番外編 シャムエル・クァサナの場合
お久し振りです。
そういえばこんなものも書いていたので投稿させていただきました。
俺はずっと、色々なものに怯えながら生きていたのだと思う。怒られないように、嫌われないように、ただそれだけを考えながら偽りの自分を演じていた。そんな風に育ってしまったのは両親のせいとは言え、俺がもっと精神的に強くあればと思う。
俺は母子家庭で育った。父親は俺が小さい頃に他の女をつくって家を出て行ったのだ。家にいた頃も仕事、仕事で、父親と一緒に遊んだ記憶は無い。今思えば、そんな父が母親以外の女に手を出していたこと自体が驚きだが、当時小さかった俺は、父親に捨てられたのだと思い泣きじゃくっていた。母親は母親で、父が家にいた頃から他の男がいて、母にとって俺は男の次の存在だったようだ。俺の記憶にあるのは、静まり返った部屋の机で冷えた飯を一人で食う寂しさ。暖かな食卓風景など家にはなかった。
しかし俺は、そんな両親に少しでも俺のことを見てもらいたかった。だから勉強を頑張ったし家事も手伝ったし、わがままも言わなかった。それでも俺は父親に見捨てられた。母親にも見放された。結局、あの人たちにとって俺はその程度の存在でしかなかったのだ。もともと二人は仲睦まじいカップルで、親の反対を押し切って結婚したらしい。それが今では愛のかけらもなく、あっさりと離婚した。
毎晩男のところへ遊びに行く母の姿をずっと見てきた俺は、絶対にあんなふうにはならないようにしようと思うようになった。かつて両親に認めてもらうべく頑張っていた勉強も、いつしか自分が道を外さないためにするようになった。そのおかげでそれなりの成績になり、上を目指すだけの学力はついたが、金がなかったので近所の高校を受験することにした。
そんな俺が初めて女子と付き合ったのは、高校に入学して直ぐのことだった。相手は一つ上の先輩で、彼方側から告白してきて、俺は勢いに押されて誘いを引き受けたという感じだった。その先輩は確かに美人だったが、時々他の男子生徒や先生方にも媚びを売っているように見え、まるで母親を見ているみたいで不快に思うことがあった。結局長続きはせず、俺たちは付き合い始めて三か月で別れた。別れを切り出したのも彼方からだった。恋だの愛だのとは、やはりこんなものなのだと思った。それで懲りたはずだった。
二年の春、文化祭実行委員長に任命された。正直言って面倒くさかったが、任せられたからには最後まできちんとやろうと思った。そこで副委員長として一緒にやっていくことになったのがローシャ・エヴァ。大きな瞳にすっとした鼻筋がとても綺麗だと思った。今まで同じクラスで日々を送ってきていたわけだが、彼女のことをきちんと認識したのは、失礼ながらその時が初めてだった。ローシャ・エヴァ、名前くらいは憶えている。
「ローシャ、だよね。一緒に頑張っていいものつくろうな」
その頃は、女子というだけであまり得意ではなかった。微笑みかけてみたものの、頬が引きつっていないか心配だった。
だから、彼女が「うん。宜しくね、シャムエル」と言って微笑み返してくれたことが、とても意外で嬉しくもあった。その時が、初めて女性に興味を持った瞬間だった。
そのうち、彼女は俺のことを『シャム』と呼ぶようになった。仕事を進めるにあたり学校で接する時間も自然と増え、俺たちはそのまま交際を始めた。そしてその年の冬、俺は彼女を抱いた。自分の腕の中に納まる彼女はとても小さく、とても愛おしかった。この人は俺が守らなければと、そう思えた。
だから、翌年の秋に彼女から妊娠したと聞かされた時は、天地がひっくり返るほどの衝撃を受けた。子をおろすにせよ産むにせよ、彼女に多大な負担がかかることは明らかだ。
彼女は気持ちを強く持ち、腹の中の子を育てるつもりだと言った。それならば、俺にできることはただ一つだった。
「それなら二人で一緒にその子を育てていこう」
今思えば、これが女性に贈る最初で最後のプロポーズである。
――シャムエル・クァサナの場合 完
ウルフの父親――旧殺人鬼の過去編です。次話では母親の過去編をお送りします。




