第5話 孤独なる王、黒龍
前回までで田酒・十四代・南部美人・越乃寒梅が仲間に加わりました。
今回はいよいよ物語の大きな転機。
圧倒的な力とカリスマを放つ「黒龍」との邂逅です。美咲の嗅覚チートが試されます――。
旅の果て、私たちは福井へと辿り着いた。
南下するにつれ、空気は少しずつ温かさを増していく。山を抜け、川沿いを進むと、夜の空気が不思議なほど重く感じられた。それはまるで、大地そのものが息を潜めているかのようだった。
「……来るぞ」
田酒の声が低く響く。彼の隣にいる南部美人の手は、既に腰の剣にかけられていた。
十四代はいつもの飄々(ひょうひょう)とした笑みを消し、越乃寒梅も鋭い瞳で闇を見つめている。
彼らの緊張が、ひりひりと肌に伝わってきた。
次の瞬間、黒い風が吹き荒れた。
それはただの風ではなかった。重く、冷たい空気を纏った、圧倒的な力の塊。
暗雲を割るように現れたのは、ひとりの青年だった。
長い黒髪が闇に溶け、瞳は金剛石のように鋭く光る。その姿は、他の精霊たちを圧倒する、絶対的な「王」の気配を纏っていた。
彼の香りは、強烈で甘く、飲み干せば溺れてしまいそうなほど。それは、最高級の酒が持つ、深淵なる香りのようだった。
「俺の名は黒龍。酒精の王にして、孤独の支配者だ」
その声は雷鳴のように響き渡り、地面が震える気がした。
十四代が一歩前に出て、冗談めかして口を開く。
「相変わらず、派手な登場だね、黒龍。せっかくいいムードだったのに、台無しじゃないか」
「戯言を言うな、十四代。俺が求めるのは一つ――桜井美咲、お前だ」
黒龍の視線が、私を貫く。
心臓が跳ね、全身が震えた。
彼の香りは甘美で、危険で、抗いがたい。
けれど、私は嗅ぎ取った。
──その奥に、底知れぬ孤独と、愛を求める渇きがある。
それは、誰も自分のそばに来てくれないことへの、深い悲しみの香りだった。
どれほど強く、どれほど誇り高くても、彼の心は凍えるように寂しいのだ。
「君が俺と契約すれば、蔵は甦る。全てを与えよう。……だから、俺のものになれ」
黒龍は手を差し伸べ、甘く囁いた。その言葉は甘美で、危険で、抗いがたい誘惑だ。
田酒が激しく反発する。
「美咲を巻き込むな!」
「巻き込む? 違う。俺は救うのだ。孤独を知る俺が、彼女に全てを与える。この脆弱な男では、彼女を守りきれないだろう」
黒龍の言葉は、まるで心を抉る刃のように田酒を傷つけた。
十四代は笑みを消し、南部美人は剣に手をかける。越乃寒梅でさえ、普段の冷静さを失い、表情を険しくしていた。
けれど、私は香りの真実を知ってしまった。
彼は孤独だ。
誰よりも強く、誰よりも誇り高いのに、心は凍えるように寂しい。
私は、その孤独に、自分と重なるものを感じていた。
「黒龍さん……あなた、本当は……」
言いかけた瞬間、黒龍が私に向かって手を伸ばしてきた。
彼の圧倒的な力から放たれる強烈な風圧が、私を包む。
「来い、美咲! お前なら俺を救える!」
田酒が叫び、私の腕を強く掴む。
二つの力がせめぎ合い、私は選択を迫られていた。
黒龍の圧倒的な力と、田酒の揺るぎない温もり。
どちらを選ぶか。
──私の嗅覚チートは、真実を暴いてしまう。
けれど、その真実にどう向き合うかは……私次第なのだ。
これは、蔵の未来をかけた旅であり、同時に、私の心の試練だった。
◇
キャラクター紹介
桜井 美咲
本作の主人公。22歳。亡くなった父の酒蔵「桜井酒造」を継ぐことになった。嗅覚が異常に鋭く、香りの奥にある隠された感情や真実まで感じ取ることができる「嗅覚チート」の持ち主。
田酒
日本酒に宿る精霊の一人。黒髪で、雪解け水のように澄んだ瞳を持つ青年。美咲と共に蔵再建の旅に出る。
十四代
山形県が誇る日本酒に宿る精霊。華やかで人懐っこいが、その裏に微かな虚しさを抱えている。
南部美人
岩手県が誇る日本酒に宿る精霊。寡黙で、常に剣を携えている。仲間を守ることに強い誇りを持つ、誠実で不器用な青年。
越乃寒梅
新潟県が誇る日本酒に宿る精霊。白銀の髪と鋭い瞳を持つ、冷徹な参謀。厳しい言葉を投げかけるが、その奥には誰かを守りたいという優しさが隠されている。
黒龍
福井県が誇る日本酒に宿る精霊。圧倒的な力を持ち、他の精霊を寄せ付けない孤高の王。しかし、その強さの裏に、深い孤独を抱えている。
第5話は黒龍の初登場でした。
圧倒的なカリスマを放ち、美咲に「契約」を迫る姿は、これまでの精霊たちとは別格の存在です。
次回、第6話では黒龍との対峙が本格化。
美咲の嗅覚チートが、彼の孤独をどう暴き、仲間たちとの絆をどう試すのか――お楽しみに!