第2話 華やかな精霊、十四代
前回は田酒との出会いを描きました。
今回は、華やかな宴のような精霊「十四代」が登場します。
恋の駆け引きが得意な彼に、美咲は早くも翻弄されることに……。
田酒と出会ってから数日が経った。
あれが夢ではなかったという事実に、私はまだ現実感を持てずにいた。しかし、薄暗い蔵の片隅に彼が静かに立っているのを見れば、それが紛れもない現実だとわかる。
彼は私を蔵再建の旅に誘い、私はその申し出を受け入れた。父の夢と、孤独な精霊の命を繋ぐためだ。
「美咲、君は嗅覚で俺たち精霊の本質を見抜ける。それは、この世に稀な才能だ」
田酒はそう言って、私に同行を求めてきた。
全国各地に散らばる精霊たちと会い、幻の仕込み水――蔵を甦らせるための奇跡の水を、共に探し出す旅だという。
私がいなければ、この蔵は甦らない。
その言葉に、私は頷くしかなかった。
最初の目的地は、山形。
まだ春先の風が冷たい街は、雪解けと共に、酒の祭りの準備で賑わっていた。
道すがら、田酒は精霊たちについて教えてくれた。
精霊にはそれぞれ、生まれ育った土地の気候や風土、そして人々の想いが色濃く反映されているらしい。田酒の澄んだ香りが東北の清廉な大地を思わせるように、これから出会う精霊たちも、それぞれの故郷の香りを纏っているのだろう。
広場の中央に設けられた舞台から、軽やかな笛や太鼓の音が響き渡る。
その音を背に、ひとりの青年が、まるで主役のように舞台に立っていた。
その姿を見た瞬間、私は息をのんだ。
金色の髪が光を受けて煌めき、瞳は熟した果実のように甘やかに輝いている。彼のまわりだけ、気温が数度上がったかのように温かく、華やかな香りが満ちていた。
その場にいる誰もが彼に魅了され、うっとりと見惚れている。
しかし、私だけが、はっきりと彼の香りを嗅ぎ取ることができた。
桜の花の甘い香りに、瑞々しいフルーツの香りが混じり合い、まるで満開の桜の下で開かれる華やかな宴のようだ。
「……十四代」
田酒が静かに告げた名に、私の鼻は確かに反応した。
山形が誇る、幻の酒。その名に違わぬ華やかさが、彼の存在そのものから放たれていた。
「ご名答。桜井美咲嬢。君に会える日を、心待ちにしていたよ」
十四代は軽やかに舞台から降り、すっと私の前に立つと、優雅な所作で私の手を取った。
その香りがさらに強く、甘く、胸を熱くする。あまりの香りの強さに、思わず息が苦しくなった。
「ちょ、ちょっと!」
思わず手を引こうとすると、彼は面白がるように笑みを深めた。
「ふふ、可愛らしい反応だね。君のような、まだ世間知らずな娘が、あの堅物な田酒に選ばれるとは」
揶揄するような言葉に、田酒が一歩前に出て、十四代を鋭く睨む。
「十四代、軽口はやめろ。美咲を惑わすな」
その言葉にも、十四代は涼しい顔で笑みを浮かべた。
「惑わす? 違うよ、田酒。俺はただ、彼女の魅力を褒めただけだ。それに……」
そう言うと、彼は顔を近づけ、私の耳元に囁いた。
「君の香りは純真で、まだ何の色にも染まっていない。その香りの奥に、どんな感情が隠されているのか……だからこそ、惹かれる」
吐息が耳にかかり、心臓が跳ねた。
同時に、私は彼の香りに混じる、ほんの微かな焦りと虚しさを嗅ぎ取った。
それはまるで、どれだけ華やかな場所の中心にいても、心の底では満たされない何かを抱えているような、そんな香りだった。
彼の華やかな香りは、その寂しさを隠すための仮面のように思えた。
華やかに振る舞っていても、彼の心は満たされていない……。
思わず、私は口にしていた。
「十四代さん……あなた、寂しいの?」
その言葉に、彼の笑みが一瞬だけ凍った。
金色の瞳が大きく見開かれ、驚きに揺れる。
次の瞬間、彼はすぐにいつもの優雅な笑みに戻り、何もなかったかのようにふるまった。
「何を言っているんだい? 俺は常に、多くの人々に愛されている」
彼の口調はいつも通りだったけれど、私は確信した。
──私の嗅覚チートは、彼らの心を暴いてしまう。
十四代が隠そうとした寂しさ、虚しさ。その香りの真実を嗅ぎ取った私は、この旅がただ楽しいだけではないことを悟り始めていた。
華やかな香りの奥にある孤独。それは、これから出会う精霊たちも、それぞれの香りの奥に、何かを隠しているかもしれないということを示していた。
これから始まる旅の厳しさを感じながら、私は改めて、隣に立つ田酒を見つめた。
彼の香りは、力強く、そして優しかった。
◇
キャラクター紹介
桜井 美咲
本作の主人公。22歳。亡くなった父の酒蔵「桜井酒造」を継ぐことになった。嗅覚が異常に鋭く、香りの奥にある隠された感情や真実まで感じ取ることができる「嗅覚チート」の持ち主。
田酒
日本酒に宿る精霊の一人。黒髪で、雪解け水のように澄んだ瞳を持つ青年。静かで誇り高い性格だが、孤独を抱えている。美咲と共に蔵再建の旅に出る。
十四代
山形県が誇る日本酒に宿る精霊。金色の髪と甘い瞳を持つ、華やかな青年。陽気で人懐っこく、多くの人に愛されているが、その華やかさの裏に微かな虚しさを抱えている。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
第2話では「十四代」という華やかで掴みどころのない精霊を登場させました。
彼は今後も、美咲を揺さぶる存在として物語を彩ります。
次回、第3話は「南部美人」との出会いです。
友情と守護を誓う騎士のような彼との関係にご期待ください。