レイシェア・エヴァの場合-2
22 レイシェア・エヴァの場合‐2
あの後、日が落ちるまで部屋の片づけをしていた。取りあえずは寝る場所を確保しなくてはならないからだ。そのままの状態では埃っぽいし黴臭いし、だからと言って外で過ごすわけにもいかない。今がせめて夏場であればもう少しやりようはあっただろうに……と思わなくはなかったが、ロチルとまたこうして暮らせるようになったこと自体が奇跡なのだから、文句を言うのはよくないだろう。それに、二人で協力して日が落ちるまでに何とか片づけを終えることができたのだし。
そうは言っても床に寝転がろうと思えるほどの綺麗さにはなっていないので、今日のところは座ったままの状態で寝ることになりそうだ。また、日が落ちたことにより一気に気温が下がり、暖房器具がないので室温も下がる一方。我慢できる程度の寒さだが、こんな環境でずっと生活していたら、いつか体調を崩してしまいかねない。
明日は街に買出しへ行かなければな。
「食べ物はどうする?」
「今日は抜きだな。どうするも何も買うしかねえだろ。金の方なら俺がたんまり持ってっから安心しろよ。それよりもガスとか電気とか水道が通ってねえ方が問題じゃねえか? 暖房器具がねえから防寒具も必要だし」
「ああ、そうだな」
こんなに問題がありながら、俺もロチルもここで住むことを止めようとは言い出さなかった。ロチルとしては自分で言いだしたことなのだし、俺としてはロチルと共に過ごせる時間は少しでも長い方が良かった。
「とりあえず今日は寝ようぜ。二人でくっついて寝れば少しは暖かいだろ」
まさかロチルがそんなことを提案するとは思ってもいなかったが、この状況ではそれが正しい考え方だろう。子供の時ですらそんなことをしたことは無かった。妹と二人、壁に寄りかかって眠りについた。やはり身体は冷えたが、妹の寝ている左側は温かかった。
それから一週間、家の環境を整える作業をしていた。イクローツは何年も前から町として機能していない。また、隣のトコヒナに入っても暫くは農地が広がっているので、足りないものを揃えるにはかなりの距離を歩く必要がある。買い物をするのも一苦労なわけだ。此処は兄である俺が行くべきところだろうが、俺が人ごみに入るのは危険だということになり(いつ殺人鬼が起きてしまうか分からないからだ)、結局ロチルに行かせる形になってしまった。街へ買い物に出るのは一日がかりの大仕事なので、ロチルが買出しに行っている間に俺は家の環境整備に励んだ。
ある日、いつものように買い物から帰ってきたロチルを見て、俺は驚愕した。
「お前……どうしたんだ、その頭!」
「どうしたって……見りゃわかんだろ? 散髪屋行ってきたんだよ」
そう。確かに見ればわかるのだ。ロチルの髪が短くなっていることくらい、この場合分からない方がおかしい。だがしかし……。
「短すぎやしないか?」
恐らくバリカンで剃ったのだろうと思う。長さは三ミリくらいだろうか。ロチルの形の綺麗な頭が露となっていた。
「そうか? 頭が軽くなった気もするし、俺としちゃ悪くないかなって思ってたとこだったんだけど」
髪の無くなった頭を撫でながら言うロチル。しかし、それにしても……。俺は驚きのあまり暫く言葉を無くしていた。
「どうして急に、髪を剃ろうだなんて思ったんだ?」
暫くしてようやく絞り出した言葉がそれだった。まずは動機を訊くことにしよう。
「洗う時の手間が省けるだろ? この生活を続けるうえで水は大切な資源だからな。それに乾かす必要もない。いいこと尽くしだ」
そんな理由で髪を剃る決断をしたロチルの考え方はどうかと思うが(そうは言っても女子なのだから)、しかし理にかなった考え方ではある。髪が長いと首回りの防寒ができるという利点もあるが、防寒着が充実している今、髪が短くなったところで問題は無い。むしろ髪を短くすることによって利点は増える。
妹であるロチルがそこまでしたのなら、俺も髪を剃らなければなるまい。しかし俺は街中を出歩くことはできないので、ここはロチルに髪を切ってもらおう。バリカンこそないが、鋏でも十分代用が利くだろう。ミリ単位で短くできないという点については目を瞑るしかない。
そう思って提案してみたところ、ロチルにものすごい勢いで反対されたのだった。
「それは駄目だ!」
「どうして駄目なんだ? お前の考え方からすれば俺のこの長い髪だって、切ってしまった方が都合がいいじゃあないか」
「長い方が似合ってるから」
目を白黒させて訊く俺に対し、ロチルはそう答えた。
「いろいろ言ったけどさ、結局は俺の気分の問題なの。俺がこうしたかったからこうしたんだよ」
俺はそれに対して何か言おうと思ったが、その前にウルフが言葉を重ねて来た。
「だからさ。そのまんまでいてよ」
少し甘えたような声。俺はその言葉に折れたが、ロチルの真意はわからなかった。
「勿体なかったと思うけどな」
何気なく呟いた台詞に、
「また直に伸びるさ」
という適当な答えが返ってきた。
――長い方が似合ってるから。
そのまんまでいてよ。
(そう思うんだったら、俺の気持ちも聞いてほしかったな)
綺麗に剃られた妹の頭を見て、少しばかり悲しくなっている自分がいた。
(もし殺人鬼と無縁の生活を送っていたら)
偶に考える時がある。そんなことに意味がないと知っていても。
(ロチルも自分の容姿を気にするような女の子になっていたのだろうか)
いつの間にか風が暖かくなっていた。春も間近である。困難に思われたロチルとの共同生活も、なんだかんだ言いながら順調に進んでいる。これから春に向けどんどん気温は温かくなっていくだろうから、これ以上生活が困難になることは無いだろう。
また、不思議なことに、ロチルとの共同生活を始めてからというもの、殺人鬼が一度も目を覚まさないのだ。ずっとイクローツに居て、最近は人ごみに入っていないからなのか。それとも、もう残り短い俺の身体で殺人を犯そうとは思わない、ということなのか。
何はともあれ、平穏な生活が続いていた。
こんな生活がずっと続いて行ってくれればいいと思った。しかしこの生活は長くとも今年の六月までという約束のもと始まったのだ。風が暖かくなっていくというのはつまり、この生活の残り時間が着実に減っていっているということを示しているのだった。
植物の若葉が芽生え始めた頃のことだった。ついに殺人鬼が目を覚ましたのだ。
(俺の寿命もここまでなのか)
どうやら予定よりも早く終わりが来てしまったようだ。
「ウルフ」
朝、俺は目を覚ましたロチルに声をかけた。
「話があるんだ」
「いよいよ、か」
話があると言ったものの、俺が何も言わなくてもロチルは全てを悟ったようだった。
「変な決まりがあったもんだよな、殺人鬼に乗り移られてから十年以内に死んじまうなんて。まあ、別の人間の魂が乗り移るとか言ってる時点ですでにヘンテコな話なんだから、そこをいちいち気にするのもどうだかなあって感じなのか」
なんとなく、ロチルの様子がいつもと違うことに気が付いていた。しかしこれが最期だと思うと、なかなか言葉が出てこない。
「俺さ、実は自分の中で決まりを作ってたんだ。それこそ、殺人鬼に乗り移られた人の寿命が十年だっていう話くらいにヘンテコな決まりだ」
ロチルはつらつらと言葉を並べる。息を吸う間も惜しむかのように。
「十年前、あんたが親父を殺したあの時から、俺は暫くあんたをただただ恨んでいた。あんたのことを嫌いになったし、あんたに好かれていた自分も嫌いになった。あんたと趣味が同じだなんて反吐が出るほど嫌だと思って、俺の知ってる限りのあんたが好きだったものを、俺は全て嫌いになった。でもよ、一人の人間をずっと恨み続けることなんて不可能に近くて、いろんなところを転々としているうちに、親父に対する愛情もあんたに対する恨みもどんどんと薄れていった。あんたを見つけてぶっ殺すってのが俺の原動力だったわけだけど、そんな目的の意義も直ぐに見失ったよ。馬鹿馬鹿しい。そう思っている自分も居た。とても無意味な時間を過ごしているってね。でもそう認めるのも嫌で、それを認めたら自分のするべきことを見失ってしまいそうで……。俺は、あんたを探して歩くことに存在意義を感じていたんだろうと思うよ。だからあんたを見つけて目的を失うのが嫌で、形的にはあんたを探していても、無意識的になんとなく遭遇しないようにはしていたのかも知れないな。最も、それはあんたの方がかなり気を付けていたことなのかもしれないけどさ。
で、とにかく今の俺にはあんたを恨む気持ちなんて微塵もないんだ。あんたをずっと恨んでいられるような奴じゃなかったんだよ、俺は。でも、なんとなく、あんたの好きなものを嫌いになるっていう決まりだけは俺の中で顕在してて。この数か月間でわかったんだけど、ま、自分ではっきりというのもあれ何で曖昧な表現をするけどな? きっとあんたは俺のことを好いてくれている、と思う。まあ、俺はもともと自分なんて大っ嫌いだったから、此処はさほど重要じゃあないんだ。で、次。あんたはあんたのことを良く思っていない。……違うか?」
そこでようやくロチルは言葉を切り、俺の目を見つめて来た。今日ようやく彼女と目が合った気がした。
「違わない。俺は俺が大嫌いだった。自分を良いと思ったことなんて、一度もないよ」
俺ははっきりと答えた。瞬きすら忘れてしまう程、ロチルの目に魅かれながら。
次の瞬間、ロチルは綺麗な笑みを浮かべた。薄ら笑いとも今までの無邪気な笑みともまた違う、緊張から一気にほどかれたかのような、心から喜んでいるかのような――そんな笑み。
「よかった。それなら俺はあんたを心から好きでいられる」
ロチルの白い頬を伝うものがあった。
「ロチル……」
共同生活を始める際に交わした約束も忘れ、俺はそう呟いていた。最期くらい、ロチルのことを『ウルフ』としてではなく『ロチル』として――ただ一人の可愛い妹として呼びたかった。
「なに、兄ちゃん」
その声は今までの乱暴なそれではなく、温かみ溢れる柔らかな声だった。
(初めて『兄ちゃん』って呼んでくれた……)
最期の最期、俺は妹の優しさに包まれていた。それだけで十分すぎるくらいだった。
「いいのかな、こんな終わり方をしてしまって」
この状況が十分すぎる分、不安に感じる部分もあった。こんなに幸せになってしまっていいのだろうか、と。
「俺は、一生を捧げても償えきれないほどの罪を犯してきたというのに」
「いいんだよ、兄ちゃん。兄ちゃんは十分すぎるくらい苦しんできたんだから」
だからもう、苦しまなくていい。
そう言いながら、ロチルは俺を優しく包んでくれた。
ふと瞼が重たくなって、直ぐに目を閉じてしまった。もう一度ロチルの顔を見ようとしたけれど、瞼が開くことは無かった。意識が遠のいていく。身体がすごく重たくなって、しかし気持ちはとても軽かった。
もう、終わりなんだ。
殺人鬼という罪からようやく解放される。
意識が消えゆく中で、最後まで温かさが消えなかった。
(レイシェア・エヴァの場合――完)
お久し振りです。
前回、予期せぬ共同生活が始まってしまったわけですが、その辺の描写はいつものごとくあまりされておりません。細かく書き始めてしまえば、それこそ予期せぬ長さになってしまうので……かいつまんで重要なところだけを書かせていただきました。最後のシーンは割と早い段階から「書きたい!」と思っていた所だったので、無事に此処までたどり着けて安心しております。
さて、次は一体誰の番でしょう……?
予定通りにいけば、この話の中で僕が一番書きたかったシーンが登場します。最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
それと、ムナーク・ワヌームソンの場合を一部訂正しておきました。ウルフの家族設定がきちんと決まっていなかったときだったので、『母親を含めた四人暮らし』ということになっていましたが、三人暮らしが正しい方です。




