初日の攻防
今朝まで冷たい床に眠っていた少女が、今は毛足の長い絨毯の上に立ち王の玉座を見上げている。
寝起きのまま連れて来られたみすぼらしい自分には場違い過ぎる世界に、穴があったら今すぐ入りたい―――シアはいたたまれない気持ちで一杯になった。
王宮に向かうと言う馬車の中でシアがモーリスに聞かされたのは、シアがラウンウッド王国国王クロムハウル=ウリド=ラウンウッドの御落胤だと言う事実。
そんな荒唐無稽な話信じられる訳ないと、やはりぽかんと口を開けて上の空で聞いているシアにモーリスは構わず話を続けた。
「アデリ殿は二十年ほど前に王の侍女として王宮に上がり、その際に王の寵愛を受け懐妊されました。アデリ殿は没落貴族の娘で既に父親はなく領地も失っており、頼れる親戚もないと言う事であの時は私がお世話をさせていただく事になっていたのですが―――」
王妃の嫉妬を恐れ、モーリスの立場も悪くなると考えたアデリはそのまま行方知れずとなり、モーリスがアデリを探し当てた時には既にシアも生まれかなりの月日が過ぎ去っていたと言う。援助を申し出たモーリスだったが、穏やかなままの生活を望んだアデリはそれを拒み、モーリスも幸せそうに暮らすアデリとシアを遠くから見守る事にしたのだと言う。
「ですが最近都に蔓延した流行り病により、三人いた王子の全てが犠牲になってしまいました。それぞれの王子達に子はなく、この場合唯一おられる王女のセフィーロ様に第一王位継承権が移行され、その夫となる者が王位に付くのが慣例なのですが、王女は既にアセンデートの第一王子に嫁いだ身。それ故セフィーロ王女に継承権をお渡しする事は叶いません。そこで話題に上ったのが姿を消していたアデリ殿でした。」
王には王妃との間にできた三人の王子と他国に嫁いだ王女以外に子はなく、このままでは王家の血が絶えてしまう。既に臣下へと下っている王弟やら叔父やらを持ち出して来る事も可能ではあったが、それでは王位争いの騒動が勃発しかねない。そこで身分はないに等しくも、一応貴族ではあったアデリが生んだ娘であるシアの存在が思い出したように持ち出され、シアに身分ある男と婚姻を結ばせ、その者に王位を継がせる決断がなされたと言う事だった。
(これってすっごい迷惑な話よね)
モーリスの話を聞きながらシアは辟易してしまった。
いくら王子達が死んで王の直系がいなくなったとは言え、今まで忘れていた存在を思い出したように連れ出し、強引に婚姻を結ばせようとするなんて馬鹿にしているにも程がある。ラウンウッドでは継承権は許されていても女では王位に付けない決まりがあり、シアが出て行っても王位につける訳でもない。そもそも庶民として育ったシアを持ち上げるより、王位が欲しい者に遠慮なく渡してしまえばいいものを…
そうして連れて来られた玉座の前で、シアは初めて父親と言う存在を目にした。
ラウンウッド国王クロムハウル―――御年五十九歳になると言う王は、シアからすれば父親と言うよりももっと年上の存在。先日四十歳でこの世を去った母親とも親子に近い程の年齢差がある。
「これは―――アデリによく似ているものだな。」
感心するように言い放った王は、目を細めシアに笑顔を振りまいていた。
出来る事なら己の血を次代の王として残して行きたい―――そんな風にでも考え、シアを単なる道具の様にでも思っているのか。
何が父親だ、馬鹿にして―――
王位継承権なんて要りません、そんなの欲しい人にのし付けてさし上げて下さいと啖呵を切ってみたかったが、ただの庶民として育ったシアにその勇気はなかった。
王の隣に座る王妃はただ黙ってシアを睨みつけ、不機嫌丸出しなのが明らかだ。
それもそうだろう。
側室が認められていないラウンウッドで、王が他の女に産ませた娘など諸手を上げて歓迎できる訳がない。
母が苦労したのも、王妃の怒りが自分に向いているのも全てこいつのせいだと思うと、シアは目の前で満足そうに微笑む王に腹が立ってならなかった。
「会えて嬉しいぞ、我が娘よ。そして今日よりここがそなたの住まいとなる。ラウンウッドの王女として恥じぬ行いをし、予に尽くしてくれ。」
(なにが予に尽くせよ馬鹿。誰があんたなんか父親だと認めるものか!)
口には出せないので心の中で罵声を浴びせていると顔に出たのだろう。満足そうに微笑んでいた王が眉をひそめ、少し寂しそうな表情を見せた。
「あ~うむ…それとそなたには三月以内に夫となる者を決めてもらいたいと思うておる。有力候補としてはだなぁ…ほれそちら、こちらへ参れ。」
王に促され、シアの前に二人の二十歳前後と思われる男が姿を現した。
「これはオルグ=イシュトル。そなたを迎えに行った宰相の息子だ。」
先に紹介された青年は穏やかな笑顔で一礼すると、そのままシアに優しい眼差しを送った。
「オルグ=イシュトルです。シア様どうぞ宜しくお見知りおきを―――」
父親に似て礼儀正しいのかこれが普通なのか、右手を胸に当て礼を取るオルグにシアも頭を下げた。
「それでこれがケミカル=スロート、予にとっては甥にあたる弟の嫡男だ。」
ケミカルと紹介された男はオルグよりも年下の様で、何処となく幼さが残る顔つきはシアに年齢が近いかもしれない。
ただ不機嫌そうに仏頂面で、オルグの様に礼も取る事なくそっぽを向いて立っているだけだった。
「そなたが三月の内に相手を選ばねば、このどちらかの一方と婚姻を結んでもらう事になるがよいな?」
嫌だと声を大にして言いたかったが、そんな事しても無駄な抵抗だと言うのは解っていた。
シアがここに連れて来られた時点で選択の自由はない。それでも三カ月と言う猶予を与えられた事は幸運だとも言えた。
問答無用でこの二人のどちらかと無理矢理結婚させようとは思ってはいないようだ。
それだけ説明すると王は感動の再会も何もなく、後は任せたとモーリスに言い付けると王妃と共にその場を退散する。
一同が頭を下げ王を見送る中で、シアだけはそのままの体勢で王を見送っていた。
血の繋がり…ただそれだけの父親が目の前から消え、後に残されたシアは温かい笑顔を湛えるモーリスによってこれから住まう事になる部屋に案内された。
連れて行かれた部屋はいくら王宮の中とは言えシアが想像した以上の広さで、居間だけでシアの住まっていた家一軒が丸ごと入ってしまいそうな広さ。大きな窓からは明るい日差しが差し込み、居間から続く扉の向こうには寝室と、他には専用の浴室にトイレなどが備え付けられていた。
「あの、先程王様がおっしゃられていた事ですが―――」
シアはおずおずとモーリスに向かって口を開く。
モーリスがシアを迎えに行って今に至るまで状況が掴めなかったのか、驚いたまま質問すらしなかったシアが口を開いた事でモーリスはほっと胸を撫で下ろした。
初めて目にした父親の国王にすら敵意むき出しの視線を送っていたシアに不安を感じてはいたが、突然こんな状況に追いやられてしまったのだから仕方のない事なのかもしれない。
「婚姻の件ですか?」
「ええ。あの…自分で相手を選ばなければさっきの二人のどちらかを王様が選ぶって。って事は、わたしが自分で選ぶなら彼ら以外の人でもいいって事なのでしょうか?」
「どなたか思いを寄せられるお方がおいでになりますか?」
少し困ったように目尻を下げるモーリスに、シアはほんのりと頬を染めた。
困ったように考え込むモーリスに気付き、そう言えば先程の二人のうち一人はモーリスの息子だと紹介された事を思い出す。
宰相と言えば国王の右腕として存在する役職名だ。宰相ともなれば国の綺麗な面も汚い裏の面も全て周知していて、シアなど足元にも及ばない地位と権力を持っているのだろう。一見優しそうには見えるがその胸の内は計り知る事が出来ない。
モーリスは自分の息子がシアと結婚する事によって王位に付く事を願っているのだろうか?
馬鹿な事を聞いてしまったとシアが後悔していると、モーリスはシアの心を読むように肩を下げてふっと笑った。
「オルグを選んで頂けるのでしたら私も親として感激の極みではありますが、そこはまずシア様のお心を優先させるべきだと王のお考えです。」
意外な言葉にシアはモーリスを見上げた。
「王様が?」
モーリスは笑顔のまま深く頷く。
「王はけしてアデリ殿を捨ておいた訳ではありません。アデリ殿の心中は察する事は出来ませんが、少なくとも王はアデリ殿を愛しておいででした。重臣たちの間では王弟クレリオン=スロート公のご子息であるケミカル殿とシア様の婚姻を望む声が多かったのですが、王はまずシア様の意見を尊重させたいと三カ月の猶予を持たせる事になさったのですよ。」
多くの者達はクロムハウル王の実弟であるクレリオンの息子、ケミカルに次代の王位を望んでいた。血筋から言ってモーリスもそれが一番だと賛成していたが、それを拒んだのがシアの父親である王自身だった。父親として何もしてやれなかった王の僅かな親心なのか、モーリスはせめてシアに王の見えない心の部分を伝えておきたいと思っていた。
「だからと言ってあまりにも身分の低い者ではこちらとしても困ってしまうのですが。」
王になるには国民も納得する相手でなければならない。多少の身分は後から補う事は出来るが、王になる器と言う物が何よりも必要になる。多くの家臣を従えるにはそれなりの地位と権力、何よりも才能が必要だった。
シアは王が見せた気使いを聞いて、母と自分を捨ておいた王に対して先程とってしまった態度は後悔してはいないものの、王なりに後ろめたさを感じているのであるならそれはまぁ汲んでやるかと、かなり上から目線で認めようとしていた。何しろその王のお陰で無理矢理知らない相手と即結婚…などという馬鹿げた事態は回避されたのだ。期限付きではあるが自分で相手を選ぶ事が出来るのだと言う。
この時シアの脳裏に浮かんだのはただ一人の人。
今まではけして届かないと思っていたゼロにもしかしたら手が届くかもしれない―――もしゼロが望んでくれるなら、シアは今度こそ何の迷いもなく愛しい人の胸に飛び込む事が出来るのだ。
問題となるのはゼロの気持ちだ。
ゼロがシアを愛してくれて、結婚を望んでくれるのなら二人でこの国を支えてもいいし、ゼロが王位を望まない、あるいはそれに相応しくない身分であったとしてもシアは手放すつもりなどなかった。その時はこんな場所とはさっさとお別れしてゼロと幸せになればいい。王位はシアなど初めからいなかったものとして、王弟でもその息子でも誰にでも相応しい相手に継いでもらえばいいだけの事だ。
最初はとんでもない話だと思っていた。
愛してはいけない人を愛してしまったと悲嘆に暮れ、一七歳の誕生日にはたった一人の家族であった母を病で失った。極めつけにはそれに追い打ちをかけるように、王の御落胤で世継ぎがいなくなったからと攫うようにこんな所に連れて来られ王に相応しい相手と結婚しろと言われる。
要するに、シアが選んだ相手が将来のラウンウッド国王になると言うのだ。
こんな重責任せられて大迷惑だ―――と、本来なら声を大にして言っていただろう。
しかし―――シアにとってこの事態はまさに不幸中の幸いとも言えた。
大事な母を失った事実が消える訳でも、王妃がいるにもかかわらず母に手を出し不幸にした王を許せる訳でもなかった。だが、こうなってしまったからこそ唯一望める物―――それが愛した人の胸に迷いなく飛び込んでいけるかもしれないと言う現実。
「―――様、シア様―――聞いておいでですか?」
「あ、はいっ?!」
自分の世界に入り込んでしまっていたシアはモーリスの問いかけが耳に届いていなかった。
はっとして我に返ると、同じ服を着た数人の女達がシアを取り囲んでいた。
「これからは侍女達にシア様の世話をさせますので、何かございましたら全て彼女達にお申し付け下さい。それと今日よりシア様をお守りする騎士を紹介しましょう。」
モーリスの言葉で何処からともなく背の高い一人の男が姿を現す。
男は立襟に長めの白い上着を着て腰には剣を挿していた。
シアも街で何度か目にした事がある、王国騎士団の制服に身を包んだその男は今朝方シアを捕え逃がさない様に抱きかかえた美貌の主で、年の頃はゼロと同じ二一歳位だと思われる。見上げる程背の高いゼロよりも目の前の男は更に少し長身だった。
「クロード=エジファルトと申します。本日よりシア様付きの命を受け、我が命に代えてもシア様を守り抜く事をお誓い申し上げます。」
そう誓いを述べたクロードはシアの前に跪き、腰に携えた剣を鞘ごとシアに差し出した。
「え…あの?」
騎士が主に対して忠誠を誓う礼を知らないシアは戸惑い、モーリスに助けを求める。
そもそも跪かれると言う行為そのものが恥ずかしくてこそばゆい。
「剣を取り祝福を与えてやって下さい。」
祝福?
モーリスの言葉にシアが眉を顰めると、モーリスは両手で剣を取り口付けする仕草をして見せた。
シアはモーリスがした様に見よう見真似でクロードの差し出す剣を両手で受け取ると、剣の鞘に口付けてからクロードに返す。
クロードは剣を受け取ると立ち上がり、優しく微笑んで見せた。
その美しさにシアは思わず立ち眩みを覚えそうになり、周りにいた侍女たちからは溜息が洩れる。
「あの、クロードさん。わたしを守って下さるとの事ですが、わたしはあなたに命をかけてまで尽くされる様な人間でもありませんので、どうか命は大切になさってくださいね。」
いくらお役目とは言え、大して知りもしない自分のせいで万一にも命を落とされたとしたらいたたまれない。一生目覚めの悪い朝を迎えそうだとシアは思った。
それに命は一つしかないのだ。
つい先日大事な母親を失ったばかりのシアは、クロードが任務中とは言え命を落とした時にその家族が受ける悲しみを思うと、自分なんかの為に命をかけてもらいたいとは到底思えなかった。
それに生まれた時から全くの一般庶民として育ったシアは、王位継承権を持つ者がどれ程命の危険にさらされるかと言う事を知らず、その意識が全くなかったのだ。
シアの言葉に驚いたクロードは茶色の瞳を大きく見開くが、直ぐ様目を細めシアに笑顔を向ける。
「シア様、私はシア様が思われる以上に強いですから、いつでも私に助けをお求めください。」
ですから安心して命をおあずけ下さいと言うクロードに、それでも命は大事にしなさいとシアは思わず説教を始めそうになり慌てて口を噤んだ。
そしてこの後シアは直ぐ様クロードに助けを求める事となるが、クロードはシアの悲鳴を無視し静かに部屋に佇んでいた。
「いやぁぁぁぁっ、助けてクロードさんっ―――そこにいるんならこいつら何とかしてよっ!」
「シア様どうぞお静まり下さいませっ!」
「嫌っ、何処触ってんのよ馬鹿っ。あなた達ちょっと頭おかしいんじゃないのっ!」
「いいえシア様、これが至って普通でございますわ。」
「こんなの普通じゃないっ、クロードっ…いるのは解ってんだからさっさとこいつらどっかやって言ってるでしょ!さっきの誓いは何なのよっ、いつでも助けを求めなさいって言ったじゃないか――――っ!」
裏切り者――――っ!!!
シアの絶叫が広い浴室に響き渡るが、こればかりは流石のクロードも額に冷や汗を浮かべ、事の成り行きを黙認するしかなかった。
あの後モーリスはシアの部屋を後にし、シアは侍女たちに入浴を勧められる。
床で眠っていた所を早朝起こされ王宮に連れて来られたうえ、理解し難い現実を突き付けられた。疲れていたシアは勧められるまま浴室に向かい、ゆっくりと湯船にでも浸かりながらこれからを考えようと思っていたが、その後を侍女たちがぞろぞろと付いて来てシアの着ていた粗末な服に手をかけたのだ。
そこからシアと侍女たちの戦いの火蓋が切って落とされる。
他人に服を脱がされ身体を洗われるという行為に驚いたシアは暴れて叫んで抵抗を見せ、対する侍女はこれが自分達の仕事だとシアを無理矢理押さえ付け、服を脱がせ頭の先から足の先まで力ずくで洗いにかかった。
その攻防は小一時間にも及び、全てが終わった頃には両者とも心身ともに疲れ果て、声を出す事すら出来ない程ぐったりと力尽きていた。