魔王の探り
夜の《エルデン》の街は、少しずつ静けさを取り戻しつつあった。
パン屋の前で向かい合う二人――魔王セラフィナと村娘レイナ。
「あなたが戦うことが増えてきた、というのは?」
セラフィナは興味深げに問いかけた。
「……あ、いえ、その……戦うっていうほどのことではなくて……ただ、最近は勇者様が大変そうで……私も少しでもお手伝いできたらなって思って……」
レイナは控えめに言葉を選びながら、申し訳なさそうに微笑んだ。
(……お手伝い、ね)
サキュバスを一撃で沈めるほどの力を持ちながら、それを「お手伝い」と言う。
その姿勢が、セラフィナには不思議に思えた。
「あなた、戦いが怖くはないの?」
「……はい、怖いです」
レイナは即答した。
「でも……勇者様や皆さんが頑張っているのに、私だけ怖がっていたら申し訳なくて……だから、少しでも役に立てるように、って……」
彼女の言葉には、一片の迷いもなかった。
セラフィナは、じっと彼女を見つめた。
戦士や冒険者なら、戦う理由として「強さを求める」「名声を得る」「生きるために仕方なく」など、様々な動機がある。
しかし、レイナにはそのどれもない。
「誰かの役に立つために戦う」
それが、彼女の根底にある意志だった。
(……この娘は、ただの人間のはず。だけど……)
「あなた、もしかして特別な力を持っているのかしら?」
思わずセラフィナはそう尋ねた。
レイナは驚いたように目を瞬かせた。
「え……? いえ、そんなことはないと思います……」
「そう……」
本当に気づいていないのか、それとも自覚がないのか。
セラフィナはしばらく考え込んだ後、ふっと微笑んだ。
「あなたって、面白い人ね」
「え……?」
「私、旅の途中なの。よかったら、一緒に食事でもどうかしら?」
レイナは一瞬驚いたものの、すぐに微笑んだ。
「……はい。せっかくですし、ご一緒させてください」
こうして、魔王と村娘は共に夜の街を歩き始めた。
魔王の目的は、レイナの正体を探ること。
村娘の目的は、ただの親切心。
二人の歩みが、ゆっくりと交わり始める――。
夜の《エルデン》の街は、ほのかな灯火に包まれていた。
レイナとセラフィナは、通りを歩きながら、程よく賑わう小さな食堂へと足を踏み入れた。
「いらっしゃい!」
店主が元気よく声をかける。
「……こぢんまりとした良い店ね」
セラフィナは、静かに店内を見回した。暖かい光に照らされた木造の内装、客同士の和やかな会話、そして食欲をそそる香り――。
(……人間の世界も、悪くはないわね)
「ここのシチュー、美味しいんですよ」
レイナは嬉しそうに微笑んだ。
「じゃあ、それを頼んでみようかしら」
「店主さん、シチューを二つお願いします!」
元気よく注文するレイナに、セラフィナはふと微笑んだ。
サキュバスを倒したことに関しては、まだ何の手がかりも得られていない。
だが、それ以上に、レイナの素朴な優しさや気遣いが、セラフィナにとっては新鮮だった。
しばらくして、熱々のシチューが運ばれてきた。
「わぁ、いい匂い……!」
レイナは嬉しそうにスプーンを手に取る。
セラフィナも、一口食べてみると――
「……美味しい」
「ですよね!」
レイナは嬉しそうに笑った。
「でも、すごいですね。お姉さん、初めての街なのに、怖がったりしないんですね」
「……ええ、まあ」
「私なんか、初めてこの街に来た時は、すごく緊張しましたよ」
レイナは笑いながらそう言うが、その言葉に、セラフィナは違和感を覚えた。
(……“怖がる”という感情があるのに、どうしてサキュバスの前では平然と戦えたのかしら?)
セラフィナは、少し試すように尋ねた。
「あなた、最近何か特別な訓練でもしているの?」
「えっ?」
レイナはきょとんとした顔をした後、首を振る。
「いえ、私はただ村の仕事をしていただけで……剣も魔法も使えませんし」
(……なるほど)
セラフィナは考え込む。
彼女の言葉に嘘はない。
(やはり、彼女自身も“なぜ自分が戦えるのか”を理解していない……?)
「……あなたは、本当に面白いわね」
セラフィナはそう呟いた。
レイナは、少し照れくさそうに微笑んだ。
「ありがとうございます……?」
(この子の強さの秘密……もう少し探る必要がありそうね)
魔王の興味は、ますます深まっていくのだった――。
夜も更け、食堂の客足が少しずつ減り始めていた。
セラフィナは、レイナの素朴な笑顔を眺めながら考え込む。
(……剣も魔法も使えず、ただ村の仕事をしていただけの村娘が、どうしてサキュバスを倒せたのかしら?)
村娘が戦場に出れば、恐怖で体がすくむのが普通。にもかかわらず、彼女は迷いなく行動し、一撃で仕留めた――。
(考えられる可能性は三つ)
セラフィナは心の中で整理する。
一つ目は、レイナが何らかの【特殊な加護】を受けている場合。
二つ目は、彼女が【無意識のうちに圧倒的な身体能力を持っている】場合。
そして三つ目――
(……あるいは、この世界の“理”が彼女に味方している?)
セラフィナはスプーンを口元に運びながら、じっとレイナを観察した。
レイナは変わらず、穏やかにシチューを食べている。
(……まるで“戦うことが当然”のように、それを受け入れている)
普通の人間なら、突然の戦闘に巻き込まれれば、戸惑いや恐怖が生まれる。だが彼女には、それがない。
それどころか、自然体で戦い、当たり前のように勝利している――。
(これは“努力”や“才能”という次元の話ではない。……まるで、“そうなることが決まっていた”かのようね)
セラフィナは、さらに言葉を探すように口を開く。
「ねぇ、レイナ。あなたは、戦うことをどう思う?」
「え?」
レイナはスプーンを置き、少し考え込んだ。
「……本当は、できれば戦いたくないです」
「……そう」
「でも、私が戦わないと、誰かが困るなら……やらなきゃいけないのかなって」
レイナの瞳には、迷いがなかった。
セラフィナは、興味深げに微笑む。
(……彼女は“強さ”を自覚していない。でも、それは“強い”と意識する必要がないほど、当たり前のものだから?)
(彼女の“強さ”は、努力の結果ではなく、ただの“日常”なのかもしれないわね)
セラフィナは、じっとレイナを見つめる。
(これは……面白くなってきたわね)
***
「はぁーっ!? レイナが知らない女と飯食ってる!? 誰!? なんで!? ずるい!!!」
その頃、勇者フィオナはギルドの酒場で大騒ぎしていた。
「ねぇ、フィオナ。もう少し静かにして」
ヴェロニカが呆れたように注意するが、フィオナは納得がいかない様子だった。
「だって! さっきギルドの奴が言ってたんだよ!? “村娘ちゃん、綺麗な黒髪のお姉さんと仲良さそうに飯食ってたよ”って!! えっ!? それってどんな状況!? なんで!? ずるくない!?」
「……ただの知り合いかもしれないでしょ」
「いやいやいや!! そんな急に親しくなることある!? ないでしょ!? いや、あるかもしれないけど、でも!!」
「……めんどくさいわね」
ヴェロニカはため息をつき、静かに酒を煽った。
「とにかく! すぐにレイナを探しに行く!!」
フィオナは勢いよく立ち上がり、外へ飛び出していった。
ヴェロニカはその後ろ姿を見送りながら、ぽつりと呟く。
「……でもまぁ、気になるわよね」
(次回、勇者フィオナ乱入!? 魔王と村娘の会話に割り込む展開に……!?)