歩み寄り
期限が迫っている―――
何とかして結婚を回避する方法はないものかと、シアは逃げ腰の体勢を取ろうとしていた。
だがいくら考えてもいい方法は思い浮かばない。
窮地に立たされ訪れた薔薇園で、シアは久し振りにクロムハウル王と顔を合わせた。
王が薔薇園に佇む姿はとても不釣り合いで、シアは何とも言えない笑いを浮かべる。
ゼロやクロードは当然として、王弟であるクレリオンですらこの庭に足を踏み入れても何ら見劣りはしないだろう。
しかしだらしない微笑みを浮かべてシアを見据えているクロムハウルが薔薇を背負うのは…贔屓目に見てもどうもそぐわない。まだ城を出て黄色い花を摘みに行った時の方が良かった気がする。
クロムハウルの周囲には当然騎士団長であるライディン他数名の近衛の姿があったが、彼らもクロード同様に、シアの姿を認めるとそつなくその場を後にした。
近衛達が去った後、シアは少し離れた場所から眉間に皺を寄せてクロムハウルを見据え、クロムハウルはシアの態度に笑顔がだんだん失われたかと思うと、まるで捨てられた子犬の様な目をして肩を落とした。
クレリオンの助言とは言え、シアにしてしまった事に対する後ろめたさが生まれたのであろう。
実際の所今はもう思い出したくもない事だったので、シアは先に折れる事にした。
と言うよりも…情けなく眉を顰めて泣きそうなクロムハウルを、まるで自分が苛めているような気がして情けなくなったのだ。
一国の王なのだから―――せめて前回会った時に垣間見た雄々しい表情のままでいてくれたなら―――シアはクレリオン同様にクロムハウルにも素直に懐く事が出来たかも知れない。
気合を入れ直しつつ肩の力を抜いてクロムハウルの前に立つと、シアは腰を折って挨拶する。
「お久しぶりです、国王陛下。」
かなり他人行儀だったが、他人の様なものだからそれで構わない。
「変わりないか?」
「はい、つつがなく過ごさせて頂いております。」
「そうか―――」
「………」
「………」
会話が途切れ、気まずい沈黙が訪れる。
本来ならもっと社交的で立派なラウンウッドの国王なのだが、シアを前にするとどうにも上手くいかない。それは周りが見てハラハラする程だ。
気まずい雰囲気を変える為、シアの方が気を使って何か話題はないものかと思案する。
「薔薇を摘まれるのですか?」
シアの問いにはっとしたクロムハウルは慌てて枝から一輪薔薇を摘み取ると、そのままシアに差し出した。
棘の取られていない赤いバラは、クロムハウルの厚い手の皮に傷を作ったが大したのもではない。
だが…棘の付いたままの薔薇を差し出されたシアは、その王の仕草に歳に似合わない不器用さを感じ取る。
ゼロはちゃんと棘を処理して渡してくれた。クロムハウルとて女性に渡す時にはそうするのだろうが、シアを前に緊張したのか、すっかりその事を忘れてしまっているようで―――
シアはくすりと笑うと、棘の付いた薔薇をそのまま受け取った。
手にする時に気を付けはしたのだが、小さな薔薇の棘がシアの指を刺し、シアは僅かに顔を顰める。
「すまぬ、棘を―――っ!」
「知ってます。いいんです、この位は平気ですから。」
シアは自分で薔薇の棘を抜いた。
その手元をじっと見ていたクロムハウルは、シアが棘を取り終えた時点でゆっくりと息を吐いき出す。
「そなたには申し訳ない事をした。」
不安でたまらないのか、クロムハウルは視線を反らして俯いたままシアに詫びを入れる。
謝られているのはシアの方なのに、そんな顔をされるとやはり苛めている気分が拭いきれない。
シアはそっと溜息を落とした。
「過ぎた事はもういいです。」
「しかし―――!」
「あの時の事を思い出させて嫌な思いにさせたいのなら…どうぞ遠慮なくいくらでも謝って下さい。」
「あ…いやそのっ…申し訳ない―――」
慌てたクロムハウルはそうやって勢いのまま再び謝ってしまっい、おろおろと慌てふためく。
駄目だ…これに付き合っていると日が暮れる。
シアは突っ込むのをやめて手にした薔薇に視線を落とした。
すると今度はクロムハウルの方が、おずおずと様子を伺いながら口を開いた。
「婿選びは進んでおるのか?」
「それは…まぁ…難航してます。」
痛い所を突かれたシアは苦笑いを浮かべた。
そんなシアから視線を外すと、クロムハウルは一つ咳払いをする。
「もし―――どうしてもあの者が良いと言うのであれば…予はそれを認めようと思う。」
その言葉に驚いたシアは視線を外したままのクロムハウルを見上げた。
「あの者って―――」
「アセンデートのゼロリオ王子だ。」
「―――陛下?」
まさか、クロムハウル王自身の口からその言葉が出ようとは全く予想しておらず、シアは驚きに目を見開きながらその真意を測り兼ねる。
「勿論障害は多いが―――そなたがどうしてもと望むのであれば、予はそなたの味方をいたそう。」
「国家をかけての罪滅ぼしですか?」
冗談っぽくシアは笑った。
「ゼロとはちゃんとお別れしました。今更やっぱりなんて言いませんし、何とかして相手は見つけます。」
ケミカルと同じ事を言われて、クロムハウルを僅かに近く感じる。
全否定されるのではなく、罪滅ぼしからくるものであったとしても嬉しい言葉だった。
「オルグとケミカルでは意に添わぬか?」
あらかじめ用意されていた、シアの夫候補有力者の二人。
選ぶには申し分ない相手だったが…何の迷いもなく決めるには少々近付き過ぎた。
シアは言葉は返さず、ただ小さく笑う。
問題外のケミカルは置いておいても、オルグとの事は真剣に考えなければならないだろう。
シアもオルグに対して淡い恋心の一つでも抱く事が出来たなら、少しはミーファに張りあえた筈なのに…今更ながら自身の首を絞めている事実を思い知らされる。
「陛下は王妃様とはどのようにお知り合いになったのですか?」
婚姻問題に関して言えばシアに一番近いのはクロムハウルと王妃の関係だろう。
「妃と初めて引き合わされたのは婚儀の前日だ。王妃は生まれる前より予の妃になる事が決定付けられておった。」
「あ…そう、ですか…」
自分達には何の決定権もない、国の為だけの婚姻。
王妃はクロムハウルの元に嫁ぎ王子を三人誕生させたが、その王子達は皆流行り病で立て続けに命を落としてしまった。
王の子を生み、その子を次代の王位に据える為に存在する王妃。
その役目すら突然現れたシアに横取りされて、王妃はどれ程口惜しく感じている事だろうか。
同じ城内にいても顔を合わせる事すらない王妃とは、これから先も数えるほどしか面識を持つ事はないのだろう。
とても寂しい世界だと…王の子を宿してしまった母が、隠れて自分を生んだ理由が何となく分かった気がした。