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狼の独争  作者: 紅崎樹
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ナッソア・シノークの場合

19 ナッソア・シノークの場合

 六月十三日。国王様の誕生日のパレードのおかげで街は今どんちゃん騒ぎだ。俺はそんな気分じゃないっていうのに。

(はあ……)

 ついさっき、またもや不採用の連絡を受けたところだ。これで何社目になるのだろう。俺は途方に暮れていた。

(あの王様さえいなけりゃなあ……)

 そんな風にちらりと考え、慌てて頭を振った。


 俺はそこそこ幸せな生活を送っていた。自分の店を営み、妻と二人の子供と共に、裕福とは言えないまでも不自由のない暮らしをしていたのだ。それが今ではどうだ。自分の店は潰れ新しい職場は見つからず、挙句の果てには妻にも子供にも逃げられた。

 まるでコントみたいな落ちぶれようだ。

(店さえ潰れなけりゃ、俺の人生こんなんじゃなかったのに)

 経営が行き詰ったのは、消費税率の増加が大きな原因だ。国の運営が困難になってきているようでもなかったのに、何の前触れもなく増税された。

 滅茶苦茶だ。

 こんなの絶対におかしい!

 ……かと言って俺みたいな凡人にできることなんて何もなく、国王様の宣言の元、俺は経営が行き詰り店を辞めざるを得なくなったというわけだ。

 此処まで落ちぶれてしまったら、もう失うものなんて何もない。いっそのこと、今日のパレードで騒ぎを起こしてやろうか。そうして、あの自分勝手な国王様に文句を言い散らしてやろうか。

 気が付いたら、街の方に足が向いていた。


 街の人は皆パレードの準備で忙しそうにしていた。しかし彼ら彼女らは何処か楽しげだ。

(増税しようが何だろうが、こんな風に楽しく過ごしている人たちもいるんだものな)

 そんな人たちと今の自分のありさまを見比べてみると、俺は苦笑するしかなかった。

 今日くらいは嫌なことも忘れて、嫌いな国王様の誕生日を盛大に祝ってやろうじゃあないか!

 半分やけだったが、俺はパレードの行われる方へと足を向けた。


 大きな通りの方は既に大勢の人々で埋め尽くされており、とてもパレードを拝めるような状況ではなかった。

(そりゃそっか)

 そう思ったがここで帰るとなんだか虚しいものがあるので、俺は他の道を探すことにした。しかし王宮前から離れてみても人の数は全く減らない。どこもかしこも人で溢れている。

 これでは流石に俺も諦めがついた。パレードを見るのは諦めよう。しかし家へ帰る気にもなれず、俺は街中をぶらついていた。

 それにしても、パレードの影響か警官が多いな。いつもは来てもパレードを見るだけだったから気が付かなかったけれど。国王様に恨みを持っている奴は多いらしいが、こんなに警官がいたんじゃ騒ぎを起こしても直ぐに捕まっちまいそうだ。本当に騒ぎを起こす気などさらさらなかったが、俺はそんなことを思った。


「あの」

 ふと後ろから声をかけられた。振り向いてみると、背丈の小さい少年が立っている。しかも驚いたことに、その少年は警官の格好をしていた。

 ということは、彼は少年ではなく青年なのだろうか。

「……なんだい」

「先ほど財布を盗まれていましたので、取り返しておきましたよ」

 そう言いながら少年が差し出してきたのは、確かに俺の財布だった。

「えっ!?」

 衝撃のあまり暫く言葉が出てこなかったが、慌ててお礼を言いながら財布を受け取った。失礼かとも思いつつも財布の中身を確認する。……良かった、手は付けられていない。

「本当に有難う。助かったよ。それにしてもよくわかったねえ、財布が盗まれただなんて俺には分らなかったのに」

「いえ。偶々見かけたものですから」

「それにしても俺は運が良かったよ。……君はパトロール中なのかい?」

「ええ。パレードが無事終えられるように街を見回っているのです。こういう騒ぎの時は犯罪が起こりやすいですからね。貴方も十分お気を付けて」

 それにしても随分と感じのいい少年だ。首のあたりで切りそろえられている山吹茶色の髪。澄んだ瞳。はきはきとものを言う姿。

「君も大変じゃあないかい? そんな可愛らしい容姿で、変な輩に絡まれることも多かろうに」

 早く仕事に戻らせてあげるべきなのだろうが、ついつい話題を振ってしまう。

「いえ。逆に相手が油断してくれるので、そうでもないですよ? 現に貴方のお財布も取り返せたわけですし」

 そう言ってにっこりとほほ笑んだ。

「貴方は、国王に不満をお持ちのようでしたね」

 そろそろお暇しようかと思っていた時、ふと少年は言った。

「!?」

 予想もしていなかったため、対驚きを隠せなかった。そんな私の様子を見て少年はこう続けた。

「隠さなくともよいですよ。周りは私たちの会話を聞いてなどいないだろうし、私も貴方のことを国王に告げたりなどしませんから」

 それを聞いて俺は安心した。それにしても、何故そんなことが分かったのだろう。俺の態度に現れていただろうか? それならば気を付けるようにしなければいけない。

「あ、いえ。そんなわけではございませんが、ただ、貴方を見ていてなんとなくそう思ったんですよ。随分御苦労なさっているのではありませんか?」

「あ、ああ……そうだけど」

 俺のことを思ってくれているのだろうか。しかし俺は急に怖くなった。俺のすべてを見透かされているようで。何処か見下されているような気がして。一刻も早くこの場を立ち去りたい、そう思った。

「そ、そういえば、君。仕事に戻らなくてもいいのかい? パトロールは」

 無理やり話を変えてその場を立ち去ろうとしたが、失敗に終わった。

「ええ。もう少ししたら戻ります」

「……」

 今戻ってくれよ。なんで今すぐに戻らないんだよ。

「それより、貴方は随分とお疲れのようですね。目に生気がありません」

 どうしてその話題から離れさせてくれないんだよ? 今日くらいは嫌な事なんか忘れて

「増税のせいですか?」


 俺はその時後悔した。何故彼と話など始めてしまったのだろうと。あの時財布を受け取ったらすぐに分かれてしまえばよかったのに。今日はついていない。

 周りは変わらず賑やかなのに、俺の目の前は真っ暗だった。

「どうやら図星のようですね。よかったら私にお話を聞かせていただけませんか? 少しは気が楽になるかもしれません」

 俺はその時やけになっていた。「長くなるけどいいのかい?」とか言いつつ、俺は彼に全てを話した。妻子に捨てられたことも就活がうまくいかないことも、今日何を思ってこの場に来たのかも。

 その間、少年は親身になって話を聞いてくれた。本当はパトロールに戻らなければいけないだろうに、世の中にはこんなに心優しい若者もいるんだなあと心の片隅で思った。

「……確かにそれはつらいですねえ」

 すべてを話し終わると、彼はしみじみと言った。

「ですが早まってはいけません」

「早まるだなんて、そんな……」

 確かにパレードで騒ぎを起こしてやろうかと思ったが、俺にはそんな勇気は無い。未だって本当はこのパレードを滅茶苦茶にしてやりたいけど、それはただの願望であり実現されることは無いんだ。

「それではここで一つ、貴方にいいことを教えてあげましょう」

 いろいろと頭の中で考え事をしていると、少年の明るい声が聞こえた。

「いいこと?」

「ええ。来年のこの六月十三日、この国は変わるということです。この国が良くなるのか悪くなるのか、それは私にもわかりません。ですが一年後、この国は確実に変わる」

 ただの冗談だろうと思った。俺を励まそうとしてくれているのだと。

 しかし彼の目は真剣で、彼の微笑みは確かな未来を見据えているようだった。確信に満ち足りた表情をしている。

「君は予言者か?」

 そんな彼を見ていると、何故か気が明るくなっていった。一年後の未来を自分の目で確かめたいと思った。

 そのためにも、俺はこの社会で生きていかなければいけない。

「いいえ。私はただの警官です」

 少年はにっこりと笑った。つられて俺も笑みを浮かべた。


「仕事の邪魔をしてすまなかったな。しかし、助かったよ」

「いえ。こちらの方こそすみませんでした」

「なに、君が謝ることは無いさ」

 別れ際、少し名残惜しさがあった。本当に彼はいい少年だった。この街に来て、彼と出会えてよかった。本来なら許されざる行為だが、俺の財布を盗んだ奴にお礼を言いたいくらいの気分だった。

「そう言えば、私の知り合いが経営している店で、最近人手が足りないと言っているところがあるのですが。……余計なお世話だったらすみません」

 別れ際、少年は言った。俺はこれも何かの縁だと思い、その『彼の知り合いの店』の店名を聞くことにした。

「私の名前を出せばすぐに雇ってくれると思いますよ」

「そう言えば君の名前を聞いていなかったね」

「ウルフ・ムナークソンと言います」

(ウルフ……)

 変わった名前だ。

「貴方の名前は?」

「俺?」

 まさか聞かれると思っていなかった。

「ナッソア・シノークっていうんだ」

「ナッソア・シノークさんですか。覚えておきますね。因みに、店長に『ウルフ』と言えば通じますよ」

 彼は微笑み、立ち去って行った。


 俺は後日、ウルフと名乗った少年から聞いた店を訪ねてみた。彼に言われたように彼の名前を出してみたら本当に雇ってもらうことができた。

「有難うございます」

 行ったその日に即決だったのであっけにとられながらも礼を言うと、店長は豪快に笑いながらこう言った。

「ま、うちも人手が足りなくて困ってたからな! それにしてもお前さん、運がいいねえ!」

 全くだ。

 口には出さなかったが、心の中でそう呟いた。


 自分の店を失い家族を失い、新たな仕事を見つけられずにいたあの日。俺がそんな目にあった原因である国王様の誕生日のパレードのおかげで、俺は新たな人生を歩み始めることができた。全くおかしな話である。

 ウルフ・ムナークソンと名乗る少年。俺はあの日、会って数十分の彼に人生を助けられた。

 そして彼の言葉に希望を貰った。

 ――一年後、この国は確実に変わる。

 ただの警官に過ぎない彼の言葉が俺の心には響いた。何故か、彼の言葉は信じられる気がした。

 いや、彼の言葉を信じたいと思った。

 一年後、この国が変わるという瞬間をこの目で見たい。そしてこの国が良いものになっていく過程を是非とも見たいのだ。

 落ちぶれかけた人生だったが、新たな目標を胸に俺は今日も生きる。

 この最低な国で。

 (ナッソア・シノークの場合――完)

挫折しかけたおじさんの話でした(笑)。


この場で少しお知らせを。

書いているうちに設定が定まってきたので、主にトーマ・タツェリオの場合を少々編集しておきました。そこまで大きくは変えていませんが。


後半に入っていきます――って随分前に書いた癖に、後半部分の終わりが全然見えませんね……。ですがこの話も着実に終わりに近づいてはいるので、最後までお付き合いください!

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