意外な告白
オルグはシアに告白したものの、その翌日に起こった事件以来、シアに対して少し距離をもつようになっていた。
シアに対しての気持ちに揺らぎが生じたと言う訳ではなく、シアが周囲に不信感を抱いていると感じ取っていたからだ。それにあんな事があってすぐに、自分の様な異性が近づくのはシアの心を乱すのではないかと考えたのもあるし、助けてやれなかった負い目もあった。
そうやってオルグが手をこまねいている間に、王弟であるクレリオンがシアと毎日のように過ごしていると聞いた。
親しい間柄であるケミカルならともかく、王弟のクレリオンが側にいるのであればオルグは遠慮せざるを得ない。
だがそれでも愛しい人に会いたいと言う気持ちは湧き起こるもので、オルグは毎日遠くからシアの姿を垣間見ると言うらしくない行動をとっていた。
そんなオルグの切なる思いに気付く事のないシアであったが、ミーファの件もありオルグに会うのは気不味いと思っていたので何となくそのまま過ごしていた。
だが修道院から戻って来てふと思ったのである。
好きだと言ってくれはしたが―――あれからオルグに一度も会っていないと言う事に。
あんな事件があってから発狂した様に取り乱した。そんな姿を見て愛想を尽かされても仕方がないとは思ったが、仲良くしていた人に突然距離を取られてしまうのは少し寂しい。
恋とか抜きで、シアは単純にそう感じていた。
純潔を疑われ、強制的にそれを証明された事は未だに腹立たしかったが気持ちは治まっている。
夜の警護をシアの寝室にまで踏み込んで行っていたクロードは行き過ぎた行動の責任を問われ、シアの警護から外されそうになったが、実際その読みが正しかった事に騎士団長のライディンが口添えしてくれ、クロードはシアの下に返された。勿論ゼロリオがアセンデートに帰ってからは寝室に踏み込んだりはしていない。
もとに戻ったのはクロードくらいだった。
毎日のように顔を見せていたケミカルは登城しなくなっていたし、オルグとの勉強会も取り止めになったまま。自分を好きだと言ってくれたオルグと二人きりになるのは気不味いと考えていたので最初は気が付かなかったが、もしかして避けられているのだろうかと思うと心もとなくなって来る。
のどかな午後のひと時、シアは砂糖菓子を摘んだまま考え込んでいた。
そんなシアのお茶に付き合うクレリオンは、動きを止めたまま物思いにふけるシアの横顔を満足そうに見つめている。
クレリオンの視線に気付いたシアは、何事もないように手にした菓子を口に運んだ。
「昨日は愚息の所に足を運んで頂いた後でリラレンツェ修道院に向かったとか。」
「…はい。」
何で知っているんだろうと、何処か近くにいる筈のクロードを捜す。
「クロードが口を滑らせたのではありませんよ。」
クレリオン独自の情報網なのかシアの行動が読まれているのか…どちらにせよクレリオンにはお見通しの様だ。
「エルフェウロ家の息女の事をお考えで?」
「いえ、ミーファさんには言いたい事が言えたのでもういいんです。」
後はミーファ次第。それよりも今気になるのは―――
「ではオルグ殿か。」
余裕のある表情で灰色の眼差しがシアに向けられる。
この人に隠してもどうせ解るのだと思うとシアは観念して口を開いた。
「最近会ってないなぁと思うと何だか急に気になってしまったというか…」
「異性に興味を持つのはよい事ですよ。それがうちの愚息でないのは少々気になるが。」
冗談っぽく白い歯を見せて笑うクレリオンにシアは苦笑いを浮かべる。
「そう言う意味の気になるではないんですよね、残念ながら―――」
「姫の心に巣食うのはアセンデートの王子でしたね。」
「そんな虫のように言わないで下さい。」
「実際ラウンウッドを食らおうとした害虫です。まぁ駆除して下さったのは姫自身ですが。」
まだ完全に駆除しきれていないようですがと意味有り気に微笑むクレリオンに、シアは俯いて身を小さくする。
「まぁ冗談はさておき、オルグ殿が姿を見せないのは姫の大事に側にいて止められなかったという後ろめたさからでしょうな。」
クレリオンが側にいるせいで、オルグがシアに接近する妨害になっているのは黙っておいた。
「別にあれはオルグさんのせいでも何でもないのに。」
そんな事を気にかけてくれているのかとシアは顔を上げる。
「確かに。反省すべきは私だと言うのにね。」
「…クレリオン様がどうして?」
「あの日、何者かが姫の寝所に忍び込んだ。その相手がアセンデートの王子ではないかとちょっとした議論になりましてね。何しろ姫が孕んでいる可能性を否定できない証拠が出て来たものだから。」
証拠とはシアの首筋に付けられていた情事の後と思われる赤い所有印だ。
混乱の後でそれを確認したシア自身あれには驚いた。
「それを一掃するのに手っ取り早い手段として純潔の確認をと、私が陛下に進言したのだよ。」
クレリオンの告白にシアは驚きに目を見開き、だらしなく口をぽかんと開いた。
「まさかあれほどの騒ぎになるとは思わなかったのでね。軽率だったと反省しているのですよ。」
そう言いながらも微笑む姿はとても反省している様には見えない。
しかも…このタイミングでそんな事を告白するなんてまさに確信犯だ。
この事に関してはそれを命じたクロムハウル王だけを恨んでいた。それが今更、事の現況が自分だと告白されても…
「怒りようがないですね。」
あの日シアは、最後にクレリオンの手を取ったのだ。
最も害がないと思われた、大げさに言えば諸悪の根源とも言うべき相手の手を。
「姫に嫌われたと陛下には随分と責められましたよ。」
「それに同意して命令したのは陛下です。クレリオン様を責めるなんてお門違いだわ。」
「姫は私に寛大ですね。」
とんでもない告白をさらりとしたのも、シアの怒りが収まり拒絶されないと見越しての事。その余裕さを恨めしく思い見上げると、本来厳しい筈の瞳は細められ、灰色の視線がシアを射抜く。
シアはほんのりと頬を染め、恥ずかしさに視線を外した。
「今更怒ったって遅いでしょう?」
胸の高鳴りを隠すようにお茶に手を伸ばすと、クレリオンの大きな硬い手がシアの小さな手に触れた。
驚きびくりと跳ね上がるが、硬直してそれ以上動けない。
「それではお詫びに一つだけ―――」
クレリオンがシアに顔を寄せたので、シアは鼓動を打つ音と熱が伝わるのではないかという不安から思わず息を止めた。
息を止めた所で鼓動も熱ももとに戻る訳ではないのだが。
クレリオンは頬と頬が触れそうになる程側に顔を寄せる。
「姫はケミカルに恋をしますよ。」
「―――は?」
クレリオンの一言で、シアの高鳴る鼓動も湧き起こる熱も一気に冷めやる。
席を立ったクレリオンを見上げると、皺の刻まれたシア好みの紳士が背筋を正してある一点を見据えていた。
「この先は姫の婚約者候補に譲ると致しましょう。」
シアが釣られてクレリオンの見ていた方に視線を這わせると、少し離れた場所からこちらを伺うオルグの姿が見て取れる。
シアが目を離した隙にクレリオンはその場から遠ざかる。
後を追うようにしてシアが振り向いた時にはクレリオンは既に姿を消していた。
「まったく…あなたの思い通りになんてならないんだから。」
ため息交じりに苦笑いが漏れる。
今回はクレリオンに遊ばれた気がするが、それでも嫌な気持ちにならないのはどうしてだろう。
オルグやケミカル、他の人から聞くクレリオンの印象は決してよいものではなかったが、シアはクレリオンに対して悪い印象を持ていない。
もしかしたらこれがクレリオンの策なのかもしれなかったが、自分に不利な事まで告白された事でそう感じる事は出来なかった。
本当の王弟スロート公爵を知っているのははたして誰だろう―――感じるままが本当の彼ならいいと思いつつ向きを元に戻すと、久し振りに目にするオルグがシアに歩み寄って来ていた。
久し振りに見るオルグは前と変わらず優しい眼差しを向けてくれる。
その姿にほっとする自分に気付くと同時に、シアの脳裏にミーファの顔が浮かんだ。
「随分と複雑な顔をされておられますね。」
「クレリオン様に色々言われたばかりで複雑にもなります。」
シアが開いた椅子を進めると、オルグは礼をしてそこに腰かけた。
ちょうどオルグに会っていないという話をしていた所で本人が登場したため、たった今クレリオンに言われた奇妙な発言は忘れてしまう。
久し振りのオルグを前に少し緊張したが、変わらず微笑みかけてくれる様子にほっとしてお茶を勧めた。
するとオルグが改まったようにシアに向き直り頭を下げる。
「先日は私が至らないばかりにシア殿を傷つけてしまい、本当に申し訳ない。」
深く頭を下げられたシアは慌ててオルグの前に跪き、顔を覗き込んだ。
「止めて下さい。そもそもオルグさんに責任は全くありません!」
必死になって顔を上げさせようとするシアの瞳にオルグの青い瞳が重なる。
「クロードからシア殿を頼まれたのは私です。にもかかわらず不埒な輩の寝所への侵入を許してしまい、その後の対処にも失敗してしまいました。あの時の事を思うと後悔ばかりが私の胸に押し寄せてならないのです。」
何を言ってもいい訳にしかならない。
シアがゼロリオを迎え入れてしまったせいで、あの日以来オルグがずっと心を痛めていたのだと思うと、シアはあまりにも申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「あの…オルグさん。」
シアは頭を上げたオルグの前に腰を下ろした。
「あの日の事は許せません。でもあれはあなたのせいじゃない、わたしがゼロを招き入れてしまった結果起きた事です。オルグさんが頭を下げなきゃいけない理由なんて少しもないわ。」
純潔を疑われ屈辱を味わったのも、結局はゼロリオを招き入れた自分の責任。
クレリオンの言い出した事も、それをクロムハウルが実行に移した事も全ての起こりは自分なんだと言い聞かせるようにシアは言葉を紡いだ。
シアの言葉にオルグは切なそうに微笑んだ。
「やはりゼロリオ王子でしたか―――」
あの夜の侵入者が誰であったのか、それをシアが口にしたのは初めての事。
誰もが予想してはいたが、確実な答えをシアは決して彼らに与える事はなかった。
口を滑らせた事にしまったと思いはしたが、ゼロリオは既にアセンデートに帰っているし、今更オルグがこの事を問題に上げるとも思えない。
「ごめんなさい。」
それでも取り合えず、オルグには謝らなければと思うより早く謝罪の言葉が先に出ていた。
シアを好きだと、ミーファとの婚約を破棄してまで誠実に接してくれたオルグ。
そのオルグの告白を受けた後に、シアは深夜の寝室にゼロリオを迎え入れてしまったのだ。
ふしだらな女だと思われても仕方がないが、オルグの純粋な気持ちを裏切ってしまったような気がしてシアの心がきりりと痛んだ。
「何も謝る必要はない。シア殿に思う人があるのを知っていて、それでも私が勝手に貴方を好きになっただけですから。」
好きだと語るオルグの言葉にシアは後ろめたさでいっぱいになり俯いた。
好きという言葉―――そのたった一言がこれ程重いものだとは今まで一度も気付きはしなかった。
お互いの思いが重なるという事。
それは本当に奇跡の様な事なのかもしれないと、シアはそっと溜息を付いた。




