した。


 あまりに唐突な行動に、誰もがヨシュアのする事を見守るしかなかった。

姿が見えなくなった頃、レスターが呆れたままつぶやいた。


「ヨシュアでも、やきもちを焼くんだね」


 一方、連れてかれたエルマは、いつまでも呆然としていなかった。

みんなの姿が見えなくなった頃を見計らって、腕を振って掴まれた手を切り離した。


「連れてくる相手を間違ってるんじゃないのか? ヨシュアは、もっとティアラと話し合うべきだ」


 毅然とした態度をとったが、ヨシュアも負けじと言い返す。


「そんなのわかってる。けど、間違えてないからな。どう考えたって、今はエルマと話す方が重要だ」


 言い募るヨシュアは真剣で、エルマの方がたじろいでしまった。


「エルマ達は明日帰るんだろ。なのに、どうしてだよ。会えて本当に嬉しかったのに。……勝手にいなくなったから、もう俺なんかどうでもよくなったのか」


 子犬のような目で見つめてくるヨシュアに、エルマはついついほだされた。


「そんなんじゃないよ。僕がヨシュアをどうでもいいなんて、思うはずがないだろ」


「だったら……」


「だからこそだよ」


 ヨシュアは怪訝に見つめ返す。


「僕はヨシュアに幸せになってもらいたい。だから、ティアラと仲良くしてほしいんだ」


「そう言ってくれるのは嬉しいけど、結婚するだけが幸せじゃないよ。エルマだってそうだろ」


「あのさ、ヨシュアは過剰な女嫌いの自分が好きじゃないよね」


「それは……」


 ヨシュアは言い訳をさせてもらえなかった。


「だから、身なりを誤魔化しても、女だってわかりきってる僕を突き放したりしなかった。本来のヨシュアは、そういう優しさを持ってるんだ。そんなヨシュアが望んで結婚出来たなら、絶対幸せに決まってるよ」


「……だからって、ティアラが相手じゃなくたっていいだろ」


「へえ、そんな事を言うんだ」


 怪しく目を細めたエルマは、打って変わって冷たい視線を送りつけてきた。


「これまで散々な目に遭ってきたヨシュアに下心がないと確信させて、尚且つ卑しいと思わせないでいられる女の子がお姫様以外にいると思う? 女性不信で態度が悪くて面倒な性格のヨシュアに対して、まともに相手をしてくれるお姫様が、そこらにごろごろしてると思うの?」


「う゛……」


 言葉を詰まらせるヨシュアに、エルマの方がため息をついた。


「別に、無理に好きになれとか言わないよ。ただ、そういう可能性を考えるくらいはしてみろって言ってるの」


 諭されたヨシュアは、面白いほどしゅんとしていた。


「可能性を考えるのは、正直難しい。けど、話し合いが必要だとは思ってる」


「なんだ、少しは成長してるのか」


 気付いたのは昨日の話だったが、そこはなけなしの自尊心で黙っておく。


「だから、エルマは余計な気を回さなくていいんだよ」


「でも、ティアラを怒らせた理由はわかってないんだろ」


「う゛……」


「余計なお世話だろうけど、教えてあげる」


 そうして、エルマは妙な話を始めた。


「実は僕、ウェイデルンセンに来る道中で事故に巻き込まれたんだ」


「え!? ちょっ、大丈夫だったのか? アベルは何も言ってなかったぞ。どうして、早く教えてくれないんだよ!」


「見ての通り、無事だから。平気なのに、わざわざ教える必要もないと思ってね。僕はこうしてぴんぴんしてるんだから、ヨシュアが心配なんておかしいだろ」


 突拍子もない調子に面食らったヨシュアは、戸惑いながらも既視感を覚えた。

それが何かを思い出して、エルマが伝えたかった意味を理解した。


「あいつとは、エルマみたいな関係じゃないよ」


 理解はしたけど、騙された気分のヨシュアはぶすっとしている。


「相手が男だったら、関係ない人が通りすがりに心配してくれただけでも感謝の言葉くらい出てくるだろう」


 ヨシュアは顔を背けて答えなかった。

答えなかったが、反省はしていた。


「まあ、お姫様と一緒になって怒ってたのは悪かったよ。僕だって、貴重な時間を仲違いしたままは嫌だからね」


 エルマの謝罪を合図に、お決まりのこぶしのぶつけ合いで和解をした。



 * * *



 アベルとエルマの滞在四日目。

二人は朝早くに、ウェイデルンセンを出立する予定になっている。

ティアラとシモンが見送りに、城門まで付き合っていた。


 仕入れた荷物は後から別便で配送の為、アベルもエルマも身軽だった。

そして、ヨシュアもまた、身軽な旅支度をして見送られる側にいた。

興味があるなら、オアシスまで同行しないかとレスターに誘ってもらったからだ。

もちろん、ティアラも承知しているはずなのに、さっきから物問いたげな気配をヨシュアは感じている。


 どうしたものかと思っていると、横からエルマにつつかれた。

それで、仕方なしにティアラに足を向ける。


「……」


「……」


 何も浮かばないヨシュアを前にして、ティアラは黙って見つめているだけだ。


「えっと、アベルとエルマを送ってくるから」


 散々ためらった挙げ句に出てきたのは、既に知っている意味のない報告だった。

それでも、ティアラは少しだけ気が収まった。

必要もないのに、わざわざ声をかけてくれた事が貴重だったから。


「いってらっしゃい」


 ぽそっとヨシュアに返すと、ふいとエルマの元に向かって行った。

うるさい事にならなかっただけ安堵したヨシュアは、帰ったら今度こそぬいぐるみを渡そうと決意した。


 間もなく別れを惜しみながら城を出立した一行は各々で騎乗して一気にウェイデルンセンの端まで駆け抜け、ボミートの国境で一泊とする。


「あー、体だるい、尻が痛い」


「ヨシュア、優雅なお城暮らしで鈍ったんじゃないのか。これじゃあ、先々が心配になってくるな」


 同室のアベルが、疲労困憊のヨシュアに情けないと茶々をいれてきた。


「大丈夫だよ。帰ったら鍛えるから」


「へえー」


「なんだよ」


「帰ったら、ね。すっかりウェイデルンセンに馴染んでるなと思って」


「そこしか居場所がないだけだ」


 足を揉んで疲労を緩和させていた手を放棄して、ヨシュアはさっさと布団に潜り込んで話を終わらせた。



 * * *



 城を出立した翌日。

宿泊した施設に馬を預けて、レスターは歩いて行くと告げた。

ここからボミートを抜けるには、馬を走らせて六日はかかる。

それを徒歩でだなんて無謀もいいとこだが、レスター相手では迂闊な反論になりそうでそわそわしていると、察したレスターがにこりと微笑み説明してくれた。


「ここからは船で行くんだよ」


「船?」


「シンドリーの海まで流れている川があるだろう。その上流が近くにあるんだ」


 川下の海辺に住んでいたヨシュアには、陸地で船の発想がなかった。


「川下りなんて初めてです」


「それはいいな。楽しいぞ、スリルがあって」


「スリル?」


 その悪魔な微笑みの意味は、乗船期間の三日間で存分に堪能できた。


「わっ!」


十人も乗れば限界の船は、川の流れに沿って下っていく。

景色はいいが、スピードが半端ないのと、時折、ぎりぎりで岩肌をすり抜ける大迫力で、ヨシュアはいちいち声を上げていた。


「兄ちゃん、さっきから楽しそうだけど、初めてかい?」


 見ず知らずの隣のおじさんに声をかけられる。


「はい、そうです。川って、こんなにスリルがあるんですね」


 強ばったまま答えれば、会話が丸聞こえな船内に笑いが広がった。


「そりゃ、そうさ。なんたって、ドキドキハラハラ・刺激的超特急が売りの船だからな」


「え、普通はこうじゃないんですか」


「普通も何も、向こうに主流の大河があるからな。あっちじゃ、ゆったり楽しむ豪華船ツアーが人気らしい。まあ、男なら断然こっちだろ。早いし安いし、何よりスリル満点だ」


 ヨシュアはすぐさま後ろを振り返ったが、全員が目を合わせずに笑いを堪えていた。


 荒々しい船旅は、寝る為だけに停泊し、早朝から急流に身を任せるしかない行程だ。

こうして、いろんな意味で優しくない波に揉まれたヨシュアは通常の半分の期間でオアシスに辿り着いた。

だが、その代償として、しっかりと船酔いに直撃されている。


「うう、まだ揺れてる」


 ふらふらと歩くヨシュアを尻目に、レスターはてきぱきとすぐにも移動を始める様子だ。


「しゃきっとしなさい。早くしないと、間に合わなくなるよ」


「何かあるんですか」


「聞いてないのか? 今日は年に一度の闘技会だ。これが見たいから、急流を選んだんじゃないか」


 さも当然のように言われても、ヨシュアには全く聞き覚えがない。


「闘技会……さては、エルマだな」


 線の細い外見と温和な性格に反して、エルマは泥臭い格闘技を好む。


「ヨシュアだって、一度は見たいって言ってただろう」


昔、エルマとそんな会話をしたのは覚えているので文句は言わず、船酔いが落ち着く間もなく寄り合い馬車に乗り込んだ。



 * * *



「おー、すごい熱気」


 一行は賑やかな闘技会の会場に着いていた。

頬を上気させて辺りを眺めているエルマに対して、アベルはあまり嬉しくなさそうだ。


「汗臭いし、暑苦しい。観戦するなら、女の子がいるとこにしようぜ」


「試合によっては特等席を用意してやれるぞ」


 オアシスの顔役であるレスターが太っ腹な事を言ってくれる。


「レスターさんはマッチョな男とかどうですか」


「強い者に興味はあるが、暑苦しいのは好みじゃないな」


 懐を探るようなアベルの質問に、案外素直な答えだった。


「じゃあ、レスターさんの目に留まる人ってどんな感じなんですか」


「なんの話だ?」


「ヨシュアが言ってましたよ。レスターさんには特別な相手がいるって」


 会話を聞き流していたヨシュアは全身に殺気を感じた。

恐る恐る振り向けば、レスターが満面の笑みで怒りを示している。


「あーっと、プログラムとか、どうなってるんですかね」


 明らかな誤魔化しに、話を掘り下げたくないレスターは眉間をしかめただけで乗っかった。


「少年の部が終わる頃だろう。合間に演武なんかを挟んで、午後からがメインだな」


 近くで売っていた新聞をレスターが購入して、幼馴染み組に広げて見せる。

闘技会は会場がいくつかあり、各々で規定が違う。


「うちのは純粋に腕を競うというより、力を見せるのが目的だからな。出場するのは大半が護衛や用心棒稼業の奴らだ」


 だから、得意分野で試合を分けているらしい。


「お、二十五歳以下で一般飛び入り参加可能だって。ヨシュア、お前出てみろよ」


 アベルが気楽にけしかける。

船酔いから立ち直ったと言い難いヨシュアだが、意外にも考える間もなく頷いた。

それでも冷静な判断だと言える証拠に、参加条件を一通りしっかりと確認している。


「受付の締め切りが近いから、先に行ってくる」


「おう、いってらー。後で応援しに行くからな」


 ぶんぶんと手を振るアベルの横で、レスターが目を丸くしてヨシュアを見送った。


「率先して大会に出る性格には見えなかったのにな」


「ああ見えて、かなりの負けず嫌いですよ。道中に鈍ってるって、からかってやってたのもあると思いますけど」


「もしかして、二人はそれを確認しにきたのか」


 アベルはエルマと目を合わせると、素直に認めた。


「俺達がヨシュアの顔を見たかったりのは本当です。仕事はその条件なんです。ただ、ミカル兄が、家を出て気が緩むのを心配してました。俺としては少し緩むくらいが丁度いいって思うんですが、無防備になりすぎるのは為にならないって」


「なるほど。そういう事情なら、とっておきの席を用意しよう」


 出店で飲み物とポップコーンを手に入れた三人は、見通しのいい関係者用テントで観戦を決め込んだ。

司会者がルールを説明していて、観客席は雑談で賑わっている。

三人は選手用の控えテントの端で念入りな準備運動をしているヨシュアを見つけた。


「出番はいつだろうな」


 エルマがそわそわしているので、レスターはオペラグラスを渡してやる。


「あちらに対戦表が貼られているはずだ」


 見れば、山型の勝ち抜き表に二十人ほどの名前が並び、ヨシュアの名前は真ん中にあった。


「ところで、ヨシュアは平時でも強いのか」


 レスターは緊急事態に強い者が、普段はてんで役に立たない例を知っていた。


「んー、弱くはないです」


 消極的なアベルの表現に、エルマが補足する。


「試合でのヨシュアは、勝つつもりではなく、負けないという姿勢で臨むんです」


「らしい気はするが、見応えは期待できなさそうだな」


「見る分には面白いですよ。弱腰なのにやられないですから。可哀想なのは対戦相手です。ヨシュアは本番の試合だろうと自己防衛鍛練の一環としか考えてないので。それも、相手の力を利用して反撃するスタイルだから、対戦者はかなりイライラさせられるんです」


 僕も何回腹が立った事か、とエルマが思い出し怒りをしている間に試合は始まった。

出場者は、見るからに腕に覚えありと自信に溢れる者ばかりのようだ。

参加者の年齢が若いせいか、観客席には女性も多い。

格闘技にあまり興味のなかったレスターだが、マニアなエルマが解説してくれるので楽しんで観戦していられた。


「お、きたきた」


 いよいよ、ヨシュアの登場だ。

ヨシュアは人前だろうと緊張や興奮の様子もなく、肩をゆったりと大きく回してほぐしている。

名前を呼ばれて試合場に上がってもすぐに始まらないのは、直前まで暗黙の了解で賭けを行っているからだ。

対戦相手は道着を身につけ、がっしりとした圧倒的な体格差がはっきりとある。

会場を窺う限りでは道着男の方が圧倒的に人気なようで、女性人気という点においてはヨシュアがやや有利だった。


「どっちが勝つと思う?」


 レスターが興味本意で聞いてみれば、幼馴染みは揃って即答した。


「「ヨシュア」」


「ほう、根拠はあるのか」


 説明はエルマが手振りでアベルに譲った。


「ルールがヨシュアに合っているからです。この試合は場外に体をつけるか、降参するか、倒れ込んで三秒で起き上がれないと勝敗が決まる。時間制限やポイント制だと判定負けが多いんですけど、今回みたいなルールだと、倒れないヨシュアに分があります」


「相手は関係ないのか」


「いいえ、それも関係してるからヨシュアが有利なんです。道着からしてどこかの流派なんでしょうけど、同世代で型に嵌まった動きをするようなら、日々実戦のヨシュアに敵うわけありません」


 アベルが気負いなく語った通り、軽く様子を見てから、ヨシュアは難なく場外に突き飛ばしていた。


「やるねえ。これで優勝でもするようなら、ディナーを豪華にしてやってもいいな」


「……レスターさん。残念ながら、ヨシュアに優勝はないんです」


「どうしてだ?」


「試合は嫌いじゃないくせに、目立つのは嫌だからって、準決勝くらいで上手く負けますから」


 エルマに教えられて、レスターは考える。


「自分から器用貧乏に成り下がってどうするんだろうね」


 長年のもどかしさにぴたりと嵌まる表現に、アベルとエルマは吹き出した。


 トーナメントは順調に進み、回ってきたヨシュアの二戦目は、これといった特徴のないそばかすの若者だった。

ゆっくりと体をほぐすヨシュアと反対に、対戦相手はぴょんこぴょんこと忙しなく何度も跳ねながら体を暖めている。


「次はどうだ?」


 今度もレスターは尋ねた。

しかし、アベルはすぐに答えず首を捻る。


「あの兎男、さっきどうやって勝ったっけ?」


「場内を目一杯使って仕掛けまくって、最後は見事な回し蹴りで決めた」


 エルマはしっかり覚えていた。

それでも、勝敗に関しては少し考える。


「まだ、この試合じゃ負ける気はないはずだけど、いい勝負になるかもな」


「始め!!」


 審判の合図と同時に、兎男が前に出る。

ヨシュアは最初から距離を取る姿勢だったので避けきるが、その割りには距離が開かなかった。

そんな一手から間髪入れずに、兎男は次々と大技を仕掛けては距離を詰める。


「なかなか、いい勝負じゃないか」


 レスターは関心して観ていたが、アベルとエルマはミカルの心配通りに鈍っていたと報告はしたくなくて、内心では緊張しながら見守っていた。


「あ」


 兎男が踵落としを仕掛けたところで、エルマが小さく声を上げた。

ヨシュアはそれもしっかり避けているのに、エルマの眼差しがきつくなる。


「どうした」


 アベルがささやき尋ねると、耳打ちで返される。


「床を見てみろ」


 示された箇所には、真新しい傷がついていた。

ただの踵で凹むはずのない木製の試合場だ。

レスターに二人の会話は聞こえないものの、ヨシュアの雰囲気の変わり様で察した。


「暗器か」


 つぶやくレスターに、アベルとエルマはぴくりと反応してしまう。


「当たりのようだね。さて、この対戦を中止させるか」


 立ち上がった責任者を、幼馴染みは二人して引き止めた。


「大切な友人ではなかったのか」


 レスターの不信感に、アベルは言葉を選んだ。


「だからこそ、これくらい自分でやり込められる力量を確信して帰りたいんです。俺達の知っているヨシュアは、それくらい出来る奴だから。それに……」


 アベルは武器に手をかけていた。

最悪は、外野として乱入する事態も想定しているのだ。


「その心配は必要なさそうだけどね」


 エルマの言葉で試合に目を向ければ、兎男が空振った勢いを利用して、無駄のない蹴りで場外に飛ばしていた。


「害意のある相手に、ヨシュアが負けるはずないよ」


 エルマは嬉しそうに言い切った。


「じゃあ、ついておいで」


 レスターは、アベルとエルマを昔から知っている親戚のように扱った。

戸惑いながらも追ってくる二人に、歩きながら説明をしてやる。


「兎男を確保する必要がある。本部で身体検査をした奴もだな。ついでに、ヨシュアを回収する。次で負ける予定なら構わないだろう」


 言い分に納得はできるものの、アベルとエルマには腑に落ちない疑問があった。


「ウェイデルンセンにいるヨシュアが狙われる心当たりがありますか」


 エルマの質問に、レスターは振り返らない。


「調査中だ」


「それは、本気でやってくれていると捉えていいんですよね」


 急によそよそしい口調になられて、アベルは突っかかってしまう。

レスターはちらりと視線を送っただけで、そのまま放置で運営の役員と大人の話を始めてしまった。



 * * *



「あれは、俺を狙ったんだろうな」


 試合に勝ったヨシュアはレスターに言われるまでもなく、さっさと本部に棄権を申し出ていた。

対戦相手の踵と手袋に仕込みがあったのは試合中に確認できた。

純粋に勝ちたいだけで、非常な手段に出たとは考えにくい力量だった。

そのくせ、背筋が凍る程の危機感は感じなかった。

命を狙った後にこれでは脅しにもならないので、サイラスの差し金ではありえない。

つまり、首謀者は別にいるという事だ。


「あー、気持ち悪いな」


 ヨシュアは試合中に預けていた脇差しに手をかけたまま、ゆったりした歩調で会場を離れる。

視界ぎりぎりに兎男を入れて、後を追っていた。

元凶を断たなければ、いつまでも狙われる心配が尽きない。


 静かな林に入り、特徴的な木の前で兎男は立ち止まった。


「出てきたらどうだ、スメラギの坊っちゃん」


 気に障る呼ばれ方で、スメラギ家か商会に恨みを持つ者だろうと推察する。

但し、その手の恨みはいくらでも心当たりが浮かぶので、根本を断つにはもう少しはっきりさせたかった。


「どんな奴かと警戒していたが、一人でつけてくるとは大したお坊ちゃんだな」


 兎男が指を鳴らすと、十人程度の男達が現れた。

ヨシュアは焦る事なく神経を巡らせる。


「ずいぶん余裕だな。試合では負けたが、場外さえなければお前は勝てないさ」


 場外の問題ではなく、人数の問題だと思うが、今は反論しないでおく。

罠を承知で付けていたのだから。


「だったら、こちらも人数を増やしても文句はないだろう」


「寝ぼけてるのか? どこに、そんな奴がいる」


「リラさん」


 ヨシュアが名前を呼ぶと、木の上からすとんと女性が現れた。

ウェイデルンセンの警護官であり、以前、王の命令で迫ってきてパニックを起こさせたその人だ。

オアシスに着いてから、ずっと付けられていて、かなり気分が悪かった。

それでも、こうして戦力になるのだから有り難く思ってもいいはずなのに、味方に向ける表情にしては険しくなってしまう。


「これも、お仕事だからね」


「理解してます。当てにしていいんですね」


「もちろん。命令とは言え、この前の事は悪いと思ってるのよ。だから、護衛に立候補して出張して来たんだから」


 パン、と乾いた手のひらを打って、兎男が会話を止めた。


「えらく大切にされているじゃないか。だが、女一人増えたくらいでどうにかなると思っているのか」


 相手は兎男を入れて十三人、半分になっても厳しい。


「お前じゃ話にならない。ご主人様を呼んでこい」


 あえて、ヨシュアは挑発に出る。


「やっぱり賢くはなさそうだな。お前は、ここで全身ボコられておしまいだ」


 鳴らした指を合図に、男達がいっせいに襲ってきた。

ヨシュアは、未だに出てこない首謀者に舌打ちをしていた。



 * * * 



「なーんか、どっかで見た気がするんだよな」


 オアシスに精通するレスターの案内で、アベルとエルマは確実にヨシュアの所へ近づいていた。

急ぐ道中なのに、さっきからアベルはどうにも首を捻りながら何かに引っかかっている。


「それって、兎男の事? 僕に覚えがないのに、格闘に興味のないアベルに心当たりがあるわけ?」


「だよな。でも、どっかで見た気がするんだよな」


「あの男、シンドリー出身なんじゃないのか」


 レスターの一言に、ぽんとアベルは手を打った。


「だよ、だよ! 思い出した。この前、商会の使いで寄った酒場で見たんだ」


 すっきりして緩むアベルに、エルマは眉間を険しくした。


「アベル、それ当たりだよ。レスターさん、すみませんでした。今回の件、ウェイデルンセンは全く関係なさそうです」


 エルマの視線の先には、スメラギ商会で取引きのあるシンドリーの中規模商人がいかにも怪しく身を潜めて話している。

おまけに、少し先から喧騒も聞こえてきた。

レスターは小さく息を吐いた。

どうりで、杜撰な仕掛けの割りに、いくらオーヴェを探っても犯人の見当がつかないはずである。


「こちらに任せてもらってもいいですか」


 エルマが念の為に確認をとる。

この状況を自分達で処理できないようでは、戻った時にミカルに何を言われるかわからない。

レスターから同意を得たスメラギ商会の二人は、関節を鳴らして締め上げ体勢に入った。



 * * *



 エルマ達が首謀者と遭遇したとは知らない戦闘中のヨシュアは、久々に体を動かず楽しさを味わっていた。

人数に圧倒的な差があっても、かかってくるのは素人同然の実力だった。

相手はむさ苦しいおじさんばかりで、共闘してくれているリラの能力が予想していたより高いこともあって、ヨシュアはだいぶ余裕がある。


「っち、役に立たないな」


 腕を組んで、高みの見物をしていた兎男が舌打ちをする。

ようやく自分も参加する気になったらしく、ぴょんこぴょんこと準備運動を始めた。


「残りは引き受けるから、そっちに集中していいよ」


 リラの方もしっかり余裕だ。


「はん。女に援護されていい気なもんだな。ボコボコにしてやるから、かかってこい」


 兎男は上から目線で手招きで誘う。

ヨシュアは挑発に乗って、自分から攻撃を仕掛けた。

脇差しの刃を返して、峰の側で振りきる。


「余裕のつもりか? これだからお坊っちゃんは」


「それは関係ないだろ」


「いつまでも余裕ぶっこいてろよ。そのお綺麗な面を、ずたずたにしてやるからさ!」


 兎男が攻撃に回った。

やはり鋭い殺気は感じられないが、峰打ちにしてくれる配慮はない。

異様な執念で、執拗に顔を狙われる。


「しつこい! 俺は、お前に何かした覚えはない!」


「お前になくても、こっちにはあるんだよ!!」


 口を開く度に、兎男の攻撃が重くなる。

勢いに任せて原因まで教えてくれそうなので、そのまま調子に乗らせておく。


「振られた腹いせとか言うなよ」


 自分が思う一番遠い可能性で様子を探る。

すると、兎男の攻撃がぴたりとやんだ。


「ああ、そうだ。振られたんだよ。ずっと前からアピールしてたのに、誰とも契約しないってつっけんどんだったのに。なのに、どうしてスメラギが独占している!?おかしすぎるだろ!!」


 契約と言われてティアラを思い浮かべたが、どうにも違和感が残る。


「なんの話だ?」


「なんの話だあ!? とぼけんな! 神の雫に決まっているだろ!!」


「……って、酒?」


 たいそうな名前だが、要するに酒呑み狼に献上される御神酒だ。


「酒? って!! バカか、お前は。ウェイデルンセンの酒は、他にはない製品なんだぞ。澄んでいながら深い味わいがあって、芳醇で香り高い幻の銘酒なんだ。それが、どうして、古い・デカイ・偉そうなだけで、なんの思い入れもないスメラギ商会が契約してるんだ!!」


 兎男は土埃を立てて憤慨していた。

その悔しさは充分すぎる程伝わってくるのに、ヨシュアにしてみれば、とんだ逆恨みのとばっちりだと判明したにすぎない。

いや、とばっちりなのは最初からわかっていた事だ。

そうじゃなかった場合など、一度もないのだから。


「たまたま留学生として受け入れてもらったとか聞いたが、どうせ、その顔で取り入ったんだろ。あの鬼畜商会なら、自分の息子だろうと人身御供にするのに躊躇はしないはずだ」


 ヨシュアは反論したかった。

しかし、だいだい当たっているので返す言葉が見つからない。


「その面、二度と使えないよう、ぎったんぎったんにしてやる。覚悟しろ!」


 兎男は初めて殺気に近い怨念を込めてかかってきた。

原因がはっきりしたので、もう手加減するつもりはない。

ヨシュアは腰を落として迎え撃つ体勢になった。


「そこまでだ!!」


 誰も従う必要のない突然の命令に、騒然とした空気が静まる。

条件反射のように、相手を選ばず従わせる人物に心当たりがあった。


「レスターさん」


 すぐ後ろには、縄で縛り上げた男達を連れたアベルとエルマもいる。


「リラは汚名返上できたようだね」


「はい、おかげさまで」


 リラは半ば遊んでいた最後の雑魚を盛大に蹴り飛ばしてから、笑顔で答えた。

頷き返すと、レスターは兎男に向き直った。


「お前はシンドリーの酒問屋の仕入れ担当だね。この際だから説明してやろう。神の雫は神饌のおこぼれだ。量があるものでもないから、取引は個人単位でしかしない。欲しけりゃ、自分で伝手を見つけるんだな」


 兎男は素直に納得をするような性質ではなかった。


「嘘だ! スメラギは大きな商会じゃないか」


「運送の関係で商会を通しているだけだ。契約自体は個人の範疇だ。スメラギ商会のトップが、王の個人所有する酒蔵分を取引しただけの話だよ。シンドリー王家の結婚記念日に、親しい者と祝うだけの分量だ。なんら、やましいところはない」


 王様だろうと、個人所有をどうしようが自由だ。

どれだけ契約の裏側に様々な思惑が絡んでいようとも。


「だったら、俺にも王を紹介してくれ。それなら構わないんだろ」


 ここで、まさかの売り込みだった。

そこまでして、カミのおこぼれが欲しいらしい。

頼まれたレスターは鼻で笑った。


「個人経営の酒場から恐喝して仕入れた銘酒をやり取りするような問屋なんか、王に会わせられるわけがないだろう。他にも、強盗紛いの行為で入手する事もあるらしいな」


 兎男は青ざめた。


「この情報は、ウェイデルンセン全土の酒蔵や酒場でに伝えておくよ」


 判決を下したレスターは正に女王だ。


「さて、後の始末はスメラギに任せよう」


 アベルとエルマは頷いた。

これで、誰もが終わりだと考えて一息ついていた。

だが、容赦ない仕打ちを受けた兎男だけは終わってなかった。


「お前が黙っていれば、済む話だろ!!」


 叫ぶと同時に、レスターに襲いかかっていた。

弁舌では誰にも引けをとらないレスターだが、格闘においては極普通の女性でしかない。

向かってくるのは見えていても、全く動けなかった。

駄目だと思って目を閉じる瞬間、カミに助けを求めてしまう。

この上なく無意味だと知っているはずなのに。


 数拍おいても、レスターは不思議なくらいに痛みがなかった。恐々と目を開けてみれば、至近距離で物凄い形相の兎男が睨みつけている。

それ以上近付いてこないのは、後ろからヨシュアが羽交い締めで抑えているからだ。


「早く、に、げて」


 慌てて下がると、ヨシュアは体を捻り、地面に叩きつけるように投げ飛ばした。

兎男は受け身をとって、低い姿勢からの攻撃に移る。

ガン、ギンと力業でぶつかる刃物の音が響く。


「女に弱いって噂は本当らしいな。もっといい女を紹介してやるから、こちらに横流ししろ」


 この期に及んでも、兎男は酒に固執する。

それほど拘るくらいならまともな交渉で手に入れるのも可能な気がするが、親切に指摘する義理はないし、レスターを色んな意味で敵に回したので、どっちみちウェイデルンセンで活路を見いだすのは無理だろう。


「逆恨みのくせに、往生際が悪すぎるんだよ!!」


 ヨシュアは刀を弾き飛ばし、兎男のバランスを崩した。

すかさず膝蹴りを食らわせて体勢を崩したところに素手で何度か殴り付け、最後は綺麗な回し蹴りで決めてみせた。


「無防備な人間に襲いかかる奴なんかと、取引するわけないだろ」


 伸びて倒れた兎男に言い捨てると、ヨシュアはレスターに駆け寄った。


「大丈夫ですか」


「ありがとう、ヨシュアのおかげでなんともない。お前は本当にいい男だね」


 率直な賛辞だったが、ヨシュアはつい身を引いてしまった。

その反応に、レスターはきっちり言い直す。


「ヨシュアは本当に無駄にいい男だね」


 無駄に、と付いただけで評価はがくんとマイナスになった。



 * * *



「あー、気持ちいー」


 風になびかれて、どこにも緊張感のないヨシュアが立っているのは客船の甲板だ。

もちろん、行きに使った急流ではなく、主流の安定した船旅だ。

船内で寝泊まりするので、急流と半日も変わらない日程でウェイデルンセンに到着する。


「これで、アベルもいたら最高なのにな」


 同じ気持ちのエルマは苦笑した。


 オアシスのとばっちりな騒動により、一行は後始末の為にばらばらに行動する事になった。

レスターはオアシスに残って運営の見直し作業に入り、スメラギ商会としては悪徳酒問屋をロルフに裁いてもらう為、シンドリーに連行しなければならず、同時にウェイデルンセンにも報告する必要があった。

そこで、アベルがシンドリーへの護送の方を引き受けてくれた。

リラは護衛が任務なのでウェイデルンセン組として行動していて、今近くにいないのは対象となるヨシュアが一向に軟化しないからだった。


 ボミートとウェイデルンセンの国境近くで下船すると、そこから馬を走らせれば薄暗くなった辺りで城に辿り着く。

薄闇の中、見慣れた真白い城が見えてくると、ヨシュアは帰ってきたのだと安堵する気持ちが湧いてきた。

あれだけ他に居場所がない、仕方ないと自分にも他人にも言い切っていたはずなのに。


「先に連絡はしてあるけど、どう判断するかは王の御心次第。しっかりね、エルマ」


「はい、リラさん。ありがとうございます」


 ヨシュアと距離を置いていたリラは、いつの間にやらエルマと仲良くなっていた。


「天然たらしめ」


 幼馴染みの立場として面白くないヨシュアは、ぼそりと嫌みをつぶやく。


「ヨシュアには言われたくないね」


 エルマは痛くも痒くもない様子で言い返した。

これがアベルだったら、むしろ喜んでいるところだろう。

どちらにしても、長い付き合いの二人に嫌みは通じない。


 門番に挨拶をして、王にどう報告するべきかを思案していると、玄関ホールまで出迎えに来ているシモンを見つけた。

隣にはティアラも並んでいる。

こちらに気付いたシモンは、いつもの和やかな笑顔の中にほっとした気配を忍ばせて手を振ってくれた。

遅れて気付いたティアラは、一直線に駆け出してくる。

エルマと感動の再会をするのだろう。

綺麗なものが好きなアベルなら、絵になると喜びそうだ。


 なんて、ヨシュアが他人事に考えていると、ティアラの視線が自分に固定されていて驚いた。

その途端に、直立したまま体が後ろに下がりたがる。

体当たりされる!

と、恐怖を感じる勢いのティアラだったが、実際には腕を伸ばしてもぎりぎりで届かない範囲で立ち止まった。

目を見開いて硬直していると、大きな瞳にじっと見つめられる。


「あっと……ただいま」


 他にないのかとエルマから無言の重圧を感じながらも、ティアラは「おかえりなさい」と返してくれた。


「怪我はしてないの?」


「全然、大丈夫」


 打ち身の青タンや小さな擦り傷は怪我の内に入れていない。


「それなら良かった」


 ティアラは触れられないもどかしい距離を保ったまま、組み握った自分の両手にほっとした気持ちを吐き出した。


「本当に良かった」


 ティアラは顔を上げると、再びヨシュアと目を合わせて喜んだ。

自然とほころんでいるよう見えて、それほど心配されていたのが自分なのだと察するなり、内心かなりの動揺をした。

さらに追い討ちで、脇からエルマにつつかれる。


「ここは、感動して思わず抱擁するところだろう」


 女嫌いなヨシュアには無茶振りすぎる要求だった。

それでも、歩み寄る必要性は自覚しているので、かなり頑張ってぎこちなく右手を差し出した。この通り無事だという証明と、心配してくれてありがとうと感謝を込めて。


 しばらく出された手を見つめるだけのティアラは、指先で確かめるようにつついてから、最後には両手で包むように握りしめた。

むずむずしてたまらなかったが、暖かい手をヨシュアから払い退ける事はしなかった。


 ティアラの気が済むのを待ってから、ぎこちないヨシュアを生暖かい目で見守っていた一行は、のんびりせずに王の元に向かった。


「ご苦労様、大変だったようだな」


 ファウストはゆったりした応接間で出迎えてくれた。

怒っているのか呆れているのかは、王様仕様なので判断できない。


「簡単な報告はレスターから聞いているが、直接説明をしてもらいたい。オズウェル・エルマ殿、お願いできますね」


「はい」


 王はリラにも同じく言いつけたが、なぜかヨシュアの名前は出てこなかった。


「あの、ファウスト王。私はどうしたら……」


「お前には、ティアラと一緒に山守への報告を任せる」


 山守?

と考えたのは一瞬で、つまりはカミに呼び出されたのだと理解した。



 * * *



「よく無事で戻ってきたな」


 意外にも、口の悪いカミは全うな労いの言葉をくれた。

が、それを素直に受け取るべきかは別問題だ。

大きな口を閉じ、唸りもせずに見つめられれば、感情を読み取るのは難しい。


「この度は、レスターさんを巻き込んで申し訳ありませんでした」


 ヨシュアの方から焦点になる部分を切り出した。

先手必勝の作戦だ。

まともに威嚇をされたくないので、深く頭を下げて視線も合わせない。

ところが、うんとも寸とも響いてこない。

顔を上げれば、カミは剥製のように姿勢が変わっていなかった。


「お前みたいなちんちくりんの、どこら辺がいい男に見えるんだろうな」


 それはヨシュアの方が聞きたかった。

一体、レスターはどんな報告をしたのだろう。


「レスターを守ったらしいな。礼を言っておこう」


 あまりの素直さに、相手がバカでかい狼なのも忘れて、まじまじと見つめてしまった。


「あの、そもそもはスメラギのトラブルに巻き込んだからなんですけど」


 だからこそ警戒していたし、先手必勝で謝ったのだ。

なのに、カミは全く唸る様子がない。


「逆恨みされた方を責めてどうする。どうせ、レスターの方から警戒心なく騒動に近付いたのだろう。あいつは弱いくせに、黙っていられない質だからな」


「……」


 種族の問題は置いといて、ティアラの言っていた通り、カミはレスターを想っているのだと沁みて感じた。


「なんだ、なんで黙る?」


 まあ、この反応ではカミに自覚はないようだが。


「レスターさんから伝言を預かってきました。すぐに戻るから、ティアラに手を出したら承知しないからね! だ、そうです」


「相変わらずだな。それしか言う事はないのか」


「今度会う時は、もう少し率直に優しい言葉をかけてあげたらどうですか」


 カミの為ではなく、お世話になってるレスターの為にお節介をしてみる。


「ふん、余計なお世話だ。だが、面白い奴ではあるな。お前とは長い付き合いになりそうだ」


 何を考えたのか、カミは的外れな返答を寄越した。

どこか機嫌が良さそうに聞こえたので黙って受け取ったが、ヨシュアにその気は全くない。

今すぐにでも、関わり合いをなかった事にしたいくらいなのだから。


 精神的なものはともかく、肉体的には何事もなくカミの根城を後にしたヨシュアは、思いきってティアラを自室に誘った。

応接間にするのが筋なのだが、誰の目も気にせずに話したかったからだ。

その点、ヨシュアの部屋は離れ小島なので都合がいい。

案内するのは夜に押し入られている寝室ではなく、併設された小さな庭だ。

素朴ながらも、色鮮やかな花が見頃を迎えている。


「婚約解消の話でしょう」


 意外にも、本題はティアラの方から切り出された。


「シモンから聞いたんだな」


「うん」


「ティアラは、どう考えているんだ」


 こんな基本的な確認をするのに、だいぶ時間がかかったなと思う。

そして、それくらい自分本意で視野が狭くなっていたのだと自覚し始めていた。


「……怒らないで聞いてね」


 黙って頷きながら、怒らせるような話のかと覚悟する。

とにかく、ティアラの言い分を聞く用意はあった。


「私が婚約の話を聞いた時、面倒な事をするんだなって思ったのが正直な気持ち。あのおじさんと結婚は嫌だったし、カミと自由に会ってもいいって条件があったから受け入れただけ。ファウストも、形だけだって何度も念押ししてたから」


 ここまでは、ヨシュアも大方把握している。


「だからって、私が婚約者に全く興味がなかったってわけじゃないの。叔母様にはおままごとだって言われたし、実感なんて少しもなかったけど、すごく嬉しかった。ファウストにはエヴァンがいて、叔母様にはカミがいる。それが羨ましくて、私の為だけに来てくれる誰かがいるんだって思ったら、会う前からドキドキしてた」


「俺みたいのが来たから、がっかりしただろ」


 ティアラは首を横に振った。


「ヨシュアが来てくれて良かった。だから、婚約は解消していいよ」


「お前は本当にそれでいいのか」


「だって、ヨシュアは嫌でしょ」


「まあな。けど、やたらに拒絶するつもりもない。ティアラが望むような関係にはなってやれないけど、俺はもう少しこのままでもいいと思ってるんだ」


 ティアラはびっくりして信じられなかった。


「困っていたら力になる。友達になってくれるんだろう」


 ヨシュアが笑いかけると、ティアラは意外すぎる状況に目を見張った。


「そうだ、渡そうと思ってた物があるんだ」


 棚から少しよれた包みを持ってきて手渡しする。

戸惑いながらもティアラが開けると、ふわふわと柔らかいぬいぐるみが現れた。


「ヨシュアが選んでくれたの?」


「カミに似てるだろ」


 すぐに反応がなかったので外したかと心配になるが、ティアラはぎゅっとぬいぐるみを抱きしめた。


「とっても嬉しい。ヨシュア、ありがとう」


 無邪気に喜んでいる姿を見て、ヨシュアは初めてティアラを可愛いと思った。

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