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アンビバレント・ヘブン  作者: 落水彩
総務課抜き打ち編
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総務課抜き打ち編④ 師弟

 戌亥は冷月の右隣に腰掛けた。


「なにしにきた。」


 冷月は決して歓迎はしなかった。戌亥に当たるような話ではないのに、心が晴れないせいで言葉が強くなった。


「冷やかし。」


 続けて戌亥は「冗談だ、私そこまで性格悪くないからな。」と言いながら、足を崩した。


「貴様、あの娘に言ってなかったのだな。」


 戌亥の視線の先には雲海があった。


「心配、させたくなかった。」


 冷月が打ち明けるタイミングはいくらでもあったのに、それとなくはぐらかした。桃子に頼りがいがあるところを見せたくて、素性を隠してきた。自分が人殺しであることが桃子にバレていたら、それも何人も殺したとなると、多分今の関係は築けていない。厚生課を名乗るのであれば、消したい過去だった。


「心配というより、失望だろう。」


 確信をつかれたように、一際大きく鼓動が鳴った。嫌な汗が額に滲んだ。

 

「そんな人間だと知られて、あの娘に愛想を尽かされるのが怖かったんじゃないか?」


 冷月は何も返せなかった。心臓の鼓動がうるさく感じた。膝を抱える腕に力を入れると、大きなため息を吐いた。

 冷月は、桃子にとって厚生課が新しい居場所になりつつあることを、それとなく察していた。桃子も決して言葉にするタイプではないが、その働きぶりから言わずとも感じることができた。

 それを実感するたびに過去の自分に蓋をした。いくつも重ねた。マトリョーシカのように。

 だからこそ、散々な会議のあと、桃子の怒りの矛先は、桃子自身に対する猜疑の目ではなく、過去を話さなかった冷月に向いたのだった。


「相手を信頼しているのであれば、言うべきだったな。」


「……だよな。」


 冷月は顔を膝に埋めたまま、ぽつりと呟いた。桃子のためと言いながら、自分のことしか考えていない行動にそれ以外の言葉を返せなかった。


「まあでも良かった。いつもの様子からじゃ想像できないような落ち込み方をしていると、貴様も人間なんだと再認識できる。」


「どういう意味だよ。」


「ずっと底抜けに明るい奴も怖いだろ。」


「なんだよそれ。」


 厳しい顔をする冷月とは反対に、戌亥は朗らかな顔をしている。


「十年前を思い出すな。」


 * * *


 十年前、冷月が彼岸にやってきた頃だ。

 自分の犯した罪に向き合い、人を救うことを選んだあの日から、冷月は戌亥の元で修行を受けた。

 と言っても、死なないからという理由で崖から突き落としたり、戦意喪失した上からさらに骨を折ったりしてくるような理不尽な暴力だった。

 しかし、それらの理不尽はすべて、彼岸を脅かす妖異との戦いに備えてのことだった。

 妖異は彼岸の住人にとって脅威であった。冷月が初めて対面した際も、その威圧感や恐怖に圧倒され、足がすくんだ。戌亥の前で、人を救いたいと豪語しておいてこの程度かと、自分の弱さが身に染みてわかった。

 刀すら振れなくなった冷月を見てなのか、根性を叩き直すように激しい稽古を行なった。

 武器として刀を選んだのは、戦国時代の冷月が武士として剣を握っていたため、剣技ならすぐに思い出せると思ったからだった。

 幾度も、その剣技で死闘をくぐり抜けてきた、と記録には書いてあったそうだ。これも戌亥から聞いたもので、正直な話、冷月はそこまで昔の記憶など、無いに等しかった。

 ただ、過去に犯した罪の数々を除いて。


「——が、痛ッ。」


 一瞬の出来事に、何が起こったか理解できない冷月は呼吸を整えながら辺りを見回した。

 視線の先に青空が見えて、ようやく状況を飲み込んだ。

 冷月は背中を地面につけたまま、膝が顔の近くにある体勢でひっくり返っている。右手には木刀が握られている。体はあまり柔らかくないので、つま先は地面についていない。

 手を払いながら近づく足音がだんだん大きくなる。


「貴様そんなもんじゃないだろ。前歴を調べたが、戦国の世では刀握って戦っていたのではないのか。それともなんだ、平成という世はその名の通り安逸(あんいつ)を貪るような世だったというのか。」


 太ももの隙間から、上下逆さまの不満に満ちた戌亥の顔が覗いた。冷月は顔を顰めたまま、下唇を噛んだ。

 見るに耐えないほど間抜けな格好を戌亥に晒していた。彼女と目を合わせることは到底できなかった。


「その程度でよく人を救いたいだのぬかせたものだ。」


 ため息混じりの声を聞いて、冷月は全身に力が入った。自分の罪の重さはよくわかっている。いくら人に(こいねが)われたとはいえ、殺人は立派な罪だ。


「……わかってる。」


「ん?」


 木刀を持ったまま、受け身を取り損ねて強打した左肩を庇いながら、冷月はゆっくりと立ち上がった。


「俺の犯した罪が許されないのも、一から身も心も鍛え直さなきゃならないのも、全部わかってる。」


 戌亥の視線が吸い付いたように、その緋色の瞳に冷月の姿が映った。


「なんでもやるさ。たとえ、この身が砕けたって、一人でも多くの人を救いたい。それが、この世界なら、できるんだろ。」


 戌亥はトーンを変えずに「まあな。」と答えた。


「だから、もう一度。」


 冷月は木刀を構え直すと戌亥と向き合った。


「ほう、大抵はこの辺で根を上げ離脱するのだがな。」


 口ではそう言いつつも、特別感心した様子はなかった。


「じゃあもう、手を抜く必要もないな。」


 戌亥が手を広げると地面から、二本の短刀が出現した。そのまま戌亥の両手にすっぽりと収まると、間髪を容れず冷月に迫った。

 相手が真剣を使うだけで、冷月の気が引き締まった。

 冷月は、戌亥によって延々と繰り出される剣戟をかわすのがやっとだった。ジリジリと、少しずつ押されていく。


「どうした。口だけか。」


「くっ。」


 冷月は戌亥に反撃しようと隙を探りながら腰を落とした。

 戌亥の動きを注視していると、確実にダメージが入るような攻撃は全て右手から繰り出されていることがわかった。


 ——なら、狙うは左。


 タイミングを待って、狙って、一本でも取ってみせる。冷月は全神経を集中させてチャンスを伺った。

 無数の斬撃を繰り広げる戌亥が、ほんの少し視線を冷月から見て右に逸らした。


「ここだ。」


 わずかに生まれた隙を逃さないように、冷月は左胸を狙って斬りかかろうとするが、


「ふん。」


 左手に握られた短刀で軽々と攻撃をかわされると、腹部に強烈なボディーブローが入った。


「いッ……げほっ。」


 痛みに耐えかねた冷月が膝をつくと、頭の上から声が聞こえた。


「わかりやすい視線の誘導に釣られるな。」


 咳き込んでいたせいで、戌亥の声はうっすらとしか聞き取れなかった。声の方を見上げると、戌亥が仁王立ちをして冷月を見下ろしている。中学生を思わせる見た目に反して、冷月より大きく感じた。


「ほら、さっきの威勢はどうした。」


 煽られて、木刀を杖のように突き立て、支えながら立ち上がった。冷月の額に、背中に、びっしりと不快な汗が滲むのに対し、戌亥は汗一つかいていなかった。

 まだ痛みの治らない腹部に無理やり力を入れ、木刀を構え直すと戌亥との間合いを詰めた。


 そんな修行を十年続けてきた。


 * * *


「——よく言えばひたむき、悪く言えば向こう見ず。」


「あ、そ。」

 

「なんだその態度、珍しく褒めてやってるのに。」


「褒めてないだろ! 悪く言えばっつってんじゃん。」


 冷月は戌亥と話すなかで、自分でも気がつかないうちに、少しだけ心が軽くなっていた。と同時に、自分で思っているよりも思い悩んでいたことを自覚した。


「……今からでも遅くないかな。」


「何を言う、何かを始めるのに、遅すぎることなぞない。思い立ったが吉日。謝るなら今日。この際、貴様の一切合切を話すのも今日だろ。」


 矢継ぎ早に話す戌亥に、冷月は気合を入れ直されるかの如く、背中を思い切り叩かれた。恨めしそうに戌亥を睨んでも、当の本人は「何か文句でも?」と居直っている。


「……。」


「今じゃもう、貴様の過去を知った程度で離れていかんだろ。信じてやれ。」


『——なんで、教えてくれなかったの?』


 桃子の顔を思い出す。怒ったような、悔しそうな顔。普段の桃子からは想像できない、感情を露わにした表情だった。冷月は、そんな桃子を見るのは初めてだった。


 ——だよな。


 冷月は陽が落ちて冷たくなった空気を思い切り吸い込む。先ほどより呼吸がしやすかった。


「上司になら話せる悩みもあったろ。感謝するんだな。」


「ああ。ありがとう、戌亥。」


「え、そこまで素直なのもなんかきしょいぞ貴様。」


「あのなぁぁぁ!」


 まあまあ、となだめる戌亥の顔が憎たらしく映った。顔が熱を持ったように赤くなった冷月は、元上司から目線を逸らし、勢いのままに立ち上がると、月明かりを背にして歩き出した。



 

 

 ——今まで黙っててごめん。心配させたくなかった、じゃなくて、失望されるのが怖かった。ちゃんと全部話すから。

 

 事務所に帰るまでの道中、冷月は桃子にどう伝えるかを脳内でシミュレートしていた。今日こそは向き合わなければならなかった。

 とはいえ、十割自分に負い目がある場合、ノコノコと帰るのも気が引けた。そもそもまだ事務所にいるかすらも——。


 冷月がそんなことを考えている間に、事務所の前に到着していた。全身に響くほどの胸騒ぎを抱えたまま、ゆっくりとビルを見上げた。


「お。」


 部屋の明かりが漏れていることに安堵すると、階段を上って、少し錆びれた扉を開けた。


「ただいま——。」


「だから、それさっきもやったじゃない!」


「あれ、全部消えた。」


「ちょっと!?」


「復元どうするんだっけ。」


「私がわかるわけないじゃない!」

 

 部屋中に桃子の怒号が鳴り響いていた。桃子の必死さとは反対に、無頓着な声が間に挟まった。


「困ったな、明日提出なんだけど。」


 それほど困ってなさそうな声だった。感情の起伏がなく、どこか他人事だ。


 ——そっかぁ。まだ、巽いたのか。


 冷月は帰ってきてからしばらくの間、桃子に話を切り出すことができず、扉の側で立ち尽くした。

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