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狼の独争  作者: 紅崎樹
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トーマ・タツェリオの場合-5

17 トーマ・タツェリオの場合‐5

 今日ウルフは、レオン、カティリア、アンネの三人と一緒に遊園地へ行くと言って出かけていった。そのおかげでウルフが女の子らしい格好をしているという珍しい光景を拝むことができた。

 午後七時過ぎ、ウルフが帰ってきた。

「ただいまー」

 心なしか元気がないような気がする。声に張りがなかった。

「お帰り、随分遅かったんだな。楽しかったか、オトモダチとの思い出作りは」

 声をかけてみたものの、一向に返事が返ってこない。不審に思って様子を見に行くと、どうやら既に自分の部屋へ戻っていたらしい。

「ウルフ、入るぞー」

 ドアを開けてみると其処には、暗がりの中でぼうっと立ち尽くしているウルフの姿があった。電気もつけずに……何かあったのだろうか? 俺が明かりをつけたことでようやく振り向き、「わっ、なんだトーマかよ」と声を上げた。

「俺以外の誰だと思ったんだよ。……ってお前、目ぇどうしたんだ?」

 ウルフの目が赤くなっていた。まるで先程まで泣いていたかのようだ。

「これはまあ、別に? なんでもないし。目にゴミが入ったからさっきわざと泣いてたんだよ」

 伏目がちに目を何度もパチパチさせながらそう言うウルフ。なんてわかりやすい嘘だろう。

「嘘を吐くときはもう少しうまくやれよ。お前の沽券に係わることだぞ」

 ウルフの元へ近づき頭をポンポンとたたいてやると、ウルフは鼻を啜った。いつもなら「止めろよ」とかなんとか言って抵抗してくるのに。

「今日、何があったんだ? 報告がてらに教えてくれや。案外、そういうものって言ってしまった方が楽だぞ?」

 何があったのか今一見当がつかないが、適当に広い範囲で通用しそうな言葉を掛けておく。まさかウルフが泣くだなんて思っても見なかった。仕事中にどんな変死体を見ようがどんな犯罪者を相手にしようが泣いたことのなかった彼女でも、泣くことができるのかと思ってしまった。これは流石に失礼か。それにしても、何があったというのだろう。

「上への報告は俺が自分でするから。どうせ明日本部へ戻るんだし。だから、その……これからいう話は口外禁止な」

 そう前置きをして、彼女は今日一日の出来事を俺に説明し始めた。

 いたって普通の話だった。特に大きなトラブルもなく、無事に一日を過ごせたらしい。何気にウルフも楽しんできたようだったので俺は安心した。彼女は幼い時からワヌーム隊で仕事をしていただろうから、なかなか貴重な経験ができたのではないだろうか。

 そんな風に考えながら聞いていた。

「……あれ、泣いてた原因は?」

「まだ話終わってねえから。これからだから」

 その後の話をする際、ウルフは顔を真っ赤にさせていた。何度も何度も噛んでどもって、聞き取る方も大変だ。そして話を聞いているうちに俺も恥ずかしくなってくるような内容だった。

「っていうかお前、そんなことしたらまずいだろう! 何情移してんだよ」

「しょうがねえだろ! 自分じゃどうしようもないんだって! なんかこう、そうせずにはいられなかったんだよ、最後だったし」

 恥ずかしさのあまりか、そう言いながら自分のベッドでゴロゴロと転がっている。

「……それにしても、お前も乙女心を持っていたとは。これは上に報告せねば」

「やめれし!」


 さて、ウルフは建国記念日に色々な初体験をすることになったわけだが、そのきっかけとなったカナの転校はいかにして決まったのか。現在に至るまでの過程を、順を追って説明しよう。


 大元の原因は、バキア・ネイシムの登場であった。

 カサル・ゾアークを逮捕した翌日、学校から帰ってきたウルフの様子がいつもと違った。

「ただいま」

 いきなり声がしたかと思ったら、背後にウルフが立っていた。

「うわっ!? お前、帰ってきてたのか」

 つい先ほどまで全く物音もしなかったし、気配も感じなかった。こいつが本気になれば気配までも消せてしまうのか、と俺は少し恐怖した。

「大事な話があるんだ」

 そう言う彼女の顔は、いつになく真剣だった。

 そしてウルフは語った。

 バキア・ネイシムという少年に会ったこと。

 その少年にレイが接触していたこと。

 その少年が、レイからのウルフ宛の手紙を持っていたこと。

 もしかしたらあの学校での仕事も潮時かも知れない、と最後にウルフは言った。

「何でそうなるんだ?」

 俺は今一状況をつかめずにいた。レイからの手紙というのは、なんとなくわかる。誰だって驚くだろう。しかし、学校を辞めるとは。ウルフを以ってしても、レイからの手紙というのは気後れするものなのだろうか。

「ああそうか。トーマはバキアのこと知らないんだっけ。俺がタビィに居た頃によく会ったんだ。コウザユルに住んでた奴で」

 コウザユル……バキア・ネイシム。

 ああ。

 俺もようやく察しがついた。

「そういえばニャズリーが言ってたよ。『事件現場によく居合わせる少年と仲良くなったんだが、肉付きや骨格で人を見分けることができるらしい。変装していても服を着ていても嬉しそうに寄ってくる』って。そいつのことだろ? 普段のお前を一発で女だと見抜いたんだってな」

 ニャズリーはコウザユルを担当している女性隊員だ。担当地が近かったこともあってかウルフとは仲がいい。

「なんだ、ニャズリーから聞いたのかよ。そう、そいつそいつ。そのバキアが学校に居てさ、ばれちまった。全く無駄な能力を持っているよ、あいつは。ブレザー着ててもわかるだなんてさ。こうなったからにはなるべく早く消えといた方がいいだろ、いつばれるかわからねえ。手紙をまだもらってないから明日は学校へ行かねえとだが、近いうちに上と相談してこねえとな」

 何を着ていようが体格で人が判断できてしまうというのは、〝凄い〟を越して〝恐ろしい〟。俺たちの仕事上、仲間としてそんな人物がいてくれればかなり有利だが、その能力を自分に使われるとなると怖いものだ。事件現場に居合わせやすいとも言っていたし、いっそのことワヌーム隊に入ってしまえばどうだろう、と思った。

 それはさておき。

「本部へ戻るのか?」

「そのつもりだ。多分長くなるだろうから、電話で話すよりも直接話してきた方が楽だし。ま、詳しい話は、明日学校へ行って無事に手紙を貰えてからだな」

 その話はそこでいったん終了となった。


 翌日、ウルフの帰宅時間がいつもより遅れた。

「寄り道でもしてきたのか?」

 帰ってきたウルフに尋ねてみると、「ああ、ちょっとな」と返ってきた。

 ウルフが制服の内ポケットから茶封筒を取り出す。

「まずはレイからの手紙を読む。トーマも一緒に見るか?」

 当たり前だ。此処は普通にワヌーム隊の一隊員として、その手紙の内容が知りたい。俺は大きく頷いた。

 ウルフが茶封筒から紙を取り出した。その紙には、たくさんの数字が羅列されている。ざっと見たところ二桁までの数字しかない。最高でも二十五までしか出てきていないようだから、一文字分足りないが、恐らくアルファベットを数字に変換してあるのだろう。パッと見で読まれないようにすることが目的で、そこまで複雑にする必要はなかったということだろうか。

「これなら、そこまで時間を掛けずに解読できそうだな」

「……」

「……ウルフ?」

 声をかけても一向に反応が返ってこない。不思議に思って顔を覗き込んで見ると、ウルフは目をカッと見開いたまま難しい顔をしていた。

「どうした? そんなに難しいものじゃないだろう」

 そうこう言っているとウルフはふぅと息を吐き、手紙をたたみ始めた。

「ん……あ、おい。俺がまだ読めてねえよ」

 というか、こんな短時間で読み終われたというのか。単純なものであっても、数字をアルファベットに変換してそれをさらに言葉に直さなければいけないというのに。

「俺が読めたからいいんだよ。トーマには読ませられる内容じゃなかった。危なかった危なかった。あんたが読み始める前でよかったぜ」

「そんなヤバい内容だったのか?」

 俺に読ませられるような内容ではなかったとは、どういうことなのだろう。

「いや、そう言う訳じゃねえけどな。あんたにもこいつの内容を教えた方がいいかどうか、それも含めて一旦本部の方々と話をしてくるよ。バキアの話だってしねえとなんねえし」

「そうか……」

 それは昨日も言っていた。と、俺は其処であることを思い出した。

「そういえば、昨日、お前の制服を出しておいたんだった。本部へ戻るなら、きちんとした格好の方がいい。隊長に会うんならなおさら」

 制服とは、ワヌーム隊の制服のことだ。入隊する時に皆貰う。仕事時に着ることは滅多にないが、改まった場――例えば集会の際などに着る。ウルフが今使っているものは二着目らしいが、今の彼女の身長で丁度くらいのサイズだ。ウルフが初めて制服を貰ったのは五年前。作り直したのは三年前。普通なら成長期でぐんぐん背が伸びる年頃なのだが、三年前に採寸した服が着られるとは、はてさてきちんと身長は伸びているのだろうか、と少し心配になる。

「お、気が利くねえお兄さん。サンキューな」

 にやり、とウルフは笑った。


 翌日、ウルフは制服の入った袋を片手に出かけていった。流石に日中からワヌーム隊の制服を着て出歩くわけにはいかない。本部の建物内で着替えるのだろう。

 今本部でどのような話になっているのか、詳しい事は分からない。俺にできることは、ウルフの帰りを待つことである。

 久しぶりにウルフのいない夜を過ごした。


 翌日。俺が昼食を食べているとウルフが帰ってきた。

「よ、ただいま戻りましたー」

 ケラケラ笑いながら俺の昼食のおかずをつまみ食いした。

「あ、おい。手え洗ってからにしろよ。……それで、どうなったんだ?」

「ん? ああ。学校やめることになったわ。次は国王のボディーガードでもしようかなって話をしてきた」

「ふーん。……って、はあ? ボディーガード?」

 随分さらっと言うものだから、うっかり軽く流してしまいそうになった。学校を辞めるというのはなんとなく想像がついていたが、潜入調査の次は国王のボディーガードとは……。随分と大きく出たものだな。そもそもウルフは国に対していろいろ文句を言っていたのに。国王に関しては「あいつは糞だ」とか言っていたのに。

「そうそう。そうしたら、色々国王様の事情とかも聞けんだろ? 隊長も考えてみるって言ってくれたしよ。そうとなればもう決まったも同然じゃね?」

「まあ、そうだなあ……」

 前々から思っていたが、隊長は何処かウルフに甘いところがある。甘いというか、手をかけ過ぎというか。まあ、ウルフの場合は手をかけた分以上の働きをしてくれるのだから、別に問題は無いのだろうが。ウルフが幼くしてこれほどまでの力を持っていることと、何か関係があるのだろうかとふと思った。

「ともかく、あと四日であの連中ともおさらばだ。俺、元々同級生以下の相手とかしたことなかったし、何しろ日中ずうっとカナで居続ける必要がなくなる」

 それはまるで自分に言い聞かせているかのようだった。

「本当はお前、まだ通っていたかったんだろう」

「馬鹿な。あれは仕事だぜ?」

 苦笑を浮かべながらそう言い自分の部屋へ戻っていったが、あれはどう考えても虚勢を張っていただけだろう。

(同級生に情が移ったか)

 そう言えばウルフがカナとして学校に通い始めた初めての日に「可愛い奴がいた」とかなんとか言っていたのを思い出した。そいつは確か男だった。もしかして……

(いや、まさか)

 その『まさか』だったとは、その時の俺は知る由もない。


 その後は特に何もなく建国記念日を迎えた。「同級生に遊びに誘われた」と聞いた時は吃驚したが、友達付き合いも仕事の一つだ。ならば、最後までやり遂げるべきだろう。上からも許可が下り、俺はウルフに「楽しんで来いよ」と声をかけた。面倒だと口では言いながら、当日着ていく服を真剣に選んでいるあたり、心の中では楽しみにしているのかもしれない。今まで『仕事、仕事……』で誰かと遊びに行くという行為をしてきたことがないだろうから、良い思い出になるだろう。

 少しの間とは言えせっかく学校へ通えたのだ、最後の最後に学生らしいことができてよかった。

 当日、彼女は予定よりもずいぶん早く家を出ていった。そんな彼女を見送って日中は自分の仕事をこなし、そうして現在に至ったわけだ。


「ま、まあまあ! 俺の話はいったんここで置いといてよお、今夜はぱあっとやろうぜ? こうして一緒に過ごせるのも今日で最後なんだし。夜が明けるまで語り合おうじゃあないか」

「まるで酒が出てきそうな言い方だな。お前は未成年なんだからジュースな」

 確かにウルフの言うとおりだった。別に永遠の別れを果たすわけではないからそこまで悲しむ必要はないのだが、俺は明日からまた一人暮らしに戻るのだ。一か月とはいえその分の期間を二人で過ごしていたから、一人でいることに慣れるのに暫くかかりそうだ。明日の今頃はもしかしたら、一人で過ごす夜に対する寂しさで胸が一杯になっているかもしれない。ならば今夜は心行くままウルフと過ごせる時間を楽しむとしよう。

 そうして俺たちは夜が明けるまで……とはいかなかったものの、深夜零時くらいまではコップを片手に語り合った。と言っても、俺は強くもないくせにアルコールを飲んでいたので直ぐにベロベロに酔ってしまい、途中から記憶が全くない。結局日付が変わったところで俺が寝落ちしてしまい、ウルフも眠りについたそうだ。


「お前とは随分長い付き合いだったなあ。俺がイトッキ担当だった頃とか、よく一緒に仕事したもんな」

 朝方、俺が朝食の支度をしていると、急にウルフが語り出した。

「……おいおい」

 これはまるで永遠の別れのようではないか。

 そうつっこむと、ウルフはなぜか泣き出した。頑張って涙を堪えているようだが、次から次へと涙があふれ出す。一体どうしたのだろう。

「俺も歳だ。最近涙もろくてかなわねえ」

 そんなことをぼやきながらボロボロと大粒の涙を流すウルフ。

 お前が歳なら俺はとっくの昔に死んでるわ。

「お前はいつからそんなに弱くなったんだ?」

 俺は仕方なく腰をかがめ、彼女の頬を伝う涙をぬぐってやった。

「お前がそんなんだと、俺も泣きたくなるだろうが」

 五年前、イトッキで一緒に仕事をしていた時は、しゃがみ込んでようやく目が合うほど小さかった。今でもまだまだ小さい方だが、あの頃のことを考えれば大きくなったな、と思う。

「俺は昔っから弱かったさ」

 ぼそ。

 ウルフは呟いた。

「だからこそ、俺は強くあろうとするんだ」

 彼女はもう泣いてはいなかった。とても強い眼差しで、どこか一点を見据えていた。

「トーマ、俺は近い将来この国を変える。それがどんな結果に繋がろうがな。その時はお前、この国を良いものにするために、力を尽くしてくれよ」

「……ああ」

 急に何を言い出すのだと思ったが、ウルフには何か考えがあるのだろう。王宮に行くというあの話も、その考えの一つであるのだと言われれば納得がいく。普通ならば、此処で俺は彼女を止めなければいけない。そんな馬鹿なことをするのは止めろと。しかし、彼女の顔は真剣だった。あんな顔で言われてしまえば、俺に彼女を止めることなどできやしない。俺はただただ頷くしかなかった。


 たくさんの荷物を両手に、ウルフは家を出ていった。そんなウルフの背中を見送りながら、二か月前のことを思い出した。

 ――ウルフの監視役をして欲しい。

 その日俺は本部に呼び出され、隊長直々にそう頼まれた。ウルフが中学校へ潜入調査をしている間の監視役および世話役。あの時はそれなりに長い期間になることを覚悟していたが、たったの一か月で俺のその役目は終わってしまった。

 こうして振り返ってみると、たった一ヶ月の間にいろいろなことをしたものだ。三つもの事件を解決し、レイに遭遇し。彼女はまるで台風の目のようだ。

 ――俺は近い将来この国を変える。

 彼女のあの台詞が、果たしてどこまで本気だったのか今の俺にはわからない。しかし、彼女がもし本当にそれを実行する時が来た日には、俺もそれを手伝おう。

(この国を良いものにするために……)

 その為にも、その日が来るまでに彼女の期待に沿えるだけの力を身に着けなければいけない。


「大きくなったな、ウルフ」

 大股で歩いて行く彼女の背中はとても逞しく見えた。

  (トーマ・タツェリオの場合――完)

トーマ・タツェリオの場合、ついに完結しました。

ちょっと寂しい気もする……

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