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アンビバレント・ヘブン  作者: 落水彩
総務課抜き打ち編
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総務課抜き打ち編⑥ 欠陥能力

「お、結構あっさり……?」


 ドタドタと砂埃を上げながら冷月たちが巽の元へ駆け寄った。


「まあ。」


 巽の手柄だというのに、顔の表情は微塵も変えなかった。ただ当たり前に仕事をこなしただけ。それ以上でもそれ以下でもなかった。

 巽の鎖で絡めた狐の妖異は観念したようにおとなしかった。巽の隣で冷月は「えっと、じゃあ。」と携帯電話を取り出すと、ボタンを押して操作した。

 巽が冷月の後ろにいる桃子に目をやると、どうも落ち着かないと言った様子でもじもじしていた。

 この空気感を気まずいと呼ぶことは知っていた。

 ただ、気まずくても死ぬことはない。この空気を紛らわせるようなことを、わざわざするほどでもなかった。

 ただ、妖異を倒したというのに、冷月と桃子の会話もなかった。同じ部署で働いているなら、もう少し距離も近いだろうに。

 そこまで考えて、巽は自分と戌亥の関係を振り返った。

 

「……そうでもないか。」


 一つため息を吐くと、ふと、冷月と戌亥の関係を思い返した。二人が口を開くと、常に喧嘩しているが、そこには、巽に向けられない明確な感情があった。

 別に戌亥が巽自身に無関心だとは思わない。けれども、同じ師弟のような関係で、接し方が違うのがどこか引っかかった。


「認められたい。」


 きっとこの状況を見ても、戌亥は褒めてはくれないだろう。当たり前のことをしたまで。そう言って身動きの取れない妖異を修祓するのだろう。

 それに、巽は自分の未熟さをよく知っていた。この鎖も万能ではないし、敵の動きを封じても、肝心のトドメは誰かに刺してもらわなければならない。

 それから、この鎖を取り出すにも、かなりの体力を要する。一日一度が限度の限定的な能力ゆえに、使う場所は選ばなければならない。

 そして一番の欠点は、


「俺は、なんのために……。」


 使用する本人の精神性に強度が大きく作用されること。

 虎視眈々と隙を狙っていたのか、大人しかった妖異が鎖を払いのけるように暴れ出す。そのまま巽に体当たりすると、白銀の鎖はボロボロと灰のように崩れた。

 

「あ。」


 尻餅をついた巽は、妖異が暴れる光景をただじっと見つめることしかできなかった。


「失敗した……?」


 徐々に現実を受け入れるように心拍数が上昇する。戌亥になんと言えばいいのか、そんなことを考えて目を回した。


「大丈夫か巽!」


 声をかけた冷月がすかさず刀を構え、妖異に立ち向かった。次いで桃子も金棒を振り回し、「あんた、あの鎖もう一回出しなさいよ。」と巽に投げかけた。


「無理だ。」


 二人の攻撃は胴体に届くことなく、尻尾で振り払われてしまう。

 なすすべもない巽は、自分の無力さを呪った。


 ——ずっとそうだった。


 * * *


 広くも狭くもない六畳一間のリビングに男の怒声が響く。

 拳を振り上げる男性と、泣き崩れる女を、一人の少年がただ眺めていた。

 眺めるというよりは、怖くて立ちすくんでいただけで、目の前の状況を、脳が一生懸命拒絶しようとしていた。

 男がふと、少年を睨み、また声を荒げた。


「何見てるんだよ。殺すぞ。」


 理不尽この上なかった。

 身の危険を感じた少年は、目を離さないまま後ずさると、机の上に置いてある酒瓶が目の端に映った。七分目まで琥珀色の液体が入った瓶を持ち上げると、男に投げつけた。

 細い腕では足元に投げるのが精一杯で、酒瓶は男の小指に着地した。


「いってぇなぁ!?」


 ——あ、死ぬ。


 本能がそう告げる。目の前の男は足を引き摺らせながら、ゆっくりと少年に向かってきた。

 振り上げられた拳から目を逸らすと、次に来る痛みに備えた。

 だが、その痛みは来なかった。

 目を開けると、男は呻き声を上げながら地面に倒れていた。

 その男の後ろで、酒瓶を持った青年が息を荒げながら佇んでいる。


「にいちゃん……?」


 にいちゃんと呼ばれた青年は無言で男の上にまたがると、酒瓶で何度も何度も頭を殴りつけた。

 最初は呻いていた男も、次第に動かなくなっていった。


「もう、大丈夫だから。俺の言う通りにすれば、なんとかなるから。」


 青年は、血のついた指先を震わせながら、少年に手を伸ばした。


 * * *


 ——結局、一人動いてみても何もできなかった。むしろ、自分が余計なことをしたせいで、兄貴は。


「巽! 避けろ!」


 冷月の声で我に戻ると、巽の眼前に妖異の尻尾が迫っていた。黄金色に輝く毛並みからは、わずかにメラメラと炎が出ている。


「——!」


 巽が後ずさろうにも、一歩間に合わず、消しゴムを弾くように、軽々と後方に吹っ飛んだ。

 受け身を取り損ね、全身を壁に強打する。体勢を立て直そうにも、咳き込むばかりで、上手く呼吸できなかった。

 さらには、先ほどの衝撃で口を切ったのか、口内は鉄の味がしていて不快だった。


「こういうとき、戌亥なら、兄貴ならどうするんだろうな……。」


 自分の指標たる存在の名前を挙げてみても、本人がいないのでは無論返事は返ってこない。

 戌亥は今まで培ってきた技術で難なく倒すのだろう。逆に巽の兄なら自分を犠牲にしてしまうのだろう。


「俺には、何もない。」


 技術も、勇気も、何もない。唯一授かった能力も、一日一度が限度の欠陥能力。

 戌亥が巽より冷月に目をかけているのも納得がいった。


 ——こんなんじゃ、誰にも認めてもらえないな。


 再び戦地に赴く気にもなれず、巽は背けるように目を閉じた。


「あのさ、いきなり吹っ飛んできて、ぶつぶつ独り言呟いてると思ったら寝るの? 僕に謝りもしないで?」


 人の声にハッとして目を開けると、仁王立ちしながら見下ろす真っ赤な目と、瞳と同じ色をしたツノを備えた男が、巽を見下ろしていた。

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