素敵な贈り物
部屋に戻るとシアを出迎えた侍女達の中に見慣れない女の姿があり、クロードが真っ先に反応したがシアは別に何とも思わなかった。
「まぁ、素敵な薔薇。どなたかからの贈り物ですか?」
「…ええ、まぁ…」
もらった相手がゼロリオだと思うとなんだが切なくなるが―――
シアが困ったような顔をしていると、薔薇を受け取った侍女はにっこりと笑って頭を下げた。
「申し遅れました、わたくしマリナと申します。本日付けでシア様のお世話をさせていただく事になりましたのでよろしくお願いいたします。」
普段ならこちらから話しかけない限り必要最低限しか言葉を話さない侍女だったが、新しく配属された言うマリナはシアよりも十歳ほど年上に見え、まだ若いがベテランの域に入るのだろう。今までシアを世話して来た侍女達もマリナに対して遠慮がちに控えている。
マリナは受け取った一輪の薔薇を側にいた侍女に渡すと水に挿すように言い渡す。
言われた侍女は従うものの、突然現れた先輩侍女に好意的印象を持っていない様で、何でわたしがあなたの命令を聞かなきゃいけないのと言わんばかりに顔を顰めたが、シアを前に文句も言えずしぶしぶ薔薇を持って姿を消した。
彼女達にもずっとシアの面倒を見て来たというプライドがあるのだろう。だが彼女達の仕事も取り巻く環境もよく知らないシアが口出ししていいのもではない。
「ドレスが汚れているようですのでおめしかえに致しましょう。」
マリナはシアの手を取り腰に腕を回して衣裳部屋へと連れ去って行く。
その時マリナがクロードを見上げ意味有り気な一瞥を向けた事で、クロードは訝しげに眉を顰めた。
何処かで見かけた顔だが最近見知った訳ではない。
広大な城に勤める侍女の全てを把握している訳ではなかったが、確かに見覚えがある。だがマリナと言う名には聞き覚えがなく、新たな侍女が入るという報告も受けてはいない。
「あのマリナと言う侍女は今まで何処の配属だった?」
傍らに残された若い侍女に話しかけると侍女は嬉しそうに頬を染めた。
「もとの配属先は存じませんが、先程女官長様がおいでになられて今日よりシア様付になると説明をお受けいたしました。」
女官長と言うのは侍女を束ねる侍女頭よりもさらに上の立場にある、城で働く女達の元締めの様な存在である。一介の侍女が女官長を前に何故新たな侍女が急に配属させられるのかなど聞けはしなかったのだろう。先程薔薇を持って出て行った侍女が不機嫌だった事も頷ける。
女官長直々に侍女をここへ連れて来たという事は、マリナはどこぞの貴族の娘なのかもしれない。一応調べておく必要があるなとクロードが考えていると、着替えを済ませたシアが衣裳部屋から出て来た。
シアはその後昼食を済ませ、特にする事もなく部屋で静かに過ごしていた。
夫選びの事もありオルグに会って話をしてみたかったのだが、セフィーロの急な帰省により忙しく講義も休み。会いたい時に会えないと言うのは不便な物だったが、セフィーロがいる間は仕方がない。時折開かれる宴に興味はなかったが、夫選びに腰を据えて励まなければいけなくなってしまった今となっては、宴にも気合を入れて参加しなくてはならないとシアは意気込んでいた。
陽が西に傾きかけた頃、マリナに入浴を勧められる。
いつもならいる筈の侍女の姿がなく、今日の介助はマリナにやられるのかと思うと恥ずかしくなった。
もともと介助すら必要ないのに、それがここでのやり方だと言って無理矢理押し付けられていたのだ。それにも何とか慣れて来てはいたが、急に知り合った新しい侍女にそれをやられるとなると流石に恥ずかしくなる。
「お風呂は一人で入れるから大丈夫よ。」
ドレスを脱がされた所で駄目もとで言ってみると、マリナはにっこりとほほ笑み意外にも了解されてしまった。
「左様でございますか。それでしたら何かの折のはお声かけを―――」
そう言い残してマリナは出て行き浴室の扉を閉めた。
マリナの消えた扉を凝視し、シアは驚き瞬きを繰り返す。
「嘘っ、いいの?!」
こんなにあっさりと引き下がられるなんて意外だったが、久々の一人入浴にシアは浮足立つ。
これからもこの調子で色々お願いできるかもしれないと、久し振りにゆったり落ち付いて入れる湯船にシアは上機嫌になって身体を沈めた。
マリナと他の侍女達は何かと確執があるようで、今も部屋にはマリナ以外の侍女は誰一人として残っていなかったが、シアにとってはそれは気楽でよかった。
熱い湯船に口元まで身体を沈め、絞ったタオルを瞼に押し当てる。
泣き腫らした皮膚に熱い物がじんわりと伝わって気持ち良かった。
その時シアの頭に軽い何かが落下し、ぽたりと水音がたつ。
何かが頭上からシアの頭に落下して後そのまま湯船に落ちたようで、目の前には見慣れぬ黒く太い紐が浮かんでいた。
「何これ?」
不思議に思い摘み上げるとそれは想像よりも硬く、そして蠢いた。
「―――え?」
その黒い物体はぬるりとシアの腕を這い纏わり付いて来る。
それが黒くて太い蛇だと認識するのにしばしの時間が必要だった。
「ぎぃいぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!」
シアは絶叫を上げ蛇が絡みついた右腕を振りまわす。
「いや―――っ、いやいや嫌っ―――っ!!!!」
空を振り、浴面に叩きつけるも蛇は腕を離れる所かより確かにシアの腕に絡みついてくる。
「うわぁっ、いやっ、はなしてイヤ―――――――――――うぷっっ……」
絶叫し暴れ回っていると浴槽で足を滑らせシアの体が完全に湯にのまれた。
浴槽に沈み息をする事が困難になったシアは、慌てていた事もありお湯を飲んでしまい更に息苦しさに暴れ回る。
鼻と口内が湯に侵され酸素を求めるが、腕に蛇を絡み付け足を滑らせたシアは動転のあまり上も下も分からず狭い浴槽内で苦しさに暴れ回っていた。
訳が分からずくぐもった音だけがシアの耳に反響していた時、それ以外の聞き慣れた声が耳に届く。
「シア様っ?!」
クロードが腕を掴み助け上げると、シアは鼻と口からお湯を吐き出し激しく咳き込んだ。
「いったい―――」
何があったのかと言いかけ、掴んだシアの腕に巻き付く黒い蛇に気が付く。
クロードはそれを素早く剥ぎ取り床に投げ捨てると短剣で一突きに仕留める。
シアは浴槽の縁にしがみ付きたまま咳き込み続け、大きく息を吸い込んでいた。
(し…死ぬとこだった―――っ!)
肩で大きく息をしていると頭からすっぽりと布をかけられ、ここでシアはやっとクロードの存在を認識する。
(た…助けに来てくれたんだ…)
涙目で見上げたクロードはいつになく真剣で、ほっとしつつも怒り心頭と言った表情をしていた。
「ごめっ…」
自分に怒っているのだと思い、謝ろうとして再び咳き込むとクロードがシアの背中をさする。
「申し訳ありません、今は女手がありませんのでわたしが失礼致します。」
女手がない―――マリナがいた筈だがと頭の何処かで思いつつ、シアは腕に巻き付いていた蛇の存在を思い出し慌てて右手を振った。
「ひぇっ!」
「大丈夫です、わたしが処理いたしました。」
クロードはシアを布で包み浴槽の中から抱き上げると、そのまま寝室まで運んで呼び鈴を鳴らした。
パニック状態のシアはクロードにしがみ付いたま離れる事が出来ずがくがくと震えている。
そんなシアを片腕で抱えたクロードは、蛇が巻き付いていたシアの右腕に噛み傷がないかをしきりに気にしていた。
そこへ直ぐ様侍女が駆けつけたが、身体に布を巻きつけただけで裸同然のシアを腕に抱くクロードを目にして度肝を抜かれた。
「医師を―――急ぎ医師を呼んでくれ!」
びしょ濡れで蒼白のシアとクロードの緊迫した声に我に返った侍女は、踵を返し慌てて駆け出して行く。
クロードは震えるシアを抱えて腕に噛み傷がないのを確認するが、入浴中だったシアは丸裸だったのだ。身体に傷がないかが心配でならない所に、待ち望む医師ではなくケミカルが顔を覗かせた。
「何か今、血相変えた侍女が走り去って行ったけど―――」
何かあったのかと言いかけたケミカルは先程の侍女同様、目の前の惨状に絶句する。
「おっ…お前何やって―――っ!?」
昼間の出来事が気になりシアの様子を見に来た所で、血相を変えたシア付きの侍女と擦れ違った。声をかけたが余程慌てていたようでケミカルにも気付かずに走り去られてしまい、それが余計に気になってシアのもとを訪れてみれば裸同然のシアをクロードが抱きしめているのだ。これが驚かずにはいられまい。
驚くケミカルに対してクロードは冷静に、だが緊迫した声色でケミカルの名を呼んだ。
「ケミカル殿、シア様をお願い致します。」
「はぁっ?!」
うろたえるケミカルだったが、蒼白でびしょ濡れのシアを目の当たりにして何かがおかしいと感じる。
ゼロリオに失恋して自殺でもはかったか?!
これまでシアと接していてそれ程繊細な神経の持ち主には見えなかったが、時に女とは何をしでかすか分からない生き物だ。ケミカルが遠慮がちに寝台に歩み寄ると、クロードはシアを安心させるように耳打ちする。
「ケミカル殿もおられますので大丈夫です。」
クロードはシアを寝台に横たえるが、シアの手がクロードの衣服を握りしめたまま離れる事がない。
動けないクロードに代わってケミカルがシーツを手繰り寄せシアにかけてやると、クロードはシアの手を優しく剥ぎ取りケミカルの手に握らせた。
「何があったんだ?」
「浴室に蛇が入り込んでいたのです。」
「何でそんなもんが―――?」
クロードはケミカルの問いに答えず寝室を後にし、先程刺し殺した蛇を確認する為浴室に向かって行った。
シアはケミカルの手を握り絞めたまま、頭までシーツを被って震えていた。
びしょ濡れの髪がじんわりとシーツを濡らしている。
ケミカルはその髪に手を這わせ、頭を優しく撫でつけてやった。
するとシーツの隙間からシアが顔を出しケミカルを認めると驚き目を見張る。
「えっ、クロードさんは?!」
驚き身体を起こしたシアからシーツがずり落ち、途端にケミカルは慌てふためいた。
「わ―――――――っ、ストップストップっ!!」
女の裸など見慣れてはいたがさすがにこれはまずいだろう―――
急に身体を起こした事で露わになったシアの肌にずり落ちたシーツを慌てて巻きつける。
ケミカルの行動によってシアは自分が裸であった事を思い出したらしく、蒼白だった顔を真っ赤に変えた。
「やだっ!」
小さく悲鳴を上げシーツをたくし上げると再び寝台に突っ伏し丸くなる。
「なんでケミカルがここにいるのよ?!」
「何でって、成り行きだけど―――」
成り行きとは言え―――シアの軟肌を見てしまった事に後ろめたさを覚える。
丁度そこにクロードが戻って来たのでケミカルは矛先を変えた。
「どうだった?」
「毒蛇ではありませんでしたが牙は抜かれていませんでした。」
「お前どこか噛まれたか?」
恥ずかしさで顔を出せないシアはシーツの中で頭を振る。
「―――多分噛まれてない。」
腕に絡まった蛇を払い除けるのに夢中になっていた所で足を滑らせ、湯船で溺れそうになったのでよくは分からなかったが、特別痛い箇所もなく大丈夫そうだ。
するとそこへ先程医師を呼びにやらせた侍女が息急き切って舞い戻って来ると、クロードとケミカルを寝室から追い出しシアに服を着せ、その後で駆けつけた医師がシアの診断の為寝室へ入る。
シアからすれば蛇に噛みつかれた訳でもなさそうだし、大量に湯船の湯を飲んでしまったが毒でも何でもないただの湯なので何の問題もなかった。しかし医師は聞く耳持たずシアの身体をくまなく調べ尽くし、最終的に一晩は安静にするように言い渡して出て行く。
過保護に扱われているのだと言う事だけは理解できたが、シアは何故こんな事になったのかが一番知りたかった。
「シア様、そんな急に出歩かれては!」
「大丈夫、クロードさんに話を聞きたいだけだから。」
シアは心配する侍女の制止も聞かず、薄い寝間着姿のまま居間へと足を踏み入れた。
予想通りクロードはシアから離れず側にいた。
賊を心配して寝室に踏み込んでまで警護をする位だから、こんな事があった直後に何処かへ行ってしまうとは思ってはいなかった。
「マリナがいないけど彼女がやったの?分かっている事があるなら教えて。」
三階の、しかも浴室に蛇がいるなんておかしな現象だ。しかもシアの世話をしていたマリナの姿が見えない。どんなに馬鹿でもマリナがこの一件に関わっている事位直ぐに分かる。
先程まで蒼白になり震えて意識も飛んでいたシアが眉間に皺を寄せ怒りを湛えて仁王立ちになっている。クロードとケミカルの二人はその勢いに多少押されはしたが表には出さなかった。
寝間着姿で男の前に姿を出したシアに侍女が慌てて上着をかける。
シアが城に上がってから面倒を見ていたので注意しても無駄だと分かってあえて何も言わない。だが突然現れて姿を消したマリナと言う侍女に反感を持っていた彼女は、不躾な事だと分かっていたが思わず口を挟んでしまった。
「わたくし達がいつも通りに湯殿の用意を済ませましたら、マリナさんが後は自分一人でやるからと言ってわたくし達を追い出したのです。」
「その時不審な事は?」
ケミカルが腕を組みながら質問すると侍女は憤慨した様に顔を赤く染めた。
「何かあっては大事です、お湯も桶も籠も全ていつも通りに確認させて頂きました!」
シアとケミカル、そして例外的に言葉を発した侍女の視線がクロードに集中する。
「シア様の悲鳴が聞こえると同時にあの女は走り出したのです。」
あの時部屋にいたのはクロードとマリナだけだった。
突然現れた不審な侍女に意識を集中していた時に浴室からシアの悲鳴が聞こえ、その瞬間マリナは口角を上げ一瞬笑ったかと思うと素早くその場を後にしたのだ。
クロードが追いかけようとしたが他には誰もいない。シアは悲鳴を上げ続け、迷いはしたもののクロードは浴室へと飛び込んだ。
再び浴室からシアに助けを求められる事があるとは思ってもいなかったが、次にそうなった時は迷いなく助けに向かうと決めてはいた。それでも迷って助けに行くのが遅れてしまい、湯船に沈むシアを見た時には心臓が止まるかと思った。
「その逃げた女とやらはどうやってここに入り込めたんだ?」
「本日女官長様がいらして、今日からシア様付になる侍女だとおっしゃられたのです。」
「女官長が?」
ケミカルは腕を組み直し首を傾けた。
女官長が連れて来たという事は出所のしっかりした女に違いない筈だ。一瞬父親であるクレリオンの顔がケミカルの脳裏に浮かんだが、こんな姑息な手を使うのもおかしい。もし万一にも父がシアに手を下すとしたら、ケミカルに王位が望めないと確定してからだ。
「その女、マリナとか言ったよな?」
ケミカルの問いにクロードが頷く。
「何処かで見た記憶があるのですが思い出せません。」
「―――セフィーロ王女の侍女にそんな名前の女がいなかったか?」
ケミカルの言葉にクロードもはっとした。
セフィーロがアセンデートに嫁いだのは五年前、ちょうどその当時クロードは一六歳と言う若さで第一王子コークランドの護衛の任に付いた。アセンデートに輿入れするセフィーロ一行の中にあの侍女がいた事を思い出したのだ。
「ちっと待って―――」
シアはふらふらとよろめき、侍女に体を支えられ長椅子に腰を下ろす。
「じゃあ何?あの蛇は―――わたしが溺れかけたのは姉の差し金って事?」
何でそんな事―――?!
腕に纏わり付いた蛇の感覚が蘇る。
「確定できた訳じゃないけど確率は高いね。」
「―――許せません。」
呟き腰の剣に手が伸びたクロードを見てケミカルは慌てて前に出た。
「こんなの女の世界じゃよくある事じゃないか。ちょっと行き過ぎだが冗談みたいなもんだって!」
「一歩間違えば死んでいてもおかしくなかったのですよ、蛇は牙も抜かれておらずこれが冗談で済まされますか。ケミカル殿はセフィーロ様を庇い立てするのですか?!」
「庇うつもりはないけど怪我もなかった事だしここは穏便に―――」
確かにセフィーロのやった事だとするなら笑って許せるような事ではない。
現在のラウンウッドにおいて唯一の王位継承者であるシアの浴室に牙を付けた蛇を放つなど、反逆行為とみなされても文句は言えないのだ。
だからと言ってクロードが剣を抜いてセフィーロに迫ってもいいと言う話しでもない。
まったく…面倒な事に鉢合わせてしまったとケミカルは辟易する。
こんな時にこそオルグが手腕を発揮すべきではないのかと心で愚痴っていると、対峙するケミカルとクロードの間にシアが割り込んで来た。
「あの蛇は何処?」
「まだ浴室に―――」
大事な証拠だったし、他に人を呼んでいなかったのでまだそのまま浴室の床に転がっていた。
「そう、分かった。」
言うなりシアは浴室に入り、床に転がる蛇の死骸を凝視した。
先程までシアの腕に絡みついて離れなかった黒蛇は、頭の下辺りが首の皮一枚で繋がった状態で転がっていた。
たいして血は出ていなかったが確実に死んでいて、蛇特有の光沢も失われている。
蛇は嫌いだ、出来るなら見たくもない。
だがそれ以上にシアの怒りは爆発していた。
無造作に手を伸ばすと蛇の死骸を鷲掴み、そのまま浴室を出る。
「ひっ…!」
シアが蛇の死骸を片手に居間に戻ると、それを見た侍女が悲鳴を上げ仰け反った。
クロードとケミカルも流石に目が点だ。
シアは一同を見回した後、そのまま早足で部屋を後にした。
向かった先は当然セフィーロの滞在する場所。
シアは颯爽と肩で風を切った。
蛇の死骸片手に寝間着姿のまま颯爽と早足で進むシアに、すれ違う者達は何事かと道を開ける。
何故こんな―――陰険な考えが浮かぶのか?!
いくら無理矢理アセンデートに嫁がされたとはいえ、それはシアとは関係のない事だ。セフィーロの望み通りシアは彼女と同じで恋に傷付き、愛する人を諦めた。セフィーロとゼロリオの仕掛けた罠だったけど、彼女の気持ちが分かるからそれについてはセフィーロを責めるつもりは微塵もなかった。
それなのに―――これは自分の恋が破れたとかアデリやシアが憎いとか言った次元の話ではない。
シアは怒りのあまり周りが全く見えていなかった。
恐ろしさで悲鳴を上げ震えるほど嫌いな蛇…しかも首が今にも落ちそうな死骸片手にセフィーロの部屋を目指す。
ちょうどその頃、セフィーロは食後の紅茶を楽しんでいた。
傍らには先程舞い戻って来た、長い付き合いになるセフィーロに忠実な侍女の姿。
マリナから事の成り行きを報告され、満足そうに砂糖菓子を一つ摘んで口に運ぶ。
「わたくしを馬鹿にした罰よ、思い知るがいいわ。」
まるで天使の様な微笑みをマリナに向け、主の満足な様子にマリナも心が満たされる。
すると何の前触れもなく扉が開かれ、あられもない姿のシアが目の前に現れた。
濡れた黒髪は乱れまくって渦を巻き、薄い寝間着姿の娘の顔は凄まじいまでの怒りに燃えていて肩で大きく息をしている。
一瞬呆気にとられたものの、セフィーロは直ぐ様余裕の笑みでシアを迎えた。
「まぁまぁ、いくら繕っても育ちは隠せませんわね。」
ほほほ…と、楽しく談笑するように人差し指を口元に運んで笑うセフィーロに、シアは真っ直ぐ向かって歩み寄る。
セフィーロに手が届く位置に来た所で、シアは出で立ちに似あわず優雅に微笑んで見せた。
「お姉さま、先程は本当に素敵な贈り物をありがとうございました。」
微笑みながらセフィーロの小さな手を取り、シアは手にしたそれをしっかりと握らせた。
「ですが育ちの知れたわたくしには過ぎた品、折角ですけれどこれはお返しいたしますわね。」
最後に両手に力を込めて更に握りこませると、シアは微笑みを湛えたまま堂々とセフィーロの部屋を後にする。
呆気に取られてシアを見送ったセフィーロは掌に纏わり付く嫌な感触に視線を落とした。
「ひ―――――――――――――――――――――――――――――――っ!」
セフィーロは劈く悲鳴の後に椅子ごと後ろに倒れ、手には事切れた蛇の死骸を握ったまま意識を失っていた。