八話目
「終わったぜ、大丈夫か」
リンがイオに話し掛ける。
怪鳥が爆発する瞬間を目撃したイオは、現実を受け止め切れていないようだった。
茫然と翠色の目を見開いて、突っ立っている。
暫くして、はっと気付いたようにリンの方を向いた。
「…リン……」
洞窟の中のものとは違う怯え方を見せて、イオは両手で自分の服の裾を握った。
……まぁ、あんな事すれば当然そうなるよな……。
情けなくも、己の表情が歪んだのが解る。
だけど、あの怪鳥を逃がせば、きっとまた被害が出る。
あれで正しかった。
「洞窟があんだけうねってだんだ。大分抑えたし、爆風も奥まで届いちゃいないだろ」
爆発で崩れた入り口を見つめて、一つ溜め息をつく。
「多分、女性の旦那さんはあの中だ」
もう一度、振り返る。
先程より落ち着いたが、未だ怯えの色を見せるイオが居た。
俺のした事は、正しかった。
正しかったんだ。
……でも。
リンは、小さく呟く。
「……俺が恐いか?」
自分の声の情けなさに驚いた。笑い掛けたつもりだったが、きっと今の顔は見れたものでは無いだろう。
しかしイオは首を横に振った。
洞窟に入る前より、はっきりと。
「こわくない」
彼の声は、強さがあった。
「こわくないよ」
リンはそっと口を引き結んだ。
彼の言葉を疑う必要は、多分無い。
「……行くぞ」
恐れを抱いた目で見られる事など、とうの昔に慣れた筈なのに、何故かイオの返事に安堵している自分が居ることに、少し悲しくなった。
崩れた洞窟を二人で歩く。始め通った道が所々塞がり、その度に蹴ったりどかしたりして先に進んだ。タイマツを新しく作り、今度は二人別々に持った。イオは二回目で慣れたのか、しかしそれでも怖いのか、最初の時に比べて落ち着いたものの、でもほんの小さく震えている。
「さっきの鳥、やっぱ力はすげぇのな」
周りを見渡しながら、ぽつりとリンが呟いた。
「びっくりするくらい壊れてる」
ヒビが入り、今にも崩れ落ちそうな洞窟は、最初より不気味さが消えた分いつでも壊れそうな恐怖が倍増していた。
「本当に此処に居るのかな……生きてるよね……」
タイマツを両手で握りながら、イオが小声で言う。
落ちていたあの手が誰のものなのか、そもそも人のものなのかも解らないが、今はとにかく男性の無事を祈る事しか出来ない。
「……急ごう」
兎に角、この洞窟が崩れては元も子もない。
その前に、さっきの怪鳥が居たところまで行っておきたかった。
朧な記憶で何とか進んでいく。
暫くすると、黒い羽が落ちているのを見つけた。
燃えなかった残りだろうか。
しゃがんで見てみようとした瞬間、
「………う」
低い呻き声が聞こえた。
二人が瞬時に身構える。
慎重にタイマツを前に出し、足音を殺してゆっくり前進していく。
「……!」
すると其処には、若い男性が倒れていた。
短い髪は暗闇に紛れる色をしている。所々破れたシャツに、赤黒く染みが広がっているのが解った。
「大丈夫ですか⁈」
警戒を解いて、リンとイオは焦りながら駆け寄る。
ぐったりした男性の小柄な肩を軽く揺すると、彼はうっすら目を開けた。
タイマツを映したその瞳は上を向き、すっ……と瞳孔が開く。
「……ひっ」
喉に穴があいたかのような声が聞こえた。きっと、怪鳥に途轍もない恐怖を植え付けられたのだろう。
「大丈夫ですよ、俺たちは貴方の奥さんから依頼を受けて助けに来た者です」
なるべく恐怖心を煽らないように、優しい声で話しかける。
「此処から出ましょう。立てますか」
男性はなんとか一つ頷いた。
二人で男性を支えながら、ゆっくり立つ。そのまま出口まで戻って行った。
洞窟を出ると、太陽の光が眩しく感じた。柔らかい砂の上に男性を降ろし、改めて見つめる。
白いシャツは引き裂かれ、ズボンは膝から下が破れて無くなっていた。
血が大量に滲んでいるところを見ると、服の下は怪我だらけだろう。
「まずいな……俺は回復魔術とか使えねぇし……」
悩んでいるリンに、イオがタイマツの火を消しながら笑いかけた。
「ちょっと待ってて。探してくる」
「は……?探すって何を……っておい!」
走り去って行くイオを止めようと思ったが、あの口振りなら戻ってくるか、と思い、追わなかった。
そして砂の上で仰向けになり目を閉じている男性に、リンは一言話しかけた。
「確認しますが……、これは貴方の物ですか?」
ズボンのポケットに入れておいた似顔絵を取り出す。しゃがんでそれを見せると、男性は目を開けて見つめた。
「あぁ……おれが描いたものだ。大事にしてたんだが、落としちまってたんだな……」
悲しそうに笑うその目元は、何と無く女性と似ていた。
その顔が、何処かで見た事があるか……と感じたが、記憶の片隅に引っ掛かっているだけで、それ以上思い出せなかった。
「お返しします。大事な物でしょうし」
似顔絵をすっ、と前に出したリンに、男性はゆっくり首を振った。
「今持つと血が付いてしまう。我儘で悪いんだが、暫く持っててくれないか」
弱々しく笑うその笑顔に、リンは圧されたように頷いた。
「……解りました」
恐らくこの男性は、自分の血で、妻である女性を汚したくないのだろう。それ程この女性を思っているのだろう。
……俺には、無いものだ。
誰かを強く想うなんて。
何と無く感傷に浸ってしまっていたリンの耳に、イオの声が届いた。
「あったよー!」
戻ってきた彼の手には、何枚かの葉が握られていた。
「薬草。この辺りにも生えてるんだね」
初めて聞く単語に、リンは首を傾げた。
不思議に思っていると、イオが振り向いて無邪気に微笑む。
「見てて」
そして男性の傍らにしゃがむと、手にある葉の一枚を取り、端から薄く二枚に剥がした。
するとその葉から、少量の液体が垂れ始める。
イオはそのまま男性の腕に触れ、
「少し沁みるかもしれない。痛かったら言ってね」
そう言って葉を傷口に当てた。
っ、と男性は呻いたが、痛いとは言わなかった。
数秒たつと、イオは葉をどけた。
リンは驚いた。
なんと葉の下にあった傷が癒えているのである。
男性も心底興味を惹かれたように自分の腕に目を向けていた。
「薬草はね、病気や傷を治したりする為に使われるんだ。これは傷口を止血してくっ付けてくれる種類だよ」
初めて見た現象にもびっくりしたが、イオの意外な知識にはもっとびっくりした。
一体此奴は、何でそんな事を知っているのだろう?
「でもあの腕は、君のじゃなかったんだね。良かった……」
何処か安堵したように、イオは男性を見つめて呟いた。
「……おれがあの鳥に連れて来られた時には、彼処は幾つかの死体が転がってた。恐らく肉食鳥だったんだろうな。君らが見たその腕は、多分その死体の一部だ」
低い声が男性から漏れる。
悲惨な状態だった事は、嫌でも理解出来た。
「目の前で人間が喰われてるとこを見るのは、心底恐怖を煽られたよ。もう二度とごめんだな……」
男性はそこで苦々しく笑った。
もっと早く助けられていたら……、とリンは拳を握る。それを見ていたイオは、何か言おうとして、しかし口を噤んだ。
「イオ、俺も手伝うよ。葉っぱ分けてくれ」
呟いたリンに、イオは解った、と返して葉を渡す。
初仕事は満足感より、後悔が残ることとなった。