五話目
「リーーンーーー!」
イオの声に、リンはガバッと身を起こす。まだ日も昇っていない早朝だ。
空耳か、と思い二度寝のために布団を被った瞬間、
「リンってばー!起ーきーてーー!」
また声が耳に届いた。
何だよ、と思った時、ばたばたと足音が近づいてきて、
「起きろーー!」
「うぎゃぁぁ!!」
なんと耳許で大声を出された。驚きの余り飛び上がる。
「何なんだこんな朝早くから⁉︎」
ばくばく鳴っている心臓を胸の上から押さえつけながら、リンは目の前の少年に鋭く問いかけた。
「仕事来てるよ。お客さん待ってる」
「仕事?」
口にした途端に、昨日の出来事が鮮明に蘇った。
あぁ、と納得して頷いた……その繋ぎで思わず声を上げる。
「はぁ⁈もう来たのか⁈」
「うん。」
アホ毛を揺らしてイオが返事を返す。
まさかたった一夜で依頼が来るとは。
ばっちり覚めた目でイオを見る。
そこで始めて、リンはイオの横髪にあった小さな三つ編みが無いことに気づいた。
「あれ、お前いつ起きたんだ?」
「さっきだよ。顔洗ってたらドアの鈴が鳴ったから、開けてみたら女の人が立っててね、お願いしますって何度も言ってたから依頼かなって」
イオが俺より早起きだと……、とそんな事は一先ず置いておいて。
依頼っぽいのか、と呟いて、リンはやっと布団から抜け出した。
左一部の長い髪が、肩から流れ落ちる。
素早く着替え、顔を洗って、リビングに出た。
一台だけある大きなテーブルに、一人の女性が腰掛けていた。
30代くらいの大人しそうな人だ。
しかし皺の無い目元に、僅かに隈があるのが見えた。
リンはイオと共にテーブルの反対側に座り、質問した。
「確認しますが……、仕事の依頼ですか?」
「ええ。此処は悩み事なら何でも聞いてくれるんですよね?」
「出来る範囲ならやりま……」
「お願いします!」
リンの言葉を遮って、女性がテーブルに両手をつき大きな声を発した。
そして身を乗り出しながらこう言った。
「報酬は幾らでも出します……!夫を、私の夫を助けてください!」
あれ、これは浮気とかの面倒事かな?それとも病気を治せという無茶振りのやつかな?
リンは幾つか浮かんでくる考え達に、どうか違ってくれと祈った。
大の大人が、子供二人に頭を下げているのだ。とにかく相当切羽詰まっている事だけは把握出来た。
「えっと、つまり何をしたら?」
「町外れで怪物に連れ去られたんです、お願いです助けてください!」
初っ端から怪物退治かよ!
一番ヤバイと思っていた事が一番乗りでやって来た。
違ってくれ、と祈った依頼の方が、もしかしたら良かったのかもしれない。
ちらりと横を見やると、イオは目を輝かせていた。
……昨日、戦闘はリンに任せると言っていた彼が楽しそうにしている。
いやお前闘わないんだろ!と叫べるものなら叫びたい。
しかしこの女性の悩みも相当なわけで、大切な人が今頃どうなっているか、これ以上想像したくはないだろう。
「……解りました、受けます。詳しい場所とかは?」
「此処から少し離れた森の奥にある、湖付近にあの怪物の巣があります……!目撃情報が多いですのできっとそうです」
女性の縋るような目に怯みながらも、リンはゆっくり頷いた。
「今から行って来ます。連絡先だけ頂けますか」
「今から、行って頂けるんですか?」
「怪物に連れ去られたんでしょう。それが凶暴な類でしたら、一刻を争います」
そうだ、怪物と呼ばれるのだ。
放っておいたら、何をされるか解らない。
必要事項を聞いておいてから、直ぐに支度をした。そして言われた通りの場所を目指して家を出る。
初仕事というものに緊張を覚えながらも、心の何処かで楽しみにしていることに少し驚いた。
依頼内容からして、容易ではない事など、とっくに理解している筈なのに。
「頑張ろうね、リン!」
イオの嬉々とした表情が、僅かな安堵をリンに与えた。
だが、忘れてはならない事がある。
「お前、闘いになったら俺に丸投げするんだろ⁈」
イオはにっこりと笑って、しかし言葉は返さなかった。
「何か言えよー!!」
朝の日差しが、広い大地を照らしている。
二人の行く先にも、等しく光は届いていた。