騎士の思い
「どういう事か説明して頂けますね?」
オルグはシアの部屋の居間から続くバルコニーに立ち、呼び寄せたケミカルとクロードに向かって答えを求めていた。
クロードに抱きかかえられて戻ってきたシアは、その足で寝室に運び込まれてからは放心状態。寝台に腰かけぼ~っと空を見つめたまま考えに耽っているようだった。
本来なら部屋を移動したい所だったが、護衛であるクロードがシアの傍を離れる事が出来ず、他の者に変わらせればいいとも思われたがそれすらもクロードが拒んだため、気休め程度に場所をバルコニーに移したと言う訳だ。
ケミカルが呼ばれたのは、シアと何やら秘密を持って動いていた様子にオルグが気付いていたからである。当事者がいない所でクロードが軽々しく口を割るとは思えなかったからだ。
「どういう事って何がだよ?!」
半眼開き不機嫌に腕を組むオルグにケミカルは聞き返し、頭上から低い声が落とされた。
「ゼロが見つかったのです。」
「はぁ?!」
ケミカルは思わず声を上げクロードを見上げる。
「何処にいたんだ?!」
ケミカル自身が手を尽くしても見付けられなかった男が、自分の預かり知らぬ場所で発見されたとなると少々気分が悪い。
「ゼロと言うのは何者です?」
先程シアがゼロリオに向かって呟いた男の名。
「ゼロっ…って…あ~っと…」
思わずケミカルは口籠った。
シアに気のあるオルグに知らせるのはどうなのだろうとも思ったし、シアの事も気になるからだ。
戸惑いはっきりしないケミカルにオルグはイライラを募らせる。冷静沈着なオルグにしては珍しい事だった。
「そんな大した事じゃないんだけどな…」
「国家に関わる大事ですよ。」
「んな大げさな―――」
確かにシアの結婚相手は国王になるのだから大事とも言えなくはないが―――
辟易した様にケミカルは頭の後ろに腕を回す。
「シアの恋人なんだってさ。」
「恋人?!」
オルグは思わず大きな声を上げ、慌てて声を顰める。
「―――彼女にそんな相手がいたのですか?」
「深い関係かどうかまでは聞いてないけどさ―――」
ケミカルは誤魔化すように後ろに束ねた髪をすくった。
「ここに来る一カ月位前に知り合ったらしい。相手が貴族ってんであきらめようとしてたらしいんだが、あいつ自分が王女だって知っただろ?どうせ結婚させられるなら好きな相手とって思うのは当然の事だ。で、捜して欲しいって頼まれた訳。」
何故お前が頼まれたのだと言いかけたが、少し考えれば解る事だった。
ケミカルは王位にも興味がないし、他に惚れた相手もいる。それを知って頼みやすかったのだろう。
「それでゼロって奴は何処にいたんだよ?」
「アセンデートの第二王子ゼロリオ殿下でした。」
答えたクロードをケミカルはゆっくりと見上げ―――
「―――は?」
眉を顰めた。
「それって―――やばくね?」
異国の王子だとしてもゼロリオは第二王子。第一王子のアルフォンスがアセンデートの王位を継ぐ事になっているから、シアがゼロリオを選び婚姻を結べば、ラウンウッドの王位はゼロリオに約束される事になる。
同時にそれはラウンウッドがアセンデートの手中に入ると言う事を意味していた。
と言うよりもその前に―――
「何でアセンデートの王子がシアと恋人同士になんかなってんだよ?」
ケミカルの疑問にはクロードも、そしてオルグも答えを出していた。
解らないのか?とオルグに無言で睨まれケミカルは額に手を置く。
「あーっ、やっぱそう言う事になるよなぁ…」
ケミカルはシアが閉じ籠っている寝室の方に視線を向ける。
「王子達が身罷られてから直ぐに行動に移したと言う事でしょうね。」
全く厄介な事をやってくれたものだとオルグは溜息を付いた。
「それにしてもケミカル、頼まれておきながらどうして相手がゼロリオ王子だと気付かなかったのです。それほど無能だとは思いもしませんでしたよ。」
初めから解っていたなら二人を会わせない様にするとか何らかの対処のしようもあったと言うのに。
確かにゼロリオにゼロ、名前も愛称を使っていただけの事。ゼロリオ王子を見知っているケミカルが気付かなかったのは彼のミスだ。
毎日会っていたと言うので、ケミカルも都に住む貴族だと決めつけた先入観が先に来てそこまで思い到らなかったのだ。全く返す言葉もないケミカルは溜息を付いた。
「あいつゼロリオ王子を選ぶと思うか?」
馬鹿な娘ではないとは思うが、恋は盲目でもある。
ケミカルは昨日シアが見せた、光を失った漆黒の瞳を思い出していた。
あんな辛そうなシアを見る位ならゼロリオとの事を認めてやりたい気もするのだが―――認めるには相手が悪過ぎる。素行についても悪い噂しか聞かない。ゼロリオは明らかにシアの心を利用しているのだ。
「反対すればする程思い入れてしまうでしょうね。」
駄目だと言われれば反発するし、いけないと解っていてもつい手を出したくなってしまう。
オルグとて自分の気持ちを除外してもゼロリオでは賛成できないし、ラウンウッドと言う国側としても歓迎出来た物ではなかった。
らしくもなくオルグは溜息を付く。
どんなにシアが望んでもあの男だけは認められない―――ゼロリオもラウンウッドが国として認めない事を知っているだろうに、それをいかにして回避するつもりでいると言うのだろうか?
強硬手段に出るなら、シアが城に呼ばれる前に手出しをしていた筈である。それとも既に手をかけているのか?
放心状態であったとは言え、シアはゼロリオの接吻を拒絶する事なく受け入れていた。
「懐妊などしていなければよいのですが―――」
オルグの呟きにケミカルは声を上げる。
「お前っ、仮にも惚れた女だろうが?!」
なんて事言いだすんだと珍しくケミカルに非難され、可能性として口走ってしまった軽々しさにオルグも直ぐ様反省した。
同時に高い位置からは冷ややかな眼差し。
「シア様を愚弄するとは―――たとえオルグ殿であっても許せませんよ。」
「まぁまぁクロードも落ち着けよ。シアだって餓鬼じゃないんだからゼロとそう言う関係になっていてもおかしくないって仮定の話だろ?」
「シア様に限ってだけはそのような事断じて有り得ません。」
自信満々に宣言するクロードにケミカルもオルグも威圧される。
「―――お前、シアの犬だな。」
ケミカルがぽつりと呟き、オルグも心で同調した。
クロードに抱きかかえられたまま部屋に連れ戻されると、それを見た侍女達から黄色い悲鳴が上がった。
そんな悲鳴どうでもいい、勝手に勘違いして楽しんでくれ。寝台に横になる前に結い上げた髪を解かれ、ドレスを脱がされ着替えさせられるのにも慣れたから勝手にやってくれて構わない。
今はそんな事に気を使い抵抗できる程の気力と余裕はシアにはなかった。
(おかしい、物凄くおかしい―――)
茫然と考えていたシアだったが、行き着く先はやはりそこである。
何でゼロがここにいたのだ?
ケミカルが散々捜しも人違いの人物しか見付けられなかったというのに、どうしてああも簡単にシアの前に現れてくれたのだろう。
ケミカルの予想通り名前も違っていた。
それに何て言ったっけ?
ゼロ…ゼロリオだったっけ?
驚き放心状態の時に名前を言われたのであまり記憶にない。
しかもゼロは―――
「えっ?!うえぇぇぇぇええええええ―――っ?!!」
寝台に放心状態で腰かけ空を見上げていたシアは突然奇声を上げた。
あの時ゼロと…ゼロリオとシアの間に入りこんで来たクロードはゼロの事を『異国の王子』と言わなかったか?!
それにあの状況―――
「シア様っ!」
その時寝室の扉が勢い良く開き、シアの奇声を聞き付け血相を変えたクロードが真っ先に飛び込んで来た。
素早く寝室を見渡し中にいるのがシアだけだと解るとほっとしシアに駆け寄る。
後にはオルグとケミカルも続いていた。
頭を抱え込みがくがくと震えるシアの前にクロードが跪く。
「シア様、シア様大丈夫ですか?」
見目麗しい騎士が王女に跪く―――ここに侍女がいたなら再び黄色い悲鳴が沸き起こっていただろうが残念な事に男以外に女はシアしかいない。
シアは心配そうに覗き込むクロードに視線を向けると、震えながら呟いた。
「お…おうじ、さま?」
王子様―――勿論クロードの事ではない。
「シア様―――」
クロードの瞳が切なそうに愁いた。
シアとて解っている筈だが認めたくないのだろう。こんな状態の主にあの男の素性を聞かせてもいいのか?
悩むクロードの思惑を余所に、オルグが迷いなくシアに応えた。
「ゼロリオ=ハッシュ=アセンデート。間違いなく先程の男はアセンデートの第二王子です。」
いつもなら笑顔を絶やさないオルグが、厳し顔つきに何時になく低い声で周囲に緊張をもたらす。
「まさかこの様な事態に陥るとは予測しておりませんでしたので説明が行き届いておりませんでしたが、シア殿が他国の王子と婚姻を結ばれるのはラウンウッドとしては歓迎できるものではありません。と言うより、許されません。」
厳しい声色にシアは怯む所か、思わず立ち上がってオルグを見上げた。
「どうして?だって彼は第二王子でしょう?」
「彼が他国の王子だからです。もしシア様がゼロリオ王子とご結婚され彼が王位に就く事になれば、我が国はアセンデートに国を奪われたも同じ事なのです。」
両国の友好を求めて王女が他国に嫁ぐのとは訳が違う。シアを手に入れる者はラウンウッドを手に入れると言う事だ。
国のその後などは王子の思惑に寄り切りだが、どう繕ってもアセンデートが戦わずしてラウンウッドを手中にする事には変わりはない。
こんな話をすればシアが傷付く事くらいオルグは承知していた。それでもこれはオルグがシアに言わなければならない事実だ。
何があろうとシアがラウンウッドの王女である事には変わりはない。付け焼刃にしろ何にしろ、それをシアは飲み込んで背負って行かなければならないのだ。否応なしに付いて回る現実をオルグはシアに理解させなければならなかった。
たとえそれでシアに嫌われようともだ。
「ラウンウッドの国民以外を伴侶に選んで頂いては困るのです。」
今までにないオルグの態度にシアは瞳を潤ませた。
「そんなの―――全部そっちの都合でしょう?!」
ここへ連れて来たのもこんな状況になっているのもシアが望んだ事は何一つない。
「わたしはゼロに会いたかっただけ、話がしたかっただけよ!」
ゼロが望んでくれるならと思ってはいたが、結婚とかそういう類は問題が付き纏うと言う事くらい解っている。それに悩み、答えを出す前からとやかく言われてしまってはどうしたらいいのか解らなくなってしまうばかりだ。
「オルグは言わなくてはいけない事を言ったまでで、別にオルグ自身がシアの感情を否定している訳じゃない。」
分かってやってくれと口添えするケミカルにシアは首を振った。
「駄目、やっぱり王女なんて無理。わたしは自分に嘘は付けないわ!」
「冷静になれよ!」
ケミカルがシアの肩を掴むと、思いのほか力がこもってしまった。
「痛いっ、離してよっ」
「ケミカル殿、乱暴はおやめ下さい。」
クロードが割って入り、ケミカルは掴んだ肩から手を離す。
「乱暴って―――」
「煩いっ。出てって、一人にしてよっ!」
シアは目の前にいる男達を追い出そうとするが、自分より大きな男など押しても引いてもびくともしない。少し冷静になれば理解できたような事が全く解らず、今のシアはゼロがゼロリオと言うアセンデートの王子だったと言う事で頭がいっぱいになっており、更にオルグの言葉が追い打ちをかけたのだ。
取り合えずこの場は外した方がいいと察した男達は、場所が寝室と言う事もあり素直に退散した。
しばらく一人にさせた方がいいと思い侍女にも言いつけておいたのだが、その気使いが逆に裏目に出てしまう。
夕食を勧めに寝室に入室した侍女が声を上げたためクロードが駆け込むとそこにシアの姿はなく、白く長い紐が寝台の足から窓枠に向かって伸びていた。
クロードは慌てて窓枠に手をかけ下を覗き込む。
夕闇迫り薄暗くなって来たそこにシアの姿はなく、静かな緑の庭が広がっていた。
白い紐―――それはシーツの端を数枚結んで作られた簡易のロープで、シアの部屋がある三階から一階の途中まで伸びて風に揺れていた。
「オルグ殿に知らせてくれ!」
クロードはそれだけを侍女に告げると踵を返して一目散に走り出す。
自分が付いていながらなんて事だ―――護衛でありながらシアの脱走にも気付かず、隣室でもぬけの殻となった寝室を守っていただけだとは何たる失態であろう。
普通の姫なら三階の窓からシーツを結んだだけのロープを使って下りたりはしない。そもそも窓から外に出るなどあり得ないのだ。
だがシアは貴族の常識で育った娘ではなく、突拍子な事をしでかしたとしても何ら可笑しな事はなかったのだ。それを読めなかったのは全てクロードの不手際である。
シアは城を抜け出す様な事は考えていないだろう。向かった先は恐らく…ゼロリオのもとだ。だがシアはゼロリオが滞在している場所を知らない筈。
あの男は危険だ―――シアに危害を加える訳ではないが、シアの心を傷つけかねない存在は絶対に許す事は出来ない。
この時のクロードは傍から見るとシアに対して強い特別な感情を持っているかに見えたが、それはあくまでも彼の忠誠心から来るものであって結して男女の恋愛感情でなかった。しかしそれはクロード以外の誰にも理解できない程強い思いであった為に、シアはクロードの忠誠心によりこれから大いなる迷惑を被る事になるのであった。