魔王の興味
漆黒の城に、重々しい静寂が広がっていた。
魔王セラフィナは玉座に腰掛け、片肘をつきながら報告を聞いていた。長く美しい黒髪が燭台の炎に揺れる。
「……ふぅん、ルフェリアがやられたのね」
目の前で跪く軍師ベリスは、慎重に言葉を選びながら頷いた。
「はい。サキュバスの中ではそこそこ優秀な個体でしたが、勇者パーティーに討伐されました」
セラフィナは退屈そうに小さく息を吐く。
「まぁ、予想通りね。サキュバスは確かに厄介だけど、所詮は低位の魔族。勇者が出てきたなら、倒されるのも時間の問題だったでしょう」
しかし、ベリスはそこで一瞬言いよどむ。
「……ただし、妙な報告がありまして……」
「なに?」
「倒したのは……勇者ではなく、村娘だったようです」
「……村娘?」
セラフィナの指がぴたりと止まる。
「はい。勇者の仲間の一人である村娘が、一撃でサキュバスを沈めたとのことです」
「……一撃?」
セラフィナは静かに目を細めた。
「……ちょっと待って。勇者パーティーの中に、そんな実力者がいたの?」
「いえ……彼女はただの村娘のはずです。戦士でも、魔法使いでもなく、これまで特に目立った記録もない人間です」
「なのに、サキュバスを一撃で……?」
セラフィナはしばらく考え込む。
「……興味深いわね」
魔王の紅い瞳が、不思議な輝きを宿す。
「なぜ村娘がそんな力を持っていたのか。偶然か、それとも……」
ベリスは少し戸惑いながら問いかける。
「どうなさいますか? 監視を強めますか?」
「ええ。勇者パーティーの動向はこれまで通り追い続けなさい。ただし――」
セラフィナは立ち上がり、漆黒のマントを翻した。
「私も直接、この目で確かめることにするわ」
「魔王様自ら……?」
「たまには気分転換も必要でしょう?」
セラフィナは微笑むと、魔力を操りながら、姿を変え始めた。
「変装して人間の街に潜り込めば、何か面白いものが見られるかもしれないわね?」
こうして、魔王は動き出した――。
夜の帳が降りる頃、人間の街の入り口に、一人の女性が立っていた。
黒髪のロングヘアを揺らし、漆黒のマントを羽織った彼女は、まるで夜そのものをまとったかのような雰囲気を醸し出している。しかし、顔立ちは整いすぎており、暗がりの中でも人目を引いていた。
「……随分と賑やかね」
魔王セラフィナは、人間たちが行き交う街の様子を眺めながら、小さく微笑んだ。
本来なら、魔族がこうして人間の街を歩くなど、ありえないこと。しかし、彼女は自らの魔力を抑え、完全に人間と見分けがつかないようにしていた。
「さぁて……勇者と、あの村娘はどこかしら?」
目的はただ一つ。勇者パーティーの観察。そして、村娘がサキュバスを倒した理由を知ること。
セラフィナは、ゆっくりと街の中へ足を踏み入れた。
(……やはり、人間の世界は賑やかね)
しばらく歩いていると、彼女の前を一人の少女が通り過ぎた。
栗色の髪をおさげに結び、シンプルなワンピースを着た村娘。
レイナだった。
セラフィナの視線が、その背中を追う。
(……あの村娘、勇者の仲間だったわね)
彼女は、少し興味を惹かれた。
村娘がサキュバスを倒した――その事実が、まだ彼女の中で納得できていなかったからだ。
(戦士でも、魔法使いでもない。ただの村娘が、どうして……?)
レイナは、パン屋の前で足を止めた。
「……うーん、どうしようかなぁ」
店先のパンを見つめながら、小さく呟く。
セラフィナは、それを少し離れた場所から眺めていたが、ふと、彼女の手が小さく震えていることに気づいた。
(……お腹が空いているのかしら?)
少し考えた後、彼女はゆっくりとレイナに近づいた。
「迷っているの?」
「えっ……?」
レイナは驚いたように振り返った。
黒髪の美しい女性が、優雅な微笑みを浮かべて立っている。
「どのパンにするか迷っているのかしら?」
「あ、はい……。どれも美味しそうで……」
レイナは少し恥ずかしそうに笑った。
セラフィナは、その様子を見ながら、内心で考え込む。
(……これほど素朴で、優しそうな少女が、本当にサキュバスを倒したの?)
(それとも、何か隠された力が……?)
彼女は試しに、少し探るように言葉を投げかけた。
「あなた、冒険者なの?」
「いえ、私はただの村娘です。でも、勇者様のお手伝いをしていて……」
「勇者のお手伝い?」
「はい……」
レイナは少し困ったような表情を浮かべた。
「……でも、最近は私が戦うことも増えてきて……」
その言葉を聞いた瞬間、セラフィナの中に妙な違和感が生まれた。
(……この娘、本当に“ただの村娘”なのかしら?)
魔王と村娘。
二人の出会いは、静かに始まった――。