腹の虫
もはや、腹を切るしかあるまい。
衣を正し、正座にて思い詰めた表情で脇差を握る侍。
貧する生活なれど、侍は魂潔癖に生きてきた。
なれど近頃ささやかれる身に覚えのない噂。
あの貧乏侍は和菓子屋 奈老庵の饅頭をくすねている。
長屋のあちこちで、ひそひそとまことしやかに話される。
侍は我慢がならなかった。
潔癖な侍は、特に盗みの悪を許せない性格であるからだ。
それが饅頭といえ万引きしたと誤解されようものなら、臓物煮えくる思いである。
かくなる上は、己の腹を割き、命でもって身の潔白を主張する他なし。
遺書もしたためた。ここまで来たら意地だ。介錯もいらぬ。
見事一人で絶命してみようぞ。これぞ武士としての心意気。
えいや!
覚悟を決めた白刃が、ストリと腹に吸い込まれるかの如く突き刺さる。
意思の強さのなせる技か、痛みはとんと感じぬ。
頭は冷静だが、刺した腹はびっくりと「ひゃあっ!?」と声をあげた。
はて面妖な。悲鳴をあげる腹の不可思議に首をかしげるも、おそらく空耳だろうと考え至る。
今は切腹が重要なれば、そのまま脇差を左から右へススッと斬る。
「っっぶねぇ!?」
また空耳だ。
どうもおかしい。
空耳もそうだが、腹をここまで割いて痛みもない。
見れば血も一滴すら流れておらぬ。
いよいよ疑問は膨らみ、侍は脇差を抜き、切れた腹を見た。
血も無いが、何より切った表面が陶器か硝子のようにツルリとしている。
さらに目を凝らせば、腹の底より何かが蠢いているような…?
ぴょこんっ
腹の切れ目から、魚の頭が顔をのぞかせた。
はてな、このような大きな魚を食べた記憶はとんと無い。頭だけでこぶしほどあるのだ。
魚は辺りを窺うように眼をぎょろぎょろさせ、遂に侍と目が合った瞬間。
「テッッメェェー!!なにいきなり切腹とかしてんの!?
危ないべ!危ないやんけ!?
も少しで尾ビレ切れるとこだったぞボケがぁ〜…!カスがぁ〜…!チンカスがぁ〜…!!」
なんと、魚は喋るどころか侍に怒鳴りをあげたのだ。
これには侍も驚き、途端に脇差を魚の頭に目掛けて突き降ろす!
「ぅおおぅい…!だからヤメロって言ってるやんけ!!」
魚は前ヒレで器用にも真剣白刃取りで防いだ。
異様な状況。なん妖か、狐の類の仕業か。とまれ、このまま怪異を捨て置くことは出来ぬ。
空いた左手で、まだ刀を挟むに必死に魚を、むんずと掴み腹から引っこ抜く!
ズルズル
ズル
ズルズルズル
ズズズイズルズルズゥーッン!
すっぽーっん!
魚を抜き取った。なんか、思ってた以上に細長い。ウツボ的な全体である。きもい。
侍は脇差から刀に持ち替える。食うに困れど刀身を竹にせず守り抜いた侍の誇りそのものだ。
そら覚悟と刀を構えたその時!
したーっん!
障子戸いきおい強く開かれ、少女があらわれた!
「争いはそこまでじゃ!!」
突如現れた見慣れぬ衣裳をした少女。
一先ず場が収まったと見るや、かの少女が語るは事情の身の上話。
少女の名はナムン。
此方とは違う世界の、ある国のパン職人だと言う。
最高のパンを焼くためにナムンが注目したのは、この世界にある醤油であった。
ナムンは醤油のため、気合いでこの世界に来た。
こちらの世界とは量子波長の違いから、特に水分に触れる事が難しく、
異世界人である彼女が醤油を手にするには、侍に使い魔を寄生させ、たまに操って饅頭を摂取する必要があった。
そうしないと宇宙の法則が乱れるらしい。
使い魔とは、言わずもがなこの魚のことで、本来は一ミリにも満たない小さな生物なのだが、
「暇だったから体内喰ってた。美味かった。途中でやっべぇ食い過ぎたわって気付いて宿主の身体を改造したんや。どや」
とのことだ。
饅頭も必要量摂取し、遂に醤油を手にすることができたナムンだが、ここで重大な問題が発生する。
破壊神の復活である。
500年前、異世界で猛威を振るい封印された破壊神が、こちらの世界で復活したというのだ。
野放しにすれば、現在過去未来あらゆる世界を無に返すおそるべき存在…!
再封印が必要。
だが、封印に必要な物がこの国にはない…。
それは、ホルモン。
破壊神はホルモンの飲み込むタイミングが分からない畑の住人のため、
ひとたびホルモンを口にすれば、他の何も手に付かず、延々とくっちゃくっちゃしてしまうのだ!
「まさかたった500年でホルモンを飲み込んでしまうなんてね。迂闊だったわ」
四つ足の獣、それの臓腑を食らうなど侍にしてみれば正気の沙汰ではない。
それでも、一度は捨てたこの命、世界のために役立てようと決心する。
して、ここに!
少女と魚と侍の食肉文化推進委員会が発足されたのだ!!
そして、200年後…
そこには、美味しそうにシーフードホルモンピザ醤油風味を食べる破壊神が…!
破壊神「う、うまい!ウツボのような魚の淡白な味わいと特上牛ホルモンの濃厚な味わい!
それを見事に調和させた醤油という調味料よ!
恐ろしいピザだ。なにより!
ホルモンに細かく切れ目があり、すっと飲み込める!
調理中に侍が刀を振り回していた理由がこれか…!ううむ。堪能した!パン職人のナムンとか言ったか。実に素晴らしいピザであった。我が賛辞を旨に世界と共に滅ぶがよいッ!」
破壊神がカップ焼きそばにお湯を注ぐ。すでに臨戦体勢か!
「なんで?!ホルモンを食べたのに封印されないですって!」
「今はそんな事言っている場合ではなかろう。
どれ、拙者の二百年に及ぶ鍛錬の果てに編み出した剣技。
破壊神にどこまで通じるでござろうかな。ナムン殿!」
「ええ!」
焼きそばソースをまんべんなく混ぜる破壊神に対し、
ナムンがパン生地をこね、侍が食材を切り分ける!
普段、皆さんが何気無く食べている焼きそばパンは、
実はこうして作られているのです。
完




