捜索
まるで自分が恨みの対象になっている様だった。
シアの母親であるアデリは落ちぶれた貴族の娘。侍女として城に上がったおりに国王の寵を受けシアを身籠り、その後は女手一つでシアを育て上げてくれた。
今自分を組み敷く男も、外面的にはそれと似たような境遇だ。
父親は王弟、母親は男爵家の妾の子であるが、彼自身はシアとは違い貴族として育っている。
育った環境は違うものの、身分ある者として育ったセルロイズは誰の愛情も得られず、負の感情の中で育った。貧しくも母親の愛情を一身に受け、心だけは豊かに育ったシアとの境遇の差を恨まれている様で―――シアは身に迫る恐怖を感じながらも体が硬直して動けなかったのだ。
組み敷かれ間近で見下ろして来る灰色の冷たい瞳。
僅かな温もりも感じ取る事の出来ない瞳は優しさの欠片もないようで、尚且つ寂しさに溢れている。
その寂しい瞳に囚われると、シアまでも流され辛い気持ちにさいなまれてしまいそうだった。
彼が求めている物は何だ?
言葉ではクレリオンに対する恨みを紡ぐ。危険を危険とも思わずシアを攫ってまで恨みを晴らそうとしている目の前の男は、表向きは復讐かもしれないが、心の奥底ではもっと別の物を求めている様に思えててならない。
乱暴に体をまさぐる冷たい手を、何処か遠くで行われている事のように感じていた時。
「抱く気、起らないんじゃなかったのかしら?」
呑気とも取れる甘い声が頭上から浴びせられ、動きを止めたセルロイズは少しばつが悪そうに溜息を吐きながらシアから体を離した。
「イジュール、気配を感じたのなら入って来るな―――」
「冷やせといったのはあんたじゃない? ほら見なさい、さっきよりも腫れが酷くなってるわ。」
イジュールと呼ばれた女はくすくすと笑いながら桶に入れた水に布を浸し、寝台に横たわり硬直したままのシアの額に冷たい布を乗せた。
「冷たい―――」
痛みに疼く額に当てられた布に手を重ね呟くと、イジュールは再び楽しそうにくすりと笑った。
「綺麗な顔が台無し。」
その言葉は憐みではなく、自分以外の女の顔が醜くなる事に対する喜びのような意味が含まれている。
既に三十の歳を超え娼婦としても曲がり角に来てしまったイジュールの、若さに対するやっかみだった。
優しくされたからといって目の前の女に気を許すシアではない。イジュールと呼ばれた娼婦もセルロイズに手を貸す敵だ。
シアは額の布がずり落ちないよう手で押さえつつ、横たえたままの体を起こして場所を移動したセルロイズに視線を移した。
「結局の所、これからどうなるの?」
「子を孕むまで抱いてやるさ。」
大して意味のない事でも呟くように、セルロイズは窓の無くなったそこから外を見下ろしながら答えた。
たった今襲われかかったのは冗談でも何でもない本気だったのだと知り、シアは伸ばした足を引き寄せ膝を抱きセルロイズを睨みつける。
額の痛みで気が付かなかったが、落下するのを助けられた時に額と共に足も窓枠にぶつけていたようで、剥き出しの両脛に青い痣が出来上がっていた。
「そんな事になる前に舌を噛み切ってやる。」
「それならそれで構わない。だがその時は心してかかれ、自害には相当な覚悟がいる。」
自身の命を絶つという事は並大抵の人間に出来る事ではない。
シアにはどうせ出来ないのだからと、馬鹿にしたように口角を上げてシアを見下ろす冷たい瞳に、シアは思わず視線を反らして唇を噛んだ。
シアが城内から姿を消した事実はオルグの立ち回りも虚しく夜明け前には露見した。
エグニオ侯爵家の嫡男で、シアが姿を消す直前まで一緒にいたワースがセルロイズの関与を臭わせ口を割った事で、屋敷に戻っていたクレリオンはクロムハウル国王の名のもと、自宅謹慎を言い渡される。
クロムハウルもシアが姿を消した件にクレリオンが関わっていない事は百も承知だが、スロート公家に仇する者達は黙ってはいない。クレリオンは身の潔白と忠誠を示す為、言掛りともいえる屋敷の捜索まで許可し、関与を否定した。
宴の最中にクレリオンの元へと齎された知らせ。
それは四年前に修道院へと送り付けたセルロイズがクレリオンに許可なく還俗していたという事実だ。
クレリオンの許しなくしては修道院を出る事も、まして還俗など出来る筈がない。だがそれに力を貸したのが、セルロイズを修道院送りにしてから押し黙っていたウェスト男爵家だと知り、クレリオンは眉間に深い皺を刻んで憤りを露わにした。
ウェスト男爵の治める所領では先年金の鉱脈が見つかっている。それで得た利益で修道院に莫大な寄付を差し出し、セルロイズを還俗させたのだ。
ウェスト男爵家に莫大な資産が転がり込んだ時点で何らかの手を打っておかなかった不手際に己を呪いながらも、シアを攫ったセルロイズの思惑が手に取るように分かり、修道院送りなどと生ぬるい事をするのではなくいっその事殺しておけばよかったと、クレリオンは更に怒りに燃え拳を握りしめた。
嫌な予感というものはあたるものである。
クロードはシアが行方不明になったとオルグから知らせを受けた途端、後れを取る事を恐れ、直ぐ様シアの捜索に走った。
スロート公爵の血を引くセルロイズという男の事は直接知らなかったが、彼らにまつわる話は耳にしていた。明らかにクレリオンに対する復讐だと解る行為に、クロードはシアの身が案じられてならない。
シアが得体の知れない男に黙ってついて行くとは思えず、門を潜った馬車の特徴と方向を聞き出し馬を馳せた。先にシアの後を追っていたケミカルも同じ行動をとっていた為すぐに合流するに至ったが、互いに目で現状を確認しただけで会話にまでは至らない。
都を出る馬車があれば中をくまなく確認するようふれが出ている為、二人はケミカルが思い当たるスロート公家とウェスト男爵家の手のついた屋敷や建物を回り、シアの実家にも立ち寄ったが、何の手がかりもつかめぬまま夜明けを迎えた。
「セルロイズ殿の個人的な友人や通っていた女性について何かご存じではありませんか?」
「いや…俺は兄上と親しく会話した事すらないんだ。」
同じ父親をもつ身でありながら嫡子と庶子という立場上、同じ屋根の下に身を置く事もなかった。それ故ケミカルはセルロイズの個人的な交友関係も全く知らない。生まれてこの方ケミカルとセルロイズが直接顔を合わせたのも片手で数えるほどしかなかった。
二人の顔に焦りの色が宿る。
クレリオンに対する恨みを晴らす手段がシアの誘拐で、その責を問わせるためというのにはいささか手ぬる過ぎるのだ。
ケミカルの脳裏につい先日シアの身に起こった事件が思い出される。
あの時シアの寝込みを襲ったのは彼女の思い人であるゼロリオ王子だった。襲ったと言っても実際に手を出した訳ではない。
しかし―――スロート公爵家に恨みを持つセルロイズがシアに対して紳士的に優しく接するとは到底思えないのだ。復讐の道具として扱うのなら手っ取り早い方法を選ぶだろう。クレリオンの目論見に反してセルロイズ自身がシアの夫となる。セルロイズの身分で王位は継げずとも、彼の血を引いた子が王位に就く事は可能だ。
シアがセルロイズを夫に選ぶ事がないのは誰の目にも分かる。セルロイズはそれを強要させる行為、つまり既成事実をもって認めさせようとしているに違いない。
ギリリと、手綱を握るケミカルの手に力が籠った。
シアの身にそんな事が起こったならいったいどのように詫びればいいのか。スロート家の跡目争いの犠牲にさせるなど…こんな事が日常で起こるからこそケミカルは血塗られた公爵家を嫌っていた。関係のない人までをも巻き込んでしまう、そんな世界に嫌気がさしていたのだ。
ケミカルとてセルロイズの置かれた立場に同情し、その状況をもたらした自身の存在に申し訳ない思いを抱いて来た。しかしこれにシアを巻き込むのはお門違いだ。シアには何の罪もない、とばっちりもいい所だ。シアに何かあったら…いやそれ以前に手出しをしたらたとえ兄であっても許しはしないと、ケミカルの瞳がかつてない程鋭く光った。
その時、花街をあたろうと言い出したクロードにケミカルは眉を顰める。
「何故花街なんだ?」
「セルロイズ殿の年齢なら情婦の一人や二人いてもおかしくはありませんし、長い間修道院に閉じ込められていたのなら立ち寄った可能性も大きい。男爵家に縁のある場所にシア様を隠すのはすぐに発見される可能性が高いし、何よりも男爵家が王女誘拐の咎を立てられるような事にもなり兼ねない。しかし娼婦なら己の欲一つで男に力を貸します。闇雲に探すより可能性はあるかと―――」
確かにクロードの言う通りかもしれない。
闇雲に探しても時間の無駄だ。思い当たる場所に立ち寄った形跡がない以上その線で当たってみる価値はある。
にしても…娼館などという如何わしい場所にシアの身が置かれているかもしれないと考えると、それだけでケミカルの胸は騒いだ。
「解った、お前の言う通り手分けして花街をあたろう。」
「シア様の名は伏せ信頼のおける部下にも捜させます。セルロイズ殿が単独で動いている事も考え、花街だけではなく宿にも手を伸ばさせましょう。」
「頼む。俺はここから東に向かう。」
都には大小多数の花街が存在し、正式に許可を受けて営業していない違法な娼館までを合わせると数限りないが、セルロイズの様な貴族が立ち寄っても不自然でない場所となれば限られて来る。だがシアを隠す名目で花街や娼館を利用しているのであれば、場末の娼館や宿に連れ込まれていたと考えてもおかしくはない。
豪華なドレスを纏ったままのシアを宿に連れ込むのは目立つので花街の方が確率は高いが、ないとは言い切れないので捜査の手を回すのも悪い話ではない。
いるかいないかは分からないが何の手掛かりもない現在、可能性が高い場所はしらみつぶしに捜す他なかった。