トーマ・タツェリオの場合
2 トーマ・タツェリオの場合
「ただいまー」
玄関から、ウルフの声が聞こえる。
「お、お帰りウルフ。待ってろ、もう少しでクッキー焼けるから」
俺は今キッチンに居るので多少声を張りつつ、食器の片づけを始めた。ウルフの声が近づいてきた。そして、キッチンの真ん中に設置されているテーブルのあたりで止まる。
「ウルフじゃなくて、カナ・ギダワークな。流石にあんなキャラを家でまで演じるつもりはねえが、名前はちゃんと呼んでもらわねえと。少しでも呼ばれ慣れときたいからな」
カナ・ギダワークねえ……。
そして俺は今、トーマ・タツェリオではなくカルマ・ギダワークとして此処に籍を置いている。それにしても、呼ばれ慣れておきたいという思いが生じるとは、ウルフもまだまだ子供なのだな。そう思って密かに安心する。
「プロは切り替えが肝心だ。お前もまだまだだな」
と、そこでクッキーが焼き終わった。俺はオーブンからクッキーを取り出し、焼けたものを皿へ移していく。キッチンに、ほのかに甘い香りが漂う。
「しゃあねえだろ。俺、こういう仕事初めてなんだから。そもそも俺は戦闘部隊の者なんだから、本来ならこの仕事だって調査部隊の奴らがやるべきなんであって」
「まあ、そう言うなよ。調査部隊の奴らだって他の仕事で手いっぱいなんだから」
俺はウルフの台詞にかぶせるように話し始めた。大人げないと思いつつ、強者だからこその愚痴を最後まで聞きたくなかったのだ。
『戦闘部隊の者』であるウルフが、『調査部隊の奴らがやるべき』仕事を担っているという事実。それは、隊長たちから信頼されているということを示している。
まだ十四歳にしてワヌーム戦闘部隊の主力。俺はワヌームに所属してからかれこれ数年経つが、ウルフには敵わない。
彼女とは五年前に知り合った。立場的には俺の方が先輩だし、知り合って直ぐの頃はまだ俺の方がいろいろと教えてやる立場だったのだが。今ではすっかり抜かされてしまった。
何にせよ、正直俺はウルフが羨ましい。
隊長たちからの信頼が、俺だって欲しい。
ウルフのような戦術が欲しい……。
「っておい、ウルフ。手え洗ったか?」
見ると、ウルフがクッキーをつまみ食いしていた。全く、行儀の悪い奴だ。こういう所は本当に餓鬼だと思う。
「洗ったし。それにウルフでもないし」
「わかったよ。で、カナ。学校はどうだった?」
訊くと、
「超っ臭え」
とウルフ。
まあ、そんなことだろうとは思っていた。そしてさらにそれは続く。
「長らくタビィに居たからな。都会ってこんな臭かったっけ、って吐くの我慢するだけで精一杯だ。女のあの甘ったるさったらありゃしねえ。ああいうのはマジ勘弁だあな。さっさと慣れちまわねえと」
ウルフは通常よりも少しばかり鼻が利く。そうでなくても、田舎から来れば都会の匂いというのは強烈だ。ウルフがこんな風になってしまうのも無理はないだろう。
「それに比べてこの菓子はうまいな。程よい甘みで丁度いい」
「そりゃどうも」
そろそろ真面目な話が来るかと思いきや。
「あと、可愛い奴がいたな」
「はあ?」
またどうでもいい話だった。
「レオン・シュノーっつってな、滅茶苦茶可愛いの、顔が。その癖喋り方がちょっと格好つけてる感じで、それがまた……!」
男か。色恋話(ウルフの場合、その辺どうだかわからないが)は興味がない。で、他には? と話を促す。
「他? うーん……ホント、今日は臭いにやられてたからなあ。特にこれと言って……」
あごに手をやって悩む素振りをするウルフ。そしてはっと思い出したような素振りをし、思わせぶりににやりと笑ってこう言った。
「そういやあ、一人臭う奴がいたなあ」
「それを早く言えよ」
俺はつい突っ込みを入れた。
(トーマ・タツェリオの場合――続)