カティリア・エンネッシュの場合
今回の話は、少しグロめな表現が出てきます。苦手な人は注意してください。
3 カティリア・エンネッシュの場合
暗い。俺は、何も言わず家を出る。
……母と父が殺されて、今日で何日になるのだろう。
部屋中に飛び散った両親の肉片と血飛沫。酸素のめぐっていない体は朽ちていき、家中に腐臭が漂っている。周囲に家は無く、おまけに人通りも少ないので、幸い誰にも知られていないが――どうせ直にばれるのだろう。母は勤めていないが父は会社に勤めている。家族旅行に行くと言って休養を取った矢先の出来事だったので、今のところ怪しまれてはいないだろうが、それも時間の問題だ。金も直に尽きるだろう。
どうして直ぐに助けを求めなかったのだろうか。
俺は何も悪くないのに。何故、こんな目に合わなければならないのだろう。
あの日から、ずっと思っていること。
――隠さなければ。
あんなふうに思ってしまったのは、どうしてなのだろうか。
「おはよう、カティリア」
学校に着くと、転校生のカナ・ギダワークに声をかけられた。
「や、やあ、おはよう、カナ」
俺としてはこんな風に声をかけてもらえるだなんて思っていなかったので、少し不意打ちを食らった感じである。女子と話すのは割と大丈夫な方なのだが、それにしたって彼女の綺麗さは例外だ。緊張して、少し呂律が回りにくい。
「朝、早いんだね」
とりあえず適当な話を振る。
「まあね。まだ転校してきて日が経ってないから、遅く来るのはどうかと思って。少し早めに来るよう意識してるんだ」
第一印象としては、大人っぽい女の子と言った感じだったのだが、少し話してみれば、普通に明るい女の子だ。喋り方など、年相応な感じ。
「ところでカティリア。一つ訊きたいんだけど、君のご両親は何の仕事をしてるの?」
……両親。
「えっと、母さんは専業主婦、父さんは普通のサラリーマンだよ」
何故そんな話を振ってくる?
動揺を覚えつつ、何食わぬ顔で答える俺。……本当に、そうやって答えられているだろうか。動揺を、ちゃんと隠しきれているだろうか。
手に汗が滲んできているのが分かった。
「へえ、そうなんだ。いやね、私、田舎から来たから、どうもこの辺のことが分からなくて。私のいたとこ、どこもかしこも農地だったからさ。どんな職業があるのかなーと思って。急に変なこと聞いてごめんね」
な、なんだ。そんなことか。
安堵。
「いや、別に。謝ることじゃないよ。少しでもカナの役に立てたんだったら嬉しいな。他にもどんどん聞いてくれよ。俺に答えられる範囲なら、なんでも教えるさ」
言うと、「ありがと。また今度、別のこと聞くかも」と彼女は笑いながら言い、別の人の元へ去って行った。
帰宅後、俺は腐臭の漂う家へと入る。未だに慣れないその臭さに、俺は息を詰まらせた。死体は両親の部屋に放置してある。俺が気づいた時にはすでに殺されていて、両親の面影など何もなかった。ぐしゃぐしゃにされた肉塊に、俺はただただ吐き気を覚えた。
――こんなの、誰かが来れば一発でばれちまう。
いっそのこと早く誰かが来てくれればいいのに、なんて思った。
「ピンポーン」
夜、唐突になったチャイムに飛び起きた。夕食を食べ終えてから、そのまま転寝をし始めてしまったようだ。
そんなことより。
誰かが来てしまった。明かりをつけたまま眠ってしまったため、居留守は使えない。早く出ないと不自然だ。
帰宅後、誰かが来ればいいなんて思ったのが嘘のように、俺は一気に追い詰められた。焦る。身体から嫌な汗がとばっと噴き出した。
「ピンポーン」
もう一度鳴った。流石にこれ以上待たせるのはまずい。不審に思って入ってこられるかもしれない。
俺は意を決し、出ていった。
「はい」
戸を開けると、そこには見知らぬ餓鬼が立っていた。薄汚れたよれよれの服を着て、ばさばさの長い髪を一つにまとめている。色白い肌がとても不気味に見えた。
「お、ビーンゴ」
「だ、誰だよ、お前?」
尋ねる前、なにか呟いていたように聞こえたが、はて、なんと言ったのだろう。特に意味のない言葉であればいいのだが。
「お兄さん。ちょいとお邪魔させてくれねえかい?」
にやり。餓鬼は不気味な笑みを浮かべる。
もしかして、乞食か。
どうやら腐臭には気づいていないようだし、俺は少し肩の力を抜いた。
「駄目だ駄目だ。家にはそんな大したもんは無いからな。他を当たってくれや」
右手で追い払うような動作をし、そそくさと戸を閉めてしまおうとした。が、白く細っこい手に、あっさりとそれを止められてしまった。
「あんだろ。大したもんが」
なあ? と俺の目を覗き込んで笑う。よく見ると、そいつは随分と綺麗な顔立ちをしていた。切れ長な目とすっとした鼻。バランスの整った綺麗なその顔は、どこか作り物めいていて温かさを感じなかった。
『大したもんが』。その言葉は、両親の死体のことを指しているようにしか聞こえなかった。こいつはもう、何もかもを知っているのだと思った。もうどうしようもない。此処までなのだ、と。
「なあ、お前は一体誰なんだ?」
俺はそいつを家に上げる前にもう一度問うた。しかし返答は無く、帰ってきたのは意味深な笑みだけだった。
そいつは、家に入ると真っ先に両親の部屋へ向かって言った。俺はそれを不審にも思わず、ただそいつの後を追った。部屋に入り、その悲惨な部屋の中を見ると餓鬼は少し顔を歪めたが、それ以外の反応は見せず、随分と落ち着いた様子だった。まるでこんなことは予想済みだった、とでもいうかのような落ち着きぶりだ。
「にしてもこいつぁひどい」
暫くし、ようやく餓鬼が口を開いた。
「よくこんなのと一つ屋根の下で生活できたな、お前。神経狂ってんじゃね?」
酷い言われようだ。しかし、自分でもそう思う。この数日で俺はどうかしてしまった。こんな状態の肉親を見ても、もう何とも思わなくなってしまう程に。
「で、これを見て、お前は一体何をするんだ? 警察に通報するか? そしたら俺、死体遺棄かなんかの罪を追うことになるのかな」
おそらく俺より年下だろう相手にこんなことを訊いても仕方のないことだろうが、訊かずにはいられなかった。俺はこれから、どうなってしまうのだろう。
「いや。この場合、死体遺棄にはなんないんじゃねえかな。俺、その辺の詳しい事はよく把握してないんでね」
そいつの言葉に安心していたら、続いてそいつの口から出てきたのは予想外の言葉だった。
「でも、取りあえずこれだけは言えるぜ、お兄さん。この件はワヌーム隊が引き受けた」
「? どういうことだ?」
ワヌーム隊……なんとなく聞いたことはあるが、詳しい情報は知らない。確か、やっていることは警察と変わらない気がしたが。
「さっきの質問の答え。俺はワヌーム隊の者だ。言っとくが、乞食なんかじゃ絶対ねえからな。あんたの身柄は……どうだろうなあ、事情聴取とか受けるために暫くは本部で預かるかも知れねえが、それが終われば解放されると思うぜ。その後の生活は、親戚に頼むなりなんなりして生計たててけばいいだろ」
「……」
そいつの答えは随分とあっさりしたものだった。
「確かに、すぐに通報しなかったのはちと判断ミスだったと思うけど。今回の場合は特殊なケースだからな。お兄さんの将来に影響してくるようなことは無いから安心しな。両親が殺害されったってんで、ちょっと周りからの視線には覚悟しといた方がいいかも知れねえが」
現状を飲み込めずにいる俺には目もくれず、餓鬼はさらに続ける。
「あ、そうだそうだ。もうこの家こちらで押収したんで、お兄さんには出ていってもらわないと困るんだな。なんか必要なものでもあれば、荷物まとめてくれるかい? 今日中にあんたを本部まで連れていかないといけないからな」
「そ……んな急に」
「いやでも、もう決定事項なんで。下っ端の俺が口を挟めるようなもんじゃないんだよなあ」
餓鬼に言われるがまま荷造りをした俺は、デジウカの夜の街を餓鬼と二人で歩いた。流石三大都市のひとつであるだけあり、本部は此処デジウカにあるらしい。第一区の中心部にあるのだそうだ。デジウカにあると言っても、第一区と第六区では随分と距離があるから、暫くは学校に行けなくなるだろう。都心部のある建物の前に車が一台用意されているそうで、餓鬼はそこまで俺を連れて行ってくれた。
「本部は癖の強い奴が多いんだが、建物は綺麗だしなかなかに楽しいと思うぞ? 個人的にあそこは好きなんだ。あんたが羨ましい限りだぜ」
街の明かりが見えて来た。待ち合わせ場所はもう近いらしい。
ある酒屋の前に、一台の車が止まっていた。黒い小型の乗用車だ。
「そんじゃ、俺は此処までだ。学校の授業はしばらくお預けだが、これも一つの社会勉強だぜ。せいぜい一味違う暮らしを楽しんでくるといい。バイバイ、お兄さん――カティリア・エンネッシュ」
最後、餓鬼は俺の名前を呼んだ。
「なんで俺の名前を?!」
「そりゃあ、住所を知ってるくらいなんだ。名前を知っていても、むしろ当たり前だろう」
「そ、そうか」
少しして、車の中から一人の男性が出て来た。人柄のよさそうな人だ。餓鬼に一声かけると、今度は俺に向かってこう言った。
「やあ、カティリア。詳しい話はまた後ほどするとして、取りあえず本部へ向かいます。後部座席でも助手席でも、お好きな方に」
見た目通り、優しそうな人だった。俺の緊張が少しほぐれる。俺は後部座席を選んだ。気づくと、先ほどの餓鬼はもういなくなっていた。
「あの」
暫くして、俺は男性に訊いてみた。
「さっきの子、なんて言うんです? 第六区に住んでたりしますか?」
すると、苦笑いしながら
「残念ながら、仕事上、そういう情報は公開できないですね」
と言われてしまった。そういうことなら仕方あるまい。
しかし、最後の最後、俺はあいつをどこかで見たことがあるような気がしたのだ。
今となってはもう確かめようのないことだが。
(カティリア・エンネッシュの場合――完)