彷徨う心
会えなくなってしまったゼロと言う恋人を捜して欲しいとシアに依頼されてから、ケミカルは敬遠していたシアのもとを報告を兼ね時々訪れるようになっていた。
ケミカルは夫候補の一人でもあるオルグがシアに対して少なからず好意的印象を持っている事に気付いていたため、オルグに気を使って悟られない様に時間をずらしシアを訪問していた。
一番いいのは午後のお茶の時間。
その時はクロードも近くに控えていたし、もし万一オルグが現れてもお茶を一緒に取っていただけだと言い逃れできる。敵に回すと少々怖い相手なだけに、ケミカルとしてもオルグの不興は出来るだけ買いたくはなかった。
「確かにオルグさんには言葉で追い込まれる事が時々あるわねぇ…」
「そんなのあいつにとっては普通の事だよ。あいつは気にいらない相手は徹底的に追い詰めるんだ。しかもやり方が正当法で言い逃れできないだけに厄介なんだよ。」
なまじケミカルなどは幼少時代からの付き合いの為、年上のオルグにはかなりの弱みを握られてしまっている。
「それは褒められていると思っていいのかな?」
背後からの突然の声にケミカルは飛び上がり、シアは驚き見上げる。
そこには何時ものように笑顔を湛えたオルグが静かに立っていた。
笑顔の下に隠された何か不穏な物が見えるた気がしてケミカルは視線を反らす。
「私もご一緒してよろしいですか?」
「勿論ですよ、どうぞ。」
オルグの言葉にシアは笑顔で席を示したが、対するケミカルは気分を害したのか青い顔になりオルグとは逆に席を立った。
「おやケミカル、何処に行こうと言うのです?」
こちらを見もせず涼しい顔で言うオルグにケミカルは冷や汗を浮かべる。
「いや、ちょっと用事を思い出して―――」
「まだお茶に手も付けていないではないですか。大人しく座って頂いたらどうです?」
「そうよ、今日は絶対聞きたい話があったんだから座ってよ。」
ケミカルの思いも知らないで笑顔で言い放つシアに余計な事をと視線を送るが、シアは意味が解らず頭を傾げた。
「聞きたい話?」
「ケミカルさんには思い人がいらっしゃるんですけど、話を振るといつも誤魔化されてしまうんです。」
「おや…それは面白そうですね。ケミカル、ここに座ってシア殿の質問に答えなさい。」
オルグは侍女から差し出されたお茶を手にし優雅に口へと運ぶ。
「いや、やはり今日はちょっと―――」
オルグの前でそんな話をした暁にはいたぶられるに決まっている。
完全に冷や汗をかいていたケミカルは逃げるようにその場を後にした。
「なーんか何時も間が悪いのよね。」
ひとり呟きながらお茶をすするシアに、音を立てて飲む物ではありませんとオルグが目で訴え、シアはおずおずとカップを戻し砂糖菓子に手を伸ばした。
するとオルグが口を開き、シアの聞きたかった事を本人にも確認する事なく勝手に口にしてしまう。
「ケミカルの思い人ですが―――」
一口お茶を口にしてオルグは続けた。
「名前はミーファ=エルフェウロ。今現在は保留中となっていますが私の婚約者です。」
シアは手にした砂糖菓子をポロリと取り落とした。
「―――は?」
「私とミーファは両家の利害関係の一致によって婚約関係にありましたが、私がシア殿の夫候補にあげられたのを機に今は婚約が保留になっているのです。」
「それって―――わたしがオルグさんを選ばなければ…」
「婚約は続行され、私はミーファを妻に迎えなくてはなりません。」
オルグの言葉にシアは思わずケミカルの去って行った方向に目を向けてしまった。
これはケミカルを夫に選ぶ選ばないの問題ではなく、オルグを夫に選ばなければケミカルは愛する人と結ばれる事はないと言う事ではないか。
シアはケミカルに頼んでゼロを捜させている。
先日の宴の出席者名簿から欠席者を洗い出し、目ぼしい相手を回って律儀にもちゃんと捜してくれているようだった。自分自身が直接手を煩わせているのにこれ程掴めないなどあり得ないと愚痴を零してさえもいた。けして嘘を付いている様子はなく、誠実に対処してくれているようなのだ。
しかしケミカルがゼロを見つけ出しても、その行為はけしてケミカルにとっていい方向に向かう事はない。もしもシアがゼロと婚姻を結ぶ事になれば、ケミカルの思い人はオルグに嫁いでしまうのだ。
ケミカルはいったい何の為にシアの言う事を聞いてゼロを捜してくれているのだろう。
ただ純粋にシアに同情して捜してくれているのか、思い人と結ばれなくてもそれ程までに王位に就くのが嫌なのか。または全てが見せ掛けで本当は何の手も尽くしてはいないのか?
流石にそうとは思えないが―――
シアは腕を組むと無言で頷いた。
何だか少し不器用そうな気はするものの、それなら一言言ってくれればよかったのに。
「いい男だなぁ~」
シアの呟きにオルグは疑問符を打ったが、それを口にする事はなく再びお茶を手に取った。
二人は一通りお茶を飲みお菓子を食べながら、特別重要性もない世間話に時間を潰す。
オルグを前にお茶を飲むのは授業の延長の様で、少し気を抜いてボロを出すとすかさずオルグの突っ込みが入った。
そしてその去り際、付け加えるようにオルグは口を開く。
「突然の話なのですが、明後日アセンデートに嫁がれたセフィーロ様が里帰りなさいます。」
「セフィーロ様って…王女様?」
今年二十四歳になる、隣国アセンデートの第一王子アルフォンスに嫁いだラウンウッドの第一王女だった人で、シアにとっては異母姉にあたる。
「今回は急な事なのでアセンデートの第一王子は来られませんが、代わりに第二王子がご同行なさると言う事ですよ。」
本来なら他国に嫁いだ王女が里帰りと称して戻って来る事はないらしいのだが、セフィーロは余程シアに会ってみたいのだろうとオルグに付けくわえられ、見も知らぬ王女でありかつ隣国の王子の妃に会う事に、例え姉だとしても考えるだけで一気に疲れが出て来てしまった。
明後日とは本当に全く持って突然な話で、シアは異母姉となるセフィーロに会う為の準備に大忙しとなった。
実際に忙しかったのはシアではなく侍女や世話を焼く他の者たちで、そのお陰でしばらくの間オルグとの勉強も中止となる。
一番理解できなかったのはセフィーロに会う為に急遽新しいドレスを準備すると言い出した侍女の言葉で、何故今までの物ではいけないのかと聞けば、王女たる者ほんの僅かでも流行に乗り遅れてはいけないという馬鹿げた答えが返ってきた。
そもそもアセンデートから第一王子妃が明後日にやって来ると言うのもおかしな話である。行くと決めてから準備をし、馬車に揺られてやって来るまでに少なくとも二十日はかかるだろうと言うのが侍女達の予想。それが明後日と急に通達が来たのは王女が既にラウンウッド領内にいる証拠で、これは明らかにシアへの挑戦だといきり立ち気合を入れている。
明日は決戦の日だと豪語し忙しく走り回る侍女や周囲を余所に、シアは一人でお茶を入れおやつの時間。お茶を飲むにしても一人では寂しいのでクロードを誘ってみたが、護衛である自分は一緒には飲めないと言ういつもと同じ答えが返ってきた。
そんな時シアの部屋にケミカルが飛び込んでくる。
「奴が見つかった。」
シアの時間が一瞬が止まった。
「本人と確定させるにはまだ早いが、一緒に来て確認してみるか?」
ケミカルの言葉にシアは無言で立ち上がり、後に付いて行こうとするとそれに気付いた侍女達が一斉に止めに入る。
「今から衣装合わせだと言うのにどちらへ行かれるというのです?!」
「いくらケミカル様でもシア様にとって今はとても重要な時期なのです。勝手に連れ出されては困ります!」
重要と言うのはセフィーロに負けない衣裳を身に付け着飾らせると言う事においての、侍女の自己満足中心の事である。
「皆さんごめんなさい、直ぐに戻ってきますから許して下さいっ!」
叫ぶとほぼ同時にシアは侍女達の間をすり抜け脱兎の如く走り出した。
部屋を抜け出し後を追って来たケミカルを振りかえると、更にその後を一定の距離を保ちながらクロードが追いかけて来ている。
前に城を抜け出しオルグに迎えに来られた時にもうやらないと言ったのを思い出し、シアは躊躇して立ち止ってしまった。
シアの心中を察したクロードは優しい笑顔を向ける。
「私はシア様の騎士ですので何処までもお供致します。」
立ち止まるシアを促すように言うと、シアは彼の気使いにありがとうと礼を述べ頭を下げた。
はやる気持ちを抑え、シアはケミカルと同じ馬に乗せてもらい街へと走った。
街の中にある一軒の大きな屋敷近くまで来るとケミカルは馬を止め、シアに手を伸ばし下ろしてやる。クロードは周囲を警戒するが何事もなさそうだった。
「フィッシュハーツ子爵家の屋敷ですね。」
知っているのか、クロードが屋敷を見上げ口を開く。
別邸として都に屋敷を構える貴族は多かったが、フィッシュハーツ子爵家の屋敷は身分の割に大きく立派だった。
「そのフィッシュハーツの娘が最近婿を迎えたらしい。」
「存じております。とても見目麗しい男だとか―――」
それをクロードに言われると何とも言えなくなってしまうのだが…
「その男なんだが…ヴォルカンと言って背の高い、長い金髪で青い目の男なんだ。」
ケミカルの言葉にシアの胸が早鐘を打ち出した。
名前は違うが、貴族の男でゼロと言う名はあまりにも不自然だ。どうせ偽名だろうとケミカルには言われていた。それよりも、ケミカルが見つけて来たヴォルカンと言う男が結婚したと言う事実の方にシアはつい動揺してしまう。
出会ってから過ごしたのは僅か一カ月―――会えなくなって更に一月の時間が過ぎた。
その間にゼロが誰かと結婚してしまったと言うのか?!
シアを優しく抱き締め、愛を語ってくれた人。側にいると胸が高鳴り、心が躍った。唇を重ね、恥ずかしさを隠すように二人で笑い、彼の訪れを心待ちにしていた日々。あれが全て嘘だったとは思いたくはない。
シアがラウンウッド国王の血を引いてさえいなければ、何も知らないまま今もあの日々は続いていたのだろうか?
切なく締め付けられる胸を押させ、額に冷や汗が滲む。
「あいつだ、見えるか?」
ケミカルが指示した柵の向こうに、若い娘に笑顔を振りまく背の高い男の姿があった。
長い金髪を後ろで束ね、娘に微笑み手を伸ばしている。
仲良く幸せそうな二人に釘付けになっていたシアはふいに踵を返し、慌てたケミカルに腕を掴まれた。
シアの目尻に涙が滲んでいる。
「お前―――」
「―――違う、ゼロじゃない。」
ほっとした―――同時に辛かった。
ケミカルが懸命に捜し見付けてくれた相手はゼロではなかった。
もう会えないのかと、あきらめなければならないのかと思うと緊張の糸が切れてしまった様に力が抜けた。
「大丈夫か?」
心配そうに覗き込むケミカルがらしくなくて、シアは力なく笑ってみせる。
「ありがとう、あなたにはちっとも特になんてならないのに捜してくれて。」
シアの言葉にケミカルは首の後ろに手を回し、明後日の方向を見た。
「オルグに聞いたのか?」
シアは頷いた。
「オルグさんさえ良ければ、わたしは彼を選ぶわ。」
それはケミカルに対するせめてものお礼のつもりだった。
だがシアの言葉にケミカルは眉間に皺を寄せ声色を強める。
「お前はそれでいいのかよ?!」
シアの肩を掴んで振り向かせ目線を合わせるとシアは逸らそうとはしなかった。
「始めから手の届かない人だったのよ。」
ただそれだけ―――
急に突き付けられた現実ではなく、出会った時からそうだったのだ。
「ごめんね、あなたを利用して。皆が待ってるからクロードさんと先に戻るわね。」
そう言って背を向けたシアの後ろ姿がとても寂しく、今にも消え入りそうに小さく見えた。
「馬鹿野郎、ミーファはオルグが好きなんだよ。」
小さくなって行くシアにケミカルが呟く。
シアがオルグを選んでミーファとの婚約が解消されたとしてもどうしようもないのだ。
家同士が決めた婚約云々より前に、気持ちを手に入れる事が出来ない。そうでなければいくらオルグの婚約者だからって理由があっても、好きな女が他の男の物になるのをただ指をくわえて見ていられる訳がなかった。
たった今シアが見せた光を遮断してしまったような暗い瞳に、ケミカルは何の力にもなれなかった事が悔しくて唇を噛む。
同時に、シアの言葉が胸に突き刺さっていた。
「手の届かない人―――か。」
それはケミカルにとっても同じだった。