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姫君の選択  作者: momo
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待っている間


 身を捩ると手首を拘束する手錠がカチャリと音を立てた。

  

 窓の抜けおちた二階の部屋から、最初に目覚めた時にいた三階に場所を戻されたシアは脱走防止の為、現在左手に枷をされ、大して長くはない鎖で壁に取り付けられた鉄製の杭に固定され、部屋の中を自由に移動する事も制限される状態になっていた。

 鎖も手錠も娼館にある、そういった趣向の客用に用意されたものだったが、シア自身がそれに気付く事はない。取り合えず手錠を使って拘束された事で、自分が囚われの身らしくなって来たという程度にしか感じてはいなかった。


 すっかり日が昇り、夜の街である花街は静けさに包まれる。

 セルロイズはシアをイジュールに任せ何処かへ行ってしまい、イジュールはシアに軽食と称して冷めたスープを運んで来た。

 

 「はい、どうぞ。」


 行き場所がなく寝台の隅で膝を抱えるシアの前に、イジュールが体をくねらせスプーンを運ぶ。

 シアは目の前に突き付けられたスプーンとイジュールを怪訝に思い交互に見やった。


 「あ~ん、して?」

 「―――あの…」

 

 子供でも、まして病人でもないのだからそんな事してもらわなくてもいいし、こんな状況では空腹も感じない。

 断ろうとしたシアだったが拘束された今の状況を思うと、逃げ出す時の事を考えて体力は付けておいて損はないと思い直し、差し出されたスプーンと皿に手を伸ばして受け取るとそっと口を付けた。

 味は…文句は言えないが、城で出される食事に慣れてしまったシアにはけして美味しいと言えるものではなかった。しかしそれでも何処か懐かしい味がした。

 もともとはこういう味に慣れ親しんでいた筈なのに、世界が変わって数ヶ月、それに馴染んだ己の速さにシア自身驚く。


 「じゃあ、あたしはちょっと休ませてもらうわね。」

 

 イジュールはシアと同じ寝台に身を滑らせ、足元にあったシーツを手繰り寄せて体を横たえる。

 その突拍子な行動に、さすがのシアもぎょっとした。

 まがりなりにもシアは囚われの身で、イジュールは攫って来た側の人間だ。なのにシアの前で無防備にも横になり、寝ている間にシアを拘束する鎖で首でも絞められたらとか考えないのだろうか。

 

 「あなたはどうしてあの人に手を貸してるの?」

 

 シアの問いかけにイジュールは体を反転させると首の間に腕を入れ目を細める。


 「長い付き合いだし―――今回の件が上手く行けば身請けしてくれるっていうからさ。」

 「身請けって…あなたは彼の恋人?」


 するとイジュールは喉の奥を鳴らし、少し切なそうに笑った。


 「あたしは惚れてるけどあっちは違うわよ。あんな男が娼婦なんかに惚れる訳がない。」


 生まれや育ちがどうあれ、セルロイズは王族の血を引く生粋の貴族だ。スロート公家に認められていなくてもセルロイズ自身の心情は変えられない。彼が求める物は女ではなく、父親への復讐だけだ。その為ならなんだって利用する。イジュールは利用されているだけだと分かっていても手を貸してしまう。たとえ身請けの話が偽りだったとしても、だ。


 もう寝るよと言葉を残しイジュールは瞼を閉じてしまった。

 シアは彼女を見下ろした後、溜息を一つ落とし冷たいスープを口へ運ぶ。

 


 娼婦達が客を迎えるのは夕暮れから深夜にかけて。陽の高いうちは眠り、午後も遅くになって起きだす生活をしているのだろう。横になったイジュールも穏やかな寝息を立て深い眠りについている様だ。

 鎖に繋がれ囚われの姫君(?)となったシアの傍らにイジュールがこうして眠っている間、つまりこれからしばらくは貞操の危機といった懸念からは解放されるだろう。

 敵であっても女性が側にいるという事でシアの心が少しだけ軽くなる。


 冷たいスープを綺麗に食べ終えると空になった食器は傍らのテーブルに置き、鎖を引き摺って窓際まで移動する。

 勿論脱走する為ではない。

 鎖で繋がれていなければ再度窓を乗り越えただろうが、この状態ではさすがにそれは無理だ。だが、花街とはいえここは都だ。この花街がある場所が何処なのかは分からないが、もしかしたらシアの知る地域の近くかもしれないし、見知った者が下を通りかかるやもしれない。そうなったら声を上げて助けを求めようと考えたのだ。

 早朝の脱走で窓を乗り越えても誰も助けてはくれないという事が解った。ここから逃れようとする女は娼婦と思われ、傍観されるだけだ。シアが窓から身を乗り出し誘拐されただの助けてだの叫んでも誰も信じてはくれないだろう。売られたばかりの娘が抵抗しているのだと思われるのが関の山。それでも奇跡を信じて叫んで、猿轡でもされたらそれこそ助けも呼べなくなる。

 なるべく静かに、好機を待つしかない。


 それに―――

 こんな状況にあってもシアは、自分でも意外な程に落ち着いていると感じていた。

 シアが姿を消したことで城では騒ぎになっているだろう。そして真っ先に浮かんだのが忠義に熱すぎるクロードの姿だ。

 いくら王女とはいえ、突然現れた庶民育ちの娘を何時も側にいて守ってくれる美貌の騎士。あまりの美しさに最初の頃は隣に立たれると劣等感を抱いてばかりいたが、それもやがて居て当たり前の存在になっていた。

 クロードはシアが戸惑い申し訳ないと思う程に過剰な忠誠心を露わにし、周囲からはやり過ぎと取られる様な護衛の仕方をする事もあった。シアがゼロリオと別れた時も遠くからそれと悟られないよう距離を保ち見守っていてくれた事を知っていたし、泣きはらした顔を見てもそれに触れる事はなかった。主であるシアに対して男の部分を見せる事もなく、あんなに背の高い大きな異性に傍らに立たれても一度も恐れを抱いたりした事もない。

 今シアがクロードに抱く思いは信頼だ。

 クロードなら絶対に自分を見付けてくれる。

 そんなクロードに応える為に自分にできる事は無傷でいる事。シアが傷を負えばクロードは自分の不手際だと己を責めるのだ。

 

 そこでシアは額に触れ、僅かに治まって来た腫れを確認し、視線を落として鬱血した両脛をみつめる。

 こういう怪我を負ったのは初めてだし、同じ女性がこの様な怪我を負っているのすら見た事がない。

 

 「これは…わたしの不手際だわ。」


 脱走しようとして失敗したうえ、ここにシアを攫って来たセルロイズに助けられたなんて―――

 話だけ聞くとすごく鈍臭い娘にしか思えないし、実際に鈍臭いと自分でも思う。

 深い溜息と共に部屋の中を見渡すと、破り捨てたドレスの残骸が隅に追いやられた状態で転がっていた。

 拘束する鎖のせいで手が届かなかったので、床に寝そべるようにして足を使いそれを手繰り寄せる。

 汚れた床の埃が舞ったが気にせず、手にした布を更に引きちぎりハンカチ程度の大きさにした。

 それをもって窓を押し開け、窓枠の溝に風で飛ばないよう押し込める。

 深い青の破れた布。

 シアが着ていたドレスの端切れ。これをクロードが目にしたら間違いなく気付いてくれる筈だ。

 それを信じて、シアは窓辺に立ち僅かに行き交う人に視線を落とした。

 












 時間がたつにつれ不安で心が支配されそうになる。

 小さな偶然に縋って見知った者を捜し視線を這わせたが、行きかう人の数が増えてきてもシアの知り合いどころか、顔を見た事のあるような人物は通りかかる事はなかった。

 窓枠に押し込んだ青い布の切れ端が切なく揺れるのを見ていると、寝台に丸まって深い眠りについていたイジュールが目を覚まし大きな欠伸をした。

 欠伸をした後でシアを探すように部屋を見渡し、窓辺に佇む姿を認めると再び欠伸をしながら起き上がる。

 「ちょっと寝過ぎたかしら…」

 眠そうにイジュールが独り言を呟くと、彼女の起床を見計らったかに扉が開きセルロイズが姿を現し、シアは身を縮めた。

 怯えは見せまいと無言の敵意で睨みつけて来るシアに、セルロイズは無表情のままで手にしていた衣服を差し出し、シアはそれをおずおずと受け取った。



 豪華な作りだった青いドレスの裾は敗れぼろぼろになっている。

 渡されたドレスはシアが庶民の頃に着ていたワンピースに似て動きやすそうだが、使われている布地や作り、そしてデザインは明らかに上流階級の品だった。

 セルロイズは着替えろと素っ気なく告げると、壁際に置かれた粗末な椅子に腰を下ろす。

 

 (着替えろって…ここで?!)


 出て行く様子の無いセルロイズに驚いたが、シアがもたもたしているうちにイジュールが拘束する手枷を解錠し、後ろに回ってドレスの紐を解きにかかっていた。

 その様子を感情の無い目でじっと見つめられ、出て行く様子の無いセルロイズに覚悟を決める。


 ドレスの下は裸という訳ではない。ちゃんと下着も来ているし、遠目ならちょっと丈の短いワンピースと言っても何とかなるんじゃないかと自身をなだめつつ、セルロイズに背を向けると同時に身に纏っていた青いドレスがぱさりと音を立てて床に落ちた。

 シアは後ろを気にしながらも渡された薄いピンクのワンピースに素早く袖を通す。長けも足首近くまであり、脛の怪我がすっかり隠れて見えなくなっていた。

 前合わせのボタンのお陰で一人で着られるものだったので、後ろをひもで結んでもらう必要がない分ほっとする。

 今まで来ていたドレスと違って軽くて動きやすく、逃げるならこちらの方がいい。

 全てのボタンを止め終えセルロイズに向き直ると、彼はシアを上から下まで値踏みするように見定めていた。


 「子供かと思ったが立派な女だな。」

 

 普段子供だと言われたなら憤慨しただろうが、今セルロイズからその言葉を聞くのは心地よいものではなかった。

 状況からして女として見てもらえない方が有り難い。幾らでも子供だと思ってもらって構わないのに、今更どう子供を演じればいいのかすら解らなかった。


 セルロイズは着替え終えたシアに歩み寄ると細い腰をしっかりと腕に固定する。

 枷を外したシアを逃がさないようにしているのだと分かったが、体を密着されると抵抗がある。怖がっていると思われるのも癪なので怯えを見せないようにしながら、無駄と分かっていても腕から逃れようとささやかながら抵抗を試みた。


 「離して、触るな変態っ!!」

 「見かけはお姫様でも中身は低俗だな。」

 「低俗なのはあなたの方よ、おまけに馬鹿。こんな事続けていたってあなたの思い通りになんてならない。クレリオン様の地位は揺るがないし、王位だって別の人に継いでもらうわ。それよりもあなたの方がずっと歩が悪くて危険よ。わたしを誘拐して得られる物なんて何にもないんだから!」


 腕の中で暴れ悪態付くシアにセルロイズは身も竦むようなうすら笑いを浮かべた。


 「お前の利用価値は無限だ。」


 そう言うとセルロイズは嫌がるシアを引き摺り歩き出した。

 まだ眠そうな目を擦りながらイジュールが扉を開ける。

 

 「ちょっと、何処行く気よ。やだ、離せ―――っ!」


 絶叫が轟くが、叫びに応えてくれる人間などここには一人も存在しなかった。

 


 

 

 

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