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姫君の選択  作者: momo
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それぞれの恋心


 クロードを巻き添えにして戻って来た家にゼロが訪れた気配はなく、そのまま夕刻まで待ったと言うのに最後までゼロがシアを訪れて来る事はなかった。


 気落ちしたシアはその足で、先日埋葬したばかりの母親のもとへと向かう。

 項垂れ下を向いて歩くシアにクロードは黙って従いつつ、通りで擦れ違った仲間の騎士に何かを耳打ちしたがシアがそれに気付く事はなかった。



 都外れにある墓地に辿り着くとシアは母親が埋葬されている場所に跪き祈りを捧げる。

 着せられた上等のドレスの裾が汚れたが、今のシアにはそれを気にする気力はなかった。

 

 意外にも自分の置かれた状況は理解できている。脅すように連れて来たとは言え、次回からはクロードに対して同じやり方は使えないだろう。彼の良心に漬け込んだ形になったが、あまり我儘を言えばクロードに迷惑もかかるし、ゼロの存在が知られてしまう可能性も高い。王弟のクレリオンが息子であるケミカルに王位を望んでいるのだとしたら、ゼロの存在を明るみにする事は危険な事なのかもしれないとシアは思う様になって来ていた。


 それでももう一度ゼロに会って彼の気持ちを確かめたい―――

 シアはゼロの胸に抱かれた感触を思い出す。

 今頃ゼロはどうしているのだろう。同じ様に自分の事を想っていてくれているのだろうか?


 世界中で一人きりの様な気がした。いや、母を失ってしまってから実際にシアは一人きりだ。

 血の繋がりがあるとはいえ現実味のない名ばかりの父、異国に嫁いだと言う七歳年上の王女や流行り病で亡くなった王子達は目にした事もない。初めて突き付けられた別世界は夢見るだけなら憧れで済んだが、現実に生活していくにはあまりにも肌にそぐわない異質な環境だった。

 王の子を宿した母がモーリスの手助けや援助を断り、姿を隠してたった一人でシアを育て上げた理由がなんとなく解ったような気がした。


 シアは跪いたままその場に項垂れると、肩を震わせた。

 悲しかった、とても寂しかったのだ。

 たった一人で世界に残されて、突き付けられた現実があまりにも有り得ない状況過ぎて忘れてしまっていたが、母を失い二度と愛した人に会えないかもしれないと思うと、失ってしまった温もりの大きさに気付かされ心に風が吹き付けた。

 もっとたくさんの事を母にしてあげたかったし、身分の違いを理由にゼロに警戒を持ったりせずもっと心に素直になればよかった。

 それも今更後悔しても仕方がない。

 失ってからでは全てが遅すぎるのだ。

 


 シアの耳に馬の蹄と車輪の音が届く。

 振り返ると立派な四頭立ての馬車が近づいて来るのが見えた。

 何故ここが分かったのだろうと驚いたが、黙って傍らに立つクロードを見て彼が知らせたのだと悟った。

 到着した馬車から降り立ったのはオルグだった。

 土の上に座り込んでいた為に汚れてしまったドレスを見て顔を顰めたが、オルグは何も言わずシアに頭を下げる。

 オルグもクロードもシアに何も言わない。

 育ちはともかく、彼らはシアの身体に流れるラウンウッド王家の血に対して礼をはらっているのだろう。見られているのはシアではなく、王家を存続させる為に必要な血なのだと突き付けられた瞬間だった。

 「ごめんねクロードさん、もうしないから。」


 俯いたまま馬車に向かって歩くシアにクロードはかける言葉がなかった。

 泣いていると思われたシアに涙はなく、だが表情は硬い。

 昨日迎えに行った時、裏口から逃げ出そうとしたシアを捕まえたのはクロードだった。そして今日、シアは生まれ育ったその家に戻りたいと言って城を抜け出した。迷いなく真っ直ぐ向かったその家で何かを待つようにただじっと佇んでいたシアは、時間が経つにつれて暗い影を背負いだした。

 王位継承者であった王子達が立て続けに亡くなってしまった事で自由を失った娘。馬車に向かって歩くシアの背を追いながら、クロードは複雑な心境に陥っていた。


 馬車に向かって歩きオルグを前にしてシアは後ろめたい心境に駆られる。

 彼には城の中を散策しろと言われていた。その言いつけを破って外に出た事で怒っているに違いないと思っていたのに、シアを見つめるオルグはほっとした様な優しい微笑みを湛えている。

 その表情が真実かどうかを見抜く目を持ち合わせてはいなかったが、誰かを疑っても気持ちが沈むだけだし心が荒んでしまうのが嫌で、シアはオルグに頭を下げた。

 「心配しましたよ。」

 実際の所クロードが付いていたのでそれほど心配はしていなかったが、今後の事を思いオルグは多少大げさに心配している様子を見せた。

 「ごめんなさいオルグさん、クロードさんにはわたしが無理を言って城を出してもらったの。だから彼の事は怒らないで下さい。」

 悪いのは自分だと言ってシアは深く頭を下げた。

 「任務に忠実なクロードを言いくるめるとは意外でした。いったいクロードに何を言ったのです?」

 「―――彼の忠誠心を利用したんです。」

 シアはそれだけ言うと、オルグの手を借りて馬車に乗り込んだ。













 無断外出にお咎めはなかったが、次にこの様な事があればシアではなく側に使えるクロードや侍女が罰せられる事になるのだと脅しとも取れる忠告をオルグから受ける。

 上に立つ者は力を与えられる代わりにそれに対する責任が伴う。それをオルグに教えられ、シアはここで生きて行く為には責任を負える人間にならなければならないのだと理解し、それ以後シアはオルグの言葉に従い勉強し、王家の慣習も受け入れて行こうと素直に従う事にした。

 オルグにとってシアは想像以上に優秀な生徒になった。

 教えた事は一度で覚え飲み込みも早い。言われた事には二つ返事で従い抗う事は見せず、僅かな時間で見せ掛けだけは立派な淑女の様に出来上がったが、時間が経つにつれシアからは表情が消えて行った。

 笑えと言えば笑うし話もするが、そこにシア自身の感情は見受けられない。

 王家の血を引く者として存在してもらうにはそれでも良かったが、もっと利発な娘だと思っていただけに、オルグもクロードも人形の様に立ち居振る舞うシアに不安を覚えていた。


  

 シアが王宮に連れて来られて二週間、この日は国中の王侯貴族を招待しシアを披露する為の宴が催されていた。

 腕の良い侍女たちによって着飾らされ静かに佇むシアは、何処からどう見ても非の打ち所のない立派な淑女に見えた。

 漆黒の髪を結い上げ白い肌に薄化粧を施し、繊細なレースがふんだんに使われた淡い薄青色のドレスで身を包んでいる。剥き出しの細い肩に形の良いふくらみをした胸と細い腰。下はふんわりとふくらみを持たせたドレスが大理石の床に流れている。

 大粒の青い宝石の付いた耳飾りとお揃いの首飾りが持ち前の美貌を引き立ててはいたが、シアの漆黒の瞳からは精気が失われてしまったままだった。

 

 シアのもとに多くの紳士が訪れ手を取りダンスを申し込む。

 それに従い、オルグに教えられた通りそつなくダンスをこなしたが、流石に習い始めたばかりでは数曲が限度だ。それを察したオルグが助け船を出しシアに寄り添うと、本命の登場にシアに群がる男達が遠巻きに退いて行った。


 「外の空気でもお吸いになりますか?」

 オルグに促され庭に出る。

 所々に明かりが灯されていたが夜の闇には頼りなく、辺りは薄暗かった。

 近くのベンチに腰を下ろすと、オルグは何か飲み物をとシアを残してその場を後にする。

 オルグがいなくなり一人になった所でシアは深い溜息を落とした。


 もしかしたらゼロがいるかもしれない―――

 国中から王侯貴族が集められると聞いていたので、シアは淡い期待を寄せていた。だが宴が始まり辺りを見回してもシアがゼロの姿を目にする事は出来なかった。

 ゼロが貴族であろう事は間違いないと思っていただけに、ここに来ていない事実にシアは深く落ち込んでしまっていた。

 ここに呼ばれる程の身分ではないからなのか、それとも本当は貴族ではなかったのか。希望を見出すなら今回はたまたま欠席していたとでも思いたい所だったが―――

 ふと視線を彷徨わせた先に、一人の男の姿があった。

 何処かで見た事があると思ったのはシアの間違いではない。最初にここへ連れて来られた日に一度会ったきりのケミカルが薄暗い庭園に一人佇んでいた。

 

 シアの有力な夫候補として名を上げている筈なのに、ケミカルはこれまで一度もシアのもとを訪れてはいなかった。シアの教育係であるオルグは特別だとしても、この宴の席にありながら挨拶すら交わしておらず、そう言えば王位に興味があるのは彼の父親であるクレリオンで、彼自身は興味がないと聞いていた事を思い出した。

 シアがぼんやりとケミカルを見ていると、彼がある一点に熱い視線を注いでいるのに気が付く。

 長い金の髪を後ろで束ねたケミカルの視線の先には一人の娘の姿がある。

 シアからは遠過ぎて娘の顔までは見えなかったが、ケミカルが向ける眼差しは叶わぬ恋に切なく揺れる物だと一目でシアには分かった。

 だってそれは、シアがゼロに向けていた想いと同じだったから。

 娘の正体は解らなかったが、ケミカルにとっては手出しし難い存在なのだろう。

 そう感じたシアの瞳に輝きが宿る。

 シアはベンチから立ち上がると迷う事なくケミカルのもとへと真っ直ぐに向かって行った。


 


 人の気配に気付いたケミカルが視線を向けその先にシアを認めると、不味い奴に会ったと言わんばかりに明らかに不快な表情を見せ舌打ちするのがシアにも伝わって来た。

 シアはケミカルの失礼な態度に怒るでもなく、にっこりと笑って笑顔を向ける。

 「こんばんわ、ケミカル様。」

 ケミカルからは挨拶が返される事はなかった。

 「わたしシアです。初めてお会いしてから随分と時間が立っておりますが覚えていらっしゃいますか?」

 シアが問いかけるがそれも無視してケミカルは眉間に皺を寄せている。

 立ち去るつもりはないらしいが、このままシアを無視するつもりらしい。それでもケミカルの緑の瞳には苛々が伺えた。

 下手に動いて熱い視線を送っていた相手に、シアと二人でいる所を目撃されたくないのだろうか?

 シアは口元に指を当て少し考えてからにんまりと笑い、娘からは見えない様に側にあった木の陰に隠れる。

 「わたし、あなたを夫に選ぶ事に決めました。」

 「なんだって?!」

 驚き声を上げたケミカルに、シアはやっぱりねと心中でこっそりほくそ笑んだ。

 思わず声を上げてしまったケミカルは一度娘の方を気にしてからシアを睨みつける。

 「俺はお前なんかに興味はないっ」

 声色を押さえながら怒鳴るケミカルの目が怒りと不安に揺れているのをみて、シアはいきなりで衝撃的過ぎたかと思いはしたが態度は崩さない。

 「あの子に興味があるから?」

 そう言ってシアが意味有り気な視線を向けると、ケミカルは答える代わりにふいと視線を外した。

 そんなケミカルの態度が少し子供っぽくてシアはくすりと笑ってしまい、するとケミカルが敵意剥き出しの形相で睨み付けて来た。

 「冗談よ、わたしはあなたを夫に選んだりしないから安心して。」

 くすくすと笑うシアに、ケミカルは怪訝な表情を浮かべる。

 「本当はね、あなたにお願いがあって話しかけたの。」

 「そんなのは俺じゃなくてオルグに頼め。」

 「オルグさんじゃ駄目なの、あなたじゃなきゃね。」

 そう、誰かに恋心を持つケミカルなら遠慮なく言葉にできる。夫候補の筆頭であるオルグには言い難い事だが、シアに興味を持たないケミカルになら頼める事だった。

 「捜したい人がいるのだけどわたし一人じゃどうしようもなくて。もしあなたが手助けしてくれるなら、王があなたと結婚しろと言っても絶対に拒否するって約束するわ。」

 オルグが戻って来る事を気にしてシアは手短に用件を告げた。

 「なんだよそれ、脅してんのか?」

 真意を伺うように眉を顰めるケミカルに、シアはふっと笑った。

 確かにこれはケミカルの心を利用して脅している事になるのかな?

 浅はかだが何の力もないシアには、今は他に方法がない。

 「もし話に乗ってくれる気になったらわたしを訪ねて。」

 それだけ告げるとシアはケミカルの前から姿を消す。

 


 これはシアにとっては一つの賭けの様な物だった。

 話に乗ってくれるならシアにとっては好都合だったし、このままケミカルに無視されても彼を夫として選ぶ気など毛頭ない。王や王弟であるクレリオンがどんなに押したとしても、あんな切ない目をして誰かを思うケミカルを夫に迎える事など出来る筈がなかった。

 












 来るか来ないかは分からない。

 宴の開かれた翌日いつもより遅く起床したシアは、その後はいつも通りの日常を過ごす。

 講義を説く為シアを訪れたオルグは、昨夜庭に出てから様子の変わったシアに疑問を抱きながらも、精気が宿り輝きだした漆黒の瞳を見て安心した。

 「何か変わった事でも?」

 聞かれたクロードも首を振った。

 オルグが側にいる時は席を外し他の用事を済ませる。騎士団に所属するクロードは部下の訓練や執務などの仕事も抱えている為、四六時中シアに付き纏っている訳にもいかない。他の騎士に交代を頼む事も出来たが、オルグも貴族の子息として剣をたしなみその腕はかなりの物だった為、オルグが側にいる時にはその必要がなかった。だから昨夜の宴の折りは城の警護にあたりながらシアの事は遠くから見守っていたので、オルグがシアから離れた僅かな時間にケミカルと接触した事に気付いてはいなかったのだ。

 「何かいい事でもありましたか?」

 オルグの問いにシアは「え?」と声を上げ、小さく笑った。

 久し振りにシアが見せた笑顔にオルグの表情も思わず綻ぶ。

 「いい事があるかもしれない、それに期待しているんです。」

 素直に答えるシアに、オルグは心の中が暖かくなる感覚を覚えていた。

 

 シアと向き合い講義する事はオルグにとって数少ない楽しい時間の一つだった。

 王の血を引きながらこの世界に交わる事なく育ったシアは、オルグの出会った事のない興味引かれる娘だった。オルグとてケミカル同様に王位に対して興味がある訳ではなく、彼は子供の頃より父親であるモーリスの後を継ぎイシュトル家の嫡男としてラウンウッドを盛り立て、政治の中枢で働きたいと勉学に励んで来た。シアにお妃教育を施すのもその一環と考え何の気なしに了解したに過ぎなかったのだが、シアと同じ時間を過ごす事が何時の間にか楽しくてオルグにとっての貴重な時間に変わっていた。女性の外見に気を取られる程甘い人間ではなかったが、美しいシアに心惹かれているのも確かだった。その為、どんどん表情が削がれ人形の様に従順になって行くシアをみていると心が痛んでならなかったのだ。

 それが打って変ったように急に変化を見せた事に喜びながらも、どうしてシアがこの様に変化したのかが掴めず、オルグはその理由が知りたくて少し戸惑っていた。

 


 そこへクロードと入れ替わるようにして意外な人物が姿を現した。

 少し不機嫌な雰囲気を漂わせ現れたのはオルグも良く知るスロート公爵家の嫡男ケミカルだった。

 ケミカルが姿を現した瞬間シアの表情がぱっと輝き、瞬く間に零れんばかりの笑顔が溢れ出す。

 それを見たオルグははっとした。

 沈み切っていたシアに生気を取り戻させたのがケミカルだと知って、オルグは今まで感じた事のない感情が沸き起こるのを覚えた。

 それにしてもいったい何時二人は接触したのだろう?

 ケミカルに思い人がいる事を知っていたオルグは、それでもシアの笑顔を引きだしたケミカルに僅かな嫉妬を覚える。彼にその気がないとしても、シアの方にケミカルに対する恋心が芽生えない保証は何処にもないのだ。

 「お前がここを訪れるとは思いませんでしたよ。」

 不機嫌そうなケミカルに笑顔で問うと思ったのとは違う答えが返って来た。

 「このお嬢さんから呼び出されたもんでね。」

 てっきりケミカルは父親のクレリオンに言われ渋々やって来たのだと思っていた為、オルグは驚いてシアに視線を向けた。するとシアは誤魔化す様な愛想笑いを浮かべる。

 (不味い―――)

 オルグにはシアの心の声が聞こえたような気がした。


 勿論シア自身はオルグが懸念するような感情をケミカルに抱いている訳でも何でもなかったが、ケミカルに頼もうとしている事をオルグには聞かせない方がいいような気がしていただけになんだか後ろめたい。オルグに聞かせた所でゼロがどうにかなってしまうとは思いはしなかったが、彼にはケミカルの様な特定の女性がいるのかすらシアは知らなかったのだ。

 「昨日お会いした時に面白そうな方だと思ったものですから、なんだか少しお話してみたいなぁ~とか、思ってしまって…」

 言い訳めいた言葉がオルグに暗い影を落とす。

 「そうですか。それでは私は席を外す事に致しましょう。」

 そう言って席を立ち部屋を出て行くオルグに、機嫌を損ねてしまったとシアは慌てて後を追った。

 「あのっ、授業は?!」

 彼らの真意はともかく、夫候補の筆頭である二人を同時に部屋に入れたのが不味かったのだろうか?

 焦った様子のシアを見て、オルグは数回瞬きした後に彼らしい優しい笑顔を零す。

 「午後からは何時も通りに行いましょう。」

 笑顔を向けられほっとしたシアもオルグに笑顔を向けて頭を下げ、部屋を後にするオルグを見送った。

 

 



 「で、頼みって何?」

 さっさとしてくれとでも言わんばかりに、ケミカルは立ったまま腕を組んでシアを見下ろしている。

 初めて会った時から不機嫌な態度を崩さないケミカルに、このままでは話難いとシアは椅子を勧めた。

 「昨日も言ったでしょう、捜して欲しい人がいるって。」

 侍女は退出させていたのでシアがケミカルにお茶を淹れながら言葉を返す。

 「人捜しなら専門の奴らがいるからオルグに言えば何とかしてくれる。」

 「それも昨日言った。オルグさんじゃ駄目なの。」

 淹れ立てのお茶とお菓子を差し出し、シアもケミカルの前に腰を下ろした。

 ケミカルは相変わらず不機嫌そうに足を組み、椅子の肘かけに片腕を預けて背もたれによりかかっている。はっきり言って高圧的で偉そうな態度に好印象は持てないが、ケミカルの身分を考えるとそれも仕方がないのだとシアは自分に言い聞かせた。

 「誰を捜して欲しいって?」

 余程シアとの結婚と王になるのが嫌なのか、傍は愛する女性の為か、ケミカルは不機嫌ながらも話に乗って来た。

 「名前はゼロって言う以外解らない。髪はあなたよりも長い金髪で同じ様に後ろに束ねているわ。瞳は青。背は高くてクロードさんより僅かに低い程度よ。どう、捜せるかしら?」

 それだけ言われたケミカルは腕を肘かけから離すと、背もたれから身を起こした。

 眉間には深いしわが刻まれている。

 「そんなんで捜せる訳がないだろう?」

 「昨日の宴には来ていなかったけど身なりからして多分貴族だろうって思うの。どうしても無理かしら?」

 身を乗り出したシアに対してケミカルは頬杖をついた。

 「お前ラウンウッドにどんだけ貴族がいると思ってるんだよ―――」

 呆れたように口を開くケミカルに、それでもシアは食い付く。

 「ここに連れて来られるまではほとんど毎日会ってたから都にいるのは確かだと思うんだけど…」

 母の葬儀までの数日間は会いに来てもらえなかったが、それでもここに連れて来られる前日にはシアのもとを訪れ、母の墓前に花束を供えてくれた。

 優しく抱き寄せ、慰めてくれた温もりも覚えている。

 「―――そいつ何者だ?」

 「恋人よ。」

 シアの言葉にケミカルは僅かに固まった。

 驚いたように緑の目を見開きシアを見つめている。

 「何よその意外そうな顔は。わたしに恋人がいて可笑しい?」

 「あ…いや、そう言う訳ではないが―――」

 ケミカルは誤魔化すようにカップに手を伸ばし、お茶を一口飲んだ。

 「お前…その男を見付けだして王にでもしようって思ってるのか?」

 出席の有無はともかく、その男が昨日の宴に呼ばれていないのだとしたら、例え貴族だとしても王位に付けるにはかなりの無理があるだろう。

 「それは解らないわ。恋人と言っても結婚を申し込まれた訳ではなかったし―――でも突然ここに連れて来られて何も言えないまま会えなくなってしまったから―――だからもう一度会って話をしたいと思っているだけ。」

 そこには昨夜垣間見た、強引さも勝気さもない一人の娘がいた。

 寂しそうに視線を彷徨わせるシアに、ケミカルは仕方なさそうに大きな溜息を落とす。 

 出席者名簿で昨夜の欠席者をあたるのは容易いが、そこで目ぼしい相手が見つからなければ例え都に住まう貴族だとしても見付けだすのは難しいだろう。クロード並に背が高いと言うのはかなりの特徴だが、それでも背の高い男は少なくはない。

 「他に特徴はないのか?」

 ケミカルは腕を組んでシアに問いかけた。

 「とても綺麗な容姿をしているけどクロードさんと比べると流石に劣るから―――」

 シアもクロードに会うまでは男女を含めゼロが一番綺麗だと思っていた。

 それには目の前に座るケミカルも同調する。

 「あいつは化け物だからな。」

 男の中にあってもかなり背が高く、ケミカルやオルグよりも頭一つ分近くも大きい。驚く程見目麗しい容姿をした王国騎士団に属する洗練された騎士で、剣の腕はずば抜けており右に出る者はまずいない。ケミカルも剣をたしなみはするが、過去に一度とてクロードを負かした事はなかった。そのうえ人当たりも良く、女にもてる癖に浮いた噂の一つもない。伯爵家に生まれながら二男である為エジファルトの名を継ぐ必要もなくただ只ひたすら騎士道を貫き、今は亡きコークランド王子に忠実に使えた男だった。

 

 思えば目の前に、付かず離れずクロードと言ういい男がいるのである。それには目もくれずこの娘は、会えなくなってしまった恋人を捜そうとしてケミカルに話を持ちかけて来た。

 「俺がその男を捜し出せば、お前は自分の夫に俺以外の男を選んでくれるんだな?」

 ケミカルが条件の確認をしてみるとシアは深く頷いた。

 「解ってないようだから言っておくが、今の条件に当てはまる男なんてごまんといる。はっきり言って俺には見つけ出せる自信がない。」

 ケミカルにはかなりの人脈があり、実際の所ゼロと言う男が都に住まう貴族であるなら見つけ出せる自信はあった。今の所思い当たる節は全くないが、反対にそれ以外をあたればいいと言う事になる。

 だがここで簡単だと豪語するよりも難しいと言っておいた方が、見つけ出した時に受ける感謝の意も大きいのではないかと踏んだのだ。

 「本当の所あなたの恋路を邪魔する気持ちは微塵もないの。ただこっちも切羽詰まってると言うか…だからもし見付け出す事が出来なくても、あなたを夫に選んだりしないって言う事だけは約束するわ。」

 「おまえそんな事言っていいのか。それを聞いた俺が真面目にやらなくなるとか考えない訳?」

 呆れるようなケミカルの言葉にシアはくすりと笑った。

 「そうね。もしあなたがそんな不誠実な男なら、わたしはあなたの思い人の為にもあなたを夫に選ぶ事にするわ。」

 「なんだよそれ。」

 冗談めかして言うシアに、ケミカルは不思議とシアに対する嫌な印象がかき消えていた。


 ケミカルがこの時シアに抱いた印象は、同じ様に誰かを思う恋心を持った同士の様なもので、突然こんな所に連れて来られ好きでもない相手をあてがわれそうになっているシアの為に、一応夫候補の筆頭として手を貸してやってもいいのではないかと思ったのだった。 

 

 

 

 

 


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