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姫君の選択  作者: momo
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娼婦

 その晩、ケミカルは一人の娼婦を買った。


 娼館の主に文句を言わせない為、娼婦一人を一晩中自由にしても有り余るだけの金額を払い、買った娼婦を部屋に押し込める。

 娼婦の名はイジュール。

 豊かな金髪の巻き毛をもち、それなりに見目の良い妖艶な姿をしてはいたが、ケミカルよりも一回りは年上だと一目でわかる相手だ。

 

 イジュールはケミカルがここに来た理由は理解している。

 一歩遅かったわねと心の中で含み笑いしながら、少々乱暴な扱いで部屋に押し込められ、わざとらしい抗議の目でケミカルを見上げた。


 それでも客の相手はしなくてはと、イジュールは娼婦らしい男心をそそる仕草でケミカルを寝屋へと巧みに誘いかけるが、ケミカル自身はこんな女の挑発に乗る気は微塵もない。

 相場を遥かに超える金を出して買っても、欲しいのは娼婦の体ではなく情報だ。

 ケミカルは腕を組むと、目の前で微笑む娼婦を注意深く観察した。





 花街を捜索していたクロードから連絡を受け駆けつけてみると、その部屋にはシアの痕跡が残されていた。

 だがそれはクロードやケミカルが望んだ情報ではない。

 シアが纏っていた可憐な深い青のドレスは無残にも引き裂かれ、所々擦り切れており、シアの身に起こった惨劇を物語っていた。

 この部屋にいた娼婦は余裕の笑みを浮かべ口をつむり、館の主も十分な金をもらって客に娼婦と部屋を提供しただけだと言ってそれ以上の情報が掴めない。

 シアがここにいないという事は場所を移されたのは確実で、クロードは新たな手掛かりを求めこの場にケミカルと騎士二人を残すと花街を出て行き、ケミカルは何処からどう見てもセルロイズに手を貸し事情を知る娼婦を高値で買って情報を聞き出そうとしていた。




 「そんな怖い顔してないで楽しんだ方が得だと思うんだけど?」

 

 裸同然の薄衣姿で寝台に腰を下ろしたイジュールが上目使いにケミカルを誘う。

 女の行動に戸惑い心乱される訳でもなく、ケミカルは冷静にイジュールを見下ろしていた。


 「男は何処へ行った?」

 「知~らない。」


 壁に沿って腕組して立ち、幾度となく同じ質問を繰り返すが返ってくる答えも同じだ。

 

 「何度も言うが、この件に関してお前が男に手を貸したのは明らかだ。事の大きさをどれ程理解しているかは知らないが、娼婦でしかないお前は縛り首確実なのだぞ?」

 「だって、知らないものはしょうがないじゃない? それより…ねぇ…こっちに来て楽しみましょうよ。」

 

 確実な言葉で告げはしないが、目の前の娼婦だってシアがどんな場所に身を置く者かくらい知っているに違いない筈だ。

 庶民が貴族に手をかけるだけで極刑は免れないというのに、娼婦でしかない女が王女を攫った男に加担しているという時点で命の保証はないという事位は気付いている筈である。


 だというのにこの余裕―――

 惚れた男に意志を貫いていると言えば聞こえはいいが、多くの男を相手にして来た経験豊富な娼婦。ならばセルロイズが娼婦を本気で相手にする筈がない事くらい解るだろうに。

 こういう女は厄介だと思いながら、ケミカルは無残に残された青いドレスに視線を馳せた。

 もたもたと時間を食っているうちにもシアは更に酷い目に合っているかもしれないのだ。

 ケミカルは瞼を固く閉じたのち、ゆっくりと目を開き緑の瞳を覗かせると冷たく言い放つ。

 たとえ女とてシアを傷つけた者が相手なら手加減するつもりはなかった。


 「お前をベラテの監獄に護送する。」


 その言葉にイジュールは眉間に皺を寄せ、引き攣った笑みを覗かせる。


 「ベラテなんて…あんたがいくらお偉いさんだからって、何の罪もない市民をそんな所に放りこめる訳ないでしょう?!」


 ベラテ監獄と言えば都外れに置かれた、一度入ったものは出て来る事が叶わない重犯罪者専用の監獄だ。

 そこでは重犯罪者に対する拷問の後、早期の処刑が執り行われる。それ故に二度と出て来る事の出来ない監獄と言われ恐れられていた。

 重罪を犯したとは言え、人の命を奪う場所である為ベラテに送られる犯罪人は相当時間の審議や裁判が執り行われる。捕まって直ベラテ行きなんて聞いた事もない。

 冗談だろうと顔を引き攣られるイジュールにケミカルは更に冷酷に言い放つ。


 「お前はそれ程の犯罪に関わっているという事だ。お前から引き出せる情報がないのなら後は罪を償ってもらうだけ。私は私の持つ特権を全て利用し、ベラテに到着後即刻お前の処刑執行書にサインし刑を実行させる。」

 「冗談―――?!」


 蒼白になりカタカタと身を震わせ出したイジュールに対し、ケミカルは扉の前に控える騎士を呼びつけ、この女をベラテに連行するよう言いつける。

 さすがの騎士もベラテ監獄という言葉に戸惑い言葉を返したが、ケミカルに一喝された騎士は命令に従いイジュールに手を伸ばした。

 イジュールは慌てて伸ばされた手を払い除ける。


 「ちょっと…ちょっとまってよ。あたしは本当に何にも知らないんだってばっ!」

 「シアの側にいたというのに何も知らない、知る努力を怠った。それがお前の罪だ。」

 「そんな馬鹿な事―――っ!」

 

 抵抗するイジュールの両脇を騎士二人が取り押さえ、憐みの目を向ける。ケミカルは連れて行けと一言冷たく言い放つと道を開けた。


 「冗談じゃないわ、離してよっ。セルロイズはあの子をどっかの屋敷に連れて行くって言ってたけど場所なんて知らない。本当よ、信じてっ…。追っ手の目が逸れるまでここに匿ってくれって頼まれただけであたしは本当に何にも知らないのよっ!」


 怯え叫んで訴えるイジュールの言葉に反応し、ケミカルは手を上げ騎士達の動きを止める。

 涙に濡れたイジュールの目が僅かに希望を見出し見開かれた。


 「屋敷とは何処だ?」

 

 縁のある場所は手が付くと知り避けはしたが、捜索の手が伸び調べられた後で再度捜索するには時間を開けてからになる。確かにケミカル達も同じ場所を回る二度手間はせず、他の心当たりを探すのが当然の行動だった。

 シアを連れて都を出る事は叶わない。ケミカル達が手を尽くし、一度捜索した屋敷の何処かに向かったという事か?


 「屋敷とは何処だ―――」


 同じ質問を繰り返され、イジュールは首を横に降った。


 「知らない…セルロイズも場所は言ってなかったし、あたしも聞こうなんて思わなかったから本当に知らない!」

 「役に立たんな。もういい、連れて行け。」


 ケミカルの無情な言葉にイジュールは更に青褪めた。

 ベラテ監獄なんて冗談じゃない。あんな所に連れて行かれた揚句、拷問を受け処刑されるなんて絶対に嫌だ。こんな事なら一生娼婦としてこき使われていた方がどんなにましだろうか―――!

 頼りにすべき男は側にはおらず、信頼出来たものでもない。イジュールが十代の頃からの長い付き合いで、お互い心が満たされない者同士だと勝手に思いこみ惚れたに過ぎない男だ。利用されるだけでもいい、頼りにされる事が喜びだったが、それで行きつく先がベラテだなんてあんまりだ。


 「お願い止めてっ、ベラテなんて嫌よっ! 本当に知らないの…人が死んだ屋敷だって言っていたけどそこが何処かなんて知らない。娼婦でもか弱い女よ、後生だから命だけは助けて―――!!」


 暴れて泣き叫ぶイジュールを拘束する手が緩み、そのまま床に倒れ伏す。

 一人で立っていられる力がない程、恐怖で腰が砕けてしまっていた。


 涙で化粧ははげ落ち、目は充血して見開かれがくがくと震えている。

 そんなイジュールの前にケミカルは片膝を付くと、申し訳なさそうに顔を覗き込んだ。


 「ベラテは無しだ、悪かった―――」

 

 それだけ言うと勢い良く立ち上がり、傍らの騎士に耳打ちして扉に足を向ける。

 その様をがくがくと恐怖に震えながら目で見送っていたイジュールは、たった今囁かれたケミカルの言葉をゆっくりと理解して行くと――――かっと頭に血がのぼった。

 

 「糞ったれっ―――!!!」


 大声で罵声を浴びせるが、その時にはもう部屋にケミカルの姿はない。


 ベラテの話は本気ではなかったのだ。 

 権力を笠に着た脅しにまんまと引っ掛かったのには悔しいが、実行しようと思えば出来る力を持っているケミカルに腹が立ってならない。

 未だ腰が抜けて動けないイジュールには、後を追って反撃するまでの力はなく、しゃがみ込んだままひたすら罵声を吐き続けていた。

 


 

 


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