二話目
まるでお叱り前の犬のようにちょこちょことついてくるイオの、どうしようどうしようという気持ちを背中で受け止めながら、リンはひたすら歩き続けていた。
何なんだ、此奴は。
誰かに訊けるものなら速攻訊きたい。
誰ですか此奴。家族居ないって言ったら大泣きしたんですが、一体どんだけ感情移入出来るんでしょうかびっくりです。
……何て聞いて、答えが帰ってくる相手居ねぇしなぁ。
暫くお互い無言で歩いていると、町が遠くに見えた。その外れにぱらぱらと家が点在し始める。
そのうちの一つ、木で出来た質素な家の前でリンが止まった。つられてイオも立ち止まる。
「ここだよ」
その言葉に、イオは顔を上げた。
そして今迄のどんよりした表情は何処へやら、まるで重い雲の隙間から光が差したように、ぱあっと笑顔になって、
「わぁぁ、凄い……!」
と声を上げた。
何だ、この単純さは。
少し呆れ返ったリンに、イオは満面の笑みをたたえて振り返る。
「立派なお家だね!」
いや、何処にでもある普通の家なんだが。
リンは心の奥で突っ込んだ。
「入っていいよ」
「ほんと⁈じゃあお邪魔するね……!」
リンが家の入り口の扉を開ける。薄い暖簾を潜ると、落ち着いた清潔感のある部屋があった。
「良いなぁぁ……!綺麗なお部屋!!」
イオは正直に感想を述べた。
そして次の瞬間、リンに一発どつかれる事になる。
「もっと散らかってるのかな、って思ってた!」
何かがぶつかる音がした。
* * *
「はぁ……」
その日の夜。
月を見上げながら外で一人、リンは溜め息をついていた。
ゲンコツをくらって頭をおさえていたイオは、今リンのベッドを借りて睡眠中である。
夕食を一緒に取った後、イオが先に風呂に入ったのだが、ちょっとしたことで驚いたり喜んだりして、まるで子供の様だった。
何も知らない、全てが初めて。
そんな言葉がぴったり当てはまるような少年。
そもそも、何故海の中などに居たのだろうか。
リン自身、まさか人が釣れるとは思ってもみなかったし、……というか、そうそう簡単に人が釣れてたまるか。
もう一度溜め息を漏らして、ふと視線を下げる。
「あいつは……」
何者なのだろうか。
特別不思議な魔力も感じなければ、武器らしい武器の一つも持っていなかった。
何処かの国から流れてきた町民だろうか。
「俺は、どうしたら……」
探しても見つかりそうもない産みの親に問いかけてみたが、返事など帰ってこない。当たり前といえばそうなのだが。
まあ怪しい人間ではないだろうし、リンの国も余所者を拒むような理不尽な所ではないから、大丈夫だろう。
「明日訊いてみるか」
一人呟いた声は、しっとりとした夜闇に消えた。
* * *
次の朝。
夜明けを少し過ぎた時刻にリンは起床した。
「…ん……」
「あっ、おはようリン!」
もうイオが起きていた。
「……⁈なっ、早いなお前!」
驚きの余りリンは布団を剥いで跳び起きた。
起きるのは遅そうだと思っていたせいで少し恥ずかしい。
「ほんと?」
いつも通りだよ、というイオの雰囲気に、唖然とした。
何ていうか、掴み所が無い。
「……待ってろ、今朝食用意する……」
まだ眠い目を擦りながら立ち上がり、玄関辺りの水瓶まで行って顔を洗った。
朝の習慣を終えると、リンは棚の籠から丸パンとベーコンを取り出してきた。
別の所から皿を持ってきて、そこにパンとベーコンを置くと、パチン、と指を鳴らす。
すると。
ベーコンが一瞬、橙色に光った。そして、まるで火を通したように薄い焦げ目が付いた。
「え…?」
イオが瞬きをする。
「初級の魔術だ。対象に魔力を送って、そこで変化を起こす」
目の前で起こったことに、イオは暫く呆然としていた。それから目を輝かせて、凄いを連呼。
しかしこれはリンにとって、日常の事である。
……こいつ、魔術を知らないのか?
驚きを隠す事が出来なかった。きっと顔に出てしまった。
この世界には、魔力持ちと魔力無しという人間区分がある。
生まれつき魔力を持っているかそうでないかの違いなのだが、いくら魔力無しの人間でも魔術の基礎は知っているはずだ。
使えなくとも、魔術を学ぶ事で、其処から化学などで同じような事が出来ないか、考え工夫するから。
一体どんなド田舎から来たんだよ……。
リンは多少の不安を覚えたが、直ぐに忘れようと努力した。
人を疑ったまま生活する程、心苦しいものは無い。
二人で朝食を食べた後、リンが釣り竿とバケツを手に取った。
「何処行くの?」
「釣り。俺、釣った魚を町で売ったりするから」
「リン、ちゃんと魚釣れるの?」
昨日のバケツを見たからか、君が魚を釣ることが出来るのかとでも言いたげなイオに、リンはにっこり笑った。
「そのアホ毛、もぎ取っていいよな?」
「え、やめてやめて」
ぎゃーぎゃーと騒いだ後、昨日帰った道を歩いて海岸へと向かった。
「ったく、何で付いて来たんだよ」
「そう言いながら、リンだって釣り竿貸してくれたじゃん」
二人が出会った岩の上に辿り着くと、リンは釣り竿の糸を解き始める。
取れない取れないと、もじゃもじゃやっているイオに教えてやりながら、釣り針に小エビを引っ掛け、軽くしならせて糸を垂らした。
どっこらせ、と隣り合って座る。上空を飛ぶ鳥の鳴き声と、海のさざ波の音が重なって静かに響いていた。
「ねぇ、リンはあの町の人なんだよね?」
イオの唐突な質問に、驚きつつ返す。
「ああ」
「あの町、どんな所なの?」
彼の興味津々な顔は、本当に純粋にそう訊いていた。
リンは、何か裏があるんじゃないかと思った事に、自分で自分が嫌になる。
……いつからだろう、こんなに疑り深くなったのは。
というか、そんな事を気にし始めたのはいつからだったか。
「ルドネシア王国のディノス島キトスって町だ。っても、この国は小さい島の集まりって感じだけどな……因みに此の島が国内で1番小さい」
「成る程、そうなんだ」
潮風が吹いて、二人を撫でつけていく。今日は気持ち良いくらいの晴天だ。
少しの沈黙。
不意にイオがリンの方を向いたかと思うと、じっ……と見つめた。
何だどうした、と返そうとした瞬間、イオの方が早く口を開いた。
「ねぇ」
そして、その言葉に茫然とする事になった。
「リンはさ、この国での今の生活に満足してないの?」
「……え、」
何を言い出すかお前は、と言葉が続かなかったのは、自分自身もそう思っている所があるからだろうか。
「やりたい事があるのに、決意し切れてないっていうか……、満ち足りた人の顔じゃないみたいな……。どうして?」
イオの不思議そうな瞳は、静かに
リンを映していた。
何で、そんな事を訊く?
何故、そんな事が解る?
たじろいて釣り竿をきつく握った。
「……ふ」
ははっ、と乾いた笑い声が上がる。自分でも良く解らないうちにそうしていた。
わざとな事は、イオにも伝わってしまっただろう。
「変な奴。何だよ、俺そんなんに見えるか?」
「うん」
迷いのない真っ直ぐな返事がくる。
「……」
リンは笑うのをやめた。
自然に笑えなくなった。
「……まぁ、」
さっきより少し掠れた声になっている。気丈な雰囲気も誤魔化した感じも無い、本当の事を言うのは、どれだけ大変な事か。
「正直、さ」
手を見つめるように俯いた。
そして、ほんのちょっとだけ本音を告げた。
「もっと遠くに行きたい。やりたい事だってあるし……でも」
イオが真剣に聞いている。
何で昨日会ったばっかりの奴に悩み打ち明けてるんだ、と思ったが、それだからこそかもしれないとも感じた。
赤の他人に弱みを見せるな。そう習ってきたはずなのに。
此奴には嘘を吐けないような、そんな感覚すらあった。
「魔術を使いこなす奴とか、とんでもなく強い武道家とか……この世界には沢山そういうのがいる。何処だか解んねぇ場所なんかわんさか存在する。俺だけで大丈夫かって不安で、考え出したら止まっちまって……」
言葉が一旦切れる。
下を向いていた瞳が、僅かに揺れた。
「だから、今日もこうして生活してる」
そこまでのようだった。
すっ、とリンが片手を釣り竿から離した。
傍らのバケツには、相変わらず一匹の魚も入っていない。
「そっ、か」
イオは足を投げ出して空を見た。
遠くまで青のグラデーションが広がっている。
美しく、残酷に。
上を見上げたまま、イオはその小さな口を薄く開く。
「僕ね、本当に何の力も無くて、何にも知らないんだ」
その時、ぐんっ、とイオの釣り竿が引かれた。
おっ、と呟いて言葉を止め、腕を引き締めて思い切り引っ張る。
「でもね、リン」
糸が上がっていく。
先まで上がり切ると、其処には大きな魚が掛かっていた。
「僕は何の力が無くてもね、今こうして生きてる」
糸の先を掴んで、イオは笑った。
「だから、二人で考えてみないかい?多分、きっと解決策はあるんだ」
リンは、ただ茫然とイオを見ていた。
時々弱々しくて、時々心強い。
本当に不思議な奴だ。