ありふれた日
自分が超能力が使えたとして、何がいいだろうか?
代表的に挙げられるとして、物を動かす能力とか、空を飛ぶ能力だとか。そのへんだろうか?
でも俺には――いや、きっと誰にもそんな能力は必要ないのだ。
* * * * *
「いやー……暇だなー……」
チュンチュンと鳴いている雀のちょっと右下あたり、もっと言うと電柱のてっぺんに俺はいた。
不慮の事故? いいや、そんなわけじゃない。どちらかというと、自ら望んで上った。
手を使ってよじ上ったわけではなく、そこはあれ。
なんというか――空中浮遊?
まあ、そんな感じにしておいてほしい。
そんな感じというか、実際ふよふよと自身が浮いて上ったのだから、他に言いようが無い。
空は生憎の晴れ模様で……いや、生憎ではないか。俺が生憎晴天が嫌いなだけであって、生憎な空模様でもないだろう。
とにかく、空は見事に晴れ渡っており、薄い雲がわずかに流れている程度だ。雨や雪や、なんなら雹や霙が降ってくる様子など皆無だ。
自分の心情とは裏腹に晴れ渡った空が憎い。正直憎い。
そして、電柱のてっぺんから人がたくさん闊歩する道路を見ると、自分と同じく憎憎しく空を見上げている者などいなかった。
「はぁ……暇だわ……」
こんな晴天だったら、そりゃ鳥も人間も浮かれるよな……。
こうして、電柱だったりに浮かれすぎた馬鹿な小学生の如く毎日上るようになって、一週間とちょっとくらいは経ったように思う。
なんせ正確な時間が分からない為、日が昇って落ちた、くらいの計算しかできず、日が昇って落ちたのを繰り返して、今日で九回目だ。
その間何をしていたかと言うと、ぷらぷらと歩き回り、眺めの良い(主に高い場所)を見つけては、こうしてぼーっと過ごしていただけだ。
あと、
「あの人忙しそうだなー……そんな急いで行くべきところでもあんのかねえ……」
ってなもんだ。用は人間観察。
暇だが、暇をそれなりに潰してくれる本やゲームの類も持っていないので、行き交う人々を観察するくらいしかない。
平日と思しき日は、朝にはサラリーマンらしいスーツを着た男と、仲良く友達や恋人と登校中らしい学生が多く見られて、昼にはパートに行くのか、買い物に行くのか、主婦らしき女の人が道を行き、夕方や夜には職種や職業やなんかに囚われず、多くの人が見られる。
休日と思しき日には、とにかく人が溢れかえっていて、学生服を着ている人が少ないので、分かり易い。
なにより、微笑ましい家族の図があちこちで見て取れる。
なにゆえ、こんなことばかりをしているかと言えば、端的に、率直に言うと――暇だからである。
「暇、だな……」
ついでに、空を行く数多くの、種類も名も知らぬ鳥たちも、観察していたり。
九日間、ずっと晴れていたので、俺の日常はそんなくだらないものとなっていたりする。
* * * * *
「そういえばさー、アユミ、今度結婚するんだってー」
えー、いついつー? なんて会話を耳にしながら、自分の記憶の中から『アユミ』という名前の人物がいたか記憶の箪笥を物色するが、そんな人物はいなかった。
――ただ単に、覚えていないだけの可能性のが高いが。
まあ、そうであったところで、二十代中盤くらいに見える女性陣三人と俺は、縁も所縁もまったくもって無さそうだからべつにどうだっていいんだろうけどさ。
今日は公園の土管の上で、いつも通りぼーっとしている。
ぼーっとしているなりに、考えていることだったりもあるのだが――。
わずかばかりある記憶の、箪笥の一番上だか下だかの、ほんの一部しか使ってなさそうな記憶は、自分の性別と容姿と名前くらいのものだった。
男で、見た感じの年齢的には十代後半か、二十歳ちょっとくらいか……?
名前は、その辺の行き当たりばったりの勢いだけで一緒に飲んでいた人と偶然同じ名前だったくらいには、何の変哲もない名前だ。
親や兄妹の有無、恋人の有無は分からない。……さすがに友人の一人や二人、いたと信じたい。
せめてどの辺りに住んでいたか覚えていたら、帰ることくらいできそうなものなのだが……。
「うーん……」
九日間、いや今日で十日間、記憶の箪笥を数々開けてみたが、どれも空っぽで、そのくらいのことしか分からなかった。
そもそも、帰る場所を思い出したところで、そこは本来自分がいて良い場所なのか――それは疑問だった。
「うーん……」
ぐぐぐ、と首を曲げて空を見上げると、今日は生憎の曇り空だった。雨が降りそうだ。いや、俺にはまったくもって生憎ではないのだが。
今日は自分の心情に似て曇天で、なによりだ。
涼しい日には考えもはかどるしね。
今日は土曜日のはずなのだが、生憎な空模様なせいか、公園に家族連れは見られなかった。
「結局暇だな……」
一人記憶の箪笥開け閉めを繰り返していても、まったく面白くないので、そろそろ移動しようかと思った。
どこかに移動して、今にも降り出しそうな空模様を心配する人々でも鑑賞するかね――と、腰を上げたとき。
「やだ……雨、降りそう」
まさに、心配そうに空を見上げる女性が公園のすぐ隣の歩道を歩いていた。
女性は小さなポーチのようなものしか持っておらず、傘は持っていないようだった。
――なんてことのない、派手でも目立った印象も与えない彼女に、懐かしさを感じた。
たったそれだけだ。
けれど、たったそれだけでも、俺のストーカー行為は始まった。
※ストーカーは大変悪質な行為であり、相手にとても不信感を与えます。絶対にやめましょう※
* * * * *
なんてことのない、女性だった。
OLなのか、スカートタイプのスーツを着ている、線の細い感じの普通の女性だ。
顔も特別美人というわけでもなく、どちらかというと印象の薄いような顔をしている。だけど、とても愛嬌があるように感じられた。
女性はヒールをカツカツと鳴らして急ぎ足で歩き、どうにも雨が降るのを心配しているようだった。
しかし、コンビニやスーパーに立ち寄って傘を買うようなことはせず、なぜか花屋に立ち寄って、菊の切花を携えて出てきた。
――菊? こんな雨が降りそうな天気の中、墓参りでも行くつもりだろうか?
その予想通り、女性は徒歩で二十分ほどかけて霊園に来た。
たくさんの墓地が立ち並ぶ中、女性はある名前が掘られた墓石の前に花を手向けた。
「もう一年か……早いもんだね」
遠くに想いを馳せるように、女性は目線を上の逸らし、涙を流していた。
なぜかその姿は、俺の心をぎゅっと掴んで、叫びだしたいような、どうしようもない想いにさせた。
「えへへ……もう一年も経つのに駄目だね、泣いてばっかりで……。こんなんじゃ、怒られちゃうよね……」
そんな顔で――そんな声で――。
「ごめんね。こんなんじゃ、安心して寝れないよね……ごめんね……」
先ほどよりも、ずっとたくさんの涙が滲んでいた。
ポロポロと数え切れないほどに落ちる滴を、拭うべき人間がいるだろうに――。
「っ、……そんなこと……!」
――無いのに。
思わず彼女に触れようと伸ばされた手は、彼女のどこの温もりにも触れられはしなかった。
虚しく空を掻いた手は、自分の所定の位置に戻された。
彼女は小さく掠れた声で、何度もごめんねと呟いていた。
「謝る必要なんてないのに……」
――謝らないでほしい。
傍にこうしているのが、悪いことのように感じられてしまう。
傍にこうしていながらも、触れられないことがどうしようもなく悪いことのように思えてしまう。
――どうか、謝らないでほしい。
ぎゅっと握りこぶしを作った手は、爪が刺さる感触までもがしているのに――。
べつに生きていようが死んでいようが、空を飛ぶことなんてできなくてよかったのに――。
昔は、そういうことに憧れた。
物を動かす能力をすごいと思ったり、空を飛ぶ能力を欲しいと思ったり。
でも、そんなものはどうでもよかったんだ。
ただ一つ――大切な人を、抱きしめることだったり、手を繋ぐことができれば、それ以上に素晴らしい能力なんてないのだ。
そんな、生きている間にしか実感できない能力を、生きている間に気付けなかった自分は大馬鹿野郎以外の何者でもない。
彼女と並んで泣いているのに、もう触れられないのだと思うと、死を痛いほどに実感した。