総務課抜き打ち編⑦ 路地裏にて
——誰だ?
巽を見下ろす影は、心底迷惑そうな顔をしている。
「あーあ。ここ、狭くて暗くて気に入ってたんだけどな。」
巽が辺りを見回すと、目に入ったのは漆喰壁の建物だった。妖異に路地裏まで吹き飛ばされたらしいことを知っても、積まれた荷物の上に着地したまま、起き上がることはできなかった。
「……。」
「君、結構頑固だね。」
巽を見下ろす男は目の下に下半月を作っている。
巽は瞬きの回数を増やす。相手が何を求めているか分からず男の周りを注視しても、答えはわからなかった。
「はぁ。まあいいよ。で、君、戻らないの?」
「戻る……?」
絶えず瓦礫が崩れる音や、金属がぶつかるような鈍い音が聞こえていても、巽は自分の無能さに打ちひしがれていた。
——俺が戻ったところで。
戦況は変わらない。いてもいなくてもいい。戌亥がいたから今まで戦ってこられた。そう信じて疑わない巽は、目の前の男が何を言おうと、冷月たちのいる戦地に戻ろうとは思えなかった。
「結構薄情なんだね。仲間じゃないの?」
「仲間、ではない。」
「ふーん。」
聞いた割には男は対して興味もなさそうな返答をした。
「じゃあ死ぬ?」
「え。」
「自分が無能だと嘆いて、なんの役にも立たないなら、ここにいる意味もないよね。」
巽は何も答えられなかった。確かに、自分なんていらないと思うことはあっても、死ぬという選択肢はなかった。仮に戌亥や兄にそう言われたのなら考えるが、素性も知らない男にそう言われても、二つ返事で死ねるような人間ではなかった。
おまけに、ここは彼岸。巽はすでに死んでいる。この男だってきっとそうに違いない。
その上で、何を提案しているのか、ここでの死は何を意味するのか、巽はよく分からなかった。
「あー、そういう。」
男がふと前髪で隠れた左目を手で覆うと、男の目が赤色に光るのが見えた。
「お前……。」
「鈍色の魂か。そこに青の差し色が入るような。」
意味ありげな言葉を呟いた男は、背負っていた大鎌をゆっくりと掲げ、やがて刃先を巽の首元に近づけた。
氷のように冷たい刃が首に触れると、巽の喉がきゅっと鳴った。緊張で強張った体に心臓の鼓動がうるさく響いた。
「大丈夫、死ぬときは一瞬だから。」
「死……?」
目の前の男が真紅の目を輝かせる。その爛々とした瞳に睨まれた巽は身動きが取れなかった。
男は狙いを定めるように再び大鎌を掲げると、まっすぐ振り下ろした。
——逃げないと。
役立たず、何もできない、欠陥能力。今ここで自分にできることなど何もないのに、性能本能が働いて、巽は転げ落ちるながら攻撃をかわした。
「はぁ、はぁ、はぁ。」
巽は両膝をついたまま額にかいた汗をスーツの裾で拭う。振り返ると刃の半分が乱雑に置かれた荷物に突き刺さっていた。
首筋にくすぐったい感覚がして思わず触ると、指先に血が付着した。
「やっぱり死にたくないんだね。能力がどうこうとか、ただの言い訳か。」
自分の指先から声のする方に視線を移すと、男は含んだ笑みを浮かべていた。
「お前はなんなんだ。俺の何を知っている?」
「何も知らないよ。ただ、君の魂の色を見る限り、諦めきれていないんだろう? くすんだ色してるのに、憧れとか期待みたいな色含んでるし。誰かに認められたいの?」
巽は男が怖くなった。魂の色がどうとか、憧れがどうとか、まるで心をのぞかれているみたいで気味が悪かった。
「その憧れの対象は、今の君をみたらどう思うんだろうね。」
巽の脳裏に浮かんだのは戌亥や兄のことだった。
もしかしたら失望されてしまうかもしれない。悲しい顔をして自分からそっと離れていくかもしれない。そんなことをされては、立ち直れそうにない。
巽は息苦しさを感じた。それは嫌だ、そんな顔させたくない。
でも自分にはおおよそ才能と呼べるものも、センスもない。巽にあるのは敵を鎖で縛るだけの能力。絡まれば敵の能力を無効化できるが、発動に時間もかかる上に、体力も使う。一日一度が限度の欠陥能力。
いっそのこと失望し切った戌亥に「死ね。」と命令されれば喜んで受け入れるのに、彼女はきっとそんなこと言わない。言ってくれない。
「でも、俺には、」
巽は両腕で頭を抱えた。どうすればいいか分からず目を閉じた。
「別に決して褒めたいわけじゃないけど、アレなんかそもそも特殊能力持ってないからね。」
「アレ?」
巽が聞き返すと、男は戦地を顎でしゃくった。
よろよろと巽は立ち上がると、妖異のいる方を振り返った。
目に飛び込んできたのは、額から血を流す冷月の姿だった。誰がどうみても重傷なのに、刀を握り果敢に妖異に攻め入っている。
「行って来なよ。ここで道草食ってたって、彼を越すことはできないよ。」
「……。」
戌亥がやけに冷月を推す理由もそこにあるのかもしれない。
ここで行動しなければ、絶対に彼女に認められることはない。
下唇を噛んで、拳を握る。巽は顔を乱暴に拭うと、覚悟を決めたように顔つきが険しくなった。
「礼はいらないから、早く行って来なよ。それとも、やっぱり僕に魂刈り取られたいの?」
男はため息を吐いて大釜を肩に担ぎ直した。
巽は男の言葉通り無言で立ち去ろうとして、最後にもう一度振り返った。
「……お前、誰なんだ?」
「ただの通りすがりの悪魔。」
「悪魔って——。」
巽が瞬きした一瞬の間に、悪魔と答えた男は消え去っていた。
皆様大変ご無沙汰しております。久々の更新でした。
インターンや卒業制作、カクヨムコンなど、年末から今まで大変忙しくしており、なかなか執筆できずに3ヶ月経ってしまいました。
自分のペースで不定期更新になりますが、今後ともアンビバレント・ヘブンをよろしくお願いします。
落水彩でした。




