勇者、乱入する
エルデンの夜は静かに更けていた。
しかし、その静寂を破るように、石畳の道をドタバタと駆ける足音が響く。
「レイナァァァァ!!」
勇者フィオナは全力で駆けていた。
目的地は、ギルドの冒険者たちが噂していた食堂。
(なに!? レイナが知らない女と仲良くご飯!? そんなん絶対怪しいでしょ!!)
フィオナの脳内では、得体の知れない美女がレイナを誘惑し、悪の道へ引きずり込んでいる妄想が広がっていた。
(ダメダメダメ!! レイナは清純な村娘なんだから!! 変な奴に騙されちゃダメだよ!!)
そんなことを考えながら、彼女はついに目的の食堂へと辿り着いた。
「よし……!!」
意気込んで扉を開け――
「――でね、その時、勇者様がすごくかっこよかったんです」
「へぇ、それは興味深いわね」
和やかに食事をしているレイナと黒髪の美女が目に飛び込んできた。
「……え?」
思わずフィオナは固まる。
食堂の中には、ほんのりとした温かな空気が流れていた。
レイナは楽しそうに微笑み、目の前の黒髪の美女――セラフィナも上品に微笑んでいる。
(……あれ? なんか思ってたのと違う……?)
「フィオナ?」
「あっ、えっと、えぇっと……!!」
慌てふためくフィオナを見て、レイナは小さく微笑んだ。
「どうしたんですか? そんなに慌てて」
「そ、それは……!!」
言葉を詰まらせたフィオナの隣で、セラフィナがふっと笑った。
「あなたが……勇者なのね?」
「えっ?」
セラフィナの目が、フィオナをじっと見つめる。
その一瞬、フィオナは背筋にゾワリとした感覚を覚えた。
(な、なに……? この人、ただの人間じゃない……?)
勇者としての本能が、目の前の美女が只者ではないと告げていた。
しかし、フィオナはすぐに自信を取り戻し、グッと拳を握る。
「そ、そうだよ!! 私が勇者のフィオナ!! で、あんたは誰!? なんでレイナと一緒にご飯なんか食べてるの!?」
セラフィナは微笑みながら、さらりと答えた。
「私はただの旅人よ。偶然レイナと知り合って、話をしていたの」
「ふーん……?」
フィオナは眉をひそめ、ジト目でセラフィナを見つめる。
(……この人、絶対何かある)
勘が鋭いわけではないが、フィオナは妙な違和感を覚えていた。
「でも、レイナ!! 怪しい人について行っちゃダメでしょ!!」
「え、えっと……でも、この方は優しくて……」
「いやいや、悪い奴ほど優しく見えるものだよ!!」
「……まあ、そういう考え方もあるわね」
セラフィナは、クスクスと笑う。
「でも、そんなに警戒しなくても大丈夫よ。私は別に、彼女を傷つけたりしないわ」
「ほんと~?」
フィオナはますます疑いの目を向ける。
(こいつ、なーんか気に入らない……!!)
一方、セラフィナは内心で思う。
(……この勇者、思っていたよりも鋭いわね)
魔王である自分の正体には気づいていないはず。だが、それでもフィオナは無意識のうちに警戒している。
(少し、面白くなってきたわね)
静かに食堂の空気が張り詰める。
魔王と勇者――その邂逅は、意外な形で訪れた。
食堂の空気が、じわりと緊張感を帯びていく。
レイナが間に座り、向かい合うのはフィオナとセラフィナ。
魔王と勇者――しかし、今のところ互いにその正体を知らない。
「で? さっきの話の続きなんだけど」
フィオナは腕を組み、セラフィナを睨む。
「なんでレイナとご飯食べてたの? どこで知り合ったの?」
「ただの偶然よ」
セラフィナは微笑を崩さない。
「パン屋の前で立ち話をして、せっかくだからご一緒しようと思っただけ」
「ふーん……」
フィオナは顎に手を当てて、じっと考える。
勇者としての直感が、この黒髪の美女が普通ではないと告げている。
「ねぇ、あんたさ、どこから来たの?」
「遠いところよ」
「どこ?」
「……秘密」
「怪しすぎるぅぅぅ!!!」
フィオナはテーブルに身を乗り出した。
レイナは慌てて間に手を挟む。
「あ、あの、フィオナさん……! そんなに警戒しなくても……」
「いやいや、レイナ、ちょっと考えてみてよ!! こんな美人が、急に現れて、親しげにご飯食べてるんだよ!? これ絶対なにかあるでしょ!!」
「……それって、私が美人だから怪しいってこと?」
セラフィナがクスクスと笑いながら問いかける。
「えっ……そ、それは……」
フィオナは言葉に詰まり、少し頬を赤らめた。
「だ、だって!! そんな漫画みたいな展開、実際にあるわけ……」
「あるわよ?」
セラフィナは余裕の表情で返す。
「……くっ……!!」
フィオナはぐぬぬと悔しそうに歯ぎしりする。
「ま、まぁいいよ!! レイナは私の仲間なんだから!! 変なことしたら許さないんだからね!!」
「ええ、もちろん」
セラフィナは涼しい顔で微笑む。
(この勇者、思ったより面白いわね……)
魔王としての彼女は、フィオナを「最弱の勇者」と認識していた。
だが、こうして対峙してみると――
(確かに強くはないけれど、妙に勘が鋭いわね)
魔王としての気配を隠しているにも関わらず、フィオナは直感で「警戒すべき相手」と判断している。
(……彼女、どこまで気づいているのかしら?)
しばらく互いに牽制し合うような沈黙が流れた後、レイナが小さく笑った。
「なんだか、お二人とも仲が良さそうですね」
「はぁっ!? 誰がこんな怪しい女と!!」
「私はこの娘と気が合いそうだと思うわ」
「いや、合わないから!! 絶対合わないから!!」
セラフィナは楽しげに微笑み、フィオナは頬を膨らませてむくれる。
レイナはそんな二人を見ながら、ふわりと笑った。
(……こうして見ると、なんだか普通の友人みたい)
しかし、彼女はまだ知らなかった。
目の前の黒髪の美女が、この世界を統べる魔王であることを――。
食堂の温かな雰囲気とは裏腹に、フィオナとセラフィナの間には、見えない火花が散っていた。
フィオナは腕を組みながら、じっとセラフィナを睨みつける。
「……ねぇ、あんた、本当にただの旅人?」
「ええ、そうよ?」
セラフィナはあくまで落ち着いたまま、優雅にシチューを口に運ぶ。
「じゃあ、旅人ならどんな旅をしてきたの?」
「色々な国を巡って、人間の生活を見てきたわ」
「ふーん……」
フィオナはさらに目を細める。
「じゃあ、最近どこにいたの?」
「そうね……南の砂漠の王国とか、東の山岳地帯とか」
「ほう……具体的な地名は?」
「さぁ、覚えていないわね」
「怪しすぎるぅぅぅ!!!」
フィオナはまたもテーブルに身を乗り出した。
「普通、自分が行った場所くらい覚えてるでしょ!? 絶対嘘ついてる!!」
「そんなに私の旅路が気になるの?」
セラフィナは、クスクスと笑う。
「……っ」
フィオナは歯ぎしりしながら考え込んだ。
(こいつ……やっぱり只者じゃない……!!)
勇者としての直感が、目の前の黒髪の美女を「普通の旅人ではない」と警告している。
でも、決定的な証拠はない。
(こっちが探ろうとすると、うまいこと話をかわしてくる……!!)
一方、セラフィナはフィオナを観察しながら考えていた。
彼女は魔王の気配を完全に消している。
なのにフィオナは、無意識のうちにセラフィナを「疑うべき相手」と認識している。
(……まるで野生の動物のような勘の良さね)
彼女の持つスキルや力は、今のところ未知数。
しかし、一つ確かなのは――
(この子は、決して侮れない勇者だわ)
フィオナの強さは、単なる戦闘力だけでは測れない。
彼女の“しぶとさ”と“直感”こそが、厄介なものになるかもしれない。
そんなことを考えていたときだった。
「えっと……セラフィナさん?」
レイナが、恐る恐る口を開いた。
「はい?」
「その……フィオナさんのこと、あまりからかわないであげてください」
「……ふふ、分かったわ」
セラフィナは、すっと微笑んだ。
フィオナは「バカにしてる!?」と怒りながら、レイナに向き直る。
「レイナ!! なんで私がからかわれてる前提なの!? こっちは真剣に探ってるんだよ!?」
「で、でも……」
レイナは困ったようにフィオナとセラフィナを交互に見つめる。
(うーん……なんだか姉妹喧嘩みたい)
「まあまあ、勇者様。あまり気を張り詰めると、食事が美味しくなくなるわよ?」
セラフィナは優雅に微笑むと、スプーンを置いて立ち上がった。
「そろそろ私は行くわ。ご馳走様」
「えっ!? ちょっと待ちなさいよ!」
フィオナは慌てて呼び止めるが、セラフィナは優雅に手を振るだけで、静かに食堂を後にした。
「くぅ~~~~っ!!!」
フィオナは悔しそうに拳を握る。
「ぜっっっったい、怪しいのに!! 何も掴めなかったぁぁ!!」
レイナはそんなフィオナを見ながら、クスリと笑った。
「でも……なんだか、楽しそうでしたね」
「た、楽しくなんかないし!!!」
フィオナは顔を赤くしながら叫ぶ。
(……でも、確かに、なんか妙にワクワクしたかも)
勇者は魔王の正体を知らないまま、少しずつ距離を縮めていく――。
月明かりが差し込む高台の石畳に、黒髪の美女が静かに立っていた。セラフィナ――否、魔王は、街の喧騒から離れたこの場所で、夜風に揺れる髪をかきあげる。
「やっぱり、面白いわね……」
彼女の赤い瞳が、夜空を見上げながら微かに細められる。
フィオナ。あの小さな勇者の存在が、どうしても気になって仕方がない。
「サキュバスを退けたのは、あの村娘……レイナとか言ったかしら。でも、決定的な場面ではフィオナが迷わず彼女を信じて動いていた……」
セラフィナの脳裏に、ダンジョンでの出来事が蘇る。明らかに格上の魔族を相手に、恐れもなく戦う勇者たちの姿。特に、フィオナの“仲間を信じる力”には、何か不思議な説得力があった。
「――強さって、力だけじゃないのね」
彼女は呟いた。
自分の側近たちは、魔力や血筋、知識で勝敗を語る。それが魔族という存在だった。
けれど、勇者たちは違った。
信頼、直感、そして――バカ正直なまでの真っ直ぐさ。
「……ふふ、気づかないうちに、惹かれてるのかもしれないわね。あなたたちの“弱さ”に」
風が静かに吹き抜け、彼女の黒衣が揺れる。
そのとき、魔王の頭上に現れたのは、小さな黒い使い魔――カラスのような姿をした眷属だった。
「……何かあった?」
「ケケッ、セラフィナ様、新たな動きがありましたぞ。北の山岳地帯にて、古代遺跡が開かれたとのこと」
「古代遺跡……?」
「はい。かつて魔族と人間が争った時代の、禁呪兵器の封印跡との噂です。ギルドも調査に動き出している様子」
セラフィナは目を細めた。
「それは……面白そうね」
そして、ふと小さく微笑んだ。
「フィオナたちが、その依頼を受ける可能性は?」
「高いですな。ギルドの中でも彼女たちの評判は急上昇中……なにせ、サキュバス事件を解決したばかり」
「なら、決まりね」
セラフィナはくるりと踵を返し、闇に消えていく。
「今度は、もう少し“踏み込んで”観察させてもらうわよ……勇者ちゃんたち」
月光に照らされたその背中には、魔王としての威厳と、どこか少女のような好奇心が同居していた。