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たぶんホラーの短編集

物置の鍵

 彼女が電話をかけてくることなんてほとんどなかったから、嫌な予感はしていた。

 アパートの狭い部屋で着信音が鳴り響いた。寝る直前のことだ。画面には彼女の名前、拒否or応答の文字が浮かんでいる。

 応答を選び恐る恐るスマホを耳に当てる。

「翔太、ごめん」

 耳に飛び込んできたのは謝罪の言葉だった。

「どうしたの?」

 一瞬の間の後、

「もう会うのやめよう」

 か細い声で彼女は言った。

「もう二度と会わない」

「えっ、なんで?」

 あまりに突然でそれ以外の言葉が出ない。

「なんでなの?」

「良くないと思うから」

 彼女の声は震えていた。泣いているのかもしれない。

「別れるってこと?」

 乾いた口から確認事項がこぼれ落ちる。そんなことを言いたいんじゃない。今なら間に合う。何かしたなら謝るとか、会ってちゃんと話そうとか理由を教えてとか、言うことはあったはずなのに。

「わたしの私物は捨てて。できるだけ早く。必ず」

 震えた声のまま、通話は終了した。

「私物なんて……」

 一人吐き捨てる。彼女がこの部屋に残したのは、泊まるときに使うドライヤーと、ターコイズのピアスが片方だけだ。

 


 それから数日後、再び着信がなったときは心臓が飛び出るかと思った。もしかしたら彼女からの電話かもしれないと期待したからだ。

 しかし、それは実家の母親から呼び出しだった。

「今度の休みに来れないかな。車を出してほしくて」

 がっかりしたことに気づきもせず、母は唐突に切り出した。

「清掃センターまで運転してほしいんだ」 

「清掃センター?」

「実は断捨離したの。彩さんも早く片付けたほうがいいって言っていたでしょ?」

 三年前に父が亡くなり、ものだらけの部屋が残された。確かに、母は妻の彩にそのことを相談していた。義父が数年前に他界したとき、その片付けに相当苦労した。義父はそこそこの金持ちで収集癖もあり、高価なものを誰が譲り受けるかとか、何を捨てて捨てないか、等などで親戚とも揉めていた。義母は体調を崩してしまい、妻と一緒に手伝いに駆り出された時もあった。そのトラブルもあって妻は母に元気になったらできるだけ早く整理をすることを勧めていた。

 アドバイスを覚えていたからか、しばらくそのままにしていた母もついに片付けを始めたようだ。

「それで大量にゴミが出てね。市の清掃センターに運びたいから手伝って欲しいの」 

 俺はカレンダーを見た。

 まだ単身赴任の期間中だ。家族は妻に任せている。そして、彼女にふられた今、休日の予定は空っぽだった。

「いいよ。来週の水曜日はどう?」

 答えると、母は大げさな「ありがとう」を繰り返してから電話を切った。



 水曜日。父の部屋はすでに伽藍洞になっていた。古いタンスもデスクも本棚も処分するらしい。車にそれらを乗せるとなると、いくら母が人一倍力持ちだとしても一人では無理だ。 

「全部は乗らないよ」

 実家の車は5人乗りのミニバンだった。解体したといっても大きな家具はいくつも乗らない。

「回収に来てもらうとお金がかかるからできるだけ乗せたいんだけどなぁ」

「できる限り積んでみるけど。後部座席ってイスしまってある?」

「そのまま。やり方がわからなくて。翔太、やってくれない?」

「いいよ。やっとく」

 鍵を預かり、俺は玄関前の駐車場へ向かった。

 父は病気が発覚してからセダンから今の車に買い替えた。母は運転はできるけれど車には興味がなく、最低限の管理しかしない。生活のために仕方なく乗っているだけだ。そんな母が運転しやすいように少し小さめの車に買い替えたのだろう。

 後部座席を畳みながら、それでも全部は積めないだろうと考えていた。

 その時だった。座席の下に何かがが落ちていた。

(鍵だ)

 拾い上げた鍵はやや薄っぺらい銀色で、プラスチックのタグがついていた。父の字で『物置』と書かれている。

(物置?)

 そういえば家の裏手に物置があった。後部座席をしまい終え、母に報告しようと考えたが、ふと思いとどまった。

 物置の文字の下に小さく『翔太へ』と書かれていたからだ。

 母はまだ家の中にいる。

 父は俺を名指しで残したの鍵には何か意味があるのかもしれない。母には秘密で処分してほしいものがあるのかもしれない。

(いかがわしい雑誌とか)

 コソコソと物置へ向かい、さっそく扉の鍵穴に先ほどの鍵を差し込んだ。鍵は吸い込まれるように奥まで届き、くるりと回る。

 あっさり解錠したドアを開ける。湿った匂いが立ち込める。

 手前には冬用タイヤと釣り道具、それに諸々の工具が詰め込まれていた。

 しかし、タイヤに隠れて不自然な段ボールがあって、中から成人向けの漫画がぎっしり詰められていた。

(やっぱりね)

 母の秘密で処分してほしかったのかもしれない。

(あれ?)

 その成人向けの漫画にお菓子の箱が混じっている。おなじみのチョコレート菓子の箱だけど、デザインが相当古い。

 なぜか背筋に寒気が走った。触るなと誰かが言っている。それなのに手を伸ばさずにはいられなかった。

(良くないと思う)

 彼女の声が脳裏で蘇る。心臓の音が耳たぶまで響いている。

 箱は予想通り軽い。でも、何かが入っている音がした。

 中を覗くと折りたたまれた便箋が入っている。箱から取り出した瞬間、俺は体を強張らせた。

『裕美は部長を愛しています』

 便箋を開かなくても最後の一文が裏側から透けて見えてしまった。

 俺にはわかった。これは父の不倫相手から手紙なのだ。

 でも、体が凍りついたのは熱いラブレターのせいではない。その便箋の下に入っていたものだせいだった。

 手のひらに取り出すと、それは人間の片耳だった。耳たぶには黒のマジックで30年前の日付と『裕美さん』と書いてあった。

 ラブレターの送り主と同じ名前だ。

(これは母の字だ)

 俺は段ボールをもとの通りに戻し、急いで物置の扉を閉めた。

 その時だった。

「翔太」

 後ろから声がした。

「何しているの?」

 母親が立っていた。

「いや」

 どうやってしらを切ればいいのか。

「ーー車に、物置の鍵が落ちていたから」

 慌てている俺の口からは、うまい嘘など出てきそうにない。母がこれ以上探りを入れてこないことを祈るだけだ。

「ほんと? 開かなくて困っていたのよね」

 母の声はいつもと変わらない。

 俺を疑ってなどいない。。

「ちょっと見たら結構不用品がありそうだから、ここはまた今後片付けたほうがいいよ」

「そうね。大変そう」

「ここは俺がやるよ」

「翔太が?」 

 母が訝しげな視線を向けてきた。

「急にどうしたの?」

「いや、ほら。男の物置だから」

「ーーああ、なるほど」

 母はにやりと笑った。

「そういうことね」

 すべてを見透かすみたいに。


 そのあと、母と二人で処分品を積める分だけ車に積み、清掃センターへ運んだ。

「残りは電話をして市の回収サービスに頼むよ」

 帰りの車で母が言った。

「物置もお母さんが片付けるから気にしないでね」

「でも」

「大丈夫。お気遣いなく」

 母ははっきりと断られ、俺は何も言えなくなった。

「いつまで単身赴任は続くの?」

 母はふと話題を変えた。

「とりあえず今年度までは」

「そう。ちゃんと生活できてる?」

「できてるよ」

「彩さんしっかりしているから。翔太が一人で生活できているか疑わしいものね」

「できてるって」

 子どもじゃないんだから。確かに、今までは彼女が家事を手伝ってくれていたけど。

「まあ、赴任先が実家の近くでよかったよ」

 僕はたまに夕飯を食べに帰ってきていた。それは彼女と会う日、カモフラージュに使わせてもらうこともあった。

「早く帰りたい?」

「まあね」

 俺は適当に返事をする。

「家族を大切にしないと、自分に返ってくるよ?」

 母親の小言に耳がしびれた。いつもなら反論するかもしれない。舌打ちするかもしれない。しかし、今日はできそうになかった。

「ーー単身赴任ってきついんだよ? 子どもにも会えないし」

 できる限り冷静に答える。

「そうよね。変なことしてごめんね」

 母はきっと笑顔を浮かべていると信じていた。でも、運転中はそれを確認できない。



 その日の夜。なかなか寝付けなかった。

 目を閉じるとお菓子の箱と、部長を愛していますの文字、そして人間の片耳が脳裏に蘇る。

 布団の中で目を閉じたり開けたりを繰り返していると、ふとドアをトントンとノックをする音がした。

(誰だ?)

 今は真夜中。25時過ぎだ。

 戸惑っていると、どんどんだんだんと激しく扉を叩き始めた。怖くなって布団をかぶる。

 今度は呼び鈴が鳴り始めた。ピンポンピンポンと繰り返し鳴らさせる。

「うるさい!」

 目を閉じて叫ぶと、ピタリと音が止んだ。

(なんだったんだ?)

 ほんの数分の出来事だった。

(くそっ!)

 でも、とても疲れた。体が重くて動きそうにない。そして、俺はそのまま眠っていた。



 朝になり、目が覚めると俺は直ぐ様玄関へと向かった。

 昨夜の出来事が気になって落ち着かない。怖い想像が止まらず、確かめずにはいられない。

(まだ誰かいたらどうしよう)

 しかし、玄関を開けて外を確認しても、誰もいなかった。その代わりみたいにドアノブには紙袋がかかっていた。

 覗き込むとあのお菓子の箱が入っている。

 おなじみのチョコレート菓子の箱。

 でも、実家の物置にあった箱ではない。だってあの時、咄嗟にズボンに隠し、こっそり持ち帰った。そして、俺のカバンの中にまだあるのだから。

 それに目の前にある箱は、デザインが明らかに今のものだ。 

 そして、紙袋の底に封筒が沈んでいる。

『忘れ物と昨日のお礼を置いておきます。渡すの忘れていました。ごめんね』 

 封筒には母の字でそう書かれていた。中には一万円札が5枚入っている。

(母さん)

 昨日の真夜中、ドアを叩いたのは母だったのだろうか。

 俺は紙袋を部屋に持ち込み、箱をひっくり返して中身を手のひらに出した。

 やはり、耳が落ちてきた。

 その耳には黒ずんた血液とターコイズのピアスがついている。

 それは彼女ーー俺の不倫相手が忘れていったのと同じデザインのピアス。


ーー変なことしてごめんね


 母の声が聞こえた気がした。

 あの時、おかしいと思ったんだ。

「変なこと『言って』ごめんね」

が、流れとしては自然なはずなのに、

「変なこと『して』ごめんね」

と、言っていた。


ーー変なことしてごめんね


 あの時、やはり母は笑っていたのだろう。

 それは清々しく、正義の鉄槌を下した後の女神のような神々しい笑顔だったかもしれない。

 反面、俺は震えていた。怖いのだ。

 二つのお菓子の箱を次の可燃ごみの日に捨てることができるだろうか。

 俺は他人の片耳を二つも保有している。

 物置も持たない僕にはどうすることもできなかった。


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