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姫君の選択  作者: momo
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変わらぬ忠誠を


 遠くで名前を呼ばれた様な気がした。


 とても優しく、耳になじんだ声。


 『お母さん?』


 母を呼ぼうとしても声に出す事が出来ない。

 体中の感覚が失われ、聞こえた声も母のものかどうか判別が付かなかったが、耳に届いた優しさからその声が母のものだと思えてならなかった。


 誰かが頬を優しく撫でてくれている気がする。

 それも優しい温もりに感じるが、本当に肌に触れられているのか感覚がないので分からない。

 それでも優しい何かに包まれ、シアは幸せを感じていた。




 しかし、心地良い温もりに包まれ幸せを感じていられたのも長い時間ではない。

 突然息苦しさに襲われ、シアは漆黒の瞳をかっと見開いた。




 飛び込んで来たのは緑の瞳。

 母のものではない、母の瞳は自分と同じ漆黒の瞳だ。


 「息をしろっ、息をするんだっ!!」


 切羽詰まった声は母の優しい声じゃない。

 抱きとめる骨ばった硬い感触も、柔かな母のものではない。

 

 「頼む、息をしてくれっ!!」


 体を揺すられぱちぱちと頬を叩かれる。



 息?

 そう、息―――とても息苦しいの―――

 けど、どうやって息ってするんだっけ?


 


 瞳から生理現象による涙がひとすじ零れ落ちる。

 ゆっくりと頬を伝った涙が行き止まりを迎えると同時に大きく胸が膨らみ、ヒュッっと音を立てて喉が鳴った。



 苦しい。

 苦しい苦しい―――!



 シアは飛び起きると目の前にあった胸にすがり付き、幾度となく大きく胸を膨らませながら酸素を体内に送り込んだ。

 

 「大丈夫、もう大丈夫だ―――」


 ほっとした声が耳元で囁かれ、シアは大きく息を繰り返しながら、その声の主が母ではなくケミカルであると気が付く。

 ケミカルは呼吸の邪魔にならないようシアを抱き寄せ、優しくその背を撫でつけた。

 

 助かった―――助けに来てくれた―――!


 ケミカルの胸にすがり付き荒い呼吸を繰り返しながら助かったのだと実感する。同時に、ケミカルではない、けれど必ずここにいるであろう人物の姿を視線で追った。




 

 その人の姿はなんなく見付ける事が出来る。

 背が高くとても美しいその人は、剣を片手に騎士らしい立派な立ち姿でシアに背を向けていた。


 「クロード…さん…」


 磨き上げられた剣が闇に輝き、その切っ先は対峙する男の首筋を真っ直ぐに捕えている。

 

 片手で掲げられた剣の切っ先は、迷う事無くセルロイズの首にぴったりと張り付き、僅かな振動でも加わればその首に傷を付ける事が可能であると言わんばかりに己を主張している。



 シアに背を向け立つクロードが纏う雰囲気は、今までシアが一度も感じた事がない程に静かで―――怒りに満ちていた。

 優しい微笑みの裏で、これ程研ぎ澄まされた気配を纏えるのが剣を持つ人間というものなのだろうか。


 「止めてクロードさんっ!」


 シアはしがみ付いていたケミカルの胸を押し飛び出して行こうとしたが、ケミカルの腕はシアを離さない。

 シアが名を呼んでもクロードは返事を返す事無く、ただ一点を見据え微動だにしなかった。



 「駄目よクロードさん、殺しては駄目!」

 

 騎士であり、王族の近衛としての務めを果たして来た人。

 剣を持ち人の命を奪う事を強いられている彼から、過去に一度たりとも血の匂いを感じた事はない。だが今シアは確実にクロードから殺気を感じ、剣を持つという者がいかなる物なのか…今初めて実感させられていた。


 クロードの葛藤を感じ取り、剣を向けられたセルロイズが僅かに口角を上げる。するとクロードの剣が僅かに震え、セルロイズの首筋に赤い血が滲んだ。


 「クロードさんっ!」

 「捨ておけば必ずまた同じ事を繰り返す。」

 「だからって殺しては駄目っ!」

 「私の最優先はシア様をお守りする事。その為なら喜んでこの男を手にかけましょう。」

 

 王位継承者に対し行った罪は消えないが、命を奪った訳ではない。貴族であるセルロイズがその咎を受けたとて修道院に幽閉されるのが関の山だ。一度還俗している為セルロイズが再び修道に身を置く事は許されないが、それ以上の罪状も問えないのが現状。

 クロードからすれは生かしておくという事だけで危険因子となり得る。やるなら今この時しかない。


 この部屋に飛び込んで来た時の惨状、その衝撃はクロードに深い怒りを植え付けた。

 男に組み敷かれ、ぐったりとして動かない主の首にかけられた腕。

 セルロイズを引きはがし、やっとの思いで探し出し触れたシアの体に力はなく、全身に渡り酷い傷跡が伺えた。殴られた頬は腫れ上がり、額には酷い鬱血の痕までありいったいどんな拷問を受けたのかと、クロードは全身の血が引いて行くのを感じた。

 か弱い女性に―――シアにこんな責苦を追わせた男が許せない。

 クロードがセルロイズに向けた怒りの炎は静かで、だがとても恐ろしいものだ。

 

 しかし今は、クロードより剣を向けられたセルロイズの方が余裕だった。

 彼は己の生き死ににたいして興味がないように不敵に微笑みを湛えている。



 「娘が目覚める前にやっておけは良かったものを―――お前は唯一の好機を逃したんだ。」

 「貴様っ―――」


 クロードは剣を引いた。

 だがそれは決して諦めた訳ではなく、確実に命を奪い危険因子を抹殺する為、剣を両手で握り直す為にだ。


 「止めてっ―――!」


 いかなる理由があろうとも庶民が貴族を殺せは処刑される。それが貴族同士の場合はどうなるのだろう?

 貴族同士であり状況が考慮され命まで奪われる事はないかもしれないが、それでも重い罪である事には変わりはない。しかも相手は武器を持ってはおらず丸腰だ。騎士が丸腰の人間に剣を振るう等、その精神からしてあってはならない。



 「一生守るって約束は…誓いはどうしてくれるのよっ!」


 夫になるという事は国王になる事、そうなればシアを四六時中守れないからと、クロードはシアに対する忠誠だけで生きていた。

 今彼がセルロイズの命を奪おうとするもの忠誠心からだ。二度とシアに危害を加えさせまいとする、自身を賭けた忠誠。

 仕事だとか、忠誠心からだとは言え、シアはクロードが自分の為に人を殺すのが嫌だった。



 背を向けたクロードの肩が迷った様に震えたがそれも一瞬の事。

 クロードは剣を握り直し力を込めた。



 剣を翳すクロードとセルロイズの間に割って入ろうと、今にも飛び出しそうなシアの体をケミカルは必死の思いで抱き絞める。

 事は全てスロート公家の問題。

 シアもクロードも、それに巻き込まれただけだ。

 ケミカルはシアに顔を寄せると耳元で囁く。


 「命令しろ―――」


 命令。

 それはシアにとっては言いなれない言葉。

 王女として城に上がってからもお願いはした事があったが、侍女に対してさえ命令など一度もした事はない。


 シアはケミカルの胸を押し、するりと立ち上がった。

 目眩がしたが、そこはケミカルが後ろからそっと支えてくれる。



 「クロード=エジファルト、王女として命じます。我に忠誠を誓い、命尽きるまで生涯に渡り我の側で使える事。その忠誠の障害となる感情は捨て去りなさい。我が前を去る事は何があろうと許しません。」

 


 動きを止めたクロードは剣を掲げたまま、ゆっくりと後ろを振り返った。

 その瞳は驚きに満ち、真っ直ぐにシアを捕えている。



 その瞬間、隙を付いたセルロイズが踵を返して走り出し、クロードも素早く反応し体を返した。


 「追わないで、逃がしてあげて!」

 「しかし―――!」

 

 シアはもたつきながらもクロードに飛びつき縋りつく。

 捕まえれば罪を問わなければならなくなる。セルロイズの犯した罪は許せる事ではないが、全てを露見させると貴族社会に混乱が巻き起こるのは必至だ。

 ここにいるスロート公爵家の嫡男であるケミカルにもその類は及ぶのだ。

 大事な人をこれ以上いらぬ思いで傷つけたくはない。



 「大丈夫、わたしに何かある時はクロードさんがいない時だけだもん。クロードさんが側にいてくれるのならこれからも私は大丈夫。そうでしょう?」

 


 自分を見上げにっこりとほほ笑むシアに、クロードは泣きそうな目で縋った。

 二度と失えない、失いたくない守るべき人―――


 クロードは跪くとシアの手を取り、そっと指に口付けを落とした。


 「我が命に代えてお守り申し上げます―――」



 生涯に渡り、変わらぬ忠誠を―――


 

 

 

 


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