総務課抜き打ち編⑤ 三人で
* * *
事務所に帰るまでは、桃子が冷月に対して不機嫌な態度を取ってしまったことに対して、少なからず後悔していた。桃子は一人で冷月の帰りを待とうと、事務所の扉を開けると、
「おかえり。」
光のない目で、いまだにパソコンと向き合う巽が座っていた。
桃子は一人になりたかったが、長時間帰りを待っていた巽に帰れと言うわけにもいかず、応接間のソファに腰掛けた。
気まずさを紛らわすために、作業中の巽に声をかけてみると、パソコンの使い方もろくにわからず、ショートカットと呼ばれる短縮作業もできないといった有様だった。
「あんたそんなんでよく総務が務まるわね……。」
「ん?」
どうしてこう巽は他人事なのだろうか。桃子にとってパソコン内の個人情報が消えようが、総務課の仕事の出来不出来などどうでも良いはずなのに、ここまで無頓着だと沸々と怒りが湧いてきた。
それさえも通り越して、今はただただ呆れた溜め息を吐くだけだったが。
桃子には電子機器の扱いはわからない。獄卒時代も使う必要がなかったため、触る機会がなかった。
「あんた現代っ子じゃないの? こっちに来たのも最近でしょ。」
しかしあまりにも効率が悪いため、口を挟まずにはいられなかった。
「現世でもあまり触ることがなかったから。」
「それでも調べたりとかはできるでしょ。これってそういう機械なんでしょ?」
「うーん。」
巽は顎に手を当てていかにも考えていそうなポーズをとっている。
「……わかるか?」
「私に聞かないでよ、わかるわけないでしょ?」
「そうか。」
「……。」
桃子は巽が雨に濡れた子犬のように感じた。黒髪の上に生える見えない耳が、しゅんと垂れたような気がした。
少し突き放しすぎただろうか。そこまで強く言ったつもりはなかったが、巽のテンションが明らかに下がっている。
「仕方ないわね。ちょっと見せてみなさいよ。」
瞼が目の半分を隠すくらい正気のない瞳からは、一種の寂しさを感じて、桃子は放って置けず、巽の隣に座り直した。
人間嫌いを自称していながら、人に関わろうとしている自身の矛盾には気づいている。素直になれればもっと楽だということも。
——もっとあいつとちゃんと話せば良かったかしら。
桃子は冷月に対し、変に意地を張って帰ってきたことに少しだけ後悔した。
「何かあったのか?」
「別に。」
巽に心配されるとは思っていなかった桃子は、咄嗟に否定してしまったが、また素直になれなかったことで複雑な気持ちになった。
そうこうして、桃子が巽の機械音痴っぷりに翻弄されているうちに、一番会いたくて、会いたくない人物が帰ってきた。
「あ。」
気まずそうに立ち尽くす冷月の右手は、いまだにドアノブにかかっていた。
桃子と目のあった冷月が何か言いかけた途端、彼の携帯からけたたましい呼び出し音が鳴った。
冷月は慌てて傷のついた白い携帯電話のボタンを押した。
「あ、はい、もしもし彼岸省更生課……は、いま? 事務所着いたところ。おん、いるけど。いやまだだけど。うん、え、ちょっ、待てよ急すぎるって、あ、おい、」
「急用?」
「ああ、なんか、この近くに妖異が出たから向かって欲しいんだとよ。」
「そう。」
「おう。」
「……。」
「……。」
「……向かわなくていいのか?」
沈黙を破ったのはずっとパソコンに目を落としていた巽だった。
「え、あ、うん。行くけど。」
我に帰った桃子は身支度を整えてドアの前にいる冷月の元へ歩みを進めた。
「あのー、巽さんもらしい。」
「え、俺も?」
冷月はコクコクと二回頷いた。
仏頂面の巽が珍しく眉をひそめた。
「……別に俺がいなくてもなんとかなるだろう。」
「いやまあそうかもしれんが、今回は戌亥からの指令でな。」
「戌亥……。」
敬愛する上司の名前を耳にした巽は、眉間に皺を寄せたまま、渋々パソコンを畳んで立ち上がった。
* * *
総務課の仕事はデスクワークが中心だが、近くに妖異が出たとなれば、対処することもある。何百年も彼岸で役人として妖異を祓ってきた熟練の戌亥とは違い、巽は未熟も未熟。武器一つさえ手に取ったことがなかった。
戌亥のサポートもあって、ようやく戦えるようになった巽にとって、妖異の修祓は気が重くなる仕事だった。
巽は現場へ向かう道中、鬱々とした気持ちを抱えていた。戌亥と一緒ならまだしも、今回は厚生課の二人と協力しなければならなかった。
鬼の桃子はともかく、冷月のことをどうにも好きになれない巽は、じっと冷月の背中を睨んだ。
すると、不意に足を止めた冷月の背中に顔面から突っ込んだ。巽が「痛い。」と呟くより先に、
「——あの、なんか、デカすぎません?」
冷月が呆れたような声を出した。巽は冷月の視線の先を辿ると、そこには大きな黒い靄を纏う獣が佇んでいた。
大きな耳と尻尾が特徴で、やや短めの四本足を持つ、大柄な妖異。細く尖った鼻先が匂いを嗅ぐように動いたかと思うと、開かれた目には三人の姿が捉えられていた。
「……猫?」
「いやどう見ても狐だろ!」
すかさず冷月にツッコミを入れられるも、巽はあまりピンとこなかった。
「どっちでもいい。さっさと祓うわよ。」
巽と冷月のやり取りを横目に、桃子は影から金棒を取り出すと、咄嗟に右手で掴み、妖異との距離を詰めた。桃子はそのまま鉄の塊を軽々と振り回し、妖異の顔面にめがけて振りかぶった。
その小柄な体格からは想像できないような身体能力に、巽は目を見開いた。「おう。」と声を返答した冷月も地面を強く踏み込んだ衝動で、影から刀を取り出すと妖異に向かって駆けていった。
「あ。」
完全に出遅れた巽は、瞬きを二回すると、息を吐いてしゃがみ込んだ。そのまま地面に手を付くと、水面のように揺れる影から青みがかった銀色の鎖を取り出した。
「よし。」
巽は顔を上げて立ち上がると、狐の妖異を相手にする二人の様子が目に入った。二人の攻撃により、じりじりと後ずさる妖異はだんだんと巽の方へ近づいている。
——このまま、あの妖異が来るのを待つだけ。
巽は対象を捉えるタイミングを伺うように、腰を低くした。
「何やってんだあいつ。」
体を翻しながら、不思議そうに首を傾げる冷月を気に留めず、巽は自分にできることを考えた。
——大丈夫だ、このまま絡め取られればなんとかなる。
巽と妖異との距離が詰まる。厚生課の二人に押されて、逃げるように駆けてきた妖異に向かって、
「そこ。」
巽は手にした鎖を妖異に巻きつけた。
狐の妖異は四肢の自由が効かなくなると、夜空に向かって咆哮した。




