真実
黙っていてもらちが明かない。
シアは早速ゼロに会う為行動に移した。
先ずは人選。
そこで朝目覚めて側にいたクロードに、ゼロに会いたいので連れて行って欲しいと頼んでみた所「私の立場ではアセンデートの王子を訪ねる事は叶いません」と顔を歪めて断られた。
クロードの事だからゼロの居場所位熟知しているのだろうが、立場も含めシアに教える訳にはいかないのだろう。シアが闇雲に勝手に捜す事は許してくれるだろうが、その後を背が高くて容姿の目立つクロードが付いてくる事になるのだ。それを思うと無駄に歩き回りたくもない。それにクロードを狙うセフィーロの事もあるので、出来ればゼロが一人でいる時に接触したかった。
アセンデートに嫁いだセフィーロが帰って来たお陰で、しばらくの間オルグの抗議は休みになっている。そのオルグに聞いても即刻却下されるだろうから彼は駄目だ。
となると、シアの手短にいてお願いを聞いてくれそうな人物は一人しか残らない。
「ケミカル様ぁ~」
「うわっ、すっげー嫌な予感っ」
クロードに頼んで連れて来てもらった城内にあるケミカルの部屋で、シアは猫なで声で両手を合わせ擦り寄ってみた。
途端に逃げ腰になるケミカルの腕をすかさず逃がさない様に掴み取る。
「ゼロの居場所教えてくれない?」
「―――ゼロって?」
ケミカルの緑の瞳が宙を泳ぐ。
「何とぼけてるのよ。アセンデートのゼロリオ王子に会いに行きたいから居場所を教えてくれって言ってるの。知ってるんならけちけちしないでさっさと教えてよ。」
「けちけちって…それオルグが聞いたらまた一から仕込み直されるぞ。」
「そんなのどうでもいいの。あなたに聞いてるのはゼロがいる場所なんだからそれに答えてよ。」
責めるシアに逃げるケミカル。
クロードはと言えば、部屋の隅で成り行きを見守っているにすぎない。
ゼロリオの居場所を教えるのは容易いが、それが原因で揉め事に発展されては困りものだ。
ケミカルが困り果てていた所に扉をノックする音が聞こえた。
思わぬ所に助け船がと喜び勇んで確認もせず勢い良く扉をあけると同時に、前触れもなく一人の女性がケミカルに飛びついて来た。
「ケミカル様っ―――!」
両手で顔を覆い隠した女性はケミカルの胸に縋る様に埋まる。
「ミーファ?!」
ミーファ?
聞き覚えのある名にシアは首を傾げた。
「ケミカル様、わたくしどうしたらいいのか分からなくなってしまいましたわ―――」
「ちょ…ちょっと待てミーファ。」
何があったとすすり泣くミーファの肩を掴んで顔を覗き込む。
シアはその様子を見ながら「あっ!」っと声を上げ手をぽんと叩いた。
ミーファ、ミーファ=エルフェウロ。
ケミカルの思い人でオルグの婚約者(保留中)だ!
シアの発した声と手を叩く音に反応したミーファが顔を上げ、しがみ付いたケミカルから離れるとその後ろを覗き込んだ。
「まぁっ、シア様?!」
驚いたように声を上げ、ミーファは失態に頬を染める。
(なーんて可愛いの…)
自分とは大違いだとシアは作り笑いを浮かべてミーファに微笑んだ。
年の頃はシアと同じ位だと言うのに儚げで愛らしく、何処からどう見ても深窓のご令嬢と言える雰囲気を醸し出している。
ミーファは恥ずかしそうに滲んだ涙をぬぐいながらケミカルから距離を取った。
その仕草がまた可愛らしくてシアの心を擽る。
「ごめんなさい、わたくしお二人の邪魔をしてしまいましたわ。」
部屋を出て行こうとするミーファをシアは慌てて引き止める。
「ちょっと待ってミーファさん、わたしの用は直ぐに終わるからっ!」
邪魔をしてしまったのは自分の方だ―――せっかくケミカルといい感じ(?)だったのに。
逃がすまいとミーファの腕を掴んで何気に部屋の奥へと引き込みながらケミカルに視線を送るとさっと反らされた。
何故視線を反らす?
ケミカルの行動に疑問を抱きながらも、ここはしっかりと誤解を解いておかねばとシアはケミカルの為に言い訳する。
「ちょっと人を捜してて、ケミカル…様が教えてくれさえすればわたしは直ぐに退散します。」
だからなにも気にせずこのままゆっくりケミカルと何でもお話し下さい!
「だから―――俺に聞いても答えられないって。」
困ったように髪をかき上げるケミカルにシアは両手を腰に置いた。
「何でよケチっ!」
「ケチって―――」
初めて言われた言葉にケミカルは思わずのけぞる。
「知ってて教えないんだからケチって言われて当然よ。それとも何?教えるのに対価が必要だとでも言うんじゃないでしょうねっ?!」
「いや、そう言うんじゃなくてさ…昨日もオルグに言われただろ?」
「なによみんなしてっ…別にどうこうしようって訳じゃないんだから居場所位教えてくれたっていいじゃない。オルグさんに言われた事は理解するけど気持ちが付いてけないのよ。だからゼロリオ王子に会いに行かなきゃいけないのにどうして邪魔するの!」
先の事は分からないが今は答えを出したいだけだ。それにはまずゼロに逢わなければどうしようもない。
「あのう―――」
シアとケミカルのやり取りにおろおろしていたミーファが遠慮がちに言葉を挟んだ。
「ゼロリオ王子って…先日セフィーロ様とご一緒においでになられたアセンデートの第二王子ですわよね?」
ミーファの言葉にシアはこくりと頷く。
「でしたら先程薔薇園でお見かけ致しましたけれど―――」
「ミーファさん、あなたってなんて素敵な人なのっ!」
ケミカルには勿体ないわ!
ありがとうと言うなりシアは踵を返し、ケミカルが止めるのも聞かず脱兎の如く走り去った。
薔薇園と言う場所は知らなかったが、薔薇の咲き誇る庭の存在は知っている。
急がなければいなくなってしまうかもしれない―――!
シアは息が詰まる程の速度で走り、目指す薔薇の咲き誇った庭へと到着した。
そこでは背の高い一人の青年が庭師に話しかけながら薔薇を選びながら摘み取っていた。
シアが大きく肩で息をしながら後ろを振り返ると、シアを追って来たクロードは全く息の乱れもなく青年と庭師に視線を馳せている。
「お願い、一人で行かせて。」
整わぬ荒い息のままクロードにお願いすると、意外にもあっさり了解してもらえた。
シアはそのまま青年、アセンデートの王子ゼロリオを目指して足を勧める。
この時期咲いているのは白い小さな花を咲かせる品種の薔薇だけだった。
ゼロリオは庭師に頼んでそれを摘みつつ棘を抜いていたが、シアが近くまで寄って行くと気配に気付いて振り返り、ふんわりと優しい微笑みを浮かべた。
「訪ねてくれたの?」
嬉しいねと言いながらゼロリオはシアに歩み寄り頬にキスをし、シアは何時もの事と何を思うでもなくそれを受け入れた。
摘み取り棘を抜いたばかりの薔薇をシアに差し出し、シアはそれを硬い表情のまま受け取った。
「ありがとう―――」
久し振りの再会は訳が分からず終わってしまったが、今目の前にいるのは間違いなくシアの好きになった愛しい人だ。
「ちょっと見ない間に綺麗になったね。」
ゼロリオは青い目を細め、シアは恥ずかしそうに俯いた。
城に連れて来られてからは綺麗なドレスを着せられ髪を綺麗に梳かしてから結われるようになっていた。一日最低一度の入浴の後で肌には丁寧に香油を塗られ、水仕事で荒れていた手もすっかりよくなっていた。まぁ手の方は昨日の脱走事件で皮が擦り剝けてしまってはいたが―――貧しく暮らしていた少し前とは比べ物にならない程磨きあげられているのはシアも分かっていて、自分ではない様な感覚に躊躇してしまう。
「少し歩こう―――」
ゼロリオはシアの背を押して薔薇園の中を歩き出し、背を押す感覚が前と変わらない事にシアはほっとした。
「ゼロが――――王子様だったなんて思いもしなかった。」
口を閉ざし歩いていたが、先に沈黙を破ったのはシアの方だった。
何処かの貴族だとは思ってはいたが、それがまさかアセンデートの王子だとは想像もしなかった。
戸惑いを浮かべるシアを見下ろし、ゼロリオは少し悲しそうに微笑みを落とす。
「僕は君がラウンウッドの姫だと知っていたよ。」
意外な―――出来ればゼロリオの口からは聞きたくなかった言葉が告げられる。
「どうして―――」
知っていてどうして近付いたのか―――いや、違う。ゼロリオがシアをクロムハウル王の血を引く娘だと知っていたからこそ出会ったのだ。
シアの声が震えた。
「知っていたから近付いたのね。」
「そうだよ。君がラウンウッドの王位継承権を持っているから近付いたんだ。」
平然と言ってのけるゼロリオにシアは胸が詰まった。
何か…本当は何かほかに理由があるからではないのかと言う儚い希望に縋りたくなる。
「王位が欲しいから?」
「それは違うね。」
そんな物どうだっていいと馬鹿にするように鼻で笑う。
「暇だったってのが一番の理由かな。遊びにも飽きて退屈でたまらなかった時に義姉上から相談を受けたんだ。」
ゼロリオはアセンデートの第二王子であったが比較的自由な立場にあった。王位に興味があり兄と王位継承争いでもしてみるなら少しは楽しい人生になったかもしれなかったが、さして王位に興味もなく兄弟仲も良かった為にこれまで一度もそのような事態に発展する事はなかった。
そのため暇な時間を潰すのにゼロリオが興じる事となったのは、男女の駆け引きによる『遊び』だ。惚れさせるだけ惚れさせて興味が失せたら捨てる。思い通りにならない者は外堀から埋めて最後には向こうから自分に惚れるように仕向けるなど、けして褒められるような遊びではない。相手は若い娘から人妻まで、障害があればある程楽しめた。
そんな遊びにも飽きて来た頃、ゼロリオは王太子妃であるセフィーロからある頼みを持ちかけられる。
「義姉上にはこの国に思い人がいてアセンデートには嫁ぎたくなかったんだよ。それで前々から君の存在を知っていた義姉上は結婚前に王に向かって進言したそうだ。アセンデートには自分ではなく余所で産ませた娘を嫁がせればいいのにと。その時王は義姉上に、あの娘だけは自由に生きさせてやりたい―――無情にもそう言ったそうだよ。」
ゼロリオはこれまでの事を包み隠さずシアに聞かせた。
「義姉上は王妃と言う存在があるにも関わらず、余所に女を作り子を成したクロムハウル王の不貞を恨んでいたんだ。だけどその父王の言葉で王の愛情を一身に受ける者の存在を知り、母や自分が苦しむのはアデリや君のせいだと恨みの矛先を王から君達へと変えて行ったんだ。」
だからと言って異国に嫁ぐセフィーロがシアに直接何か制裁を加えるような事は出来なかった。母を苦しめ、王女としての責務も負う事なく自由に悠々と過ごしているだろうシアを心の中で恨むのが精一杯だった。
そんな日々を過ごす中、ラウンウッドから兄王子の訃報が届いた。最後まで残っていた第三王子のフェルドスまでもが流行り病に感染し危険だと言う知らせが届いた時、セフィーロはゼロリオのもとを訪ねた。
弟のフェルドスが命を失えば王位継承権が憎い女の娘に渡ってしまう。クロムハウル王の愛情を受けたアデリの存在は王妃を悲しませ続けた。そんな女の娘に継承権を渡してしまうのは癪だと、王や重臣たちの思い通りになど事を運ばせてやりたくなかったし、側にもいないのに王の愛情を受けるシアにも自分が受けた苦しみを味あわせてやりたいと―――扱いは丁寧だが女を何かの道具の様にしか扱わないゼロリオにシアを落として欲しいとセフィーロは頼んだのだ。
ゼロリオにとっては面白いゲームだった。
捨ておかれたとはいえ一国の王女、しかもフェルドス王子が亡くなればラウンウッドの王位継承権第一位に属する娘。
娘をゼロリオの手の中で転がしラウンウッドの王宮に一波乱立てるのも面白いかもしれない。しかも訪ねた娘は鄙びてはいたが、ゼロリオ好みの磨けば光るであろう美しい娘だったため俄然やる気が起きた。
「これは義姉上の完全な逆恨みだよ。でも僕はその話に乗った。」
決してアデリやシアに非があった訳ではない。
全てはクロムハウル王が侍女に手を出し孕ませてしまったのが事の始まりで、男のゼロリオからすれば王の愛を繋ぎ止めきれなかった王妃にも非があると思える。王妃が自分を裏切った王やアデリを恨み、その恨みを娘のセフィーロまでにも刷り込ませた。王女であるが故に好いた男と添い遂げる事が許されない不遇に、同じ王の娘として生まれたシアだけは自由に幸せにしてやりたいと願うクロムハウル王のセフィーロを無視した発言。
その全てによってセフィーロはシアを恨み、ゼロリオはシアと出会う事になった。
「どうしてそんな話わたしに聞かせるの?」
話に乗ったのならそのままシアに嘘を付き通せばよかったのだ。
馬鹿な自分はものの見事にゼロリオに恋した。ゼロリオがシアにセフィーロとの企みを暴露しなければシアはもっともっとゼロリオに恋して、彼らの望み通りラウンウッドの王位問題は揉めに揉めただろう。シアがゼロリオと結婚したいと言い出せば更に波乱は持ち上がり、クロムハウル王もシアを王宮に連れ帰った事を責められるかもしれない。シアだってゼロリオに捨てられてセフィーロの望み通り悲嘆にくれただろ。
シアが顔を上げた瞬間、ゼロリオはシアに腕を伸ばし自身の胸に掻き抱いた。
ゼロリオに渡された薔薇がシアの手をすり抜け落下する。
「君が好きなんだ―――」
胸に抱き黒髪に顔を埋めゼロリオは苦しそうに呟く。
「―――なっ、何言って―――?!」
たった今遊びだったと、セフィーロに頼まれて暇だったからと言ったばかりではないか。
シアはゼロリオの胸を押し腕の中から逃れようとするが、強く抱きしめられもがく事すら出来ない。
「最初は遊びだった。君の心を手に入れ抱いた後で僕は姿を消すつもりだったんだ。君を傷つけて終わる筈だったのに―――どういう訳かこの僕が君に手を出す事が出来なかった。」
アデリと二人で貧しい暮らしをしていた筈なのに擦れた所がなく、純粋でいて注意深い。初めはシアの警戒心を解す為に極めて注意深く紳士的に振る舞っていた。シアの心が自分に向いて来たと分かった時点で先に進む予定が、シアの漆黒の瞳を見ていると胸が痛んで裏切る事が出来なかった。嘘を付きシアを傷つける事が戸惑われたのだ。
「僕は初め、君に対して感じる気持ちが何なのか分からなかったんだ。それが恋だと、シアが好きなんだと分かった時、このまま君の側にいてはいけないと思った。」
確かにシアは綺麗だったが、ゼロリオの周りにもこの程度の容姿なら掃いて捨てる程いる。そんなシアに自分が恋するなどある筈がないと、そもそもどうしてシアが好きなのかが全く分からなかった。それなのに触れると、手を繋ぐと嬉しかった。初めて唇を重ねた時は初心な少年の様な気持になった。それがどうしてなのか分からないまま時間が過ぎ、恋なのだと気付いた時は自分を恥じてシアから離れようと思った。
これ以上側にいても傷つけるだけだ。
傷つけるつもりで一緒にいたのにそれを恐れた。
毎日通い続けたシアのもとから足を離したが、すると今度は胸が詰まり逢いたくてたまらなく苦しくなった。
遊びのつもりで近付いた。傷つけるつもりでシアの心を手に入れた。それが反対に心を奪われてしまっていた事にゼロリオは苦悩する。
このままシアの側にいて繕って許しをこいても、アセンデートの王子である自分とラウンウッドの王位継承権を持つシアでは結ばれない運命にあるのだ。
「離れなくてはならないと分かっていたのに駄目だった。久し振りに君を訪ねたらアデリが亡くなっていて―――君が辛い時に側にいてあげられなかった事をどれ程悔いたか知れない。」
夕日の中、母の墓前に佇んでいたシアを見た時、ゼロリオはアセンデートの王子だからとかラウンウッドの王位とか言った蟠り全てがどうでもいい事のように思えた。このままシアを攫い、素性を消し去って共に生きていけないものかと考えていた。
だがその翌朝ラウンウッドの使者がシアを迎えに行った事で、ゼロリオの考えは無駄に終わった。
シアがラウンウッドの正当な後継者として迎えられた事で、アセンデートの王子であるゼロリオはシアを手に入れる事が極めて困難になったのだ。
「僕は君に思いを伝えたくてここに来たんだ。」
シアが夫として迎える者がラウンウッドの次代の国王になる。
その現実がある以上、異国の王子であるゼロリオが夫に選ばれる事はない。それは戦わずしてラウンウッドをアセンデートに明け渡すに等しい事なのだ。シアがどんなに願っても周りが拒絶し、相応しい位にある物が夫としてあてがわれるだけ。
「初めは君を騙していた。だけど今は心から―――僕は心からシアを愛している。」
それを伝えたくてここにいるんだ―――
耳元で呟くゼロリオの腕にさらに力が込められる。
痛む程強く抱きしめられ息が詰まったが、シアは何も言わず自分の腕をゼロリオの背に回した。
「ゼロ…わたしもあなたを愛してた。」
ずっと好きだった。
ゼロリオが見せた優しさも笑顔も何もかもが嘘だったとしても、シアはその嘘に騙されゼロリオを好きになった。身分の違いが怖くて口に出せずにいたけど、ずっと側にいたいと思っていた。迷いなくその腕に飛び込みたいと願っていた。
それが全て―――今となっては夢の様な出来事である。
「夢を―――見ていた時が一番幸せだった。」
ゼロリオを愛しているから、彼も自分を愛してくれるからと言ったらどうなるだろう。
クロムハウルは愛する人を手元におけなかった。王妃は王の不貞に泣き、王女は母の悲しみに感化されながら愛しい人との逢瀬をあきらめ異国へ嫁いだ。
望んでなどいない、勝手に連れて来られ押し付けられたとはいえ、沢山の人が巻き込まれている王位継承問題。
それをシア一人の我儘で掻き乱したり放棄したりしてはいけないと―――王女として暮らして二ヵ月にも満たなかったがそれなりに負わなければならない事があるのだと自覚し始めていた。
「攫えるうちに攫っておくべきだったね。」
ゼロリオはシアの髪に愛おしそうに口付ける。
「王子様に攫われるなんておとぎ話みたいで素敵。」
シアはゼロリオの胸に頬を摺り寄せ鼻をすすった。
泣きそうだったけど泣くまいと眉間に力を入れ息を止める。
ゼロリオの言った事は本当の事だろう。セフィーロの話に乗り暇つぶしに訪れた先で二人は出会った。
ゼロリオの言葉を信じるなら出会い方はどうでも構わない。嘘偽りで弄ばれた事実はシアの何処にも存在していないのだから―――
ゼロリオはシアを抱く腕を弛め、片方の手でシアの頭を優しく撫でる。
その手がシアの顎に伸び上を向かせると、ゼロリオは己の唇をシアに重ねた。
優しいキスに始まり、やがて互いが求め合いながら深い物へと変化して行く。
息が詰まる様なキスを夢中で繰り返すうちにシアの瞳から涙が溢れて来た。
誰かを恨めたら今すぐにでもここから逃げ出してゼロリオについて行けたのに―――
母と自分を捨てた王は大嫌いだった。セフィーロ王女の事もいけ好かなかったのに、今となっては恨む事も出来ない。
ここに来た時から面倒を見てくれているオルグも、オルグの婚約者に恋するケミカルもいる。ケミカルに至っては王位に就く事すら嫌がっていると言うのに、ここでシアが逃げ出してしまっては彼一人に全てを押し付ける事になる。突然現れたシアに迷いなく忠誠を誓ってくれたクロードすらも裏切る事になるのではないのだろうか。
母を失ってたった一人になったと思っていたのに、深く関わっていない様でいて気にかける存在になってしまっている人達ばかりだった。
唇が離れても互いの吐息が混ざり合う程に近い距離で見つめ合う。
シアの瞳から溢れる涙にゼロリオが切なく目を細め、再び口付けた。
シアの何処にこんな魅力があるのだろう。
「これ以上続けると君を手放せなくなりそうだ―――」
決意が揺らぐ。
シアが望んでくれるなら今すぐにでも連れ去ってしまいたい程に愛おしい。だがそれは、シアの性格からすれば無理な相談だと言う事をゼロリオは分かっていた。
彼女は優しい。
己の欲を持っていながら最後にそれを優先させる事が出来ない損な性格をしている。
「あなたにわたしの手は届いてる?」
手の届かない存在だった人。
望めば何とかなるのだろうが、シアの我儘で国を揺るがせる勇気はなかった。
「たとえ君が他の誰かを愛しても、僕は君を想い続けるよ。」
「ゼロ―――」
シアはゼロリオの首に手を回し抱きついた。
「わたしを見付けてくれてありがとう。」
理由など関係ない。恋した事、出会った事が全て嬉しかった。
「―――シア」
ゼロリオはシアを腕に包み込む。
シアだけだ。これからもシアのようにゼロリオの心に入り込める存在は現れないだろう。シアだけが、ゼロリオの冷めた心に入り込めた。
初めて心から望んだ存在はこの手に留められない。
あきらめると言う事がこれ程辛いのだと、ゼロリオはこの年になって初めて実感していた。