シャープペンシルモラトリアム
「…あっ」
朝の授業、僕はシャーペンを忘れている事に気付いた。
さてどうしよう。
ボールペンはあるからそれでノートを取るのがいいだろうが、
間違えた時に消せないのは嫌だ。
ぐしぐしと間違った字を塗り潰したりするのは、見た目に綺麗ではないし、なんだか育ちが悪い気がするなあ。
なんならいっそ、この授業はノートなんて取らずに空を眺めて過ごそうか。
その方が今までシャーペンで書いてきたこのノートに対しても誠実というものだ。
僕が学生の本分とノートの体裁について考えていると、「ねえ、ちょっと…もしかしてシャーペン忘れたの?」
と、小声で話し掛けられた。隣の席の相沢さんだ。
相沢さんは僕と同じ映画研究同好会の部員で、だいたいいつも放課後は勧められるまま、映画好き顧問のオススメ映画を見ている。
部活必須なこの学校で、こんなヌルい部活は僕の性分に合っているのだけれど、問題は部員が二人しかいないことだ。
相沢さんは表情が豊かな方じゃない。
とても悲しい映画で、思わず泣いてしまった僕が横を見ると、相沢さんは全く普段の顔つきだった事がある。
とにかく、僕は相沢さんが泣いたり笑ったり悲しんだりといった顔は見たことがなかった。
そうでなくとも相沢さんのような美人と二人きりで映画鑑賞なんて、気恥ずかしいし、緊張するし、
正直もう何人か部員が増えればいいのにと思わないでもない。
「よかったら私のシャーペン貸そうか?」
「それは助かるよ」
「うん、ちょっと待ってて」
ガタンッ!
彼女は突然イスから立ち上がり、右手で左手首を押さえながら「ああああああ!!」と呻きだした。
「おい相沢!授業中だぞ」
当然、教師から言葉が飛んでくるが、「すみません!シャーペン探してるんで、すぐ終わります!ホワアアアアアア!!」
「そうか、ならいい」
ならいいんだ…?
「ホアチャアアアアアー!!!」
にゅぽんっ!コロコロコロ…
相沢さんはとうとう、左手首からシャーペンを産み出してしまった。
うん。非常識すぎて頭が追いつかないや。
クラスの皆は素知らぬ顔で驚きもしない。どうやら手首からシャーペンを出すなんて当たり前のことなのかしら?
つまりおかしいのは僕の方で。
でも、あのシャーペンは僕に貸すために出したのだとしたら、当然僕は借りなきゃいけない。うわぁ、なんか嫌だなぁ。
「ふぅ…はぁ…はぁ……んっ…はい。使って」
「ありがとう」
僕は借りたシャーペンを机の隅に置き、ボールペンでノートを取った。
相沢さんは悲しそうにそれを見ていた。
fin