第3話 寡黙なる守護者、南部美人
前回は華やかな十四代に翻弄されました。
今回は一転して、寡黙で誠実な騎士のような精霊「南部美人」が登場します。
美咲の嗅覚チートが、彼の本当の姿を浮かび上がらせることに……。
華やかな十四代との出会いを経て、私たちは岩手へと向かった。
春浅い山々はまだ雪をかぶり、空気は清冽で肌を刺すように冷たい。その厳しさは、この土地で待つ精霊の気配そのもののように感じられた。
道中、十四代は陽気に冗談を言い、田酒は黙って道を先導する。私も彼らの間に立ち、これまでの旅を振り返っていた。
十四代の華やかな笑顔の奥に隠された寂しさ。それを嗅ぎ取った瞬間から、この旅は単なる精霊探しの冒険ではないのだと悟った。私の嗅覚は、彼らの心の真実を暴き、私はその真実とどう向き合うべきか、常に問いかけられている。
「この土地には、南部美人という精霊がいる。彼は誇り高く、誰よりも剣を振るう者だ」
田酒が真剣な声で告げる。
彼は友情に厚く、仲間を守るためには、いかなる試練も厭わない。
その言葉通り、山寺の境内で彼は現れた。
銀に近い淡い髪を後ろで一つに束ね、切れ長の鋭い瞳を持つ青年。腰には長剣を下げ、ただ静かに佇んでいるだけで、周囲の空気が張り詰めるようだった。
彼の香りは、凛とした冷たい風のようだった。氷のように澄み切っていて、一切の感情の揺らぎを感じさせない。まるで、彼の心そのものが研ぎ澄まされた刃であるかのようだった。
「……桜井美咲か」
低い声で告げられた私の名に、私は背筋を伸ばした。
田酒が前に出て、簡潔に説明をする。
すると、南部美人は私を上から下まで値踏みするように見つめ、静かに、しかし有無を言わさぬ口調で告げた。
「俺は南部美人。田酒に選ばれし者なら、俺が試す」
そう言うなり、彼は腰の長剣を抜き、田酒へと構えた。
木製の鞘から抜かれた剣は、光を吸い込むかのように鈍く光っている。
突然のことに、私は悲鳴を上げていた。
「や、やめて! どうして戦うの!?」
十四代が冗談めかした口調で、「これは試練さ、お嬢さん」と肩をすくめる。
しかし南部美人の瞳は真剣そのものだ。
「仲間を守る者は、剣を持たねばならぬ。お前に、この旅を最後までやり遂げる覚悟があるか……俺が確かめる」
南部美人の言葉に、田酒も剣を構え直した。
次の瞬間、二人の剣戟が静かな山寺に響き渡る。
打ち合わされる木剣の音、火花が散るような激しい攻防。冷たい山風が、私の頬を打ち、恐怖に震えながらも、私は彼らから目を離すことができなかった。
しかし、私の鼻は、剣戟の音よりも先に、彼の香りを捕らえていた。
──氷のように澄んだ香りの奥に、わずかな、けれど確かな温もりがある。
それは、彼の内に秘められた優しさの香りだった。
冷徹さ、強さ、そして孤独。それらの香りの奥に、まるで誰かを守るために鍛え上げられた剣のように、温かく、そして頑なな優しさが存在していた。
私は、思わず口にした。
「南部美人さん……あなた、優しいんだ」
その声に、一瞬、彼の剣が止まった。
田酒の剣を受け流し、彼は驚きに満ちた瞳で私を見つめ返す。
「俺の……優しさ?」
その表情は、まるで自分の心を見透かされたことへの戸惑いと、信じられないという驚きが混ざり合っているようだった。
「ええ。あなたの香りには、強さの中に、誰かを守りたい気持ちが混じっている。冷たいけど、すごく温かい……」
私の言葉は、静かな山寺に吸い込まれていく。
南部美人は、剣を下ろし、沈黙した。
彼の鋭い瞳が、私を静かに見つめる。
そして、彼は深く頭を垂れた。
「……嗅ぎ分けたか。ならば、お前を守るのが俺の務めだ」
その言葉と共に、彼の香りの温かさが、さらに強くなった気がした。
田酒が安堵の息をつき、十四代は面白そうに微笑む。
私は胸の奥に、静かな熱を感じていた。
南部美人の香りは、冷たい空気の中で、確かに心を温める。
それは、この先どんな困難があっても、決して折れることのない、揺るぎない守護の誓いだった。
その誓いが、きっとこれからの旅を支えてくれるに違いなかった。
◇
キャラクター紹介
桜井 美咲
本作の主人公。22歳。亡くなった父の酒蔵「桜井酒造」を継ぐことになった。嗅覚が異常に鋭く、香りの奥にある隠された感情や真実まで感じ取ることができる「嗅覚チート」の持ち主。
田酒
日本酒に宿る精霊の一人。黒髪で、雪解け水のように澄んだ瞳を持つ青年。美咲と共に蔵再建の旅に出る。
十四代
山形県が誇る日本酒に宿る精霊。華やかで人懐っこいが、その裏に微かな虚しさを抱えている。
南部美人
岩手県が誇る日本酒に宿る精霊。寡黙で、常に剣を携えている。仲間を守ることに強い誇りを持つ、誠実で不器用な青年。
第3話は「南部美人」との出会いでした。
彼は不器用で寡黙ですが、守護の誓いを立てる誠実なキャラです。
田酒・十四代と違い、恋愛よりも「騎士道と友情」の役割を担います。
次回、第4話では「越乃寒梅」との邂逅。
冷徹な参謀タイプの精霊が、美咲に厳しい現実を突きつけます。