バキア・ネイシムの場合-2
15 バキア・ネイシムの場合‐2
翌日、クラスメートに昨日のことを散々からかわれてしまいました。
「よ、勇者!」
とかなんとか言われたりして。皆、僕がカナ先輩に告白しに行ったものだと思っているようです。誤解を解こうにもどう説明すればよいかわからず、結局好きに言わせておくことにしました。変に言い訳を始めても逆効果でしょうし。
放課後、約束通りウルフさんに例の紙を渡しに行きました。昨日のようなことを逃れるため、玄関前で待つことにしました。
「よ、勇者。今日も当たって砕けて来るのか?」
待っている途中、またもやクラスメート達にからかわれました。
「そんなんじゃないですよう! というか、砕けるの前提なんですか!? 今の言い方、まるで昨日も当たって砕けて来たみたいじゃないですか」
反論はしないようにしようと思っていたのに、ついつい突っ込んでしまいました。
「あはは。その言い方からして、どうやら自信があるみたいだな。可愛い顔して実は肉食系? みたいな」
僕を好きなだけからかった後、彼らは帰っていきました。どうやら、僕のあだ名は『勇者』で確定してしまったようです。暫くはこのネタで弄られるかもしれません。僕は密かに覚悟を決めました。
と、ウルフさんが出てきました。つい「ウルフさん」と声を掛けそうになり、僕は慌ててそれを飲み込みました。そうこうしているうちに、ウルフさんの方が僕に気づいたようです。
「バキア、何やってるの?」
まだ学校の敷地内なので、カナ先輩の口調でそう声をかけられました。普段なら呆れられるところですが、表情も少し穏やかです。
「あ、いえ。カナ先輩を待っていたんですよ」
「そっか。それじゃあ、歩きながら話そう」
周りの目を気にしながらの会話なので、少し会話の流れが不自然になってしまいます。早くその場を離れることにしました。
十分ほど歩いて人気が少なくなってきたところで、僕は例の紙を取り出しました。
「これです、ウルフさん」
剝き身で渡すわけにもいかないので、僕が勝手に適当な封筒に入れておきました。ウルフさんの仕事上、他の人に見られたらいけない内容なのかもしれませんし。余計なお世話かもしれませんが、念には念を、という奴です。
「おう、サンキュ」
「それじゃあ、僕はこれで失礼しますね」
無事手紙を渡し終えると、ウルフさんにそう告げました。
「あ、アカネ、帰り道気を付けろよ」
別れ際、ウルフさんに声をかけられました。
「わかってますよ」
僕はそう返事をして、自分の家を目指しました。
「やあ、少年。レイには会えた?」
不意に尋ねられました。僕ははっとして辺りを見渡します。僕のすぐ後ろに、何時ぞやの占い師さんが立っていました。それ以外には誰の姿も見当たりません。
「いえ、レイには会えませんでしたよ。カナ・ギダワークはレイではなかったんです」
そう言っても占い師さんの顔色が変わることはありませんでした。まるで、こう答えが返ってくると予め知っていたかのようです。ただ人のよさそうな笑みを浮かべているだけ。やはり、カナ・ギダワークがレイではないことを初めから知っていたのでしょう。初めて見た時はあんなに綺麗に見えたのに、今の僕にはその顔が不気味に見えました。
「そう。……ところで、あの紙をきちんと渡してくれたかい?」
優しい声のまま、またも尋ねられました。僕が頷くと占い師さんは「有難う」と言い、それから――
「お勤めご苦労様でした」
右手を振り上げたのです。
占い師さんの裾の隙間から、鋭い刃物が顔をのぞかせました。僕は一気に恐怖に駆られました。慌てて逃げようとしますが、足がもつれて転んでしまいました。占い師さんは平然と僕を転がして仰向けにし、僕の腹の上に馬乗りしました。
「君には特別に教えてあげよう。俺が、殺人鬼レイだ」
先ほどからレイの手刀が首筋にぴったりとくっつけられています。僕が彼から逃れることはもうできないのだと覚悟をしました。僕ももうじき弟と同じ末路を辿るのだと。
「何故、そんなことを教えてくれるんです?」
最期くらいは格好よく決めたいところですが、無様にも声が震えます。恐怖で目に涙が滲んできました。こんなことなら、さっさと殺してしまってほしい。そんな風に思う一方で、誰か助けてくれないだろうかという思いの方が強かったのです。こんな会話、時間稼ぎにもならないのかも知れません。しかし、僕が僕を少しでも長く生きるための、これが唯一の方法でした。
「君が俺たちにとって特別な存在であるからだ。おかしな話だけれど、俺はあいつの登場を待ち望んでいるのさ」
柔らかな声でそう続けるレイ。驚くほどに殺気が感じられませんでした。次第に僕の気持ちが落ち着いて行きます。
気持ちが落ち着いたところで、僕は先程のレイの台詞を思い返しました。
――君が俺たちにとって特別な存在であるからだ。おかしな話だけれど、俺はあいつの登場を待ち望んでいるのさ。
レイの台詞には、幾つか不思議な点があります。その言葉の意味は僕には理解できませんでした。しかし『あいつの登場』という言葉の意味を、もう少しで知ることとなります。
「そこのお兄さん! 一体何をしているんだい?」
と、何処からか馴染みのある声がしました。相変わらずレイに乗られたままなので確認することができませんが、その声の主がウルフさんであることはわかりました。
「そいつは俺のもんなんでね。手ぇ出さないでくれる?」
ウルフさんが僕の視野の中に入りました。制服のスカートの下に学校指定のジャージを穿いています。髪は無造作に束ねられ、いつものキャップを被っていました。物凄い格好ですが、確かにカナ先輩だとはだれも思わないでしょう。
ウルフさんの手には拳銃が握られていました。銃口をレイに向けています。
「どけ」
とても低く冷たい声でした。意外にもその言葉に大人しく従い、レイは僕から離れました。僕は展開について行けず、目を白黒させるばかりです。
「23、1、7、1、1、9、19、21、18、21、9、13、15、21、20、15、25、15」
突然、レイが数字を唱え始めました。そういえば、あの紙にも数字がたくさん書いてありましたが、何の意味があるのでしょう。ウルフさんもピンと来ていない様子です。
「まだ流石に読んでいないのかな。あの手紙、きちんと目を通しておいてくれよ」
すると、レイはくるりと向きを変えて歩き始めました。
「待てよ! 逃げるのか?」
ウルフさんが声を上げました。レイは一向に足を止めません。ゆっくりと、しかし確実に歩みを進めます。
「逃げるんじゃない。いずれお前とは会う。ただそれが今ではないというだけで」
「こいつを殺さなくていいのかよ、殺人鬼」
思わず、「ええっ」と声を上げそうになりました。今の台詞でもしレイの気が変わったりしたら、僕の命が危ないではありませんか! レイがこちらを振り向いた時は、もしかしたらと焦りました。しかし、尚も足を止めません。
「予定変更だ。俺はその子を殺さない。ウルフ、俺はその子のことが好きになったのさ」
その台詞に僕は安心しました。殺人鬼に好かれたなど、ぞっとする話ですが。
「……最後に一つ。レオン・シュノーの名に聞き覚えはあるか」
二人の会話はそれで最後となりました。ウルフさんの質問に返答は無く、レイは薄く笑って去って行きました。
暫く僕は立ち上がることができませんでした。先程の二人の会話について行けず混乱していたというのもありますし、ただ単に極度の緊張から解放されて体に力が入らなかったというのもあります。ウルフさんも暫くはレイが去って行った方向をじっと眺めていました。通行人はだれ一人おらず、遠くの方から聞こえてくる車やバイクのエンジン音が響いていました。
「バキア、立てるか」
僕が立ち上がったのは、ウルフさんに話しかけられてからでした。その時、あだ名で呼ばれなかったということに僕は気づきませんでした。
「ああ、はい。もう大丈夫です。その、有難うございました。また助けていただいちゃいましたね」
僕はそう言ってにへらと笑いました。ウルフさんが手を出してくれたので、遠慮なく貸してもらいました。まだ若干足に力が入りませんが、立てないことはありません。歩くことくらいなら可能です。
「悪いな、もう少し早く来てやれれば、お前に怖い目見せずに済んだのに」
「そんなことないですよ。十分助かりました」
そう言うと、ウルフさんに頭を撫でられました。とても乱暴な撫で方で頭が左右に振られましたが、ウルフさんにこんなことをされたのは初めてだったので少しだけ嬉しく思いました。
「なあ、バキア。よく聞けよ」
僕の頭の上に手を置いたまま、ウルフさんは徐に口を開きました。
「はい、何ですか?」
その後、ウルフさんは少しの間顔を伏せていましたが、やがて顔を上げてこう続けました。
「俺はお前が大っ嫌いだ。だから、金輪際俺と関わろうとするな」
その時のウルフさんは、とても綺麗な笑みを浮かべていました。いつもの乱暴な笑い方でもなく、カナ先輩の時のような大人しい笑い方でもなく。言葉で僕のことを突き放しておいて、何故こんな顔をするのだろうと思いました。
「ウルフさん……?」
ウルフさんはその後何も言わず、その場を立ち去っていきました。彼女の背中が見えなくなってからも、僕は暫くその場を動くことが駅ませんでした。
翌日、二‐二教室を訪ねてみました。あの台詞の真意を聞きたかったのです。しかし、ウルフさんの姿は見当たりませんでした。
「カナ先輩、いらしてないのですか?」
近くにいた先輩に尋ねてみたところ、今日は体調不良でお休みなのだそうです。次の日も同じように訪ねてみましたが結果は同じでした。三日も連続で訪ねるのはどうかと思い、それ以降は自粛しました。
「あれ、勇者、今日は先輩のところ行かないの?」
クラスメートのそんな軽口に、僕は力なく頷きました。
「まあ、しょうがないよ。カナ先輩はお前には高嶺の花だったんだ」
気が付くと、僕の頬には涙が伝っていました。クラスメートの彼は僕を茶化すのを止め、僕の肩に手を回してくれました。
色々な誤解はありますが、僕のことを気遣ってくれる彼はなんていい人なのだろうと思いました。僕は暫く彼の隣で泣き続けていました。
――バキア、俺はお前が大っ嫌いだ。だから、金輪際俺と関わろうとするな。
ああ言われても尚、会いに行こうとした僕が悪かったのでしょうか。僕がウルフさんを見たのは、あの日が最後となりました。
(バキア・ネイシムの場合――完)
バキアの登場はなんとなくノリで決めたのですが、思いのほか重要な役目を果たしてくれました。なかなか書いていて愛着が生まれて来るキャラでした。
また、いよいよレイ本人が出てきました。これも当初の予定にはなかったことです。今回は特に行き当たりばったりすぎましたかね(笑)




