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姫君の選択  作者: momo
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おつかい


 パン作りというものは思った以上に力のいる作業だ。

 毎度の様について来るクロードは慣れた手つきで窯に火をおこす。

 その様を物珍しく眺めていたケミカルに対して、シアはどうせ居るなら突っ立たせておくよりも戦力として利用しようと、何の躊躇もなくケミカルに手伝いを指示した。


 「上着を脱いで腕をまくって。」

 いわれるままケミカルが上着を脱いで腕をまくると、その手に白い小麦の粉を振りかける。

 「体重をかけながらしっかりとこねるのよ。」

 粗末な衣服に着替えたシアは、邪魔になる靴も脱ぎ捨て床に足を踏ん張り生地をこねて見せた。


 「念のために聞いておくが…俺にパン作りを手伝えと?」

 「結構楽しいわよ、ストレス発散になるし。」


 笑みを浮かべて生地をこねるシアの額にうっすらと汗が滲んでいる。

 粗末な衣服に身を包んで、自ら肉体労働に励む王侯貴族の娘など未だかつて存在しただろうか?

 呆れながらもケミカルは、見慣れぬ初めての作業に手を染める。

 触れたパン生地はねっとりと心地よくケミカルの大きな手を飲み込んで行った。


 手伝うつもりなど毛頭なかったというのに、気が付けば頭の先からつま先まで白い粉に覆われている。慣れているせいかシアの汚れはそれ程でもなく、かまどに火を汲めていたクロードに至っては煤で汚れてすらいない。

 慣れない作業で疲れはしたが、シアの言ったように程良い疲労感にケミカルはすっきりしていた。

 

 「食べてみる?」

 いびつな形をした焼き立てのパンを差し出され、それを受け取ったケミカルは手でちぎって口に運ぶ。

 「うまいな―――」

 「当然よ、ケミカルが作ったんだもん。」


 形が歪なのはケミカルが作った分で、均等に整った形をしたパンはシアが仕上げたものだった。

 剣を持っても力仕事など全く無縁のケミカルが初めて作ったパンは、想像以上の美味しさだ。だというのにケミカル作のパンを一千切り口にしたクロードは「―――硬い」と呟き微妙な顔をする。

 

 「失礼なやつだな、スロート公家の嫡子が手にかけた品だぞ。」

 確かに幾分硬い気はするが、自作の出来にケミカルはご満悦だ。

 そんなケミカルを横目に見ながらシアは笑顔で大きく息を吐くと、白いエプロンを外す。

 「さてと―――急がないと遅くなっちゃうわね。」


 今日はケミカルも作業を手伝ってくれたが、パンの作り方やら何やらを説明しつつやっていたのでいつもより時間がかかってしまった。急がなくては孤児院と城の夕食の時間に間に合わなくなってしまう。

 外出を許可されてはいたが、シアは夕食の時間までに城に戻る約束をしているのだ。クロードの仕事の関係もある事だし、帰宅に遅れる訳にはいかない。


 「孤児院って何処のだ?」

 「アベスト修道院にある孤児院よ。」

 

 孤児院は主に修道院に隣接して建てられているが、その経営は修道院ではなく国の物だ。全てが寄付と税金で賄われているとはいえ、子供達は満足に食べられる訳ではない。何時もお腹をすかせている子供達に少しでも出来る事をと…母親とつつましく生きていた時には無理であったが、今のシアは自分にできる限りで何かをしようと思い付いた事だった。


 「片付けがあるなら俺が持って行こうか?」


 ケミカルの意外な一言にシアは目を丸くする。


 「ケミカルがアベストに?」

 「やはり不味いのか?」


 自分のような出で立ちの貴族が足を運ぶのは嫌味になるのだろうかと、上等で作りの良い衣服に付いた粉をはたいた。


 「そんな事無いけど…場所わかるの?」

 「アベスト修道院なら知っている。その隣なのだろう?」

 「ええ、まぁそうだけど―――」


 答えながらシアはちらりとクロードに視線を送る。

 ケミカルの様な人を行かせていいのかと自分の事は棚に上げて迷っていたのだ。

 一人歩きなど慣れているだろうが、結して治安の良い場所とも言い難い。身なりの良い服装のまま出歩いて何かあった時には取り返しがつかないのだ。

 するとクロードは微笑みながら小さく頷いた。


 「行って頂いた方がケミカル殿の為にも宜しいでしょう。」

 「ケミカルの為?」

 「どういう意味だ?」

 ケミカルとシアが同時にクロードを見上げる。

 「そのままの意味です。ケミカル殿は孤児達の住まう世界を知るいい機会になるでしょうし、その間に私達はここを片付ける事が出来る。約束の時間に遅刻して外出を禁止される様な事になっては、折角のシア様の善意が滞ってしまいます。」

 「…そう?じゃあお願いするわ。」


 ケミカルの様な人間は孤児院も知らないのかと思いつつ、シアは焼き立てのパンが入った籠を渡す。

 自分の焼いたパンを孤児たちに食べさせるのかと思うと、クロードの多少馬鹿にした言い方も気にはならず、ケミカルはご機嫌で家を出て行った。


 










 シアの家からアベスト修道院までの距離は大したものではなかったし、場所も知っていたのでケミカルは迷うことなく辿り着く。

 見知った修道院。

 この修道院は男子専門の修道院で、孤児たちの面倒を見ている修道士たちの姿もちらほら認める事が出来た。


 その修道士の後を追って隣にある孤児院に向かうと、そこには人が住めるのか?!と言える程朽ちた家屋があり、人が住んでいる事の証明とばかりにボロを纏った無数の子供たちがひしめき合っている。

 ぼろぼろで体に合わない衣服を纏っている子供も多い中、汚れた子供が元気に走り回って一本の柱に激突すると建物が揺らいだ。

 大風でも吹いたら壊れてしまいそうな程のあばら屋だ。


 あまりの惨状に呆然と立ち尽くしたままのケミカルに目を止めた一人の修道士が、見かけない貴族の男を不審に思いながらも近付いてきて一礼した。 

 

 「子供達に何かご用でしょうか?」


 頬のこけた中年の修道士はケミカルに疑心の目を向けている。

 高貴な者の中には時折、見目の良い孤児などの子供を貰い受け、性の奴隷として扱う趣味をもった不遜な輩が存在するのだ。

 自分が孤児たちを品定めしていると勘違いされた事に気付いたケミカルは、慌てて手にした籠を修道士に差し出す。


 「子供達にと預かって来た。」


 差し出された籠に見覚えのあった修道士は途端に笑顔を浮かべ籠を受け取った。


 「シアさんからですね、いつも有り難い事です。」


 修道士は頭を下げるとケミカルに礼を言い、側にいた孤児に籠を預ける。

 すると子供達は歓声と満面の笑みを浮かべて籠を持ち去り、今にも朽ち果てそうな孤児院から出て来た修道士に籠を手渡していた。

 それを目で追っていたケミカルは、前に立つ修道士に視線を戻す。


 「この様な建物に子供達を住まわせるのは危険ではないのか?」

 

 すると修道士は悲しそうな表情を浮かべ同意した。


 「雨風を凌ぐにも十分とはいえない状況ですが、なにぶん建て替えの費用が下りないもので…無事を祈るばかりです。」

 「役人は何をしている、国からの援助は十分に下りている筈だが?」


 生活ぎりぎりの額だが、国は税金を使って孤児一人当たり幾らと決めてお金を払っている筈だ。それに痛んだ建物の修繕費用も別に出されるため、ここまでひどい状態になるまで放っておかれるのはおかしい。


 「援助は頂いておりますが、やはり育ち盛りの子供にとっては十分な額ではなく。建物も二年程前に建て替えられる予定でありましたが、全体的な孤児の数が増えて予算が下りないと伺っています。」


 そんな筈はないと口に出かかったが、ケミカルは現状を目の当たりにして口を噤んだ。

 恐らく、孤児の為に降りた税金を懐にしまいこんでいる輩が何処かにいるのだろう。よくある話だ。

 考え込むケミカルの様子に要らぬ事を言ってしまったかと不安に駆られた修道士は、何か別の話題をと口を開いた。


 「今日シアさんがお見えにならなかったという事は、彼女に何かあったのでしょうか?」

 「あぁ、いや。彼女は元気だ。今日は時間の都合でここまでこれなかったが明日は姿を見せるだろう。」


 そう言ってケミカルが修道士に小さく頭を下げ別れの挨拶をすると、修道士の方は深々と頭を垂れた。












 クロードと並んでパンを焼いた後片付けをしながら、シアは独り言を呟いた。

 「ケミカル大丈夫かなぁ…」

 道に迷うとも思えないし、多少腕に覚えもありそうだが…お坊ちゃま育ちのケミカルがちゃんと孤児院にお使いに行けるのかと気になる。


 「今頃驚いておられるでしょうね。」

 クロードが窯の掃除をしながらシアの独り言に言葉を返して来た。

 「驚く?」

 問いにクロードは手を止めると体をシアに向けた。


 「シア様はアベストの孤児院について何か思う事はありませんでしたか?」

 「何かって―――孤児院だもの。」


 様々な理由で親を失った子供達が集められた場所で、みな酷い生活を強いられている。

 そんな子供達に何かしてあげたいとは思いつつも、少し前のシアでさえ精一杯の生活で手出しが出来なかった。


 「シア様はあの孤児院を見慣れておいでだからお気付きにはなられなかったでしょうが、私が目にした所、国からの予算が十分に行きわたっていない様に思われます。」

 「それは…税金や寄付に頼っているんだもん。足りない分があっても仕方がないって修道士せんせいが言ってたわ。」

 「確かに孤児院にあてがわれる金額は多くはありませんが、それでもあそこまで悲惨な生活を強いらなければならないような額ではない筈です。」

 「それって―――役人がくすねてるって事?!」

 「恐らくそうだと思われます。」

 

 シアは声を上げてクロードに飛びついた。


 「そう感じたのなら、どうしてもっと早く教えてくれなかったの?!」

 「申し訳ありません―――」

 

 クロードはその場に跪き頭を垂れる。

 目の前で跪かれたシアは慌ててクロードの肩を掴んだ。


 「やめて、謝って欲しいんじゃなくて理由を聞きたいの。」


 クロードがシアにわざと口を噤んでいたとは思えない。

 頭を垂れたままのクロードの顔をシアは覗き込んだ。


 「ねぇ教えて。こういう時ってどうすればいいの?」


 孤児たちのお金をくすねている役人を締め上げるにはどうすればいいのか。

 過去なら何も出来ずに憤慨しただけだが、今のシアには身分だけはある。


 「恐れながら…現在のシア様では何も出来ません。」


 だから黙っていたのだと、クロードは更に深く頭を下げた。

 クロードに跪かれ、頭を下げられ続ける事にシアは溜息を落とす。


 「お願いクロードさん、顔を上げて。でないと辛いの。」

 

 跪かれる事にも、頭を下げられる事にも慣れていない。

 シアの切ない声にクロードは慌てて顔を上げ「申し訳ありません」と告げると、再び頭を下げた。


 「シア様が目ぼしい役人を問い詰める事は可能ですが、それには証拠が必要です。でなければ口で言い様に言い包められ証拠も消されてしまうでしょう。」

 「クロードさんじゃ駄目なの?」

 「私は騎士でこれは管轄外です。ご命令とあらば動きますが、管轄外の事に口出しをするのをよしとしない輩は少なくありません。それ故シア様のお立場を悪くしてしまう可能性があるのです。」

 「じゃあオルグさんに頼んでみるわ。」

 

 忙しい彼に頼むのは気が引けるが、孤児たちのお金で私腹を肥やしている奴なんて許しておけない。

 だがその意見にクロードは頭を横に振った。 

 オルグなら間違いなくシアの願いを一番に聞き入れ、素早い対処を取るだろう。

 しかし―――


 「オルグ殿に借りを作る事になります、それで宜しいのですか?」

 「借りって―――」


 その言葉にシアは戸惑った。

 オルグに頼んで孤児たちが少しでも豊かな生活を取り戻せるのはいい事だ。

 だがシアに恋心をもつオルグにそれを頼むという事は、少なからず彼がシアに向けて来る思いに応えなくてはという気持ちになってしまうのではないだろうか。

 オルグを選べないと―――気持ちが付いて行かない自分を縛る事にもなるかもしれない。

 だが、それでも沢山の子供たちの為。そんな気持ち後から考えればいい。

 シアが口を開こうとすると、それよりも早くクロードが言葉を発した。


 「ですからケミカル殿が同行を申し出た時、正直私はほっとしたのです。」

 「ケミカルが?」


 クロードは顔を上げて頷き、シアと視線を合わせた。

 今日シアの元を訪れたケミカルが同行を言い出さなかった場合は、不本意ながらもシアの警護を変わってもらい、クロードは後をこっそりつけるつもりでいた。


 「彼はお父君への反発もあり遊び歩いていますが、ああ見えて切れ者です。加えて情に厚い所もあり面倒見もいい。孤児院の様子を目にすれば間違いなくおかしいと気が付く。そうなればこちらが何も言わずともケミカル殿自身が勝手に動いてくれます。」

 

 確かに…ケミカルは面倒見がいい所がある。

 前にシアがゼロを探して欲しいと依頼した際、きちんと対処し手を尽くしてくれた。貞操を疑われ忌わしい事件にあった時も、己の立場も顧みず助けてくれようとさえしてくれたのだ。

 

 「―――クロードさんって、以外に策士ね。」


 クロードはシアの気持ちまで考え、心の警護までしてくれようと言うのだろうか。

 シアが見つめていると、クロードは破壊的に優美な微笑みを浮かべ、シアは恥ずかしさからほんのりと頬を染めた。

 

 

 

 


 それから一月後―――

 クロードの予想通り、アベストの孤児院に流れて来る筈だった予定の金額に加え、今まで横取りされ関係者の懐を温めていた分のお金も孤児院に戻された事で、今にも朽ち果てそうだった危険な孤児院は建て替えられる事に決定した。


 




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