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狼の独争  作者: 紅崎樹
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レオン・シュノーの場合-5

16 レオン・シュノーの場合‐5

 翌日、カナが学校を休んだ。体調不良だそうだ。

「カナ先輩、いらしてないのですか?」

 業間にバキアがカナを訪ねて来た。今日は休みだと伝えると、残念そうに戻っていった。

「カナが心配?」

 昼休みにふとそんなことをアンネに言われた。一年の頃はあまり話したことがなかったのだが、最近はカナを通していくらか話すようになってきたところだった。

「な、何で」

「あんた、カナのことが気になっているんでしょう? なんとなく態度を見ていればわかるものだよ」

 言われてみて少し考えてしまった。確かに僕はカナのことを気にしてはいた。彼女がレイに似ていると気付いてからは尚のことである。しかしアンネが言う『気になっている』というのは、恐らくそういうことではない。彼女は、僕がカナに気があるのではないかと言いたいのだろう。

(今までそんな風に考えたことなかったな……)

 僕はカナのことが好きなのだろうか。

 返答に間をおいてしまったため、アンネがにやけ始めた。図星だったと思われただろうか。

「そんなんじゃねえよ」

 慌てて言い返したが時既に遅く、アンネは聞く耳を持ってくれなかった。

「慌てちゃって、可愛いねえ。カナ本人がいないんだから別に隠さなくても大丈夫じゃない?」

 今にも小突かれそうな勢いだ。こんなにいじられるとは思わなかった。そもそも、アンネはこんな奴だっただろうか。僕の中でのアンネはとても冷めていてあまり周りと馴れ合わない人だったのだが。

 いや、確かについ最近まではそう言うタイプの人間だったのだ。少し前に転校していったシルビアと仲が良かったみたいだが、業間などに他のクラスメートと話しているところを滅多に見なかった。シルビアと話していない時は、自分の席で独り読書をしていた。

 変わったのは、カナが転校してきてからだろうか。少なくとも僕とアンネが話すようになったのは、カナが来てからのことである。

「アンネだってカナのことが好きなんだろう? それと一緒だよ」

 一応そう言ってみるが「私は男女間の友情って信じないから」と一蹴されてしまった。

「変な噂立てないでくれよ?」

「話すような相手がいない」

 薄く笑って、アンネは自分の席へ戻っていった。


 今日もカナは学校を休んだ。まあ、二日連続で休んだくらいでどうと言うこともないのだけれど。

「あれ、一年また来たの?」

 ホームルーム後、そんな声が聞こえたので入口の方を見て見ると、バキアが立っていた。

「はい、連日すみません。……あの、カナ先輩は」

「残念だったな、今日も休みだ」

 入口の近くに立っていた男子がそう答えると、またも残念そうに戻っていった。バキアのその後ろ姿は、昨日よりも随分小さく見えた。


 ――あんた、カナのことが気になっているんでしょう?

 空いている隣の席を見て、昨日の昼休みにアンネに言われた言葉を思い出した。カナが休みでいないので、余計に意識してしまう。

 僕は今まで誰かを好きになったような経験がない。勿論身内だとか友達だとかを好きだと思うことはあるが、女子に対して恋愛感情を抱いたことがないという意味である。

 ――私は男女間の友情って信じないから。

 アンネはそう言っていたが、僕には友情と愛情の違いが分からないのだ。

(僕はカナが好きなのか?)

 自問するが答えは出なかった。


 翌日。学校へ行くとカナが学校へ来ていた。二日合わなかっただけだというのに、何だか久しぶりに見る気がする。

(……気持ち悪いな)

 そんなことを考えた自分に吐き気がした。

「やあ、おはようカナ。具合はもういいのか?」

 声をかけると、カナはにこりと笑って挨拶を返してくれた。

「おはようレオン。うん、軽く風邪を引いただけだったから」

 元気そうなカナの姿を見て安心している自分がいた。

(アンネのせいだ)

 アンネにあんなことを言われたから、変にカナを意識してしまう。しかしこれは恋愛感情とは別のものだと思った。男子が女子を意識するのは当たり前の感情だと。


「えー、それでは一つだけ連絡を」

 ホームルームで、僕はいつものようにセノンユ先生からの連絡を聞き流そうとしていた。しかし次に先生の口から出てきたのは予想外の言葉で、僕は自分の耳を疑った。

「実は、カナが転校することになった」

 皆もかなり驚いたようで、教室が少し騒がしくなった。

「四日後の建国記念日前日までとなる。急な決定でこんな風にぎりぎりの発表になってしまったが、残り僅かな時間を大切に過ごしてやれよ」

 その後、ホームルームはすぐに終わった。初めに席を立ったのはアンネだった。席を立つなりこちらへ向かってくる。

「今の話、本当? ……って、嘘なわけないよね」

 アンネとしては、親しくしていたシルビアがつい最近転校し、カナまでもが転校となると辛いものがあるのだろう。

「うん、実はね。自分から言うのもあれかな、と思って黙っていたんだけど」

「建国記念日前日までってことは、建国記念日当日は……忙しいよね」

 因みに、建国記念日は全国共通で休日だ。アンネが訊くとカナは首を横に振った。

「そうでもないと思うよ……でも、どうして?」

 その答えを聞いてアンネは安堵していた。そして、

「もし迷惑じゃなかったら、どっか遊びに行こう」

 そう言った。


「レオンも行くでしょう? カティリアも」

 急に話を振られて僕は吃驚した。

「えっ?」

 カティリアは乗り気なようで、急な振りにも動揺せず「お、それいいねえ!」と返している。

 カナは暫く考え込んでいたが、一度頷いたかと思うと顔をパッと輝かせた。

「私、そういうこと今までしたことなかったの、楽しそう! 本当にいいの?」

「勿論。ねえ、レオン?」

 アンネは一昨日のようなにやけ顔で僕に訊いてきた。

「ああ」

 僕は頷くしかなかった。その時はアンネの勢いに押されて頷いた感じだったが、カナが楽しんでくれればそれでいいと思った。

「そうとなれば早速計画立てないとね。カナ、明日までに確認取れる?」

「うん、聞いて来るね」

 アンネはいつになく張りきっているようだった。

「お前、そんなキャラだったっけ?」

 カティリアが茶々を入れた。

「そうだけど、何か問題でも?」

 そんな二人のやり取りを見て、僕とカナは顔を見合わせて笑った。それにつられて二人も笑いだした。


 その日の放課後、僕はふとあることに気が付いた。

(そういえば今日、バキア来なかったな)

 その日からバキアは訪ねて来なくなった。

 今日来ればカナに会えたのに。そして、今会いに来なければカナは転校してしまうのに……。しかし教えに行ってやるような仲でもない。

(あいつは間が悪いな)

 そう思うだけにしておいた。


 翌日。

「許可取れたよ! 何時まででもいいって」

 カナが嬉しそうに報告してきた。

「本当? よかったー!」

 アンネも嬉しそうだ。それにしてもこの二人、随分と仲良くなったものである。此処にカサルがいれば、きっと指をくわえて悔しがっていた所だろう。

 正直、僕も少し羨ましいと思ってしまう程だ。

「なあ、遊びに行くって何処へ行くんだ?」

 喜び合う二人に水を差すようだが、僕は聞いた。あと三日しかないのだ、計画を立てるのなら早い方がいい。

「カナが引っ越すわけだから、カナの行きたいところにしようと思っていたのだけれど。カナ、どこか行きたいところある?」

 アンネのことだからプランが既に立てられているのでは……等と思っていたが、そんなことは無いらしい。むしろ丸投げな感じだった。

「うーん……遊園地、とかかな。私、そういう施設に行ったことがないからよくわからないんだけど」

 苦笑交じりにそう言うカナ。タビィから越してきてまだ一か月と少ししか経っていないのだ。分からなくても仕方ない。

「遊園地か……確か第五区にあったよね? 私も実はあまり行ったことがないから詳しくはわからないけれど」

 僕もそういう情報には疎い。外出することが少ないから、区外の情報はさっぱりだ。

「ああ、五区は遊べるところ結構あるぜ。近いとこなら、電車で片道一時間くらいだ」

 答えたのはカティリアだった。

「よく知ってるな、そんな事」

「小さい頃よく遊びに行ったからな。それというのも、餓鬼ん頃は五区に住んでたんだ。だから少しは知ってるのさ。俺をただのバカと思うなよ?」

 小突かれた。カティリアが地理に詳しいなんて……と意外に思っていた所だったので、少しどきりとする。顔に出ていただろうか。

「そんなこと思ってないさ」

 一応口でそう答えておく。

「片道一時間か……ちょっと掛かるけどいいかな。その辺りにする方針でいこう。今晩調べてみるから、続きはまた明日ということで。……あ、他に何かあれば」

 淡々と進めていくアンネ。

「異議なし」

 カティリアが口火を切ったので、「右に同じ」と言っておいた。


 その後の計画はスムーズに進んだ。というか、主にアンネが立てたものなのだが。

「……で、当日は八時に学校前集合。集まったところですぐそこの駅から五区に向かう、って感じでどう?」

「異議なし」

「右に同じ」

「右に同じ」

 そんなやり取りが延々と続く。……実際はそこまで長くは続かないが。

 途中で流石にアンネに言われた。

「なんか私一人が決めてる感じだよね、これ」

 自分だけが張り切っているみたいで空しくなったのだろう。勿論、そんなことは無いのだが。

「言いだしっぺが指揮を執るのは妥当だろ」

 そう言ったら、「まあ、そうだよね」と納得してくれたようで安心した。

 着実に計画が進んでいる中で、着実に時間も過ぎていく。カナと過ごせるのもあと僅かなのだ。カナは純粋に皆で遊びに行く日を待ち侘びているようだったが、僕は少し複雑な気分だった。

 ――あんた、カナのことが気になっているんでしょう?

 数日前に言われた言葉。

 そうなのかもしれない、と思い始めている自分がいた。


 建国記念日前日。カナが学校へ通うのは今日が最後だ。

「短い間でしたが、今日まで有難うございました。この一か月、皆と過ごした事は私にとってとてもいい思い出になりました。田舎から来たもので学校になれていなかった私を、温かく受け入れてくださったことには本当に感謝しています。少し遠くの方へ行くのでもう会えないかも知れませんが、またどこかで見かけたら、ぜひ声をかけてください」

 午後のホームルームでカナがクラスに向けての挨拶をした。どこかから微かに鼻を啜る音が聞こえる。今まで誰かが転校すると言ったときに泣いていた人などいなかったと思う。陰で泣いていたのかもしれないが、全体の中で啜り泣く声が聞こえたことは無かった。

 彼女は何処か特別だ。久しぶりにそんなことを思った。

「それじゃあ明日、八時に学校ね。電車の時間もあるんだから、遅れないでよ」

 帰り際、アンネに言われた。カナは他の皆との別れの挨拶をしている。僕やアンネは明日も会えるのだから、今日はそこまで話さなかった。

「わかってるよ」

 僕は割と時間には正確な方だ。今のは念のためという奴だったのだろうが、少しだけ心外だった。

「少しはお洒落してきなさいよ? 最初で最後のチャンスなんだから」

 その台詞に対する文句がパッと浮かばなかった。言葉が出て来る前にアンネは帰って行ってしまった。

(最初で最後のチャンス、か……)

 もしかしてアンネは、その『チャンス』を作るためにこんな機会を設けようとしたのだろうか。先程の台詞を受けて、そんな気がしてきた。

 アンネ自身がカナとの思い出を作りたかっただけなのだろうが、もし少しでも『チャンス』を作ろうだなんて考えていたら、それは余計なお世話だと思った。

 しかし、嬉しくなくはない。


 翌朝。少し早めに家を出た。このことから、なんだかんだ言って自分がとても楽しみにしていることが分かる。

 学校に着き、流石に誰も来ていないだろうと思ったのだがカナがすでに来ていた。

 私服だと制服の時とはまた違う印象になる。髪型が違うというのも大きいかもしれない。少し下目の位置で髪を二つに縛っていた。いつもは下ろしたままなので、随分とすっきりした感じがする。

「おはよう、カナ。早かったんだな」

 下の方を見ていたカナに声をかけると、彼女は顔を上げた。

「ああレオン、おはよう。楽しみだったからつい早く来すぎてね。そう言うレオンも早くない? まあ、私は言える立場じゃないけれど」

「僕もそれだけ乗り気だったってことさ。それに昨日アンネに釘を刺されたんだ、絶対遅れて来るなよって」

 そうこう話しているうちに二人もやってきた。

「それじゃあ行こうか」


 そうして長い一日が始まった。


 僕たちが行った第五区の遊園地は、それなりの賑わいだった。一つのアトラクションの待ち時間に何十分も取られるようなことは無いが、園内はたくさんの人で溢れ返っている。

「うわあー、凄いな……」

 こういう所に来たことがあるのはカティリアだけだった。他三人は初めのうち、園内の賑わいように圧倒されていた。

「最初、何行く?」

 訊かれても今一勝手がわからないから答えられない。

「僕は何でもいいよ」

「あ、あれとかは?」

 カナが指さした先にあったのはジェットコースターだった。僕としては意外だが、カナは絶叫系が好きなのだろうか?

「おぅ……なんか怖そう。でも、乗らないわけにいかないよね」

 これまた以外なことに、アンネも随分乗り気なようだった。

「じゃ、あれにしよう」

 そう言った十数分後、僕はそれを後悔することとなった。


「うえ……」

 恐怖の時間が無事に終わった。

「ジェットコースターになんかもう乗らない……絶対」

 僕が項垂れていると、隣でカティリアに笑われた。

「男がそんなんでどうする」

「そういうお前も膝ががくがくじゃないか」

 因みに声も震えていた。

「二人とも、高いところ苦手だった?」

 そう言うカナは何ともなさそうだ。むしろ、とても楽しめた様子。

 アンネはというと、

「次、どこ行く?」

 僕たちのことを気遣う気などないらしい。

「次は緩いのに行こうぜ。カップまわす奴」

 カティリアが言った。休むという選択肢は無いのか。そうつっこむのを我慢し、僕はこう言うだけに留めておいた。

「コーヒーカップね」

 

「遊園地を舐めてかかり過ぎた……」

 正午過ぎ、僕たちは遊園地内のレストランに来ていた。僕はカティリアと二人で机に突っ伏している所だ。

「二人とも免疫なさすぎじゃない?」

 アンネがストローを咥えながら言った。自分でもそう思っていたところだ。

「何はともあれ、カナが楽しんでくれればいいんだけどさ。まさかコーヒーカップで悲鳴を上げることになるとは思っていなかったなあ」

 カティリアがふう……と長いため息を吐いた。

「ああ、あれな。あんなに回されるとは……って僕も思った」

 あの後、僕たちの乗ったコーヒーカップは物凄い勢いで回った。カナとアンネが延々と回し続けたのだ。しかしスピード制限がある。少し経ってはスピードを落とされ、少し経ってはまたスピードを落とされの繰り返し。カナはどうやらガタンと止められる感じにはまったようだった。アンネもなかなかに楽しんでいた。女子二人がハンドルを握り、僕たちは二人で仲良く悲鳴を上げたのだった。

「はーあ。男子がこれじゃあ、お化け屋敷とか行っても女子憧れのシチュエーションになんて成り得ないでしょうね」

「お化け屋敷のって、『キャッコワイッ!』って奴か?」

「そう。あんたらの場合は、どちらかと言えばやる側でしょう」

 カティリアと楽しそうに会話しているアンネに、カナが茶々を入れた。

「もしかしてアンネ、キャッっていう奴やりたかったの?」

 それに対し、アンネはすました顔でさらりと返した。

「冗談。私はそう言うタチじゃない」

「図星かあ……」

「何で!?」

 カナはどうやら聞く耳を持っていないらしい。それにしても、アンネがこんな風に声を上げて取り乱すとは。見る見るうちにアンネの顔が赤く染まっていく。

 どうやら本当に図星だったようだ。

「お相手はどなたかなあ? 詳しい話はまた後で教えてね?」

 にんまり顔で言われてしまい、今度はアンネが机に突っ伏す番だった。

「もうこうなったら午後も絶叫系で攻めまくってやる」

「なんか……今日の目的をお忘れでないか?」

 そう言って上手いこと絶叫地獄を逃れようとしたのだが、

「あ、私は別に絶叫攻めでも構わないよ?」

 カナの一言によって地獄は現実となった。


 あっという間に時間が過ぎ、午後四時を過ぎた。明日は学校もあるし、カナだって、そうは言っても引っ越しの準備があるだろう。そろそろ帰らなくてはならない。

「なんだかんだ言って、今日は楽しかったな。こんな風に遊んだのはいつ振りだろう」

 誰ともなくそんな台詞が聞こえる。

 本当に今日は楽しかった。一日がとても長く感じたが、思い返してみればあっという間だったような気もする。何はともあれ、この後は各々の家へと帰るだけだ。

 このメンバーでの外出は今日が最初で最後。

 皆、残り僅かな時間を惜しんでいるようだった。

「あの、実は……」

 帰りの電車を待っている間、カナが改まって口を開いた。

「私、レオンに話があるんだ。少しだけ時間をかけて話しておきたいことがあるの」

「こうして会えるのも今日が最後だもの。少しと言わず、たっぷり時間をかけて話なさいな。勿論レオンだって、この申し出を断るようなことはしないでしょう。何処か適当な喫茶店にでも入って話をしてくればいい」

 僕はというと、いきなりの申し出に戸惑っていた。

(カナが僕に話?)

 何の用だろう。どんな話をされるというのだろう。

「そうとなったら私たちは先に御暇しないとね。カナとのお別れは此処で、って形になるのかな」

 アンネとカティリアは顔を見合わせた。そしてカナに向き合う。

「本当に私、あんたには感謝しているの。カナのおかげで少しは変われた気がする。……転校先でも元気でね。またどこかで会えたら、その時はまた声をかけてよ」

 気丈に振る舞っていたアンネだったが、目には涙が浮かんでいた。

「俺はカナが来てから直ぐに学校休んじまったから、一緒に過ごした時間は皆の中で一番短いわけだけど。それでも、少しでも一緒に過ごせて楽しかったぜ。ありがとな。カナは美人だし頭もいいから、何処へ行ってもうまくやっていけるんだろうぜ。だからこんなことを言うのは何なんだが、お互い頑張っていこうな、色々」

 カティリアはカナの肩にぽんと手を置いて、直ぐに手を下した。後は女子二人の時間を邪魔しないようにという彼なりの配慮なのだろう。

 二人はいくらか言葉を交わした後、抱き合って涙を溢した。短い間に築かれた二人の絆はとても深かったようである。

「青春だな……」

 カティリアがしみじみとそんなことを呟いていた気持ちが、なんとなくわかった。

「ああ。羨ましい限りだ」

 間もなくして電車が到着した。


「さてレオン。場所を移動しようか」

 二人の乗った電車を見送った後、僕たちは歩き始めた。カナには明確な目的地があるようで、足取り確かにずんずん歩いて行く。僕は彼女の導くままに付いて行くが、歩けば歩くほど人家が減っていき景色が寂しくなっていった。

 カナはある更地の前で足を止めた。周りが廃屋ばかりであるだけに、綺麗に平らにされたそのスペースは少し浮いて見えた。

「さあてと、此処で話をしようか。レオン・シュノー」

 言いながらカナは僕に向き直った。改まってフルネームで呼ばれ、ドキリとする。一体何の話を始めるというのか。

「これからいろいろとぶっちゃけた話をする。まああんたと会うのは最後だし、カナ・ギダワークとして生きるのも今日で最後だから、ある程度のことなら話していいって上から許可が出てるからな」

「……カナ?」

 僕は耳を疑った。今の言葉は果たして本当にカナの口から出た言葉なのか。目の前に立っているのは確かにカナ・ギダワークであるのに、まるで別人と話しているようで変な感覚だった。

「いや、俺はもうカナ・ギダワークじゃねえ。初めましてお兄さん。俺はウルフ。以後お見知りおきを」

 そしてカナ――もといウルフと名乗るその少女は軽く一礼した。

(どこかで覚えのある動作だ)

 そう思ったら、それは彼女が転校してきたその日にした僕の動作そのものだった。

 何が面白いのか、彼女はくつくつと笑う。温かみを感じないその瞳に背筋が凍った。バキアが教室を訪れた時に見せた、レイによく似たあの顔だ。

「鳩が豆鉄砲を食ったようってのはこういうのを言うんだろうねえ。お兄さんの顔傑作だよ」

 カナは何処へ行ったのか。少女にはカナの面影が残っていなかった。背丈や顔のつくりは変わっていないのに、まるで別人である。全く変な感覚だ。

「もうカナ・ギダワークじゃないってどういう意味だ? そもそも君は何者なんだ」

「さっき名乗ったんだけど、それだけじゃ不十分だったかい? ……そうだな、本来ならあるまじき行為だが今回は特別に素性を明かすとしようか。一応上から許可とってあるからね。さっきも言ったが俺はウルフ。ワヌーム隊に所属している。これは自慢だが、ワヌーム隊でウルフと言えばなかなかの評判なんだぜ?」

「ワヌーム隊!?」

 僕はその言葉に反応した。両親が殺された時にお世話になったというワヌーム隊。話でしか聞いたことがなかったが、まさかこんな形で隊員に会うことになるとは。

 それにしても、彼女はどこからどう見てもまだ子供である。犯罪者の相手だってするだろうに、子供にそんな仕事が務まるものなのだろうか。ドヤ顔で言っていた「なかなかの評判なんだぜ?」という言葉は信憑性に欠けていた。

「そーそ、ワヌーム隊。お兄さんも過去に世話になったらしいな。まあ大分昔の話だし覚えてねえかもしんねえけど。……で、ついでに説明しちまうと、カナ・ギダワークってのは架空の人物だ。俺が学校に潜入するために適当にそう名乗ってただけ。お兄さんが愛したカナの正体は俺だったわけですよ。想っていた相手がこんな奴だったなんて、お兄さんにとっちゃいらない情報だったかな? まあしかしこれが現実だからな。何だったらキスくらいはしてやるぜ?」

 ニヤニヤしながら言うウルフに僕は圧倒されていた。反論の言葉も出てこない。

「そんなに引かなくてもいいじゃん。本気で言ってるわけじゃないんだからさ。ちと冗談が過ぎたかな。反省反省。さてと早く本題に移らないとな」

 暫しの間、彼女が一人で喋っていたことになる。しかし僕もようやく口を開いた。

「そうだよ、話っていうのは何なんだ? さっき『今回は特別に』、とかなんとか言ってたけど」

「お兄さんと会わなくなる前に、殺人鬼レイについての情報収集をしておかねえとと思ってな。しかしそんな話は学校ではできない。だからこうしてこんな場所に来て話をしているのさ。お兄さん、レイに会ったことがあるんだろ? 会って尚、生き残っている。どんな経緯でそんなことが起こり得た? それを詳しく教えてほしい」

 ――確かに君は、レイに似ている。

 ――え、ちょっと待って。なんでそんな事わかるの?

 いつかのそんなやり取りを思い出した。

「僕の話をすればいいんだな?」

 訊くと、ウルフは満足そうにうなずいた。

 僕は自分の過去に起きた話をかいつまんで話した。レイの話が聞きたいとのことだったので、カティリアから聞いた話も少しだけ交えながら。

 するとウルフは「ふーん、なるほどねえ……」と何度も頷いた。

「いや全く、君はとても不幸な奴だ」

 今までこんな風に過去の話をしたことがなかったものだから、そうやって同意してくれる人がいると少しだけ気が楽になった気がした。しかし、続いた言葉は僕の考えとは少し異なるものだった。

「レイに会っていながらレイに殺されなかったというのは。下手にこの世で生きて下手に殺されてしまうよりも、レイに一思いに殺してもらえる方が楽だからねえ。まあ、死んだことのない俺が言うのも変だけどよ」

「レイに殺してもらえる方が楽、だと?」

 随分おかしな言い方だ。殺してくださいと頼んだわけでもないのに、殺して『もらえる』というのはどうなのだろう。

 そもそもレイに殺されるのが楽だなんてどうして言えるのか。あんなふうにぐちゃぐちゃにされることの、どこが『楽』なのだろうか。

「お兄さん、今一ピンと来ていないみたいだね……。いいか、レイは殺人鬼だ。殺人鬼は人を殺して生きていく。人殺しが彼の日常で、人殺しこそ彼の人生なんだ。いわば殺しのプロと言っても過言ではない。そんなプロに殺されるのと、他の素人に殺されるのとでは、どっちの方が楽に死ねるか。お兄さんにもなんとなく想像はつくだろ? ま、つまりはレイの殺しは綺麗なんだ。十年近く前のことだからお兄さんはあんまり覚えてないかも知れないけどね、レイは対象者が死んだのを確認してから体を切り刻むんだ。だから俺は、こんな腐った国で生きていくよりも、綺麗に殺されてしまった方がいいと思うことが時々あるよ。……おっと、話がそれた。えーっと、つまり何が言いたかったのかっていうとだな、お兄さんの両親は、お兄さんが思っているほど苦しまずに死ねたんじゃないかなってこと。今更って感じだし、気休めにもなんねえかも知れないけど」

「……」

 彼女の考えがいまいちわからなかった。情けのつもりか? ……いや、被害者家族の心のケアも仕事のうちなのだろうか。

「んー、ま、そういうこったから。あんま深い意味はねえよ」

 結局何の言葉も返せぬままに次の話へ移ってしまった。

「一つ確認したいんだが、レイはあんたに『お前は可愛いから殺さない』って言ったんだな?」

「あ、ああ。そうだ」

「ふーん、そう。それこそ、お兄さんは不幸な奴だな。殺人鬼に好かれちまうなんて、罪な男よのぉ。あーあ、実に残念極まりない」

 口調が少し古臭かったのも気にはなったが、『残念』とは……。不思議に思い尋ねてみたが「んいやあ、こっちの話」とあしらわれてしまった。

 それから暫しの沈黙が続いた。彼女は僕の目を真っ直ぐ見つめて、僕はそんな彼女から目を逸らすことができなかった。いつもなら恥ずかしさや気まずさから直ぐにそっぽを向くところなのに。彼女の目に吸い寄せられているかのような感覚だった。

「本当に、残念だ……」

「え?」

 少し寂しそうな表情で彼女がふっと呟いた。咄嗟に声を上げてしまったが、再び見ると彼女は既に先ほどまでの表情に戻っている。そして何事もなかったかのようにこう言った。

「さてと、お兄さん。レイに何か伝言はあるかい? 俺はこれからあの殺人鬼に会う予定があるからな。お兄さんは特別なんだぜ? こんな機会は滅多にない。っていうか、この機会を過ごしたら、こんな機会はもう二度とやっては来ないだろうぜ」

 レイに伝言?

 僕は目を丸くするばかりである。

「そうだなー例えば『ふざけんな』とか、『俺はお前なんか好きじゃねえぞ!』とか? ……あーこれは確かに、『伝言ない?』とか聞かれても困るわな」

 一人で喋って、頭を掻きながら苦笑いをするウルフ。いや、僕が戸惑っていたのは其処に対してではないのだが。

「レイに会う予定があるっていうのは、どういうことなんだ?」

「そのまんまの意味だよ。世間を騒がす殺人鬼を、ちょいとやっつけに行ってくるのさ。今すぐにってわけじゃねえけどな」

 その言い方はまるで、ついそこまでお使いに行ってくるかのような、そのくらいのノリだった。

 あの殺人鬼を『やっつけに』行くだなんて、そんなことを軽いノリで言っていいものか。冗談の類なのだろうかと思った。

「で、伝言は無いね?」

 僕はそれに頷いた。

「まあ取りあえずの用件はもう済んでるんだよなー。そろそろ帰んないと、お兄さんも困るだろうし」

 腕時計で確認してみるとそろそろ六時を回ろうとしているところだった。日もだいぶ傾いて少し薄暗くなってきている。

「ああ、そろそろ帰らないと家族が心配する」

 片道一時間だから、今から帰り始めても七時を過ぎてしまう。

「電車賃は俺が出すよ。なんだかんだで一時間以上もとっちまったからな。せめてものお返し」

 そう言いながらニコッと笑った彼女の顔は、僕の知っているカナの表情だった。

「ごめんね、レオン。今まで騙していて」


 次の瞬間、彼女の柔らかい唇が僕の唇に重ねられていた。


 その瞬間がとても長く感じた。いきなりのことで身動きができず、僕はされるがままだ。カナが離れても、僕は暫くの間ぼうっと突っ立っていた。

「これで許してちょ」

 先ほどまでのカナの面影はすっかり消えていた。ウルフはニヒヒと歯を剥いて笑ってから僕に背を向けた。

「さあ急ごうぜ、お兄さん。さっさと帰ろう!」

 そう言う彼女の声が少し震えているように感じたのは、気のせいだったのだろうか。


 電車の中では特に会話もなく、ただ隣に座って一緒に揺られながら一時間を過ごした。第六区中学付近の駅で降りるとウルフはこう言った。

「家まで送るよ。もう七時を回っちまったから。世の中物騒だからな、何が起こるかわからない」

 断ろうとしたが彼女は聞く耳を持っていなかった。半ば強引に僕の後をついてきたのだった。

「なーんか寂しいねえ。たった一か月程度の付き合いだったけど、それもあとものの数分で終わっちまう」

 頭の後ろで手を組みながら、ウルフはしみじみと言った。

 これで最後だというのに特に会話もなく、あっという間に自分の家に着いてしまった。

 見ると、家の窓から明かりが漏れていない。表に車も止まっていなかったので、どこかへ出かけているのだろう。

「ね、お兄さん。最後にぎゅってしてもいい?」

 驚きはしたが抵抗は感じなかった。

「あんなことをしておいて、今更許可を取る必要もないだろう」

「あれは、時間をとったののお返しだったからさ」

 そう言いながら、僕の背中に手を回すウルフ。小さな体に似合わず力強く抱きしめられた。やめておこうかとも思ったが、僕も彼女の背に手を回した。

「あーあ、お兄さんといると調子狂うよ、ホント。自分がどんどん落ちこぼれてくんだ」

 今度は確かに震えていた。声も、身体も。彼女は泣いているのだ。

 僕は彼女の背中に回している手にさらに力を込めた。

「俺はあんたのことが嫌いだった。……あんたなんか、大っ嫌いだ」

 そんな風に言いながら、涙を流すウルフ。

 気づいた時には自然と口が動いていた。

 

「僕は君が好きだったよ」

  (レオン・シュノーの場合――続)

今回は少し長々と書きました。ようやく学生っぽいことができて少し楽しかったです。

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