どういう事?
暗く重い気持ちのまま迎える事となったセフィーロとの対面。
たとえ王女とは言え、異国に嫁ぎアセンデートと言う国の第一王子妃となったセフィーロが易々と里帰りすると言う事はあってはならない事態だった。
セフィーロがシアに会いたいと言うのなら、本来シアの方からアセンデートを訪問しなければならない。だかそうなると様々な予定を組み直さなければなるので、シアがアセンデートを訪れるのは夫選びが終了して移行と言う事になるのだが。
その期間すら待てなかったというのは有り難いのか迷惑な話なのか…存在すら知らなかった血縁者に特別の感情など全くないシアとしては、今回の件は面倒な話以外の何物でもなかった。
シアがセフィーロの待つ部屋に向かうにあたり、久し振りに宰相のモーリスが息子のオルグを伴って姿を見せた。
モーリスは母親であるアデリを知る人でもあったし、最初からシアにとても親切で当りの良い紳士だったので、シアとしてはセフィーロよりもモーリスに会えた事の方が嬉しい。いっその事父親が国王ではなくモーリスだったらこんな面倒なに巻き込まれる事にはならなかったのにと、再び手癖の悪い王に対して苛々が募る。
シアは早朝から叩き起こされ湯浴みをし、髪を結われ侍女達が徹夜でアレンジを加えて仕上げた自慢のドレスを着せられ、歩き難いヒールの高い靴を履かされて部屋に佇んでいた。
侍女達が腕によりをかけて仕上げた渾身の一作とも言うべきシアは、モーリスが感嘆の声を上げオルグが言葉を失う程美しく仕上げられていた。
それなのに当のシアはと言うと―――
「浮かない顔をしておられますね。」
沈んだ表情のシアをモーリスが腰をかがめて覗き込む。
モーリスに深く刻まれた皺が優しく歪みシアに安心感をもたらしたが、沈みきったシアの笑顔を引き出す事は出来なかった。
「少し緊張しているだけです。」
一昨日会った時と明らかに様子の違うシアにオルグは何かあったのかとクロードに視線を送るが、クロードは素知らぬふりをして黙ってその場に立っていた。
「セフィーロ様は少し強引な所がおありですがとてもお優しい方です。シア様もきっとすぐに打ち解けられると思いますよ。」
安心させるようにモーリスが言ってくれたが、塞いでいる一番の原因はそんな事ではない。
こんなんじゃみんなに迷惑をかけてしまう―――
自己都合の感傷など今は捨ておいて元気にしなければと、シアは頬をパチンと叩いた。
小さな音が響き、目の前のモーリスもオルグも控えていた侍女も、お姫様らしからぬシアの行動に驚くがシアは気にもしない。
とにかく気合を入れなければ―――!
よしっと握りこぶしを作り一人唸ってから何とか笑顔を作り出す。
「気合十分、大丈夫です!」
一連の行動は理解し難いものの、大丈夫と言って見上げるシアが何とも可愛らしくて思わずモーリスの顔がほころぶ。
「それでは参りましょうか―――」
モーリスの温かい手がシアの背を押した。
なる程、これなら侍女達のあの気合の入れようも頷けるな―――
まさに豪華絢爛、とびっきりの美女がシアの目の前にいた。
目の前に現れた小柄な女性は同じ女であるシアの目から見ても可愛らしい上に美しくて、小柄で華奢な姿はまさに妖精とも思われる輝きを放っていた。
実際きらきらと輝いているのだ。
小さな宝石を幾多もちりばめたドレスに身を包み、明るい茶金の髪は頭高く結われている。光を浴びて揺れる紫の瞳は不思議な魅力で人を引き付けるし、薔薇色に染まる頬は年齢よりも少し幼く見える。それなのに溢れる嫌味のない微笑みは、あらゆる男を魅了するだろうと容易く想像できる程妖艶なものだった。
「お初にお目にかかりますセフィーロ様、シアと申します。」
ドレスの裾を摘んで深くお辞儀をすると、セフィーロはご機嫌ようと返して腰かけている長椅子から身を乗り出した。
「噂通り可愛らしいお方ね。もう少しこちらに寄って下さる?」
噂?どんな噂が流れているのだろうと思いつつ、シアは言われるままセフィーロの側に歩み寄った。
すると小さなセフィーロはシアの腕を掴んでぐいと引きよせ顔を覗き込んで来る。
不意を付かれ身体が揺らいだが、高いヒールを履いた足で何とか踏ん張り持ち堪えた。
「本当に黒曜石の様に真っ黒なのね。なんて綺麗なのかしら―――」
珍しい物でも見るようにセフィーロはシアの瞳をまじまじと覗き込んだ。
ラウンウッドに限らずセフィーロの嫁いだアセンデートでも、黒髪に黒い瞳と言う組み合わせは珍しかった。殆どの人間が金や銀髪に茶色と言う髪の色をしていて、瞳の色も青や緑、灰色や濃くて茶色と言うのが一般的。黒い髪や瞳の者がいないと言う訳ではないが、両方揃ってこれ程色濃く出ていると言うのも珍しい物だ。
「あの方が興味をお持ちになられたのもうなずけるわ。」
「あの方?」
シアの返しにセフィーロは意味ありげに微笑むと、掴んでいた腕を解放しシアの後ろに視線を向けた。
「クロード、お前はこの娘に忠誠を誓ってしまったの?」
問いかけながら歩み寄って来るセフィーロに、クロードは片膝を付き頭を垂れた。
「恐れながらコークランド王子亡き後、次代のラウンウッド王妃となられる第二王女シア様にお仕え出来る誉れを国王より頂戴いたしました。」
何処となく棘のある両者の物言いにシアは顔を引き攣らせた。
モーリスとオルグに目を向けると、二人とも何でもない様な涼しい顔をしている。
クロードとセフィーロの間に火花が散っているように見えるのは気のせいだろうか?
この娘と言ったセフィーロは王妃腹でないシアを認めず、クロードはシアを王位継承者として敬っている―――ただそれだけのように見えてそうではない様な節が伺えるのだが…
するとセフィーロは甘えるような子供っぽい笑顔をクロードに向ける。
「それは残念。お兄様が亡くなったお陰でお前をアセンデートに連れて帰れると思っていたのに―――」
第一王子が消えてくれて嬉しいとも取れるきわどい発言にシアが驚いていると、跪くクロードを見下ろしていたセフィーロがくるりとドレスを翻しシアを振り返った。
「ねぇシア、クロードをわたくしに譲って下さらないかしら?」
譲ってくれって―――
(物じゃないんだしそんな簡単に言わないで欲しいなぁ…)
本気か冗談か測り兼ね口籠るシアにモーリスが助け船を出した。
「セフィーロ様、お戯れが過ぎます。」
「まあモーリス、戯れで言っているのではありませんよ。わたくし随分前からクロードを側に置きたかったのですもの。」
セフィーロはシアに歩み寄ると頬を優しく撫でつける。
「ちゃんと大事に扱うわ。ですからねぇ―――」
譲ってと甘えるような声で囁かれ、シアは思わず頬を赤く染めてしまった。
「譲って―――下さるわね?」
セフィーロの紫の瞳が鋭く光る。
獲物を狙うような鋭さにシアは我に返り慌ててセフィーロから視線を外した。
(やばい…何かの怪しい術にはまりそうだったっ!)
少し強引だが優しいと言っていたモーリスの言葉を疑う。
これは絶対『強引で怪しい』の間違いだ!
焦ったシアの瞳に跪いたままのクロードが映った。
クロード自身はどうしたいのだろう?
王の命令でシア付きの騎士になりはしたが、今の状況からするとクロードはセフィーロの物になりたいと思っている様には到底思えない。
期待に胸ふくらませるセフィーロに、兎に角何かを言わなければとシアは気持ちを落ち付けさせる。
「あの…クロードさんはわたしに忠誠を誓って下さいました。だからわたしも主として彼を守る義務があるのだと思います。だからその―――クロードさんをアセンデートに連れて行かれたら彼を守れなくなってしまうので…彼をお譲りする事は出来ません。」
ごめんなさいと頭を下げると、セフィーロは呆気にとられた様な顔をし、クロードははっとした様に顔を上げたかと思うと嬉しそうにシアを見つめていた。
騎士が剣にかけて誓う忠誠の意味も解っていなかったシア。
何処にでもいる普通の一般庶民として生活していたシアが、クロードと言う騎士の必要性を理解しているとは始めから思っていなかった。常に付きまとい制約をかける騎士を鬱陶しく思っているかもしれないと、それでもいいとクロードは思いながら病死したかつての主同様にシアにも忠誠を誓っていた。騎士としての独りよがりの自己満足。そう思っていたのに―――シアはクロードを認め、忠誠を誓ってくれたクロードを守る義務があると言ってくれたのだ。
特別な意味がある訳ではない、シアからすれば何でもない言葉だったかもしれないが―――
その一言にクロードは、胸の内に温かい何かが広がるのを感じた。
「なんですの、それ―――」
セフィーロはシアの言葉に眉間に皺を寄せる。
それは彼女にとっては思いもしない応えだった。
「あなたわたくしに楯突く気?!」
「そんな恐ろしい事出来ません!」
小柄なセフィーロに詰め寄られ、シアは首を大きく横に振った。
綺麗な顔で凄まれると恐ろしさも一際倍増する。
「ではわたくしにクロードをお渡しなさい!」
ドレスの胸倉を掴まれシアは思わずのけぞった。
「どうしてですか、アセンデートにも騎士くらいいるでしょう?!」
「あんな見目の良い騎士が他にいる訳ないでしょう!」
「顔がいいからクロードさんが欲しいって事ですか?!」
「それ以外に何があるっていうの?!」
「はぁっ?!」
顔がいい、ただそれだけの事でクロードの自由を束縛しようなんて聞いて呆れる!
これを一国の王女が―――いずれはアセンデートの王妃となるセフィーロが本気で言っているのか?!
シアの内に沸々と怒りが込み上げて来た。
「冗談じゃないわっ!」
胸倉を掴むセフィーロを払い除けると、小さく華奢な身体は容易く毛足の長い絨毯に吸い込まれた。
「無礼者っ、何を致すか?!」
逆鱗にでも触れたのかセフィーロの目に怒りの炎が宿ったが、シアとて怒り心頭だ。
「何が無礼よ、無礼なのはあなたの思考の方だわ。上に立つ者の勝手な都合で下の者の人生左右しないで欲しいわよ。権力ってのは我儘の為にあるんじゃない、自分よりも下の皆を守る為にあるのよ!」
押さえていたものが一気に溢れだすようにシアは捲し立てた。
実際今まで色々押し込め我慢していたのだ。
血の繋がりがどうとかで城に連れて来られたが、王子達が相次いで病死したりしなければシアなどあのまま放り置かれていた筈である。お国の勝手な都合一つで、こちらの意見は無視どころか聞いてもらう機会すらなかった。
それでも与えられた運命に逆らわず、シアなりに文句も言わずに真面目に従って来たつもりだ。本当なら今すぐこんな重苦しい衣装を脱ぎ捨て元の生活に戻りたい位だと言うのに、それをしないのは国家権力に向かって一人で抗っても無駄なのだと、やってみる前から庶民の性として理解していたからだ。
これからも大人しく逆らわず、だまって従順にやっていくつもりだったと言うのに―――
それが今、クロードが顔がいいから欲しいのだと阿呆な事を言ってのけたセフィーロにぷっつりと弾けてしまった。
だが対するセフィーロも負けてはいない。
居合わせた者たち同様呆気に取られぽかんとシアを見上げていたが、瞬時に我に返ると応戦に出る。
「妾にもなれなかった卑しい女の娘如きが何をぬかす。人には役目と言う物があるのだ。ラウンウッドの第一王女として生まれた限り、わたくしは上に立ち全てを従える力を持っているのだ!」
「下々の人間だって馬鹿じゃないのよ。あなたみたいな傍若無人な人間に心から傅いたりは絶対にしない。それこそ忠誠を誓うなんて天と地がひっくり返っても有り得ない話だわ!」
「戯言など聞きはせぬ、我らに従うのがお前ら下賤の者らの定めだ!」
「そうやって身分をひけらかして人を馬鹿にしてると何もいい事ないわよ。その捻くれた性格はやく何とかしないと最後には誰も付いて来てくれなくなって泣きを見る事になるわよ。」
「何を―――っ?!」
声を荒げて言い争う二人の間に両手を叩きつける大きな音が響き渡った。
「義姉上、あなたの負けですよ。」
パンパンと手を叩き鳴らしながら、この場に突然現れた青年に皆が釘付けとなる。
「あら…これは勝ち負けの話ではありませんわ。」
セフィーロは恥ずかしそうに口元を手で蔽い隠し、もとの可愛らしい出で立ちに戻ると現れた背年に歩み寄った。
「あなたの方こそ、立ち聞きとは褒められたものではありませんわよゼロリオ―――」
「ああも声を荒げられては嫌でも聞こえてしまうというもの。申し訳ありません。」
ゼロリオと呼ばれた青年―――ゼロリオ=ハッシュ=アセンデートは、第一王子の代わりにセフィーロと共にラウンウッドを訪れたアセンデートの第二王子であった。
背が高く、小柄なセフィーロの前に立つとまるで大人と子供の様だった。
クロードは突然現れた青年の姿に目を見開く。
自分とさほど変わらない長身で長い金の髪を後ろに束ね瞳は青だ。これはまさにシアが捜していた男に当てはまるのではないか?
そう思いシアを見ると、その視線は青年に釘付けとなり固まってしまっていた。
「ゼロリオ様もこちらにいらしたとは―――先程お部屋へ挨拶に伺いましたらお姿が見えませんで案じておりました。」
セフィーロが嫁いだ先の王子とは言え、他国の城を勝手に出歩くなと言う含みを持たせたモーリスの口調は少し棘のある物だった。
「これは申し訳ない、ある人を捜していたものですから―――」
そう言ってゼロリオが向けた視線の先には、硬直したまま微動だにしないシアの姿があった。
そんなシアに迷う事なく歩み寄るゼロリオ。
手を伸ばし頬に触れられた瞬間、シアの肩がピクリと反応する。
「―――ゼロ?」
確実なのに頼りなく発せられた声。
「やっと会えたね、シア。」
大きな手で頬を包み込まれ、当然の様に口付けが落とされる。
シアは瞳を揺らし、訳が解らないと言った表情のままそれを受け入れていた。
訳も解らずゼロリオの口付けを受け入れる様子のシアを目にし、オルグは思わず割って入り引き離したい衝動にかられたが、立場を弁え何とか自身を抑える。
「これは―――どういう事です?!」
オルグの視線は二人を追い、言葉はただならぬ気配を発しているクロードに向けられていた。
オルグの声を受け、モーリスも訳を知っているのかとクロードに視線を走らせるが、そのクロードはオルグの質問に答える前に大股でシアのもとへと向かうと、何の躊躇もなく二人の間に割って入った。
正確には唇を離した後で見つめ合う二人を邪魔するようにシアの腕を引き、自身の背後に隠してしまったのであるが―――
「君はクロード=エジファルトだね?」
同じ目線の騎士に余裕の笑みを浮かべるゼロリオに対し、クロードは無表情を貫き通した。
「恋人同士の淡い再会を邪魔するのはあまりにも無粋と言う物ではないかな?」
「我が主は婚儀を間近に控える身。異国の王子とて触れて頂きたくはございません。」
相手がアセンデートの王子ともなれば、クロードは一介の騎士と言う身分でしかない。いくら伯爵家の血筋と言っても、アセンデートの王子であるゼロリオと比べるとその身分は雲泥の差なのだ。そのクロードがゼロリオに楯突くなどあってはならない事だったが、クロードはこの事で咎めを受ける事になっても何とも思いはしなかった。
それよりも何よりも、自分の目の前でシアに触れたゼロリオが許せない。
主であるシアに恋愛感情がある訳ではない。シアが捜していたゼロと言う男が、目の前に立つアセンデートの第二王子だと言う事が気に食わなかったのだ。
一方シアはクロードに腕を引かれた事でやっと我に返り、目の前の大きな背を見上げていた。
(何でゼロがここにいるの?!)
当然疑問はそこである。
ただの庶民の娘だったシアとアデリが切り盛りする小さなパン屋を突然訪れたゼロ。
そのゼロが貴族所か、異国の―――アセンデートの第二王子だったなんて事がどうしてあり得ると言うのだ?!
ゼロリオとクロードは無言で向き合い、睨み合ったままだ。
そんな睨み合うクロードの背後からひょっこりと顔を覗かせ、シアはゼロリオを見上げた。
青い瞳がクロードからシアに移り、にっこりと微笑む。
優しく、何処となく自信に満ちた笑い方はゼロのものだ。
何処からどう見てもこの人はゼロだ!
「本当にゼロなの?」
クロードの背から姿を現し、前に出ようとするシアをクロードが腕を伸ばして阻む。
何故シアの捜していたゼロがゼロリオだったのか、何故ゼロリオがシアの思い人になったのか―――それをクロードは瞬時に察していた。
シアを傷つける者は許さない。
表情には出さないが敵意剥き出しの感覚はゼロリオに届いていた。だからわざとクロードの神経を逆撫でするような言い方でゼロリオはシアに答える。
「たとえ姿形が変わったとしても、愛は変わらないと思っていたのは僕の思いあがりだったかな?」
ゼロリオから零れた言葉は寒気がしてもおかしくないほど、甘くやや陶酔気味の言葉だ。
それをさらりと言ってのけたのは、シアから向けられる気持ちに対して自信を持っていたから。それを証明するようにシアの頬は瞬く間に赤みを帯び、やがて耳まで真っ赤になってしまった。
「ゼロ…わたしずっとあなたを―――」
捜していたの―――
言いかけの言葉を飲み込んだのは己の意思ではなかった。
突然の浮遊感と共にクロードの顔が近付き、シアはクロードの胸に抱きかかえられた事に気付く。
「えっ?!」
「オルグ殿、シア様が―――!」
クロードはオルグに眼で合図し、オルグは頷き前に出た。
「ゼロリオ殿下、セフィーロ様。シア様は昨日より気分がすぐれず再び熱がぶり返してしまったようです。お二方にうつしてしまっては一大事。これにて失礼させて頂きます。」
(えっ、何で?!)
身に覚えのない病状を語られシアはますます混乱する。
いったい何があったのかとシアが混乱している間に、クロードは事後処理はオルグに任せシアをこの場からさっさと連れ去った。
いったいどういう事だと問いた気なモーリスの視線がシアと絡むが、それを知りたいのはわたしの方ですとシアは口をぱくぱくさせていた。




