二人の距離
期限まであと数日、明日は最後の宴の夜となる。
そこで相手を見つけなければ、否応なしに相手はオルグとケミカルのどちらかから選ばれてしまうのだ。気持ちは焦るが…いったいどうしたらいいのか。
朝から溜息ばかり付いていたシアはクロードと目が合うと作り笑いを浮かべ、再び溜息を落とした。
「気晴らしをお求めならお供致しましすが?」
気晴らしは確かに必要かもしれないが、今のシアに必要なのは彼女の夫となり将来のラウンウッドを背負って立てる人間だ。
シアはクロードの申し出に首を振った。
こんな事なら最初から期限など設けられず、この人と結婚しろと言われて押し付けられていた方が楽だったと思う。が、あの時そんな事を言われていたならシアの事だ。その時点で城を飛び出し二度と戻って来なかったに違いない。
ここで出会った人は、異母姉セフィーロを含めても心から憎めない人たちだ。
敵に回したら怖いと聞いていた王弟クレリオンは、顔を含めシアの好みだし、オルグもケミカルも大事な人となった。反発の気持ちしかなかった国王の心も垣間見たし、常に傍らにいてくれるクロードはどうしてだか分からないが絶対の忠誠を誓ってくれている。その忠誠心は一歩間違えばシアの事を好きなのかと取られかねない…おこがましい勘違いをしそうな程だ。
思案に悶絶していると、扉をノックする音がした。
侍女がいなかったのでクロードが扉に向かい開くと、薄い桃色のドレスに身を包んだミーファの姿があった。
クロードが扉を開けた事に驚きをもったのか、ミーファは目を見開いて背の高いクロードを見上げる。が、直ぐに笑顔を作ってドレスを摘んで挨拶をした。
クロードも微笑んで挨拶を交わす。
「シア様、先日は大変お世話になっていながらご挨拶が遅れてしまって申し訳ありません。」
そう言って頭を下げたミーファは、修道院で見た時の様な憔悴した面差しは全くなく、顔もふっくらとして可愛らしさに磨きがかかっていた。
あまりに可愛いらしくてやわらかそうで、思わず抱きしめたくなる衝動を抑えつつ、シアはミーファを部屋へと招き入れお茶を入れる。
シアがお茶の準備をしようとした事で、傍らに侍女の姿がない事に気が付いたミーファは自分が入れると申し出たが、シアは笑顔でそれを断った。
「暇で仕方がないの、このくらいやらせて。」
ここで王女だからと食い下がって言い争いを始めるミーファではない。
シアの事も理解し、ありがとうと礼を言うと進められた席に腰を下ろした。
ミーファは修道院にまで足を運んでくれたお礼を再び述べると、その後はとりとめのない話をする。そして最後に、言い難そうに口を開いた。
「オルグ様の事ですけれど―――」
可愛い顔に見据えられ、シアも思わず背筋を正す。
「わたくし、決して諦めるつもりはありません。」
ミーファの言葉にシアは頷く。
「うん、それでいいと思う。」
何故かほっとして微笑むと、ミーファも硬い表情を崩して微笑み返してくれた。
「実はここに来る前にオルグ様のもとへ立ち寄り…もう一度思いを伝えて来たのですがやはり受け入れては頂けませんでした。」
「う~ん、わたしが言うのも変だけど…今の時点ではやっぱりそうなるのが普通なのかもね。」
オルグはシアに告白する為にミーファとの婚約を解消したのだ。オルグの誠実さは伝わって来るし、今のままの状態ではオルグがミーファを受け入れる事はないように感じる。
「あの…ちょっと聞くけど…ケミカルってのはやっぱり駄目なの?」
シアの問いかけにミーファははっとした様な表情を見せたが、次の瞬間には少し考えるような仕草をした後、優しい微笑みを湛えた。
「実の所、ケミカル様の気持ちには何となく気付いておりました。でもそれを認める事はこれまでのいい関係を崩してしまう事になると思って、あさましいと思いながらずっと気付かない振りをしていたのです。」
ミーファは申し訳なさそうに、照れながら口にした。
確かにそういう気持ちはシアにも理解できる。
自分では応えられない感情をぶつけられるのは出来る事なら避けたいと思うものだ。今までの良好な関係を壊したくないと思うのはずるいかもしれないが、恋愛感情抜きで失いたくない友情と言うものもある。
ミーファにとっての失いたくない友情の相手がケミカルで、シアにとってのその相手はオルグなのだろう。
失いたくない程に大切に思う存在だが、そこに恋愛感情がある訳ではない。
いずれは湧いてくる感情なら迷う事無く歩み寄れるが、軽い気持ちで差し伸べられた手をとるには気後れしてしまう。
オルグに対する恋愛感情がない以上、シアは彼の気持ちを利用する事になるのだ。
ミーファの気持ちに自分を置き換えて考え込んでいたシアに、ミーファの可愛らしい声が届いた。
「それに、ケミカル様はもう新たな恋の相手を見付けておいでのようですわ。」
「新たなって―――」
ちょっと早すぎやしないか?
遊び歩いている貴婦人達の誰かだろうかとシアは呆れた。
「まだご自身でもお気付きではないようでしたけど―――気付くのはそう遠くないと思いますわ。」
「ケミカル自身が気付いてないのに自信満々ね?」
「幼馴染ですから。」
と言うよりも、ミーファはそう言う事に敏感そうだ。生きる事に精一杯だったシアとは異なり、ミーファは自分の手を汚して身を費やす労働などない世界で生まれ育った。苦労知らずな貴族の娘達の一番の話題と言えば色恋沙汰だろう。そして彼女達は決して馬鹿ではない。心の動きに敏感で、男社会で主張できない身でありながら、その男達を裏で操り動かす事すら出来るのだ。
そこで扉をノックする音がしてオルグが姿を現す。
シアに向かい合って座るミーファを認め、オルグの青い瞳が僅かに揺らいだが、心の動揺を一瞬で隠して頭を下げた。
「先客がいらしたとは失礼しました。」
そのまま部屋を出て行こうとしたオルグに「おまちください」とミーファが声をかけ、すかさず立ち上がる。
「わたくしはもうお暇いたしますからお気使いなく。シア様、突然お邪魔いたしまして申し訳ありませんでした。」
「そんなのちっとも構わないわ。よかったらまたいらして下さい。」
ミーファを見送った後、シアはたった今まで彼女が座っていた席にオルグを迎えた。
「彼女を迎えに修道院にまで足を運んで下さったそうですね。ご足労をかけ申し訳ありません。」
オルグに頭を下げられシアは慌ててそんな事ないと頭を振る。
「あれはわたしのおせっかいで、オルグさんがどうとか関係はないんです。どうか頭を上げて下さい!」
「いえ、彼女が修道院に籠ってしまったのは私の責任です。それがシア殿に説得されて戻って来たという彼女は今までにない程輝いていて…これまでの繊細で弱かった部分がそれを機に強くなったように思われます。」
「そうですか?私にはよく分からないけど…オルグさんがそう言うならそうなんでしょうね。」
ミーファに関してはシアはまだ知り合ったばかり。婚約者でもあったオルグは沢山のミーファを知っているのだろう。
「それにケミカルも。近頃目に見えて変化が現れているようです。」
「ケミカル?」
何でケミカルなんだろう?
不思議に思い、シアは首を傾げた。
「先日お二人でシア殿が育った家に赴いたとか。その折に近くの孤児院を訪ねその有り様に驚いたらしく、忙しそうに何やら調べ回っていますよ。」
孤児院に降りて来る筈の国のお金が横取りされていると聞いた時は怒りに震えたが、それをケミカルが知れば自分から手を使い調べてくれると、この件に関してはクロードが言っていた通りになったようだ。
シアはほっとし、嬉しさで思わず顔がほころぶ。
「よかった。これであの子たちも空腹から少しは解放されるかな―――」
今日の午後からもパンを焼きに行く予定であったが、残っていた小麦も底を付いて来た。いつまでも焼き立てのパンを届けてやれそうになかったので、ケミカルがシアの期待通りに不正を暴いてくれたら、子供達の食事の不安も少しはなくなるだろう。
オルグはシアの綻ぶ笑顔を見て同様に微笑んだが、その瞳には影が宿っていた。
目の前にいる愛しい人の笑顔を引きだしたのはオルグではなくケミカルだ。
仕事が忙しくシアが城を出る時に同行出来なかったのは仕方がないにしても、孤児たちの惨状に疑問を持った時点で自分に相談してくれていたなら、オルグは何をおいてもそちらを優先して素早く解決しただろう。
だがシアからの相談はなく、それを自らの目で見て察したのはケミカルだ。
あの事件以来シアと膝を突き合わせ、長く話が出来る時間を取る事が出来なかった事も災いしているのかもしれない。
それに―――
「思いが募り焦るあまり告白してしまいましたが、それによってあなたの心を遠ざけてしまった気がしてなりません。」
シアを好きだと告白していなければ、要らぬ気を使わせる事もなかったのではないだろうか。
彼女は大きな失恋を経験したばかりだ。
その悲しみに流され他の男の手を取ってしまうのではないかという不安から、少し急いてしまったように思える。
そのせいで心が遠くなってしまった気がしてならなかった。
「オルグさん―――」
真剣なオルグの瞳に見つめられ、シアは思わず視線を反らす。
応えたいけれど…それはいけない願望なのだ。
オルグの好意に甘えて彼を夫に選ぶ事はシアにとって申し分ない事。国にとっても利益になるだろう。
だが、一人の人間としての心を優先させるなら、オルグを夫に選ぶ事は絶対に出来なかった。
お互いの利害関係の一致だけで婚姻を結ぶなら心の問題はない。協力なら有り難い限りだ。だがオルグの心には愛がある。家族友人に向ける愛情ではなく、ミーファを、家の繋がりを犠牲にしてまでの思いが籠ってしまっていたのだ。
オルグとミーファの将来がどうなるかは分からないが、今決断を強いられるのには無理があった。
「ごめんなさい。わたし、オルグさんに対して恋愛感情を持てる自信がない―――」
彼の事は好きだ。
だけど、それは家族や友人を思う気持ちと同じもので、決して彼が望む愛情ではない。
「私はそれで構わないと思っています。」
愛しい人の傍らにいられる事が何よりの望み、それ以上は望まない。
だがシアはオルグの言葉に首を振る。
「それは駄目。オルグさんが王位に就きたいならまだしも、あなたの心をいい様に利用する事だけは絶対に出来ない。」
「あなたの傍らに立ち触れる事が叶うのなら、私はいかなる事も喜んでこの身に背負い受け入れます。」
「愛がなくても?結婚した後にわたしが他の人を好きになってもいいの?」
「たとえシア殿が他の誰かを愛しても私の思いは変わらない。一度あなたに選ばれたなら、シア殿の隣に立ち続ける事が出来るのは私だけなのです。」
それくらいの覚悟は持ち合わせている。
その代償が、シアを手に入れるという事なのだ。
「オルグさんあなた―――」
なんて悲しい事を言うの?
切なく揺れるシアの瞳に、オルグが青い瞳を重ね小さく微笑む。
「そんな悲しい顔をなさらないで下さい。」
オルグはシアに手の届く位置にまで歩み寄ると、ゆっくりとその場に跪いた。
そしてシアの手を取ると、優しく手の甲に口付ける。
「たとえシア殿が他の男を夫に選んだとしても、私は誠心誠意、己の全てをかけてシア殿とラウンウッドを守り抜く事を誓います。」
跪いたまま、オルグの青い瞳が力強くシアを見上げる。
オルグの優しさに、己のずるさに、シアは涙が零れそうになるのを必死に堪えた。




