サキュバスの本気、最強村娘の逆襲!
「ならば、全力で相手をしてあげる……♡」
サキュバスの紅い瞳が妖しく輝いた瞬間、廃教会の空気が一変した。
先ほどまで漂っていた甘い誘惑の香りが、さらに濃厚になる。それはただの匂いではなく、まるで体を内側から溶かすような感覚を伴い、意識をふわりと霞ませる。
「っ……くぅ……!!」
フィオナは頭を振り、何とか意識を保とうとする。しかし、視界の端で男たちが次々と床に膝をつき、恍惚の表情を浮かべながらサキュバスを見つめるのが見えた。
「……これが、本気の魅了魔法……?」
ヴェロニカが額に汗を浮かべながら呟く。彼女の瞳もわずかに揺らぎ、理性を保とうと必死に抗っているのが分かる。
サキュバスは満足げに微笑みながら、床に跪く男たちの髪をそっと撫でた。
「ふふ……この子たち、こんなに幸せそうでしょう?」
男たちはうっとりとした表情を浮かべながら、サキュバスの足元に縋りつく。まるで愛しい人を崇めるかのように、彼女を見上げていた。
「あなたたちも……無理に戦わなくていいのよ……♡」
サキュバスが手を差し伸べた瞬間――
「誘惑の幻影……甘美なる夢を見なさい♡」
バシュッ!!
紫色の霧が弾け、フィオナとヴェロニカの視界が一瞬でぼやけた。
「っ……こ、これは……!?」
フィオナは思わず剣を握り直そうとするが、体が動かない。周囲の空間がぐにゃりと歪み、まるで別の世界に引き込まれるような感覚が襲いかかる。
そして――
「フィオナ……」
「……え?」
聞こえたのは、優しく懐かしい声だった。
視界がはっきりすると、そこに立っていたのは――彼女の母だった。
「……お母さん?」
フィオナは一瞬、呆然と立ち尽くした。
母は優しく微笑みながら、フィオナの手を取った。
「よく頑張ったわね……もう大丈夫よ。戦わなくてもいいのよ」
「……え?」
フィオナの胸の奥で、何かが引き裂かれるような感覚が生まれる。
(こんなの、幻なんだから……!)
理性では分かっている。これはサキュバスの作り出した幻想。しかし――母の声はあまりにも優しく、温かくて、現実よりもリアルに感じられた。
「いや……でも、私は……」
フィオナの剣を握る手が、震える。
次に、ヴェロニカの周囲にも幻影が現れる。
「おかえりなさい、ヴェロニカ……」
そこにいたのは、彼女がかつて憧れ、追い求めた偉大な魔女だった。
「私……戻ってきたの?」
ヴェロニカの表情が驚きと困惑に満ちる。
「あなたは才能がある……もっと自信を持っていいのよ」
「……そんな……私が?」
ヴェロニカの瞳が揺れる。
(まずい……これ、幻覚攻撃だ!!)
フィオナは理性を振り絞りながら、自分に言い聞かせる。
(こんなのに、負けて……たまるもんですか……!)
しかし、体は動かない。まるで温かい夢の中に閉じ込められたように、現実に戻ることができない。
「ふふ……このまま、夢の世界で過ごしましょう……♡」
サキュバスの囁きが、さらに甘く響く。
だが、その時――
「フィオナさん、ヴェロニカさん」
静かで、それでいて確かな意志を感じさせる声が、二人の幻を引き裂いた。
「目を覚ましてください」
レイナの手が、フィオナの肩をしっかりと掴む。
「……っ!!」
フィオナの目が覚めた。
幻は消え、目の前には変わらずサキュバスが微笑んでいた。
「なっ……!? 私の幻術が効かない……!?」
サキュバスが動揺したように後ずさる。
「フィオナさん!」
レイナはフィオナの手を握ると、彼女を強く引き寄せた。
「……レイナ?」
「あなたは勇者ですよね?」
レイナが真っ直ぐに見つめる。
「ここで負けるわけにはいきません」
「……っ! そうよね!!」
フィオナは力強く頷いた。
「私は勇者! こんな誘惑になんか、絶対に負けない!!」
彼女は剣を握り直し、ヴェロニカの肩も叩く。
「ヴェロニカ! あんたも目を覚ましなさい!!」
「……え?」
ヴェロニカの目が揺れる。
「いい加減、過去の憧れにすがるのやめなさい! あんたは“今”を生きてるんでしょ!?」
フィオナが叫ぶと、ヴェロニカはハッと息を呑んだ。
「……そ、そうね……!」
ヴェロニカは顔を上げ、杖を力強く握った。
「私は……大魔女ヴェロニカ!! こんな幻に惑わされるほど、安っぽい魔女じゃないわ!!」
サキュバスは唇を噛み、悔しげに瞳を細める。
「……あなたたち、なぜそんなに強いの?」
「私たちには……仲間がいるから!」
フィオナが剣を構える。
「そして……その中に、規格外の化け物がいるから!!」
「ふふっ……私を本気にさせるなんて、少しは楽しませてくれるのかしら?」
サキュバスが妖艶な笑みを浮かべると、空気が震え、甘美な香りがさらに濃厚になる。
フィオナとヴェロニカはすでに限界に近かった。まるで体の力が抜けていくような感覚に襲われ、立っているのがやっとだ。
「っ……くそ……」
フィオナは剣を杖代わりにしながら耐えようとするが、膝が震えて力が入らない。
そんな中、ただ一人、涼しい顔をしている少女がいた。
「……フィオナさん、少し休んでいてください」
レイナが静かに前へと進み出る。
「レ、レイナ……?」
「フィオナさんは、ずっと戦ってきましたから……今度は、私の番です」
そう言うと、レイナはゆっくりとサキュバスを見据えた。
「へぇ……あなた、ただの村娘じゃないわね?」
サキュバスは薄く笑いながら、レイナに向かって手を伸ばす。
「でも、私の力に耐えられるのかしら?」
その瞬間――
「えいっ!」
レイナの拳が一閃し、サキュバスの顔面に直撃した。
「がっ……!?」
鈍い衝撃音とともに、サキュバスの体が宙を舞い、壁に叩きつけられる。
「な、なに……!?」
サキュバスの目が見開かれる。彼女の妖艶な表情から、明らかに動揺の色が滲んでいた。
「さすがに驚きましたね」
レイナは拳を軽く振りながら、小さく息を吐く。
「ちゃんと“加減”したんですけど……意外と吹っ飛びました」
「加減……!?」
サキュバスは愕然とした表情でレイナを見つめた。
「ちょっと待て……あなた、本当に村娘……?」
「はい、村娘です」
「どこがぁぁぁぁぁ!!!」
フィオナの絶叫が響く。
サキュバスは目を回しながら、その場に崩れ落ちた。
こうして、村を脅かしていたサキュバスは、最強の村娘によってあっさりと討伐されたのだった。
戦いが終わった。
教会の中には静寂が広がり、甘い妖気もすっかり消え去っていた。
崩れた瓦礫の中で、サキュバスがぐったりと横たわっている。美しかった黒髪は乱れ、かつての妖艶な雰囲気はすっかり影を潜めていた。
フィオナは、まだ状況が飲み込めない様子でレイナを見つめた。
「……すごい……レイナ、本当に倒しちゃったのね……」
レイナは小さく頷き、控えめに微笑む。
「はい。でも、ちょっとやりすぎちゃいました……?」
「いやいやいや!! やりすぎとかそういう問題じゃないから!!」
フィオナが思い切りツッコミを入れる。
「普通はさ、勇者がサキュバスを倒す展開でしょ!? なんで村娘がワンパンで沈めてるのよ!!」
「えっと……すみません?」
「謝るところじゃない!!」
ヴェロニカは苦笑しながらフィオナの肩を叩いた。
「ま、結果オーライじゃない?」
「そ、そうだけど……」
フィオナは複雑そうに腕を組んだが、サキュバスを倒せたのは事実だ。
「これで村の男たちは正気に戻るはずね」
ヴェロニカが冷静に分析しながら、教会の入り口を見やる。
「じゃあ、ギルドに報告に戻ろうか」
「うん!」
こうして、勇者パーティーはまた新たな一歩を踏み出した。