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姫君の選択  作者: momo
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恋する人

 

 

 セルロイズの手から救われたシアは城に戻らず、その足で生まれ育った街の粗末な家に身を寄せていた。


 単独で動いていたクロードやケミカル以外にも当然多くの者たちがシアの捜索に出ており、彼らを安心させる為にも一刻も早く城に取り急ぎ戻るのが筋であったが、シアは己の状況を冷静に判断し、今の状態のままで城に戻る事は出来ないと隠れるように実家へと逃げ戻って来たのだ。


 花街を出る時に着替えた服はセルロイズとの格闘で色々な部分が破れ擦り切れており、体中の至る所に擦り傷や痣が所狭しと刻まれている。その中でも最も酷いのは顔の傷で、このまま城に戻ってはとんでもない事になると予想が出来たため、シアは城に戻る事を断固拒否した。


 スロート家に縁の男がしでかした事件。城に戻れないならスロート家の屋敷へ連れて行こうとするケミカルの意見にもシアは首を縦に振らない。シアがスロート公家に身を寄せれば更に公家の立場を悪くしてしまうのではないかと考えたからだ。

 殺されそうになったとはいえ、相手はケミカルの兄。彼らにも複雑な事情があり、それを持ちだし貶めるような事はしたくなかった。

 ケミカルからセルロイズに関わる詳細を聞かされたシアは、出来るなら穏便にこの事件を無かった事として処理したいと考えたのだ。


 城へ向かわないというシアの意志に、クロードは意を唱える事無く直ぐ様従った。

 逃げるセルロイズを追うなと命令された時点でシアの取る行動がある程度予測出来ていたクロードは、シアを家に残し無事だけを伝えに城へと戻る。

 その際、シアが自ら城に上がるまで決して居場所と状況は伝えないと、クロードはシアに仕える騎士として硬く約束した。


 





 ケミカルは小さく粗末な寝台に体を預けるシアに申し訳ない思いで、強張った表情のまま静かに口を開いた。


 「本当にこれでよかったのか?」


 クロードがシアの無事を伝えに城に戻っている間、ケミカルはシアの側についていた。たとえクロードがいたとしても、自分の兄が仕出かした事で傷付いたシアを残しこの場を離れるつもりはなかった。

 

 シアは今回の誘拐事件はなかった事にするというが、その詳しい内容を話さない。ケミカル自身、セルロイズは咎めを受けるべきだと思っているし、この件によってスロート公家が危うい立場になっても仕方のない事だと受け止めている。それに全身に傷を負ったシアがあまりにも痛々しく、兄であるセルロイズを許せない気持ちも強かった。


 「貴族ってある事ない事ほじくって何でも大袈裟にしたがるから嫌なの。それにこの事が露見すればそれこそセルロイズの思う壺じゃない。この事でクレリオン様が罪に問われるのもケミカルと会えなくなるのも嫌よ。これからも城で生きて行かなきゃならないなら、わたしは今のこの状況を崩したくないの。」

 

 腫れた頬を冷やす為横になっていたシアは寝台から身を起こし、粗末な木の椅子に腰を下ろすケミカルへと体を向ける。

 破れて悲惨な状態だったワンピースから慣れ親しんだ庶民の服に着替え、ケミカル達が捜しあてた当初よりはましに見えたが、シアの首には絞められた跡がくっきりと赤く存在を主張しており、顔に出来た痣は相当なものだ。あまりの痛々しさにケミカルは眉を顰めた。


 「謝って済む問題じゃないが、公家の争いにお前を巻き込んで本当にすまなかった。」


 ケミカルはシアの首に手を伸ばし、その痣に指先でそっと触れると、もう片方の手で腫れた頬を包み込む。

 触れるか触れないかという体温を感じ、シアは気恥しくてケミカルから視線を反らした。


 「やられた事に対しては腹がたつけど、セルロイズの立場を考えたらちょっと悲しい。」

 「悲しいって…殺されかけたってのに同情するのか?」

 「同情ってのじゃないんだけど―――」


 セルロイズの話が本当だとしたら、罪を背負って自害したとされるセルロイズの母親は彼の手で自害と見せかけ殺されている。復讐の駒として使う筈だったシアさえ手にかけようとした事で、彼がスロート公爵家に抱く恨みは相当な物なのだろうと伺え、それはシアの許容範囲を超えていた。


 人を殺める程の恨み。

 物心付いた時から母方のエグニオ男爵家からは出生を権力の道具として利用され、実の父親であるクレリオンはそれを認めない。認めない理由が身分が低くスロート公爵家に釣り合わないからで、それでも男子であった為万一の『予備』としての位置付けをされていた。しかしそれもスロート公爵家を継ぐに相応しい男子であるケミカルが生まれるまでの事で、ケミカルが生まれて後セルロイズは父親からは邪魔な存在とだけ位置付けられる。

 愛の無い中で育ったセルロイズが認められる場所は、スロート公家の後継ぎとしての地位を手に入れる事でしか築けない。それだけがセルロイズの生きる道だったのだろうが、後継者争いに負けた後、最後には幽閉同然に無理矢理修道院へと送られてしまった。


 「恨みがあるなら直接こっちに来ればいいのにお前をこんな目にあわせるなんて…俺は許せない。」


 シアが考え込んでいると何時の間にかケミカルの顔がすぐ近くにあって驚いた。

 ケミカルは怒りと悲しみの表情を同時に浮かべ、シアの傷ついた頬と額に優しく触れており、中でも一番ひどい額の大きな鬱血に視線が張り付けられている。シアは恥ずかしさで頭に血が上り顔が赤くなるのを感じた。


 「いや…その…これは殴られたけど額は自業自得というか…」

 「何が自業自得なんだ? 女の顔にこれだけの傷を付けるなど男の風上にも置けない。俺は同じ血が流れる者として恥ずかしいぞ。」


 現実はともかく、貴族社会において女性とは守ららるべき弱い存在なのだ。そんな女性に手を上げる男など彼らにとっては軽蔑の対象でしかない。


 「いや、これはね。落ちそうになった所を助けられて、その拍子にぶつけて出来た傷よ。ちなみに足もその時の傷でセルロイズにやられたのは頬と首だけ。あの時助けてもらってなければわたし落ちて死んでたと思う。」


 同じ血の繋がりを持つ相手がそれ程酷い奴じゃないと慰める訳ではないが、取り合えず事実はきちんと報告しておくべきだろう。

 するとケミカルは一瞬怪訝な顔をしたが、過去にシアが仕出かした脱走事件を思い描いたのか何処か納得したような呆れた様な表情を見せ一つ溜息を落とすと厳しい表情に戻った。


 「それは人質に死なれては困るから助けただけだろう? 結果それで助けられたとしても、やはり兄のやった事は許せる事じゃない。」

 「うん、そうね。そうだけど…その…手、離してくれない?」

 

 女を殴る男が許せないのなら、殴られた女がその傷跡を見られる事を好まない事くらい解るだろうに、ケミカルは何故かシアに付けられた顔の傷に執拗に触れてくるのだ。

 そんな事されても治る訳じゃないというのに―――


 「何でだ? 俺はお前に万一の事があったら生きていけないと…死ぬほど心配したんだぞ?」


 そんな大げさな―――と言いたかったが、見つめる緑の瞳が真剣で思わず視線を絡めてしまった。

 そしてあっと思った次の瞬間、シアはケミカルの腕の中に引き込まれる。

 

 助けられた時に縋った同じ胸に顔を埋め、しかし状況の違いにシアの心臓が跳ねた。

 

 僅かに抵抗するが、怪我人にするとは到底思えないほど力を込めて抱擁され、それでも触れるケミカルの体が小さく震えている事に気付いたシアは抗うのをやめる。


 「本当に死ぬほど心配したんだ。俺のせいで…本当に悪かった―――」


 切ない擦れた呟きが今にも泣きだしそうだったので、シアは胸に顔を埋めたまま気持ち俯く。

 取り合えず…傷の痛みは我慢しよう。


 シアはケミカルの背に腕を回すと、その背をぽんぽんと叩いた。


 「大丈夫、わたしは大丈夫だったよ。助けてくれてありがとね。」

 

 大丈夫だからと―――本来なら反対の様な気もするが、シアはケミカルの背を規則正しく叩きながら優しくなだめる。

 


 母親以外にもこんな風に心配してくれる人がいるなんて自分は幸せ者だと―――少しだけ切ない思いがシアの心を掠めた。


 助けに来てくれると信じていた。でも必ず来てくれると思っていたのはクロードで、その傍らにケミカルがいるとは思っていなかった。それなのに彼がいてくれたという存在事態に驚きはなく、ただ単に嬉しかった。

 意識の無い中、ずっと呼びかけてくれていたのだろう。その聞き慣れた優しい声を母と思っていたが実際はケミカルのもので、現実では声色も緊迫し切羽詰まったものだった。



 重なり触れる温もりを感じながら、シアは自分の気持ちに気付き、認め始める。

 いつからだろう? 何時の間にか、どうしてだか自分はこの人に惹かれている様だ。

 生まれも育ちも違うのに大きな壁を感じない、一緒にいて気を張らずにいられる相手。

 初めての恋を、ゼロを忘れた訳じゃないし思わない訳ではないのに、その強さを比べると今は確実にケミカルの方に傾いてしまっている。


 でも―――この恋は叶わない。

 彼の思い人はとても可愛らしいエルフェウロ家のご令嬢。ミーファを諦めたと言ってもそうやすやすと心の整理はつく物ではない。そして彼女もまた別の人に恋し悩んでいる。

 彼が今こうしてシアを身を震わす程に心配してくれるのも、異母兄であるセルロイズの犯した罪に責任を感じての事だ。自分だから特別だというのではない。


 人の心というものは何故こうも上手くいかないのだろうか。自分が恋した相手がオルグなら、その思いが強ければミーファと向き合い奪い合えるというのに。

 誠心誠意の思いで告白してくれたオルグに自分はどうして恋しなかったのだろう。

 恋した相手がオルグなら、何の不都合もなかった筈なのに…



 シアはケミカルの胸の中で気付かれぬようそっと溜息を落とした。

 

 

 

 


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