プロポーズ
「確かに現在クレリオン殿は一人身ではありますが、流石にそれは陛下がお許しになられないでしょう。」
シアがケミカルに発した『あなたの継母になります宣言』に真面目に答える声。
「オルグ!」
「オルグさん!」
何時の間にか側に立っていたオルグにシアとケミカルは慄いた。
オルグに対してはセフィーロ絡みで面倒をかけてしまい申し訳ない思いと、折角教育してくれたのに淑女らしからぬ行動を取ってしまった負い目がある。謝らなくてはならないと思っていたが突然現れたオルグにシアは心の準備が出来ていなかった為思わず後ずさってしまった。
「親父の件は冗談だよ、な?!」
頼むから冗談だと言ってくれとケミカルは自身の為にも確認する。
「勿論そうだけど―――」
そう言えばケミカルのお母さんは随分前に亡くなり、その後クレリオンは後妻を迎えてはいないと教えられた事を今更ながらに思い出した。
なまじ冗談ともつかない危険な発言をしていたのだとシアは反省する。
「それよりもう部屋に戻ってもいいかな?」
ケミカルの父親が意外にも素敵な人で目の保養になりはしたが、ケミカルと言い争ったりオルグとミーファ、ミーファとケミカルの関係を再認識して少々疲れた。
「別にかまわないんじゃないか?」
ケミカルは同意を求めるようにオルグに視線を送った。
国王主催の宴とは言えクロムハウル王は出席していないし、もともとこの宴は明朝アセンデートへ帰国するセフィーロの為に開かれた様なものだ。シアがいなくても特に問題視される様な事はない。
「それでは私がお送りいたしましょう。」
オルグが手を差し出したのでシアは迷いながらもおずおずと手を取る。
女性をエスコートするのは男性の役目とは言え、ミーファの思い人であるオルグの手を取るのは少々気が引けてしまった。
ミーファに見られていなければいいがと思いながら、シアはオルグに手を引かれその場を後にした。
部屋に戻ったシアは早速動きやすい部屋着に着替えた。
「とてもお似合いでしたのに―――」
残念だと目を細めるオルグに違和感を感じながらも、シアは纏わり付く視線に戸惑う。
なんだかいつもと違う―――シアはオルグが放つ雰囲気がいつもと異なる事を感じていた。
いつものオルグならシアが先日起こした事件をもっと早くに咎めていた筈だ。彼に限って怒るのを忘れていると言うなんて事は起こり得ないだろう。
着替えを済ませクロードの戻りを待っている間、シアとオルグはテーブルを挟んで向かい合い無言で座っていた。
その間もオルグはじっとシアを見つめ、シアは戸惑いやり場のない視線を闇をうつす窓に向けている。側に控えている筈の侍女はいらぬ気を聞かせて退出済みだ。
シアがいたたまれない気持ちでいるとオルグが立ち上がり、シアの傍らに膝を付いて手を取った。
「あのっ―――!」
青い瞳に見つめられどきりと心臓が跳ねる。
「シア殿は私の事をどの様にお思いですか?」
なんですかこの急展開は?!
シアは一気に頭が混乱する。
こういった類の質問は今の所受付たくはなかった。
「オルグさんあのっ、手を―――」
離して欲しいと引いてみるが思わぬ力に拘束されびくともしない。
オルグの真剣な眼差しがシアを捕え、流石のシアでもこの状況がどういったものか理解できた。
今は聞きたくない、聞いても答えられない言葉が紡がれるのを恐れシアは必死に他の話題を探そうとするが、オルグの青い瞳に捉えられ動転した状況では機転の効いた考えも浮かばない。
(クロードさん早く戻って来て―――!)
「シア殿。」
「はいっ…」
名を呼ばれ、空気が抜けるような声が漏れる。
「私は貴方が好きです。」
あまりにも予想した言葉通りで、シアは肩の力が抜けた。
言わないでよ、今そんな事―――
ラウンウッドの王位継承者として夫を選ぶ事に意欲を燃やせても、今はまだゼロと別れたばかりで好きとか嫌いとか言った感情は受け入れられない。
どの道時が来れば夫を選ばなければならないのだから、自分を好きだと言ってくれる相手に身をゆだねるのが相手の迷惑にもならないし、シアの事も大事にしてくれるだろう。幸いにもオルグは候補者の筆頭で宰相の息子。国の将来を預けるには文句のつけようがない。
でも―――
シアの脳裏にはたった一度だけ、ほんの僅かな時間垣間見ただけのミーファの姿が映し出されていた。
彼女はオルグが好きだという。家同士の取り決めの婚約とは言え、彼女はオルグを愛して妻になる日を心待ちにしていたに違いないのだ。その夢が突然現れた自分のせいで消え失せてしまうなんて―――たとえ好きだと言われても今はまだオルグを愛している訳ではないシアが、ミーファの幸せを簡単に奪い取っていい訳がない。
「あの…オルグさんには婚約者がいらっしゃいます。」
「そうですね。たとえ保留中とは言え私には婚約者がいました。シア殿の夫候補に上がり貴方に思いを寄せてしまった時点でどちら付かずではいけない―――そう思い本日エルフェウロ家との婚約は解消させて頂きました。」
この数日、突然セフィーロが里帰りして来たとは言えオルグはシアに会いに来る時間位は持てた。だがあえてそれをしなかったのは家同士の取り決めた婚約を解消させ、シアに対して誠実な想いで向き合いたいとオルグ自身の勝手な思があったからだ。
シアの浴室に蛇が投げ込まれ、浴槽でおぼれかけたと聞いた時にはすぐさま駆けつけたかったが、保留中とは言え婚約者を持つ自分が次にシアの前に立つのは、エルフェウロ家との婚約解消の話がまとまってからだと決めていた。
「―――婚約解消?」
シアは唖然とする。
「そんな―――そんな事わたしは望んでいません!」
「シア殿の為にではなく、私自身の為にそうしたのです。」
オルグは握り締めるシアの手に力を込めた。
「私は彼女に限らず、全ての女性に対して特別な感情を持った事が一度もありませんでした。それでも婚約を受け入れていたのは両家にとって利益になると考えていたからです。ですがシア殿に出会い、貴方を知るうちに人を愛すると言う事を知った。私の思いにシア殿が答えてくれなくても人を愛すると言う事を知ったからには、たとえ家同士の結びつきのためとはいえ愛のない婚姻をする気はありません。」
シアをみつめるオルグの瞳は真剣だった。
「私を貴方の夫として側にいる事をお許し願えませんか?」
人生初のプロポーズは、シアの胸を抉る苦い物だった。
真剣な思いをぶつけられ曖昧に答えられる訳がない。
シアは気持ちを落ち着かせようとぎゅっと瞳を閉じた。
「わたし―――まだゼロを忘れられない。」
やっとの思いで絞り出せた言葉はこれだけだった。
それでもこれがシアの胸にある真実なのだ。
本気でぶつかって来てくれたオルグにとっては望まない答えだろうが、それでも嘘偽りを述べる事は出来なかった。
そんなシアにオルグは分かっていると言いたげに優しく微笑む。
「それでも構いません。シア殿の心は貴方だけの物で私の想いを強制するつもりは毛頭ない。ですがゼロリオ殿下に対する思いが解けた時、次に貴方の心に入り込めるのが私であればと切実に望んでしまいます。」
オルグの瞳に真っ直ぐに見つめられ、シアは後ろめたさで視線を反らした。
こんな風に思ってもらえる程自分は出来た人間でも魅力がある娘でもない。好きになってもらっておいて申し訳ないが、何処から見てもオルグが合格点を出せるような女でない事は自分でもよく分かっていた。
それにオルグを前に緊張しているシアは、未だ彼に本当の自分自身を見せていない様に思っている。どちらかと言うともう一人の候補者であるケミカルの方には言いたい事を言いたいように言えるし、何かと気が許せる存在になっているのだ。ケミカルとはお互い困難な恋をする仲として、シアは同胞の様な気持を持っている。だがオルグに対しては、彼が将来ラウンウッドを背負って立つに相応しいかどうかでしか見極めようとしてはいなかった。
そんな自分がミーファを差し置いてオルグの愛情を受けようなんて―――おこがましいにも程があると言うものだ。
どう答えていいものかと困惑していた所へクロードが戻って来た。
シアは安堵の息を漏らし、そんなシアにオルグは苦笑いを浮かべる。
「まだ時間もある事ですから返事は急ぎません。ただシア殿に私の気持ちを知っておいて頂きたかったのです。」
オルグは名残惜しそうにシアの手を離して立ち上がり、退席の挨拶をしようとするがクロードが先に口を開く。
「騎士団長に呼ばれしばらく手が離せそうにありません。引き続き外に二名騎士を付けますが、オルグ殿にシア様をお願いしても宜しいでしょうか?」
クロードはシア付きの騎士と言う事になってはいたが、セフィーロ王女が城内に滞在している間は他の警備の責任者としても仕事を掛け持ちしている。明日セフィーロがアセンデートに立つにあたりクロードは同行しないにしても、国境までの警護の打ち合わせに呼ばれていたのだ。
「とんでもないっ。オルグさんの手を煩わせなくても後は寝るだけだしわたしなら大丈夫ですから!」
たった今愛の告白をされた相手に自分の警備をしてもらうなんて…そんな居心地の悪い事お願いできる筈がない。
だがオルグの方は二つ返事で快諾し、クロードは出来るだけ早く戻ると言い残して部屋を出て行ってしまった。
後に残されたシアは何処となくいたたまれない気持ちに陥ってしまう。
「どうぞ、私を気になさらずお休み下さって結構ですよ?」
居心地悪く視線を這わせていたシアにオルグは優しい微笑みを向ける。
「あ、いやでも…流石にそれはちょっと―――」
騎士として完璧に忠誠を誓っているクロードならともかく、教育係でもあるオルグがいるのに易々と眠りに付ける訳がない。それなら寝室に入らずこのまま居間で時間を潰した方がましの様な気がするのだ。
しかしオルグはシアの迷いなど気にも留めずに眠る事を勧める。
「宴の後でシア殿もお疲れでしょう。明日からはまた講義も再開する事ですし、私の事なら気になさらず―――」
「あ…いや…と言うか―――」
シアは口籠りながらもオルグを見上げた。
「オルグさんも一緒に、ですか?」
シアの一言にオルグは目を丸くする。
「―――は?」
言葉が理解できなかった。
「一緒にと言うのは?」
オルグに共寝をしようとかとんでもない事を言っているのかと己が耳を疑う。
「警備の強化が済むまではとの事で、クロードさんは寝室で夜通し警備をして下さっているんですけど…オルグさんもそうするのかと―――」
できれば避けたいのだがと、シアは上目使いに様子を伺った。
オルグは何ともつかない難しい表情をして―――瞼を閉じ額に手を当て俯いてしまう。
「あ…あのっ?!」
また何か変な事を言ってしまったのだろうか?
「わたしが三階から逃げ出したのがそもそもの原因で…もう逃げたりするつもりはありませんから警備は必要ないって思ったりもするのですが…クロードさんは用心深いみたいで。本当に大丈夫なんでオルグさんも自分の部屋に戻って下さって構わないんですよ?!」
あたふたと言い繕うシアを余所に、オルグは呆れたように深い溜息を落とした。
「シア殿―――」
名を呼び、再び溜息を付く。
「どうやらクロードの忠誠心は行き過ぎた所がある様です。たとえ護衛とは言え、深夜の寝室で男女が二人きりになるものではない。クロードには私が忠告しておきます。勿論、私はシア殿と共に寝室へは入らずこちらの居間でクロードが戻るまで過ごさせて頂きますのでご安心ください。」
呆れたように溜息を付いたわりに最後はシアの無知を仕方なさそうに諭すかに青い瞳を細め、オルグはシアを寝室へと促した。
護衛騎士でもないオルグに守られ、彼一人を残し先に休んでしまうと言うのは気がひけたが、寝室へと押し込まれる様に見送られてはそれ以上何も言えない。
ここは大人しく言われるままにしておこうとシアは寝間着に着換え寝台に潜りこんだ。
この何でもない日常の出来事一つが小さな波乱の始まりとも気が付かずに―――